無私の人と我欲の人…

ローマ法王フランシスコが日本にやってきた。
そして、平和、人権、核・原子力廃絶について、多くのメッセージを発した。日本国首相である安倍晋三は、「人」として、法王の言葉をどう受け止めたのだろう。ニュースでは「日本は核廃絶、世界平和を進めるため積極的に世界をリードする」などと安倍晋三は発言していたが、その言葉がいかに空虚かをボクたちは知っている。国際社会での「核の抑止力の無効」を言う法王と、「核の抑止力」にすがる安倍晋三では、その立場が全く違う。法王が言う世界平和への希望は、本来、絶対平和主義を憲法に掲げるボクたちと同じ基調のはずだが、その日本国憲法の「柱」を変えてしまおうという安倍晋三は法王の言葉の前に立ちすくんでいるようにも見えた。
法王の言葉は、無私の人の言葉としてボクにはずしりと響いた。


「戦争は人間の仕業」
被爆者が心に刻むローマ法王の言葉
2019年11月17日:朝日新聞

 ローマ・カトリック教会の法王が24日、38年ぶりに被爆地の長崎と広島を訪れる。1981年、当時の法王、ヨハネ・パウロ2世は原爆の悲惨さを伝える意義を強調し、被爆地で人々が体験を語り継ぐきっかけをつくった。伝えつづけてきた人たちは、来日するフランシスコ法王のメッセージに期待している。

「原爆は鬼のごたる」

 38年前のローマ法王の来訪をきっかけに、被爆者の体験の聞き取りを始め、劇にして伝えている施設が長崎市にある。高齢の入所者の思いを、被爆2世の職員らがつないでいる。
 350人ほどの被爆者が暮らす養護施設「恵の丘長崎原爆ホーム」。1981年、法王のヨハネ・パウロ2世が訪れ、入所者たちに「皆さんは絶えまなく語りかける生きた平和アピールです」と呼びかけた。
 職員だった被爆2世の山川強さん(64)は、この言葉に「引き金をひかれた」。原爆で家族を亡くして身寄りのない被爆者のためにつくられた施設で、被爆の記憶を誰にも託せずに、静かにこの世を去る人がほとんどだった。「このままでいいのかと、どこかで感じていた」
 約2カ月後、体験の聞き取りを始めた。「何も話したくない」という人がいる一方、48歳で被爆し、夫と一人息子を奪われた女性は体を震わせ、つぶやいた。「原爆は鬼のごたる(ようだ)」
 翌年、法王の来日1周年を記念した文集に、この女性を含む10人ほどの証言を収録。95年からは数十人分の体験をまとめ、5年ごとに計4冊出した。
 95年に証言を劇にすると、山川さんは3年後、劇の監修を職員の鹿山彰さん(53)に引き継いだ。被爆2世の鹿山さんは、母親の詳しい体験を原爆ホームの証言集で初めて知った。
 当初のリハーサルでは、山川さんに叱られた。「本当にこんな状況だったのか?」。体の不自由な入所者に台本通り動いてもらうだけで精いっぱいで、同じ被爆2世の山川さんに腹立たしい気持ちにもなった。
 上演をこなすうち、台本の体験がすり込まれていった。「主人公」の女性が亡くなった息子の墓参りに行くのにも付き添い、手を合わせた。爆心地近くで育った鹿山さんは、近所の光景に当時の惨状を重ねた。
 舞台に上がれる入所者を探すのは、年々難しくなっている。代わって職員や毎年修学旅行で来る小学校の児童が演じるようになり、8月9日に被爆者がさまようシーンにだけ、黒衣の職員に支えられて入所者が登場する。
 それでも「体験した人が演じることに意味がある」と鹿山さん。今月6日、初めて劇に出た犬塚愛子さん(87)は爆心地付近で見た負傷者の姿を思い浮かべ、茶色と赤のドーランを顔に塗った。
 鹿山さんの知る限り、38年前の法王来訪を知る入所者は3人だけになった。重い認知症の人も増え、会話ができる人は減った。そんな中、被爆75年に証言集を出すため、鹿山さんは聞き取りを続けている。
 法王は今回、長崎の爆心地で核廃絶に向けたメッセージを出す予定だ。38年前に中学生だった鹿山さんは、雪の中のミサに参列し、法王の言葉を聞き取れなかった。だが、今回はその言葉が「再び自分たちの背中を押してくれるのではないか」。鹿山さんはそう期待している。(榎本瑞希)
法王の言葉にハッとする
 言葉には、人を動かす力がある。広島市中心部にあるカトリック幟(のぼり)町教会(同市中区)の神父、深堀升治さん(82)はそう思っている。38年前、自分がそうだったように。
 深堀さんは爆心地から3キロ余りの自宅近くで被爆。8歳だった。父は右半身に大やけどを負い、指の一部が癒着して開かなくなった。カトリック系の幼稚園で常々その教えを聞いていたが、「家族をこんな目に遭わせたやつにやり返したい」との思いが芽生える。一方で被爆を宿命として受け止めた信者も多く、「被爆体験を話すことは、神の計らいに愚痴ることになる」と考え、あの日の思いはずっと封印してきた。
 その考えを変えたのが、ヨハネ・パウロ2世の広島訪問。「戦争は人間の仕業です」。テレビを通じて聞こえた言葉にハッとした。「人間の仕業で起こったのなら、二度と繰り返してはいけないと声を上げるべきだ」。以後被爆体験を積極的に語るようになった。
 それから38年。被爆者の訴えは国際社会を動かし、2017年には核兵器の使用や製造を法的に禁じる禁止条約が採択された。だが条約は今も発効せず、日本政府も背を向けたままだ。深堀さんは、「平和や核問題への無関心が広がっている」と危機感を覚える。
 だからこそ今回も期待するのが、平和記念公園(広島市中区)で発する言葉だ。「法王のメッセージは力がある。核兵器だけでなく、戦争のない世界への出発点になってほしい」(東谷晃平)


焼き場に立つ君は誰ですか
 ローマ教皇の心動かした1枚
2019年11月21日:朝日新聞















ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇の指示で配布されたカードの写真。米国の従軍カメラマンだった故ジョー・オダネル氏が1945年に撮影した(ローマ教皇庁提供)

 幼い子を背負い、まっすぐ前を見つめる「焼き場に立つ少年」。被爆後の長崎に進駐した米軍カメラマンが撮った1枚の写真が、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇の訪日を前に、改めて脚光を浴びている。少年はその後、どうなったのか。写真が放つメッセージに引き込まれ、向き合う人たちがいる。

原爆投下直後「お母さんを捜しよる」

 「焼き場に立つ少年」の写真を撮影したのは、終戦後に長崎に進駐した米軍の従軍カメラマン、故ジョー・オダネル氏(1922~2007年)。同氏の写真集「トランクの中の日本」(小学館)には「長崎ではまだ次から次へと死体を運ぶ荷車が焼き場に向かっていた」「焼き場に10歳くらいの少年がやってきた(中略)少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた」と、少年が亡くなった弟を火葬場に背負ってきた様子が記されているが、詳しい撮影場所、少年の名前などは書かれていない。
 写真集を編集した大原哲夫さん(72)は今月16日、福岡市内で講演。「ジョーさんは原爆投下直後の被爆地に入り、目を覆いたくなるような惨状を目の当たりにし、戦争を二度と起こしてはいけないという強い信念を持つようになった。国境を越えて人類にあってはならないことだと伝えたかったに違いない」と語った。
 原爆投下直後に出会った男の子が「焼き場に立つ少年」ではないか――。長崎市の村岡正則さん(85)はそう信じて、少年を捜している。爆心地から約1・6キロで被爆し、学校近くの裏山に逃げ込んだ。そこに男の子はいた。「あの写真と同じように、幼子を背負った男の子を見かけた。目が合うと、向こうから近付いてきました」
 声をかけると、男の子は「お母さんを捜しよる」と答えて立ち去ったという。当時通っていた銭座国民学校(現銭座小)の校庭で何度か遊んだことがあった。同じ10歳前後で、転校生だった気がするが、名前までは覚えていない。
 フランシスコ教皇は17年の年末、写真に「戦争がもたらすもの」とメッセージを添えたカードを関係者に配布。「写真を見て胸を打たれた。このような写真が千の言葉よりも多くを語る。だから分かち合いたいと思った」と語った。翌年8月には日本のカトリック教会でも配られた。教皇が24日に長崎市の爆心地公園で「核兵器に関するメッセージ」を出す時に掲示される予定もある。
 カトリックである村岡さんは「私が知っていることを話さなければ」と考えるようになった。昨年、「少年を知っている」と名乗りを上げ、少年を捜し始めた。初めは被爆直後に出会った場所近くを重点的に。「少年はあの子ではないか」という人の記憶を頼りに市外まで範囲を広げたが、特定する情報には巡り合っていない。
 村岡さんは少年に、「過酷な8月9日とその後を生きた同志」だという思いを抱いている。「それなのに、いまだに生死も分からないなんてかわいそうじゃないですか」。教皇の来日をきっかけに、有力な情報が寄せられることを願う。(弓長理佳、伊藤繭莉)

撮影場所も特定できないまま

 写真の寄贈を受けた長崎市は2007年、長崎平和推進協会の写真資料調査部会に相談。2人から少年を知っているとの情報が寄せられたが、これまで少年や場所は特定できていない。
 「焼き場に立つ少年」と同様に有名な、長崎原爆の爆心地付近で撮られた「黒焦げの少年」は、「兄ではないか」と遺族が名乗り出て、16年に「同一人物の可能性がある」との鑑定結果が出た。部会長の松田斉さん(64)は「焼き場に立つ少年は、あれだけはっきり顔が写っているのに、いまだに誰か分からないのは不自然だ」と話す。
 写真の背景には畑や山があり、電線が黒く焼けて地面に落ちている場所という程度しかわからない。部会のメンバーで、被爆者の深堀好敏さん(90)は「これだけ木が生えているので爆心地付近ではないことは確か」と見る。だが有益な情報は少なく、「長崎で撮られたと言える証拠も、違うと示せる証拠もないので、断言は難しい」と言う。
 被爆写真を40年調べてきたという深堀さん。「これだけ人の心を動かすような大切な写真。写真の背景を明らかにするためにも、どこで撮られたものなのか、はっきりと示したい」(田中瞳子)

「焼き場に立つ少年」の手がかり探し、いまも

 被爆2世の長崎市職員、松尾隆さん(54)はプライベートで、「焼き場に立つ少年」の写真を調べている。今年5月、10年勤めた長崎原爆資料館の被爆継承課長から異動し、市教委に出向したのがきっかけだ。
 「写真は左右が反転しているのではないか」。画像を拡大して観察し、自分の母の幼少期の写真と比較したり、戦時中の服装に関する規定を記した公文書を読んだり。右胸に付けられている名札が、「通常は左胸につける」と服飾の専門家から聞いたことなどを根拠に、そう推測する。少年の前身頃が左前になっていることも理由の一つだ。
 被爆者の訴訟を支援する内科医、本田孝也さん(63)は今年8月、木がうっそうと茂る長崎市郊外の山の中にいた。「焼き場に立つ少年」の写真を追った書物で、「同級生ではないだろうか」「焼き場があった」という住民の証言が寄せられた場所だ。
 本田さんは暑い中、金属探知機を駆使していた。写真の少年の足元に、銅線のようなものが写っているからだ。「ここが焼き場なら、写真に写っている銅線のようなものを探せないだろうか」


袴田巌さんミサ招待
 ローマ教皇、にじむ「死刑廃止」
2019年11月25日:毎日新聞

ミサに臨むフランシスコ・ローマ教皇=東京ドームで2019年11月25日午後4時10分、梅村直承撮影


 フランシスコ・ローマ教皇が25日に東京ドームで執り行ったミサに、1966年の「袴田事件」で死刑が確定し、静岡地裁の再審開始決定で釈放された袴田巌元被告(83)が招待され、参列した。袴田さん側が求めた面会はかなわなかったが、教皇の死刑廃止への思いがにじんだとの指摘もある。

ミサに出席した後、記者会見に臨む袴田巌さん(中央)と姉秀子さん(左)
=東京都千代田区の弁護士会館で2019年11月25日午後6時24分、藤井達也撮影

面会は実現せず

 午後4時から東京都文京区の東京ドームで行われたミサには、信徒ら約5万人が集まった。2階席まで埋め尽くされる中、袴田さんと姉の秀子さん(86)には、教皇が間近に見える前列の席が用意され、2人は黒の服を身にまとって参列。教皇が会場を車で周回した際、袴田さんは立ち上がってその姿を見ていた。
 袴田さんは1966年に逮捕され、84年に死刑囚として収容されていた東京拘置所で洗礼を受けた。2014年の再審開始決定で釈放されたが、東京高裁は18年、地裁決定を取り消し、弁護側が最高裁に特別抗告している。現在は浜松市で秀子さんと2人で暮らすが、死刑囚でありながら社会で生活するという不安定な日常を送っている。長期収容による拘禁症の影響などで会話がかみ合わないという。秀子さんは昨年来、「無実にもかかわらず、死刑を言い渡されている。力を与えてほしい」と面会実現を求めてきた。
 袴田さん側は、面会がかなうか分からないまま当日を迎えた。ミサでは結局、袴田さんが教皇に接触する機会はなく、舞台裏での面会もかなわなかった。だが、ミサ後に記者会見した弁護団の西嶋勝彦弁護士は「無罪を主張している袴田さんが招待されたことは、世界に発信されるだろう。再審開始に一歩近づけることができた」と意義を強調した。
 袴田さんがミサに招待された背景には、死刑制度に対するカトリック教会の立場の変化も影響しているとみられる。
 教会は数世紀にわたり、極端なケースに関しては死刑を容認してきた。しかし、05年に死去したヨハネ・パウロ2世の在任中に立場が変化し始めた。バチカン(ローマ教皇庁)は昨年8月、カテキズム(教理の手引)の死刑の項について「容認できない」と明記。「全世界で死刑が廃止されるために決意をもって取り組む」と表明する言葉も加えた。改定についてバチカンは、死刑に全面的に反対するフランシスコ教皇の姿勢が反映されたとしている。
 これを受けて昨年秋には、日本弁護士連合会の代表がバチカンを訪問。「死刑制度廃止を含め国際世論を動かすきっかけになれば」と期待を込め、面会を望む袴田さんの弁護団の手紙と、死刑廃止を訴える日弁連会長名の親書を枢機卿に手渡していた。上野景文・元駐バチカン大使は「国益を持たないバチカンのメッセージ力は、道徳性や中立性に富んでおり力強い」と解説する。
 「バチカンの死刑制度に関する立場を喚起したいという意思もあるのでは」。13年にフランシスコ教皇が就任した時に駐バチカン日本大使館公使を務めた徳安茂氏は、招待は死刑に反対する教皇の思いの表れだとみる。教皇は就任以降、各国で病院や刑務所などを訪問。バチカンに経済困窮者らを招待し、会食をともにするなど社会問題への無関心に警鐘を鳴らしてきた。「クリスチャンでもある袴田さんをミサに招待するのは不自然ではない」と話した。【古川幸奈、田中理知、竹内麻子】

死刑存廃の機運なく、政府は静観

 死刑囚がカトリック指導者のミサに招かれるのは世界的にも異例とみられる。少数派となった死刑存置国である日本の姿勢に注目が集まる可能性もある。
 国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」によると、死刑存置国は昨年末の時点で、日本や中国、米国など56の国・地域。一方、欧州などの106カ国が全面廃止し、過去10年間執行していない事実上の死刑廃止国などを含めると142カ国に上る。国連は2007年、廃止を視野に執行停止を求める決議を採択し、7回目となる昨年は121カ国が支持した。
 死刑廃止が国際的な潮流となる中、法務省は昨年7月、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚らオウム真理教元幹部の死刑囚13人の刑執行に踏み切った。その後も昨年12月と今年8月にそれぞれ2人の死刑を執行。政府内ではかつて存廃論議について「オウムをそのままにしていてはできない」といわれてきたが、執行後も論議が起きる気配はない。
 政府は「世論の高い支持」を理由に据える。14年の内閣府の世論調査では8割以上が「死刑もやむをえない」と回答。「国民世論に十分配慮し、社会正義の実現などさまざまな観点から慎重に検討すべきだ」というのが政府の見解だ。
 法務省幹部は、洗礼を受けている袴田さんのミサへの招待を「宗教上の対話は自由」と静観の構えだ。「死刑の廃止を訴えたわけではなく、内政干渉には当たらない」とも話す。

日弁連「制度考える一助に」

 ただ、死刑廃止を求める団体は、今回の出来事を重要な一歩としたい考えだ。日本弁護士連合会は「20年までに死刑制度の廃止を目指す」とする宣言を16年に採択した。先月、死刑の代替刑として終身刑の創設を求める基本方針を首相に提出したばかり。日弁連幹部は「国民全体で死刑制度を考える一助になるのではないか。代替刑も含めて議論が進めばいいと思う。国際社会の潮流と国民の声の両方が、死刑廃止には必要だ」と話した。【村上尊一、服部陽】



(社説)ローマ教皇 被爆地からの重い訴え
2019年11月25日:朝日新聞

 平和の実現にはすべての人の参加が必要。核兵器の脅威に対し一致団結を――。核軍縮の国際的な枠組みが危機にある中、被爆地から発せられた呼びかけをしっかりと受け止めたい。
 13億人の信者を抱えるローマ・カトリック教会のトップ、フランシスコ教皇が長崎と広島を訪れ、核兵器廃絶を訴えた。
 教皇は2年前、原爆投下後の長崎で撮られたとされる写真「焼き場に立つ少年」をカードにして教会関係者に配った。今回、長崎の爆心地に立って「核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすと証言している町だ」と語り、「記憶にとどめるこの場所はわたしたちをハッとさせ、無関心でいることを許さない」と力を込めた。
 ローマ教皇の来日は1981年以来、38年ぶり2度目だ。前回来日したヨハネ・パウロ2世が平和外交を展開して東西冷戦の終結に影響を与えるなど、教会は核廃絶を含む平和への取り組みを重ねてきた。フランシスコ教皇も米国とキューバの国交回復で仲介役を務める一方、自らが国家元首であるバチカンは、核兵器の製造や実験、使用を禁じる核兵器禁止条約が2年前に国連で採択された後、いち早く条約に署名・批准した。
 ただ、国際協調より自国第一主義が優先される現実のなかで、核軍縮への取り組みは後退している。米ロの中距離核戦力(INF)全廃条約は8月に失効。2021年に期限を迎える両国間の新戦略兵器削減条約(新START)も存続が危ぶまれる。来年には核不拡散条約(NPT)再検討会議が開かれるが、核保有国と非保有国の溝は深まる一方だ。
 「わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にある」「相互不信の流れを壊さなければ」。そう危機感を訴え、世界の指導者に向かって「核兵器は安全保障への脅威から私たちを守ってくれるものではない」と説いた教皇の思いにどう応えるか。唯一の戦争被爆国である日本の責任と役割は大きい。
 安倍政権は、日本が米国の「核の傘」に守られていることを理由に核禁条約に背を向け続けているが、それでよいのか。核保有国と非保有国の橋渡し役を掲げるが、成果は見えない。政府の有識者会議は10月、日本がとりうる行動を記した議長レポートをまとめたが、非保有国が多数賛同した核禁条約を拒否するだけでは実践は望めまい。
 教皇は広島でのスピーチで「戦争のために原子力を使用することは犯罪」「核戦争の脅威で威嚇することに頼りながら、どうして平和を提案できようか」と述べた。この根源的な指摘を無駄にしてはならない。


ローマ教皇のメッセージ
 「核なき世界」への一歩に
2019年11月25日:毎日新聞

 米露などの核保有国が「自国第一主義」に走って軍縮に背を向け、軍備増強を進めている。そうした現状に対する強い危機感の表出である。
 来日中のフランシスコ・ローマ教皇が被爆地の長崎と広島を訪れ、「核なき世界」実現への努力を結集するよう国際社会に呼びかけた。
 注目されるのは、核兵器の保有自体への非難である。平和や安定への「最良の答えではない」と断じ、兵器開発を「テロ行為」と形容した。
 被爆地発の教皇メッセージは2度目である。ヨハネ・パウロ2世は1981年に広島で「戦争は人間の仕業」と強調し、核軍縮を訴えた。
 米ソが対立する東西冷戦中だった。このため、核兵器の保有で戦争を抑止する戦略について、バチカンは「軍縮への一歩として、倫理的に受け入れられる」と容認していた。
 今回、フランシスコ教皇は「国際社会の平和、安定とは相いれない」「脅威から私たちを守ることはできない」と核抑止論を否定した。
 訪日は冷戦終結から30年の節目にあたる。だが、核を巡る脅威は増し、世界はより不安定になっている。
 フランシスコ教皇の背中を押しているのは「相互不信によって、軍備管理の国際的な枠組みの解体につながる危険がある」との懸念である。
 トランプ米政権下、ロシアとの中距離核戦力(INF)全廃条約は8月に失効した。朝鮮半島の非核化を目指す米朝協議の行方は見通せず、イラン核合意も崩壊の瀬戸際だ。
 来年は核拡散防止条約(NPT)の発効50年にあたり、再検討会議が開かれる。だが、保有国と、核全廃を目指す非保有国の溝は深い。
 バチカンは2017年の「核兵器禁止条約」採択時、いち早く批准した。今回、教皇は特に禁止条約の名を挙げ、教会が「飽くことなく、迅速に行動していく」と宣言した。
 米国の「核の傘」に入る日本は条約不参加だ。唯一の戦争被爆国として保有国と非保有国の「橋渡し役」を自任するならバチカンと足並みをそろえ、米国に軍縮を迫るべきだ。
 教皇は「核なき世界は可能であり、必要だ」と力説する。だが、待っているだけでは理想は実現しない。
 日本は今こそ、核廃絶の必要性を国際世論に訴え、「核なき世界」の実現に道筋を付ける責務がある。



<社説>政府の武器輸出支援
 平和主義の理念にもとる
2019年11月20日:琉球新報

 政府が武器の輸出を後押しするのは日本が戦後、築き上げてきた平和国家の理念に逆行する。改めて強い危惧を抱かざるを得ない。
 国内初となる総合的な防衛装備品の見本市「DSEI Japan」が、防衛省・防衛装備庁や外務省の後援を得て、千葉市の幕張メッセで開催されている。
 陸海空の装備に加え、テロ、サイバー攻撃など安全保障に関連する全分野を扱う世界最大級の見本市だ。2年に1度開かれ、今回初めて英国以外で催された。
 出展したのは日本企業約50社を含む約150社だ。見本市を支援する英国のほか、米国、イスラエル、カナダ、インドからも参加した。
 もともと政府は去る大戦の反省から、武器輸出三原則の下で原則禁輸政策を取り、例外的に輸出を認めていた。2014年にこれを撤廃したのが安倍晋三政権だ。国際紛争を助長しかねず、国の行く末を危うくする決定である。
 武器輸出三原則に代わって閣議決定した防衛装備移転三原則は国際協力の推進や日本の安全保障に資する場合、相手国の適正な管理などを条件として輸出を認める。それまでの禁輸対象のうち「国際紛争の当事国やその恐れがある国」から、「恐れがある国」という表現を削除した。
 紛争の恐れがある国に武器を輸出すれば一方の側に肩入れすることになり、中立の立場から平和外交を推し進めるのが困難になる。憲法が掲げる平和主義の理念にもとるのは明らかだろう。
 今回の見本市は実行委員長に西正典元防衛事務次官、特別顧問に森本敏・元防衛相が就いている。防衛装備庁のブースには陸上自衛隊の10式戦車なども展示された。防衛省が前面に出た政府肝いりのイベントだ。
 近年、防衛予算に占める輸入の割合が増えているという。最新型ステルス戦闘機F35や垂直離着陸輸送機オスプレイといった高額な兵器を米国から購入するためだ。
 日本の防衛産業は重工業、情報システムなど幅広い。だが自衛隊の防衛装備品は少量調達で開発コストがかかり、収益性は低いといわれる。
 官民足並みをそろえて実現させた輸出拡大策も、企業の側に利益をもたらしているとは言えないようだ。「死の商人」と批判されるリスクも無視できまい。
 武器の輸出を加速させる国家政策は、長期的に見ると、メリットよりもデメリットの方が多い。輸出した武器で人命が奪われる事態は誰も望まない。
 戦争のない国際社会を築くため積極的に発言していくのが日本の果たすべき役割だ。武器商人のように振る舞うのではなく、兵器の取引など必要のない環境をつくるために力を注いだ方がいい。
 過去の歴代政権が踏襲していた武器輸出禁止政策に立ち戻るべきだ。



「死の商人 日本にいらない」
 幕張で武器見本市 市民ら抗議の声
2019年11月19日:東京新聞

「武器見本市はいらない」と書かれた横断幕を掲げる市民団体のメンバーら
=18日、千葉市美浜区のJR海浜幕張駅前で

 総合的な防衛装備品の見本市「DSEI JAPAN 2019」が十八日、千葉市美浜区の幕張メッセで開かれ、日本企業や海外企業約百五十社が出展した。二〇一四年に安倍政権は「武器輸出三原則」を撤廃し、原則解禁する「防衛装備移転三原則」を閣議決定してから、武器輸出の動きは加速。「平和国家」を標榜(ひょうぼう)する国で繰り返される武器見本市に、批判が上がっている。
 見本市の会場入り口ではこの日、約四百十人の市民らが集まり「武器はいらない」と訴えた。
 呼び掛けたのは市民団体「幕張メッセでの武器見本市に反対する会」と「安保関連法に反対するママの会@ちば」。会場最寄りのJR海浜幕張駅南口前でも「武器見本市はいらない」と書かれた横断幕を掲げた。二十日までの開催期間中、抗議活動を続けるという。
 見本市は、英国・ロンドンで二年に一度開催される世界最大級の武器見本市で、英国外での開催は今回初となる。日英両政府が支援し、三菱重工業や川崎重工業などの国内メーカーも参加。開催前に学者や市民らが反対の共同声明も発表していた。ママの会メンバーの金光理恵さん(56)=千葉県船橋市=は、抗議活動で「憲法の平和主義の精神に照らし合わせ、いかなる武器の売買も日本国内で行われてほしくない。『死の商人』はいらない」と語った。
 海浜幕張駅を通りかかった船橋市の会社員三橋和夫さん(63)も「武器見本市が最近になり、なぜ何度も開かれるのか。日本の防衛装備庁も出展しているというが、もっと暮らしに寄り添った税金の使い方をしてほしい」と疑問を投げ掛ける。
 幕張メッセが武器見本市の会場となるのは、二〇一七年と今年六月に「MAST Asia」が開かれたのに続き三回目。ママの会と反対する会は、施設を所有する県に対しても、貸し出し中止を求める署名を提出。県の担当者は「公の施設は正当な拒む理由がない限り貸し出す。(武器見本市の開催は)県の設置管理条例に違反していない」としている。(山口登史、中谷秀樹)

政府が支援する防衛装備の見本市では防衛装備庁が陸上自衛隊の10式戦車も出展=18日、千葉市で

◆産業強化狙い禁断の領域に
 日本の武器等の輸出を巡る方針は第二次安倍晋三政権の発足以降、大きな転換を見せてきた。
 一九六七年、当時の佐藤栄作首相が、共産圏や国連決議により輸出が禁止されている国、国際紛争の当事国などへの武器輸出を認めない「武器輸出三原則」を表明。厳しい制約を課してきた。
 だが、安倍首相が政権に復帰した後の二〇一四年に新たな「防衛装備移転三原則」を策定。移転を禁止する場合の明確化や、認める場合の限定や情報公開などをうたったものの、輸出を原則解禁。当初もくろんだオーストラリアへの潜水艦輸出は実現しなかったものの、一七年にフィリピン海軍に海上自衛隊が使用した練習機「TC90」を貸与している。一五年に横浜で武器展示会が開かれるなど、国内での武器見本市の開催も活発化している。
 こうした動きの背景には、供給先が国内に限られる防衛産業界の意向があるようだ。経団連は一五年、防衛装備品の海外移転を「国家戦略として推進すべきだ」と提言している。河野太郎防衛相は先月、都内で開かれた防衛政策などを議論する経団連の会合に出席。
 その後の記者会見で河野氏は「海外からも情報提供の要望があるようなものについては、装備品の移転ということも視野にきちんと入れていく必要がある」と理解を示した。
 金子勝・立教大大学院特任教授(財政学)は「国際的な産業競争力の低下が深刻になり、禁断の領域に手を突っ込んだ印象。ただ、武器輸出の分野だけ競争力があるわけではない。日本の産業の現状はもっと厳しく、政府の思考そのものが遅れている」と、武器輸出に前のめりな姿勢を危ぶんだ。 (荘加卓嗣、布施谷航)

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