いよいよ極まるポンコツABE政権、もうすぐ辞任?

ポンコツな安倍晋三首相の下、いったいこの国は何をどうしたらよいのか、どうにも迷走しているように見えるのは、ボクだけだろうか?
ABEくんの課題は、政策の問題を認識して、アウフヘーベンする「力」のなさだ。これは近代の合理的思考方法を身に着けていないということで、カレノ言動を見ると納得できるはずだ。その根本には、リアルな現実の欠如がある。特に、敗戦前のかつての日本の戦争の実相についての認識が不十分だ。いかに、日本がひどい植民地支配と戦争の犠牲をアジアと日本国民に強いたのか、日本の総理として、しっかり“お勉強”してもらいたい。


米国産トウモロコシ、
日本企業買い手なし 「緊急購入」実現せず
2019年11月6日:毎日新聞

日米首脳会談で握手を交わす安倍首相とトランプ米大統領
=フランス南西部のビアリッツで8月25日、共同

 トランプ米大統領が「日本が米国産のトウモロコシを購入する」と述べてから2カ月以上たった。だが、国の購入支援策の申請はゼロにとどまる。輸入穀物を扱う日本企業は「米国産は用途が違い購入予定はない」と話しており、購入話は宙に浮いている状況だ。
 トランプ氏は8月25日、仏ビアリッツでの日米首脳会談後の記者発表で「米国の至るところでトウモロコシが余っている。日本はそのトウモロコシの全てを購入する」と発言。同席した安倍晋三首相は「害虫対策の観点から(日本企業が)購入を必要としている。緊急に購入しなければならないと民間が判断している」と述べ、援護射撃した。
 日本では、牛の飼料用トウモロコシに寄生するガの幼虫による被害が7月以降、九州地方を中心に確認された。農林水産省は8月8日、国内の民間企業が飼料原料を海外から前倒しで購入する際の保管料や購入資金の金利を優遇する制度の導入を決めた。
 首脳会談当時、官房副長官だった西村康稔経済再生担当相は会談後の記者会見で、「害虫により供給不安が生じる懸念がある」と指摘。「(企業が)3カ月分購入する。トウモロコシの9割は米国産なので、米国のトウモロコシの購入につながる」と説明した。
 ところがトランプ氏の発言から2カ月以上たった11月5日現在、この制度の利用申請は1件もなく「緊急購入」は実現していない。害虫被害が想定ほど深刻でなかったうえに、日本で使う牛の飼料向けは茎や実などを混ぜたものだが、米国からの輸入品は実だけで、万一、必要になったとしても加工の手間がかかる。そのため、大手商社の担当者は「今のところ米国産を輸入する必要はない」と打ち明ける。
 米国のトウモロコシは、米中貿易戦争で中国が関税を引き上げたため輸出先を失いだぶついている。トランプ氏の発言は、来年の大統領選をにらみ産地の中西部の農家にアピールする狙いがあったとみられる。一方、日本側は当時、日米貿易交渉が大詰めを迎えており、米国産農産物の購入拡大に意欲を示すため、この制度を持ち出した可能性がある。
 安倍首相は10月11日の衆院予算委員会で、「米国と(購入で)約束や合意をした事実はない」と答弁。トランプ氏には「『民間企業が害虫対策で購入すると期待している』と説明した」と弁明した。
 政府内では現在、「国内に需要がない状況を米国に説明すれば『話が違う』とねじこまれかねない」(経済官庁幹部)との声も漏れており、今後の外交協議などで話題にならないよう首をすくめている状況だ。【神崎修一】



米軍模擬弾落下 再処理工場だったら…
北に10㌔「二重の危険どうしたら」 六ケ所村ルポ
現場近くに学校・民家「恐怖でしかない」
2019年11月12日:東京新聞・こちら特報部

 米軍三沢基地のF16戦闘機が6日、青森県六ケ所村の民有地に模擬弾を落下させた事故。現場の10㌔北には、日本原燃の使用済み核燃料再処理工場がある。原子力規制委員会は既に一度、航空機落下を含めた同工場の安全性に事実上の「合格」を出したが、審査で使われた事故確率や対象航空機の想定が甘いとの指摘も。米軍と再処理工場という危険が隣り合い、不安に揺れる現場を訪ねた。(片山夏子、石井紀代美)

 「びっくりした。すごい衝撃だったんだろう。大きな穴が開いていた」
 米軍三沢基地のF16戦闘機が6日、模擬弾を落下させた青森県六ケ所村の牧草地。その所有者で村議の相内宏一さん(81)は、翌日の現場の様子をこう語る。
 現場は、六ケ所村立南小学校の脇の砂利道を下って7、800㍍にある沼「内沼」のほとり。基地からは約25㌔北に離れているが、米軍の訓練施設「三沢対地射爆撃場」からは約5㌔。南小の近くには第二中学もあり、周辺には畑や、少し離れて民家が並ぶ。
 南小の小山内宏太校長(55)は「校舎や校庭に落ちていてもおかしくなかった。近くには民家もある。人に当たっていたらと考えると、恐怖でしかない」と肝を冷やす。約7年前に2つの小学校が合併し、現在児童は75人。日常的に戦闘機が近くを通るため、窓は二重で防音になり、温度は空調で調節し、窓を開けることはない。
 防衛相東北防衛局によると、コンクリートが詰まった226㌔の模擬弾が落下したのは、6日午後6時半過ぎ。7日午前から9日深夜まで米軍が掘削作業をし、10㍍ほど掘り下げたが、模擬弾は見つからなかった。一部破片は回収したものの、掘削で地下水が出てしまい、作業は中断。現在、立ち入り禁止にして方法を検討中だという。
 相内村議は「小学校や中学校が近くにあり、一歩間違えば命に関わった。それに村への連絡も遅すぎる」と憤る。青森県や六ケ所村に、一報が入ったのは落下の翌日だった。
 近くの畑で長芋の収穫をしていた中村学さん(61)は「米軍機はかなり低空飛行してくる。30年ほど前にも、以前あった小学校の近くに模擬弾が落ちた。戦闘機が上空を飛ばなければ…」と話す。キャベツの収穫をしていた女性(64)は「怖い。昨年も湖に燃料タンクを投棄し、漁業が大打撃を受けた。頻繁に物を落としている。本当は基地に移転ほしいけど」と言葉少なに語った。
 「常に上を見て歩いても、防ぐのは無理だと話している。ここに住むのは命懸け。学校の上も民家の上も、戦闘機は絶対に避けてほしい」と小山内校長は言う。そしてこう続けた。「再処理工場に落ちたらどうなるのか」。南小から北に約10㌔の地点には、日本原燃の再処理工場がある。
 落下事故の一報を聞き、ぎょっとしたのは、同村で再処理工場建設に対して反対運動を続けてきた菊川慶子さん(71)も同じ。戦闘機での10数㌔はあっという間の距離で、再処理工場に落ちていてもおかしくないからだ。
 「米軍は『再処理工場の上は飛ばない』と言っているが実際には飛んでいるのを何度も見ている。もし、今回のような重さの落下物があれば、工場の建屋は貫通してしまい、高レベル放射性物質などが大量に拡散するだろう。基地のすぐ近くに再処理工場があるという、今この地域が抱えている二重の危険をどうしたら見当もつかない」

使用済み核燃料満杯「すでに危険」
防護設計 想定はF16だけ
規制委「事故確率1000万分の1 知ら回る」

 六ヶ所村再処理工場は1993年に着工したが、稼働前の試験段階からトラブルが続き、これまで24回も完成を延期している。
 未完成で稼働していないとはいえ、すでに危険は存在する。日本原燃広報担当の伊藤大輝氏によると、使用済み核燃料を冷やす冷却プールの容量3000㌧うち、すでに2968㌧分が埋まっている。伊藤氏は「全国各地の原発から送られてきたもので再処理を待っている状態。満杯なので、2016年10月、浜岡原発からの4㌧を最後に受け入れていない」という。
 東京電力福島第一原発事故の際、4号機建屋内の未使用・使用済み核燃料1525体(約260㌧)があり、冷却が止まり、メルトダウンすれば、日本全国に影響が出る恐れがあった。その10倍以上の使用済み核燃料が再処理工場にはあるのだ。
 原子力規制委員会は、この再処理工場に対する航空機事故についての安全性をどう判断しているのか。
 規制委事務局の原子力規制庁核燃料施設審査部門の長谷川清光管理官は「すべての原発と原子力施設の航空機事故の発生確率を算出し、その値が、1000万分の1より多ければ防護設計が必要になる」と説明をする。
 実は、再処理工場の着工当時、墜落事故に対する審査基準はなかった。だが、原燃は三沢基地が近いため、自主的にF16戦闘機が墜落しても大丈夫なように防護設計をし、その上で事業認可を受けていた。ただ、福島原発事故を受け、2013年12月に新規制基準ができた。
 原燃は翌年1月、原子力規制委に適合性審査を申請。墜落事故に関して審査されたが、長谷川氏は「米軍も自衛隊も再処理工場上空は飛行禁止という前提で、再処理工場への事故確率(1億分の3・6)は、基準よりも低かった。追加の対策は必要ないという結論になった」と言う。
 だが、前出の菊川さんによれば、実際は米軍機は再処理工場の上空を飛んでいるというから、この確率は実態を反映していると言えるのか疑問が残る。
 それだけではない。規制委を相手取り、再処理工場の事業認可取り消し訴訟をしている伊藤良徳弁護士は「航空自衛隊が運用中のF35戦闘機については全く評価しておらず、不十分だ」と主張する。墜落機が衝突した建物に与える力は、重さとスピードによって違う。原燃がF 16戦闘機で想定したのは、20㌧の機体が秒速150㍍で衝突した場合だ。「これに対し、F35戦闘機は30㌧。音速(秒速340㍍)を超える速度で巡航する戦闘機なのに、想定速度も低すぎる」
 F35は米軍も今後三沢基地に導入する可能性があるが、F35が落ちたらどうなるのか。原子力規制庁の長谷川氏に尋ねると「実際のところは分からない。F35で計算していないので、安全ですとも言い切れない」と心もとない回答が返ってきた。
 原子力資料情報室の伴秀幸共同代表は「ただでさえ、再処理工場は、非常に危険だ」と訴える。再処理の過程で、使用済み燃料は切り刻まれて溶かされ、放射能を含んだ気体が発生する。フィルターを通すことになっているが、捕捉しきれず環境中に放出される可燃性ガスも発生するため、火災や爆発の危険性が常に付きまとう。
 「核燃料サイクルはコストが非常に高くつき、もはや経済的な意味さえない。戦闘機が行き交う危険な場所にある再処理工場の稼働は断念すべきだ」

デスクメモ
 2004年の沖縄国際大米軍ヘリ墜落事故で明らかなように、米軍機事故では現場から日本側は排除され、真相は不明になる。原爆の材料ともなるプルトニウムを取り出す再処理工場もまた、機密の塊だ。これが重なったとき、住民の安全を無視してまで「隠す力」が働く恐れは十分ある。         (歩)



(社説)兵器の購入 米の都合優先いつまで
2019年11月9日:朝日新聞

 会計検査院が決算検査報告を首相に提出した。指摘された無駄遣いやずさんな公金管理は多岐にわたるが、近年急増している米国からの有償軍事援助(FMS)をめぐっても、あきれる実態が明らかになった。
 FMSは、米国の見積もりに応じて日本が代金を先に納め、兵器などが納入された後に精算する仕組みになっている。米国優位の構造の下、前払い金額は多めに設定されるのが通例だ。
 だが17年度末の時点で、▽予定時期を過ぎても納入が終わっていない事例が85件、349億円▽納入後も米国側から最終計算書が届かないなどの理由で、精算を終えていない事例が568件、1068億円▽うちほぼ半数が精算時期の目標とされる「納入完了後2年以内」を過ぎていて、10年を超えるものも8件――あることがわかった。
 兵器という特殊な製品であっても、税金を使う以上、価格は適正であるべきだし、納入や精算の遅延も認められない。
 ところが実際は米側の都合が優先され、日本は不利な条件を甘受する。そんなゆがんだ取引は国民の不信を呼ぶだけだ。
 検査院は過去にも同様の指摘をしているが、状況は改善されず、「未納入」は金額ベースで13~16年度の約2倍になっている。戦闘機に搭載する電子機器が間に合わず、整備中の別の機体のものを転用したケースや、米側から生産停止を通告されたのに、防衛省が発注を取り消さず放置していたケースも見つかったという。
 また、調達額の1・2%に相当する「契約管理費」が減免される協定を結んでいないこともわかった。フランス(全額)、韓国、オーストラリア(0・5%分)など約20カ国が締結しているが、防衛省は協定の内容によっては利益になるとは限らないなどと釈明している。利益になるように交渉するのが同省の仕事であり、検査院が再検討を求めたのは当然だ。
 防衛力の整備を掲げ、兵器の売り込みに懸命なトランプ政権との協調を重視する安倍政権の下、FMS調達は大幅に増えている。14年度予算で1906億円だったのが、18年度はオスプレイやF35の購入で4102億円に。さらにイージス・アショアの配備もあって、19年度は7013億円に膨らんでいる。
 政府は、防衛相会談などで価格の引き下げや迅速な納品を求めているというが、いまの制度では根本的な解決は遠い。
 どんな兵器や装備が必要かを改めて精査するとともに、同じくFMSで米国から兵器を購入している百数十の国とも連携して、米国に対し改善の働きかけを強めなければならない。



常夏通信
その14 74年目の東京大空襲(1)
 戦争=「昔のこと」ではない
2019年10月24日:毎日新聞

空襲被害者救済法の制定を訴え、国会前でリーフレットを配る河合節子さん(右)
=東京都千代田区永田町で2019年10月24日、栗原俊雄撮影

 きょう24日、正午。東京都千代田区永田町の国会議事堂と衆議院第2議員会館の間にある道に、河合節子さん(80)は仲間とともに立っていた。「先の大戦の空襲被害者は今も補償をされていませーん」「救済法を求めていまーす」。通りかかる人たちに、そう呼びかける。風にはためくのは、「空襲被害者に人権はないのか」と書かれたのぼり。横断幕には「戦争の後始末は済んでいない! もう待てない、空襲被害者救済を!」とある。
 今年4月から国会会期中の毎週木曜日。このつじ立ちを続けている。
 第二次世界大戦末期の1945年、アメリカによる日本本土無差別爆撃で、およそ50万人が殺された。同年3月10日の東京大空襲だけで10万人。河合さんの母と弟2人が含まれている。
 国が始めた戦争により、多くの国民が生命や財産をなくした。52年に主権を回復した日本政府は、元軍人・軍属とその遺族らには補償や援護を行った。その累計は60兆円に上る。
 一方、民間人にはそうした補償をしなかった。
 民間人が「差別だ」「法の下の平等に反する」と感じるのは自然だろう。60年代以降、被害者たちは司法による解決を求めて法廷闘争を展開した。立法府、国会議員への働きかけもしてきた。しかし2019年の今日に至るまで、国による民間人への補償は実現していない。だから、河合さんのような高齢の被害者が今も闘っている。
 「見ていただけますか」「お願いします」。被害や民間人無補償の実態などが書かれたリーフレットを渡す河合さん。子どもの頃にかぶった防空ずきんに似た物をかぶっている。
 この場所は他の団体も演説などの活動を行っていて、大きな拡声機が使われることもある。河合さんたちは肉声で、静かに訴える。しかしその内容は「未完の戦争」の事実を、私たちに重く雄弁に突きつけてくる。「奇跡の復興」を遂げた我らが日本国は、戦争で被害にあったたくさんの人たちに目を向けず、「高度成長」の坂を駆け上ってきたのではないか、と。
 新聞やテレビは、8月15日近辺の夏に戦争にまつわる報道を集中して行う。しかし夏以外はさほどでもない。だから「8月ジャーナリズム」とも言われる。
 その報道の多くが、私の見る限り、戦争体験者に取材し、その悲惨な体験を書いて「戦争だけはしてはいけない」といったある種定型化された内容だ。それはそれで非常に重要で、ジャーナリズムの役割として今後も続けなければならない。ただ身の回りに戦争がない世代には、「昔話」として聞こえないだろうか。
 私の戦争報道は、こうした8月ジャーナリズムとは少し違う。まず、私は季節限定ではなく、戦争報道を一年中やっている。だから「常夏記者」を名乗っている。
 内容も違う。「昔の話ばかり書いて。新聞なのに、どうして?」と、記者仲間から言われたことがある。戦争=「昔のこと」という認識は広くある。
 しかし、戦争被害は今もニュースに他ならない。
 確かに、戦闘は74年前に終わった。しかし河合さんたちの活動から分かる通り、戦争で受けた人たちの苦しみは今も続いている。国に救済されるべきなのに放置され、差別されている人たちもたくさんいる。人間としての尊厳、平等を求めて闘っている人たちもたくさんいる。常夏記者が取材し報道しているのは8月ジャーナリズムが見落としがちな、そうした人たちだ。
 私が「常夏記者」として目覚めたきっかけの一つが、空襲被害者たちの長い長い闘いと、彼ら、彼女らをまるでいなかったかのようにあしらってきた戦後日本社会の歴史を知ったことだった。今回からその人たちの戦後史、未完の戦争の実態を見てゆきたい。【栗原俊雄】



常夏通信
その15 74年目の東京大空襲(2)
 空襲被害者の補償はゼロ

2019年10月31日:毎日新聞

民間人空襲被害者の救済を訴える河合節子さん。戦時下の防空ずきんを模したものをかぶっている
=東京都千代田区永田町で2019年6月6日、栗原俊雄撮影

 東京大空襲で母親と弟2人を殺された河合節子さん(80)が、全国空襲被害者連絡協議会(全空連、東京都墨田区押上1)の仲間と国会前でつじ立ちを始めたのは今年4月11日。以来、国会会期中の毎週木曜日、祝日などを除いて正午から1時間、空襲被害者救済法の制定を求めている。国会の会期中、この場所を選んだのは議員や秘書らが通るからだ。きょう31日が15回目である。
 「先の大戦の空襲被害者は今も補償をされていませーん」。そう声を上げながら配るリーフレットには、こう書かれている。
        ◇          ◇
 1945年、第二次世界大戦末期、米軍による空襲が日本全国にありました。東京に始まり名古屋、大阪など大都市、県庁所在地、中小都市、さらに沖縄、広島、長崎が大きな被害を受けました。国中が戦場だったのです。戦禍の中で、一般市民が命を奪われ、重傷を負い、住むところを奪われました。
 戦争が終わってからが本当の苦しみの始まりとなった多くの人がいます。戦争孤児、戦争障害者、PTSDの人たちです。社会的偏見、経済的困難の中、生きることに精一杯で、長い年月、声を上げることができずに、生きてきました。
 軍人軍属には恩給が、その遺族には年金が支払われてきましたし、さらに継承者にも弔慰金が支払われています。しかし、一般市民の空襲被害者には今も、全く救済措置がありません。なぜでしょうか。(中略)
 74年間も見捨てられてきた被害者は高齢となり、日ごとに少なくなっています。
 未来を生きる人々のためにも、こんな不条理を放置したまま死ぬわけにはいきません。
 皆様のご理解、ご支援を、お願いします。
        ◇          ◇
 リーフレットにある、軍人や軍属らに対する補償や援護は累計で60兆円に上る。民間人はゼロだ。
 民間人が空襲などで被害に遭ったことは、日本政府も認めている。それでいて、被害者たちが求める補償には頑として応じない。被害者たちは司法に解決の望みをつないで提訴した。東京、大阪、名古屋。それぞれの大空襲の被害者たちが訴えたものの、ことごとく敗訴した。つまり、民間人には補償をしなくても不当な差別でなく、違法でもない、という判断を下してきた。
 政府や司法の言い分は、この連載でおいおい見ていこう。
 先回りして言えば、司法は被害者原告の訴えを退ける一方、多くの判決が被害の事実を認めて、「立法による解決」を促した。つまり法律を作り、民間人被害者に相応の対処をする必要性を示したのだ。
 法律を作るのは国会の仕事だ。だから河合さんたちは、国会議事堂の前でつじ立ちをしている。
 昼休みの時間、かつ国会会期中とあって人通りはほぼ途切れずにある。しかし15回中6回取材した私が見るところ、足を止める人は10人に1人ほどだ。
 6月。男性が足を止め、リーフレットを受け取った。20歳前後と見えた。通りかかる若者が少なく、河合さんたちの訴えに関心を持つ若者はさらに少ないため、私は話を聞こうとした。19歳。都内の私立大学1年生。国会の見学に来たという彼は言った。
 「アメリカに補償を求めるべきじゃないですか」



常夏通信 その16
74年目の東京大空襲(3)
 補償の請求は個人でアメリカへ?
2019年11月7日:朝日新聞

サンフランシスコ平和条約発効による日本独立と新憲法施行5周年を合わせて祝い、
憲法記念日に皇居前広場で開かれた「平和条約発効並びに日本国憲法施行五周年記念式典」で、
歓呼する参列者と唱和してシルクハットを掲げて万歳するモーニングコート姿の昭和天皇。
右は香淳皇后=1952年5月3日撮影

 秋晴れの下、国会前で男性の怒号が響いた。「アメリカ大使館の前でやれ!」
 ちょうど1週間前の先月31日、午後1時前。「戦争の後始末は済んでいない! もう待てない、空襲被害者救済を!」とある横断幕の前に立つ河合節子さん(80)たちに、60歳代にみえる男性は怒鳴り声を重ねた。「顔をさらすぞ!」。その他、活字にするのを避けざるを得ない暴言が続いた。その間、河合さんの横に立っていた私は、男性の顔を見つめながら、迷っていた。
 「どうして何の罪もないままに戦争被害に遭った人たちに、そんな暴言を吐けるんですか。そもそも日本政府はアメリカへの補償請求権を放棄したんですよ」
 そう言おうかと思った。しかし男性の様子を見て「反論したら必ず言い合いになる。騒ぎが大きくなったら、河合さんたちに迷惑が掛かる。かといって、このままこの男性の暴言を許すのは……」。
 時間にして1分程度だっただろう。しかし長く長く感じた。幸い、警備の人が男性を止めて、事なきを得た。
 確かに、人道無視の無差別爆撃でたくさんの非戦闘員を殺したアメリカにも、被害者に補償すべき責任がある。だから、6月に同じ場所でつじ立ちする河合さんたちを見て、19歳の男子大学生が「アメリカに補償を求めるべきじゃないですか」と感じたのも自然だ。
 しかし、その道は閉ざされている。
 サンフランシスコ平和条約第14条(b)には以下のようにある(抜粋)。

 「この条約に別段の定めがある場合を除き、連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合軍の請求権を放棄する」
 第19条(a)には「日本国は、戦争から生じ、又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し、且つ、この条約の効力発生の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を放棄する」。
 日本は、戦争関連の連合国に対する補償請求権を放棄する。連合国も日本への請求権を放棄する。そういうことだ。そうすることで、日本は国際社会に復帰した。
 他方、空襲による被害は現に存在している。日本政府もそれを認めている。
 補償請求権を放棄したことについて批判された日本政府は、「自国民の損害について、相手国の責任を追及する『外交保護権』を放棄した。個人が直接賠償を求める権利には影響がない。国に補償の義務はない」などと主張した。
 「補償を求めるなら個人でどうぞ」ということだ。空襲で甚大な被害を受けた国民一人一人がアメリカを相手に裁判を起こせ、というのに等しい。
 そのためにかかるであろう膨大な費用と時間を負担するのは、空襲被害者である国民である。国民の生命と財産を守るべき日本政府としてはあまりにも無責任過ぎる。加害国アメリカへの補償請求権を放棄した以上、日本政府が補償を行うのは当然のことだ。多くの被害者はそう思っているし、常夏記者の私もそう思う。現に、元軍人や軍属と遺族には、累計60兆円もの援護や補償をしているのだ。
 なぜ、河合さんたち民間人空襲被害者にはそれをしてこなかったのか。国の言い分は、一言で言えば「国と雇用・被雇用関係になかったから」ということだ。【栗原俊雄】



常夏通信 その17
74年目の東京大空襲(4)
 戦争責任は当時の国民にもある?
2019年11月14日:毎日新聞

近衛文麿(左)の後任首相となった東条英機=1941年10月撮影

 一年中、「8月ジャーナリズム」をしている常夏記者こと私には、季節にかかわらず、戦争にまつわる話をするようにとの依頼がある。数年前、ラジオ番組に招かれ、空襲被害者が補償されないまま放置されている現状を話した。生放送中にリスナーから反応があった。「当時の政治家を選んだ国民にも責任がある……」という趣旨のものだった。
 司会者にコメントを求められ、こう思った。「ああ、そんなふうにとらえられているんだな。被害者たちを支援する声が広がらないわけだ」
 大日本帝国の時代、ことに帝国が第二次世界大戦にのめり込んでいく時代に、国民がどれだけ「政治家を選んだ」のか。選ばれた政治家はどれくらい国策決定に関わったのか。その史実をまず押さえておきたい。
 帝国議会は貴族院と衆議院から成っていた。前者を国民が選ぶことはできなかった。後者の選挙権を持っていたのは25歳以上の男性だけだった。成人しても女性に参政権はなかった。その、ほんの一部の国民が選んだ政治家でさえ、首相になって国政をリードすることはまれだった。
 政党政治が定着した現代ならば、各政党は党首が首相候補ともなる。しかし、帝国ではそうではなかった。アメリカやイギリスなどと勝てるはずのない戦争を始めた時の首相、東条英機、その前に日中戦争を泥沼化させて国家破滅への道を開いた近衛文麿首相も政党の党首ではなく、衆院議員でもなかった。軍官僚や宮廷政治家など、国民が選べない人物が国政を左右したのが大日本帝国だった。そして、そういう国家体制に反対する言論の自由はなかった。
 「そんな時代の国民に、戦争責任を押しつけるのはあまりにも酷に過ぎるのでは」。ラジオのその番組で、私はそういう意味のことを話した。
 庶民が選ぶことのできない為政者たちの誤った国策のつけは、庶民に回された。第二次世界大戦の死者だけでおよそ310万人。生き残っても、大切な人を失った心の傷を負った人、体の一部や財産を失った人たちはさらに多いはずだ。被害者と遺族に、国が応分の補償をするのは当然だ。
 1952年のサンフランシスコ講和条約発効で主権を回復した日本政府は、早々に旧軍人や軍属とその遺族らへの補償と支援を開始した。しかし民間人にはしなかった。民間人の間に不満が渦巻くのは当然であった。早くにその不満を政治、そして司法にぶつけたのが「在外財産」を失った人たちだ。
 大日本帝国は、植民地など海外への移民を積極的に進めた。代表的なのが旧満州であり、敗戦時には実に150万もの邦人がいた。さらに事実上の植民地だったサイパンやパラオなどの南洋諸島、アメリカやカナダ、ブラジルなどの南米にも多数の移民が渡っていた。
 厚生省が編さんした「引揚げと援護三十年の歩み」(77年)は、「戦前、日本本土から海外に移り住み、わが国の海外発展に力を尽くした数百万同胞は、さきの大戦の終結によって、その財産のほとんどを失い、あるいは海外に残し、わずかな手荷物だけをもって、本邦に引揚げることを余儀なくされた」と記している。引き揚げ者が「海外に残された財産の補償を、強く政府に働きかける」(同書)こととなるのは当然であった。
 しかし、国の動きは鈍かった。しびれをきらした被害者たちは1960年、国に補償を求めて東京地裁に提訴した。だが63年に敗訴。東京高裁に控訴するも65年、再び敗訴した。そして68年11月27日。最高裁で敗訴が確定した。大法廷が下した判断は、空襲被害者を含めた民間の戦争被害者にとって「黒い画期」とも言うべきものだった。【栗原俊雄】

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