被災経験を活かそうとしない日本…。

先日(11月10日)、横浜で開かれた「日本都市計画学会」の「持続可能な地域づくり」というワークショップ(シンポジウム)に参加した。シンポジウムが始まる少し前に会場の横浜開港記念館講堂に到着すると、一般発表で「2016年イタリア中部地震の 復興期における主体間の連携に関する一考察」(東洋大学・柏﨑梢)が報告されていた。地震災害の多いイタリアでの被災時の対応について具体的な報告を聞区ことができた。イタリアでは、各自治体が事前に災害対応時の被災者救援について具体的に準備が進められていて、被災当日には、プロの料理人によるキッチンカーでの温かい食事提供から始まり。核家族へのコンテナ型の避難所が設置され、家族の人数に応じて個室も調整されるという。災害復興住宅住宅もすぐに建設され、被災住民に提供され、入居期限なく居住が保障されるという。
日本では被災した住民は「人」として扱われず、「災害時だから…」としょうがないと国連の難民基準以下の扱いをされている。しかもしばしば災害に見舞われて、被災の蓄積があるにもかかわらず、その避難民への対応は100年前とほとんど同じだ。日本国憲法の「健康で文化的な最低限度の生活の保障」は災害時には棚上げされて、避難所などでの「災害関連死」は放置され続けている。この彼我の差には愕然とするほかない。なぜ、日本では、国民が「人」として大切にされないのだろうか。
もっと、国民がわがままを言い、声を大にしなければ、今の政府が動くとは考えづらい。


日本の避難所 雑魚寝、プライバシーなし、モノ不足…
劣悪 100年前から
被災者支援「国はいつも市町村任せ」
2019年11月13日:東京新聞・こちら特報部

 甚大な被害をもたらした台風19号の上陸から1カ月、各地で避難所が続出したが、多くの人はプライバシーが確保されない体育館や公民館で雑魚寝を余儀なくされた。実はこうした光景は戦前から変わっておらず、打ちのめされた被災者に睡眠不足や体調不良の追い打ちをかけている。海外には快適に過ごせる工夫をしている国もあるのに、なぜ日本の避難所の環境は劣悪なままなのか。(榊原崇仁、佐藤直子)

 「あちこちの避難所で見たのが、いつもと同じ光景だった。象徴的なのは皆さんが雑魚寝している様子。何度災害があっても、避難所運営のノウハウが共有されていない」。台風19号で被災した長野県や福島県を巡り、支援に当たった新潟大の榛沢和彦特任教授(心臓血液外科)はそう語る。
 台風19号は、膨大な数の避難者を生んだ。消防庁などによると、堤防の決壊は7件21河川で、住宅被害は90000棟近く。避難所はピーク時の10月13日には237008人に上り、今も2700人ほどいる。
 避難所となったのは主に学校の校舎や体育館、公民館などだ。顕著だったのが「モノ不足」。長野市の屋内運動場では被災直後ブルーシートの上に毛布1枚で過ごす避難者の姿が目立った。多くの人たちが着の身着のまま自宅を離れる一方、最低気温が5度前後まで下がった地域もあり、「寒くてつらい」と訴える声もあった。
 長野県や東京都などでは避難所が満員のケースが少なくなく、車の中で一晩を過ごす人がいた。栃木県鹿沼市では避難所の裏山が崩れ、別の避難所に移ることを強いられた。
 こうした窮屈な生活は、被災した人たちへのダメージを増幅する。日中は自宅の泥落としなどに追われるのに、避難所で安眠できないためだ。群馬県富岡市の公会堂に逃れた40代男性は土砂崩れで自宅が損壊した影響から、土砂が迫ってきた恐怖が消えず、雨音で眠れない夜もあった。避難先は入浴施設がなく、新進が落ち着かない。
 被災者支援のNPO法人「茨城NPOセンター・コモンズ」(水戸市)の横田能洋代表理事は「プライバシーの配慮という点で避難所間の差があった」と話す。被災直後に茨城県内の複数の避難所を見て回ったところ、「一部では家族向けのテントがあったが、毛布すらない場所もあった」と振り返る。他県では、授乳用のテントの有無で差が生じることもあった。
 食事の問題もある。数量が足りないケースだけでなく、個別の配慮も必要。栃木県栃木市の老人福祉センターに避難した80代男性は、弁当の提供に感謝しながらも「糖尿病を患っているので全部食べられない」とこぼした。
 福島県いわき市の避難所ではノロウィルスの集団感染が発生。榛沢氏が懸念するのが「エコノミークラス症候群」だ。脚の静脈にできた血栓が肺の血管を詰まらせて起き、突然死にいたるおそれがある。「昼間も避難所で動かない人がいた。すでに血栓ができている人もいるだろう」
 こうした被災者の環境を榛沢氏は「いつもと同じ」と嘆く。「災害対応は市町村任せで、国が主導しようとしない。国が予算を付けないから市町村の備えが進まない。結果的に『避難所生活は被災者任せ』のような状況に陥っている」

イタリアは家族単位で
テントT(テント)K(キッチン)B(ベッド)も完備
快適 海外は標準
教訓生かさぬ日本の政治「国際水準、ほど遠く」

 被災者が学校の体育館などの床に並んで寝る光景は昔から変わっていない。神戸大の塩崎賢明名誉教授(住宅復興)は「資料や写真で見る限り、1923年の関東大震災ではおにぎりの配布にとどまり、30年の北伊豆地震などの避難所ではみな雑魚寝をしている。95年の阪神淡路大震災、2004年の新潟中越地震でも同じような光景なのだから、100年近くずっと続いていたのだろう」と話す。
 だが、欧州など海外ではベッドを用意するのが標準的。先進国は日本と同じ地震大国のイタリアだ。避難所に「TKB(トイレ、キッチン、ベッドの頭文字)」が標準装備されている。
 イタリアでは1980年、南部イルピニアで3000人近くの犠牲者を出した地震の教訓から市民安全省が生まれた。災害時のために、シャワー付きのトイレや、家族ごとに生活できる大型テントとベッド、プロの調理師が温かい食事を提供するキッチンカーなどの資機材を全国の州ごとに備蓄。災害発生から48時間以内に避難所を設置することを法で定めている。
 「避難所・避難生活学会」理事の水谷嘉浩氏は2012年のエミリアロマーニャ州を襲った大地震の被災地などに足を運び、被災者の生活を間近で見た。プライバシーに配慮して家族単位で設置された冷暖房付きの大型テントに入り、食堂に被災者が毎日行ってテーブルについて食事をしていた。
 「被災者がお互いに健康状態も語り合っていた。避難所は基本的に被災自治体以外の専門知識を持ったボランティアの手で運営されているし、避難生活の間も生活の質を落とさないよう、さまざまな配慮や工夫が凝らされていることに驚いた」
 イタリアのように、日本もできないものか。水谷氏は「日本ではまだ避難生活について標準化されていない」と指摘する。例えば、自治体が設営する避難所では、用意される生活環境や食料など物資にばらつきがある。
 塩崎氏も「日本の災害救助法でも、駆使すれば被災者支援を充実させることができるのに、やろうとしない。自治体の多くが初めての被災経験であることもあって、被災者にとりあえず、牛乳やパン、弁当などを配り、雨露をしのげる場所を提供できたらいいという発想から抜けていない」と批判する。
 それは11年の東日本大震災や昨年の西日本豪雨でも変わらなかった。被災者の側の意識も変わっていないと言う。「普段は床にずらっと並んで寝たりしないのに、災害時は仕方がないと思いこまされている。戦前ならともかく、国民主権や基本的人権をうたった戦後の日本国憲法下で起きていることを考えなくては」
 そのうえで、政治の責任を指摘する。「災害大国でありながら、避難所の実態は国際水準からはるかに遅れている。まともな避難所をつくらないのは、政治家たちに被災者支援を上からの施しとする古い感覚があるからだ。被災者の人権を考えていない」
 日本の避難所の劣悪な環境は、災害関連死の多発にもつながってきた。今後も台風の大型化などで災害の多発が予想されるとして、塩崎氏はこう提案する。
 「質量ともに十分な避難所を設置することが難しいなら、今のように避難所から仮設住宅に移り、そして復興住宅へ移っていくやり方を見直すことも必要では。例えば土地もある地方なら、壊れた家の軒先に当面住むことのできる住宅を建てて住んでもらう。仮設を取り壊すような無駄なこともしなくていいし、数100億円もあれば被災者に相当な手当てができるはずだ」

デスクメモ
 「日本は災害が多発している。被災者が入れる住宅を日頃から準備しておく必要があるのでは」。東日本大震災の後、被災地の人から聞いた言葉だ。実際、その後も地震や風水害が続いているが、住まいの整備は進んだのか。被災者の「生活の質」に気を配る国になってほしい。     (本)



台風・豪雨に見る避難の「壁」
災害リスク認識の差
「結果的に水の被害が大きかった」
2019年11月22日:東京新聞・こちら特報部

 各地で河川が氾濫するなどし、未曽有の被害を出した先月の台風19号と記録的豪雨。千葉県で大規模な停電が起きた9月の台風15号のイメージなどから、水害を想定していなかった住民が少なくなかったのではとの見方が出ている。先入観が被害を拡大させた可能性もあり、いかに情報を正確に伝え、備えてもらうかという課題が浮上している。                    (中山岳、安藤恭子)

千葉・茂原ルポ

 JR茂原駅(千葉県茂原市)から北に2・5㌔ほどの場所にある災害ごみの仮置き場。21日もトラックがひっきりなしに行き交い、洗濯機やテレビといった家電、大量の畳、ソファ、マットレスなどのごみの山は高さ3㍍を超えていた。
 同市は9月9日の台風15号、10月12日の台風19号、同25日の記録的豪雨と3度にわたり被災。ガスストーブと炊飯器を捨てていた元吉譲二さん(82)は「50年以上住んでいるが、こんなに台風や豪雨が続いたのは初めて、まだ片付けが終わらない」とため息をつく。
 台風15号の強風により自宅の屋根瓦が飛び、2日ほど停電。台風19号では、事前に屋根にかけたブルーシートが強風ではがれるなどした。そこに豪雨が追い打ちをかけた。傷んだ屋根から大量の雨水が入り、たんすや家電が水浸しになった」
本吉さんは台風15号の後、強風と停電には注意していたものの、大雨はそこまで意識していなかったという。「結果的に水の被害が大きかった。水の怖さを知った」と振り返る。
 災害ごみの仮置き場から3㌔南の同市八千代地区は、豪雨で近くの一宮川が氾濫し、多くの住宅が床上浸水した。地区を歩くと、回収されていないごみの山が道路脇にいくつも残っていた。
 川から100㍍ほど離れた大嶋美香さん(58)宅は、高さ1㍍まで浸水した。大嶋さんは川の氾濫前、1階の床にあったストーブや家具をテーブルの上に移し、車で高台の駐車場に避難したが、移した品も含めて水に漬かったという。「備えたつもりだったのに、半端じゃない量の水、泥が押し寄せてきた」と肩を落とす。
 台風19号や豪雨の前、テレビで「狩野川台風に匹敵する」「命を守る行動を」などとと注意を促していたのは見ていた。近所の住民は川の様子を気にしていたという。
 ただ、大嶋さんは「大きな台風が来るとは思っても、現実にどれくらいの雨が降るかは分からなかった。多くの人は台風19号の大雨や豪雨を想像できなかったのでは」と話す。
 市によると、台風15号では市内各所で最大7500戸が停電した。台風19号による浸水はなかったものの、その後の豪雨で一宮川と豊田川などが氾濫。市庁舎を含め広い範囲で浸水し、2人が死亡した。建物の床上浸水は2000棟余、床下浸水は1300戸余に上る。
 市秘書広報課の鈴木優友(ゆうせい)主事は「ここまでの浸水被害は過去に聞いたことがない。台風がどのくらいの規模で、どんな注意をすればいいか、市民に周知する際にどう工夫するかが今後の検討課題になる」と話した。

15号の停電 印象深く 19号洪水意識は3割
防災情報どう伝える
61年前の「狩野川」例示 6割がイメージわかず

教授らが調査

 台風19号で洪水の恐れを意識していたのは30%―。静岡大防災総合センターの牛山素行教授(災害情報学)が神奈川、長野、静岡3県の住民を対象に実施した調査で、こんな結果が明らかになった。
 10月25日、26日に1050人を対象にインターネット調査会社を通じて尋ねたところ、上陸前日の10月11日に「過去数十年間の台風で最も大きな被害かもしれない」と想定した人は75%に達した。自宅が受けるかもしれない被害は「暴風」が53%、「数日異常にわたる停電」が47%いた一方で、各地で発生した「洪水」をイメージしたのは30%にとどまった。
 台風19号では、過去最多の13都県という広範囲で大雨特別警報が発令された。気象庁は上陸3日前の会見で「記録的な暴風や大雨となる恐れがある」とアナウンス。12日夕にも「少しでも命が助かる行動を取ってほしい」(梶原靖司予報課長)と繰り返し警戒を呼び掛けていた。
 それなのになぜ、洪水は想定しづらかったのか。9月の台風15号は千葉県を中心に暴風と大規模停電を引き起こした。牛山氏は「今回の調査で、居住地が低地付近でも洪水のリスクを理解している人は3割程度と多くなかった。15号のイメージに引きずられ、意識が暴風や停電に向いた可能性はある」と推測する。
 気象庁は19号の雨量が、61年前の1968年に静岡県の伊豆半島や関東を襲い、川の氾濫や土砂崩れで1200人以上の犠牲者を出した「狩野川台風」に匹敵する恐れがあると強調した。この例えが分かりにくかったとの指摘もある。
 東京大総合防災情報研究センターの関谷直也准教授(災害社会学)が13都県の5200人からネットを通じて回答を得た調査によると、59%が「狩野川台風といわれてもイメージがわかなかった」と答えた。静岡県では「非常に大きな台風が襲来すると理解できた」との回答が63%に上ったものの、神奈川や群馬、福島、宮城など7県では「イメージがわかない」との答えが60%を超えた。
 東北大災害科学国際研究所の佐藤翔輔准教授(災害情報学)が10~11月、地元紙「河北新報」と共同で行った調査によれば、宮城県の被災地でも台風19号の避難行動に差が見られた。
 調査対象は県北部の2地域(大崎市鹿島台、大郷町)と、土砂災害などで10人が亡くなった県南部の丸森町の計204人。自宅外に避難したのは北部2地域で80%に上ったのに対し、丸森町は17・3%にとどまった。
 佐藤氏は「県北部は『暴れ川』と呼ばれる吉田川を抱える。水害経験や伝承といった過去の知見によってリスクを認識できた人が多く、避難開始も早かった。丸森町では過去に前例がないほどの豪雨で、非難のタイミングが分からなかった可能性がある」とみる。
 佐藤氏が調査に訪れた福島県いわき市でも、住民らが取ったのは15号のイメージから、植木橋を家の中にしまうなど「風台風」への対策だった。台風が去った夜中に夏井川が決壊し、逃げ遅れた人がいた。
 「過去の知見を活かすのは大切。ただ、それのみに頼ってしまうと温暖化で勢力を増す今後の台風に対応できない。水害は、自ら命を守ることができる災害。『ここは大丈夫』という思い込みに縛られず、より水が来ない場所への非難を心掛けてほしい」(佐藤氏)
 牛山教授は、全域に避難指示を出した自治体もあったと指摘。「命を守る行動をと言われると避難を焦ってしまうが、台風のピーク時の屋外への非難はかえって危険を伴うこともある。浸水や土砂災害の想定区域に基づき、自治体はよりきめ細かな指示の出し方を工夫する余地がある」と注文を付けた。



森田知事「木が倒れた」
 台風2日後に「自宅」被災語る
2019年11月19日:朝日新聞

 千葉県の森田健作知事が台風15号が上陸した翌日の9月10日、県庁から約30キロ離れた同県芝山町の「自宅」に公用車で帰った問題で、知事がその翌日の会議で「樹齢80年の木が倒れた」などと、「自宅」の被災状況を語っていたことが会議録でわかった。
 森田氏は台風15号上陸から2日たった9月11日、千葉市内で、県内で8競技が行われる東京五輪・パラリンピックを盛り上げるための「オリンピック・パラリンピックCHIBA推進会議」に出席。この会議録によると、冒頭のあいさつで「私事になりますが、うちは芝山なんですよ。樹齢80年の木が倒れまして、あと4~5本の木が倒れて、まさに今回の台風の大きさ、私も見たことがないくらいひどい」などと述べていた。
 森田氏を巡っては、9月10日に芝山町の「別荘」に行った疑惑を週刊文春が報道。森田氏はこれまでの会見で、「別荘ではなく自宅だ」と強調し、10日は県庁に災害対策本部を設置した後に公用車で「帰宅」し、私有車に乗り換えて隣の富里市周辺を私的に視察したと説明してきた。「うちの車が一番来やすいところで、自宅の前で(車を)変えた。10分はいなかったと思う」と話し、家の様子を見るためではなく、車の乗り換えのために「自宅」に立ち寄った、としている。(上田雅文、古賀大己)

千葉知事、台風翌日に30キロ動き
「帰宅」 県把握せず
2019年11月11日:朝日新聞

 千葉県の森田健作知事は7日、台風15号が県内を直撃した翌日の9月10日、災害対策本部のある県庁から約30キロ離れた同県芝山町の「自宅」に公用車で帰っていたことを明らかにした。自家用車に乗り換え、隣の富里市周辺を私的に視察したという。県内は大規模停電や電話の不通に見舞われていたが、県は本部長である知事の行動を把握せず、連絡手段も確保していなかった。
 森田氏はこれまで、9月9日は千葉市の公舎で情報収集し、翌朝、県庁に災害対策本部を設置後、富里市周辺で自家用車に乗り換えて同市内を私的に視察したと説明していた。今月7日発売の「週刊文春」で、9月10日に芝山町の別荘に行った疑惑があると報じられた。
 森田氏はこの日の会見で「別荘ではなく自宅」とした上で、「車の中でもいいから状況を見よう」と思ったが、県庁に自家用車を手配できず、公用車で帰宅したと釈明。運転手付きの自家用車に乗り換え、富里市周辺を車内から30~40分視察したと説明した。東日本大震災でも同様の視察をしたといい「前にもやって有意義だった。私の政治スタイルだ」と話した。
 台風15号の直撃後、千葉県内では最大約64万1千戸が停電し、5万6千棟以上の住宅が損壊する被害が出た。(古賀大己)

 千葉県の森田健作知事が7日の定例会見で語った主な内容は、次の通り。
 ――(週刊文春が報じた)芝山町の別荘に向かったという疑惑は事実か
 「芝山は私の自宅だ。別荘ではない。そこは明確にしたい。公用車で大変な時に行くと、(地元に)かえって足かせになる。車の中でもいいから、周りの状況を見ようと思った。時間的制約を考えると、東の方、酒々井(町)から富里(市)、あの辺を見たいなあと。私の車が芝山の自宅なら入れそうだというので、公用車で自宅まで行き(車を)チェンジした。木が折れたり電線に引っかかっていたりするのを見て、公舎に戻った」
 ――問題ないとの認識か
 「問題ないというか、そうだし、そういう風にやるのも、前にもやって有意義だった」
 ――富里市内の視察は聞いていたが、芝山とは明らかにしなかった
 「芝山というか、芝山って広い。(自宅のあるのは芝山町)岩山で、ちょっと行くと富里、酒々井だ」
 ――視察は誰とどこを回ったのか
 「運転手と私と、もう1人。私は警護対象者ですから。3人が事実。特定の場所(を見る予定)はなかったので車から見た」
 ――緊急時なので県庁で陣頭指揮をとるべきでは
 「それは違う。県庁で対策本部をやって、両副知事もいる。私ができることは、どういう形でお国にお願いできるか、県として言うことができるか、そういうことを考えている中で、多少なりとも視察しようと思った。これは私の政治のスタイルだ」
 「今やらなければならないことがある。それをご理解いただきたい。至らないところは謝ります」

森田健作知事の台風15号上陸後の行動

●9月9日
午前5時前 台風15号、千葉県に上陸
終日 千葉市の公舎で情報収集
●10日
午前9時15分 県庁に災害対策本部を設置し、本部会議開催
昼ごろ 県庁を離れて千葉市で公務。その後、県庁に戻る
午後3時すぎ 公用車で芝山町の自宅へ。自家用車に乗り換えて富里市周辺を視察後、公舎に戻る
(知事や県への取材から)


森田知事の「私的な視察」批判相次ぐ
 台風対応検証会議
2019年11月22日:朝日新聞

 台風15号など一連の風水害を巡り、千葉県の対応を検証する有識者会議の初会合が22日、県庁であった。森田健作知事が15号通過の翌日、県庁から約30キロ離れた同県芝山町の「自宅」に帰り、私有車で「私的な視察」をしたことへの批判が相次いだ。
 会議では、知事が台風15号が上陸した9月9日に登庁せず公舎にいた▽災害対策本部の設置が翌10日になった▽知事が災対本部設置後に県庁を離れた――ことなどが検証項目に挙がった。県防災危機管理部が台風上陸前日の8日、気象庁の記者会見を見落としていたことも報告された。
 会議の座長で、災害危機管理が専門の吉井博明・東京経済大名誉教授は私的視察について「批判されてしかるべきだ」と述べ「重大な局面では災対本部にいて指示するのが普通の首長のあり方だ」と知事の対応を批判。会議を終え、被害の大きかった鋸南町と南房総市を視察した後の取材では「災対本部設置後にプライベートで出かけてしまったのは決定的なミスだったと思う」と指摘した。
 一方、森田氏は会議で「私自身の行動も含めた県の災害対応については十分ではなかった点、適切とはいえなかった点などもあった。厳しい目で検証していただきたい」とのコメントを出した。(上田雅文、熊井洋美、松本江里加)

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