演出された“厳かさ”、その陰の“禍々しい”実態

11月14日の夜から、15日の未明に国民の税金を投じた大嘗祭の“秘儀”と呼ばれる神道風の宗教儀式が政教分離を掲げる日本国憲法の下、二度目が行われた。
前明仁天皇で行われたいくつもの大嘗祭違憲訴訟では、天皇代替のさまざまな儀式等への国費投入やかかわりを違憲とはしなかったが、「代替わり儀式には宗教性があることは否定できない」と示されている。
日本国憲法では、天皇は国民統合の象徴として、天皇の地位を認めているが、国の宗教へのかかわりは否定されている。
さて、今回の前・明仁天皇から現・徳仁天皇への代替わりの儀式は段階を経て宗教的なクライマックスを迎える。その中心が、「秘儀」とされる大嘗祭の大嘗宮の儀で、天皇に即位している天皇が「神(現人神)」となる。「秘儀」などと言われ、いくつもの妄想が「説」として流布されるが、天照の寝所などいうものから妄想するような「秘儀」は行われていないようだ。いずれにしろ、明治になり整備された近代の儀式でしかない。
しかし、大の本帝国憲法下と日本国憲法下での儀式がほぼ同じように行われることは大問題だ。
敗戦後、天皇主権から国民主権へと大転換したことの意味をしっかりと理解することが必要だ。また、大日本帝国憲法下における大嘗祭は宗教的なもので、日本国憲法下での大嘗祭は宗教的ではないと言い訳するのであれば、完成形の神である天皇にはなれず、また、宗教性を伴うとするならば憲法違反となる。



「天皇陛下万歳」連呼
 令和の時代にどう見たらいいのか
2019年11月11日:朝日新聞

 天皇陛下の即位を祝う9日の「国民祭典」の祝賀式典で、「天皇陛下万歳」の唱和が繰り返された。天皇、皇后両陛下が会場を出た後も続き、少なくとも16回。万歳三唱ならぬ、万歳「四十八唱」に令和の人々は何を思うのか。
 皇居前広場に約3万人が集まった式典の締めくくりが万歳だった。伊吹文明元衆院議長が「両陛下の健康を祈念し、世界の平和を願い」などと前置きし、「天皇陛下万歳」と声を張り上げ、参加者も唱和。壇上のアイドルグループ「嵐」の5人も両手を上げた。その後も運営側の掛け声で、会場は「天皇、皇后両陛下万歳」「天皇陛下万歳」の連呼に包まれた。万歳に合わせ、両陛下も手に持ったちょうちんを上下に揺らした。
 式典はテレビ中継され、SNS上では万歳をめぐる投稿が相次いだ。「エンドレス万歳が怖い」「しつこいな」。若い兵士が「天皇陛下万歳」と叫んで死んでいった戦時に触れ、「不気味さしか感じない」との批判もあった。一方で、「万歳で敬愛と祝意を伝えたいんだから、いいじゃない」「集まった皆様と一体感を得た」などの肯定的な意見も。
 国民祭典の主催は、伊吹氏が会長を務める「奉祝国会議員連盟」と、経団連や日本商工会議所など民間団体でつくる「奉祝委員会」など。委員会には改憲をめざす保守系団体「日本会議」も参加。代表世話人にはジャーナリストの櫻井よしこさんや神社本庁総長らが名を連ねる。委員会の広報担当者は「お祝いの自然な気持ちとして」と万歳の連呼を説明する。両陛下が姿を見せる前、祭典では実在が証明されていない初代神武天皇の「即位」から2600年以上が経過したかのような説明や、古事記の日本創造神話を紹介する時間もあった。
 そんな祭典の最後を飾った「万歳」。始まりは、1889(明治22)年の大日本帝国憲法発布の日にさかのぼる。明治天皇の馬車に向かって万歳したのが最初だったとされている。
 首相を務めた若槻礼次郎が書いた「明治・大正・昭和政界秘史―古風庵回顧録―」(講談社)によると、それまでは天皇を歓呼する言葉がなく丁寧にお辞儀するばかりだったが、尊敬や親愛の感情を表現しようと、大学教授らが考えた言葉が「万歳」だったという。
 先月22日にあった「即位礼正殿(せいでん)の儀」は国の行事。安倍晋三首相の万歳三唱に参列者が続いたが、「天皇陛下、万歳」の前に「御即位を祝し」と付け加えた。国民主権の現憲法下で初の代替わりとなった平成の儀式を踏襲した。当時は「天皇陛下万歳」という発声が戦時を想起させるとの指摘があり、万歳の意味を限定した。
 いつまでも万歳が続き、SNSでは両陛下が「困るのでは」という投稿もあった。平成の即位10年と20年の祭典に続き、今回も現場で見た原武史・放送大教授(日本政治思想史)は「平成の時と異なり、参加者は直接かスクリーンを通じて天皇皇后の表情がよく見えているはずなのに、二人の受け止めを考えず万歳を続ける様子が異様だった」。河西秀哉・名古屋大学大学院准教授(歴史学)は「戦前のように天皇の権威を高めたいという保守派の思いが、あの長い時間の万歳に表れている」と分析する。祭典に人気アーティストを参加させ、皇室に興味がない層も取り込む狙いがあるとみる。「『天皇陛下万歳』という言葉はかつて、天皇崇拝や軍国主義を進めるための方策だった。参加者はそのことを確認して考えてほしい」(中田絢子、佐藤恵子)
     ◇
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国民祭典で繰り返された
「万歳三唱」15回に困惑も運営は
「予定通り」 その真意は?
2019年11月11日:朝日新聞

 天皇陛下の即位を祝う「国民祭典」が9日、皇居前広場で開かれ、招待客を含めた約3万人(主催者発表)が集まった。天皇皇后両陛下が姿を見せると、集まった人々は提灯に点灯し、日の丸の小旗を振って祝福した。奉祝曲「Ray of Water」が披露されると、皇后雅子さまが涙をぬぐう場面もあった。

 厳かでありながら、温かな感動をもたらした国民祭典だったが、多くの人が違和感を抱いた場面もあった。当日、自宅でテレビを見ていたという20代女性は言う。

「ぼーっとテレビを眺めていたら、いきなり万歳三唱が何度も流れて、思わずチャンネルを変えました」

 会場で配られた祝賀式典プログラムでは、「天皇陛下のお言葉」の後に、伊吹文明・奉祝国会議員連盟会長による「万歳三唱」と記されていた。予定通り、伊吹会長は力強く万歳三唱を指揮し、安倍晋三首相やステージ上の人々もこれに続いた。

 司会の谷原章介さんが伊吹会長に「ありがとうございました。聖寿(せいじゅ)万歳を、伊吹文明奉祝国会議員連盟会長より申し上げました」と述べた直後、再び男性の声で「天皇陛下 万歳」の声が響いたのだ。さらには、「皇后陛下 万歳」、「天皇皇后両陛下 万歳」と豊富なバリエーションに、思わず苦笑する人も。だが、会場の人々も再び万歳三唱を続け、陛下と雅子さまも提灯を掲げて呼応した。

 その後現場が静まると、谷原さんが両陛下の退出をアナウンス。だが、またもや先の声で「万歳三唱」が始まったのだ。
 ここまでくると、会場のみならずステージ上でも戸惑う様子が見えた。二人の姿が見えなくなるまで万歳三唱は続き、掲げた手の高さもまばらになっていた。

 SNS上でも、鳴りやまない万歳三唱に疑問の声が上がっている。

<万歳三唱怖い>
<ステージの人たちも固まった感じがしていて奇妙だった>
<両陛下も困惑していたのでは>

 伊吹会長のあとに繰り返された万歳三唱の数は、実に15回。音頭をとったのは、スピーカーを通した声だった。奉祝委員会にも「伊吹会長から誰かがマイクを奪い取ったのではないか」という問い合わせがあったという。だが、この万歳三唱は予定されていたものだという。同会の担当者は言う。

「参加者の気持ちを考え、最後までお見送りしたいと、万歳三唱を続けると台本にもある。天皇陛下にも皇后陛下にも感謝の気持ちを伝えたいという自然な思いです。一般参賀では自然発生的に万歳三唱が起きますが、バラバラに言うのではなく、陛下の動きに合わせて音頭をとる思いでした」

 台本であれば、ステージの登壇者らが戸惑ったように見えたのはなぜなのか。担当者は続ける。

「私自身、演出だとわかっていても驚きました。前もって理解していても、びっくりしたのでは」

 予定通りの演出に驚いたのは、国民だけではなかったということだ。(編集部・福井しほ)

※AERAオンライン限定記事



NHK岩田明子氏 祝賀パレード特番で
“安倍総理”連呼の違和感
2019年11月11日:日刊ゲンダイ

 NHKは10日、都内で行われた、天皇陛下の即位に伴う祝賀パレードを3時間ぶっ通しの特番で生中継した。先月22日の即位の礼を振り返りつつ、パレードを見るために沿道に集まった人の様子や声を伝える番組だったのだが、番組には違和感を覚えずにはいられない解説委員もいた。「安倍総理大臣」を連呼していた岩田明子氏だ。

 岩田氏は、今月初めにASEAN(東南アジア諸国連合)関連の首脳会議に出席した安倍首相が、即位の礼の式典に参列した外国の要人から謝意を伝えられたことや、パレードが延期になった経緯などを説明。そのたびに安倍首相の映像が流され、岩田氏は「安倍総理は――」などと強調していたのだが、皇室担当でもない「政治・外交担当」の解説委員がなぜシャシャリ出てくるのか。極め付きはパレードの車列に加わった安倍首相の車についての“解説”だ。

「前回(1990年)のパレードで(当時の)海部総理は車の窓を閉めていましたが、今回、パレードをサポートする立場の安倍総理は、できるだけ沿道の人たちに近い立場でともにお祝いをしたいと考え、車の窓を開けることにしました」

 オイオイ、脇役である安倍首相の解説を始めてどうするのか。安倍首相が沿道に向かって手を振る姿を伝えたいと思ったのか。視聴者もワケが分からなかったに違いない。元NHK政治部記者で評論家の川崎泰資氏はこう言う。

「パレードの解説が必要であれば、NHKの宮内庁担当が淡々と伝えればいいだけ。岩田氏が出てきた理由が分からないし、なぜ、安倍首相の車の解説が突然、出てくるのか。NHK全体の感覚がどうかしているとしか思えません」

 岩田氏の真意は不明だが、安倍首相が皇室の行事を政治利用した、と受け取られても仕方ない。



【主張】
令和の大嘗祭 陛下の祈りは国民と共に
 日本の公事と位置づけよう
2019年11月14日:産経新聞

 天皇陛下は、14、15日の両日、皇位継承に伴う祭儀のうち最も重要な大嘗祭(だいじょうさい)の中心的儀式「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」を執り行われる。
 東京の空に虹がかかった「即位礼正殿の儀」や、雲一つない晴天のもと、沿道の11万9千人が祝福したパレード「祝賀御列(おんれつ)の儀」は、国の内外に即位を披露される盛儀となった。
 パレード前日には皇居前広場でご即位をお祝いする国民祭典も開かれた。天皇、皇后両陛下のお出ましがあり、皇后陛下が涙を拭われる一幕があった。
 いずれも、天皇陛下と国民が温かい絆で結ばれている姿を示すものとして美しい光景だった。

 ≪安寧と五穀豊穣を願う≫

 一方で大嘗祭は、「祈り」を伴う皇位継承の祭儀であり、古代から続く日本の祈りの伝統を現代に再現する。
 さまざまな事情で挙行できなかった天皇を「半帝」とお呼びしたこともあるほどで、大嘗祭は最も大切な皇室の祭祀(さいし)(宮中祭祀)と位置付けられている。
 身を清め、純白の祭服姿の天皇陛下が、全国を代表した斎田から今年収穫された米など、さまざまな神饌(しんせん)を天照大御神をはじめとする神々に供え、国家国民の安寧や五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈られる。神饌を、陛下ご自身も召し上がる。
 毎年11月23日(勤労感謝の日)に宮中で行われる新嘗祭(にいなめさい)を大きな規模で行うものでもある。
 「父君のにひなめまつりしのびつつ 我がおほにへのまつり行なふ」
 上皇陛下が即位後の平成2年に行われた大嘗祭について、詠まれた御製(ぎょせい)である。
 宮中の祭祀にとても熱心でいらした昭和天皇、上皇陛下にならって、天皇陛下が「祈り主」としてのお務めを果たしていかれることはとてもありがたいことだ。
 祈りは天皇の本質的、伝統的役割といえる。
 「国平らかに民やすかれ」と祈る歴代の天皇を国民は敬愛し、支えてきた。天皇と国民が共に歩み、長い歴史を紡いできたのが日本である。
 ところが現代日本の法制度では、国と国民のために祈られる天皇の祭祀がきちんと位置付けられていないという問題がある。
 大嘗祭について政府は、即位に伴う一世一度の重要な儀式であるとして皇室の公的行事とみなし、宮廷費(国費)を充てている。
 これに対し、宗教色のある大嘗祭は現憲法の政教分離の規定に触れるから皇室の私事と位置づけるべきだという議論が一部に存在している。共産党は、違憲を理由に大嘗祭に参列しない方針だ。
 秋篠宮皇嗣殿下は昨年11月の記者会見で「大嘗祭は皇室の行事として行われるものですし、ある意味の宗教色が強いものになります。それを国費で賄うことが適当かどうか」と述べられた。
 また、毎年の新嘗祭をはじめとする宮中祭祀は、皇室の日常生活などに充てる内廷費から支出されている。そこでこれら祭祀を皇室の私事とみなす向きがある。

 ≪政教分離とは無関係だ≫

 政教分離原則にとらわれるあまり大嘗祭を含む皇室の祭祀を私事とみなすのはよろしくない。天皇の祈りは日本の大切な公事であると位置付けたい。
 現憲法は窮屈な政教分離原則はとっていない。
 そもそも政教分離は宗教戦争に明け暮れた欧州の悲惨な歴史を踏まえ、政治権力と宗教を分離しようとした規定だ。天皇陛下や皇族方は権力者ではなく宗教団体も擁しておられない。神道の形式をとる宮中祭祀を、政治権力と分離すべき一般の宗教と同列視する必要は全くない。
 エリザベス女王は英国国教会の首長だ。米大統領は聖書に手を置いて就任の宣誓をする。フランスも軍艦に礼拝所を設けるなどしている。宗教色を完全に排除しているのは共産主義の国くらいだ。
 憲法を杓子定規(しゃくしじょうぎ)に解釈して天皇の祈りを私事とみなせば、天皇が天皇である所以(ゆえん)の「祈り主」の性格を軽んじることになる。これは、天皇を第1章に戴(いただ)く憲法の精神にも反する。
 天皇は常に祈り主であったという国柄を踏まえて解釈しなくては日本の憲法といえない。天皇の本質を軽んじる、誤った解釈が出てくる憲法はいずれ改正されるべきだ。祈りが天皇の象徴性を支えている点を忘れてはなるまい。



きょうから大嘗祭 議論を避けた前例踏襲だ
2019年11月14日:毎日新聞

 大嘗祭(だいじょうさい)がきょうから行われる。
 宗教色が濃い皇室の儀式に多額の国費が使われることに、憲法の政教分離原則との整合性を問う声は根強い。しかし政府は本格的な議論を避け、前例を踏襲した。
 大嘗祭は天皇の即位に関連する儀式の一つで、新天皇が神々に新穀を供え、五穀豊穣(ほうじょう)や国民の安寧を祈る。儀式は秘事とされ、非公開だ。
 政府は平成の代替わりで政教分離原則に一定の配慮をし、即位の礼などのように国事行為とせず、皇室行事とした。だが、皇位継承に伴う公的な性格があるとして皇室の公的活動費「宮廷費」からの支出を決めた。今回も祭場である「大嘗宮」の建設費などに約24億円を充てた。
 29年前の平成の大嘗祭をめぐっては、県知事らが公費を使って参列したのは政教分離原則に反するかどうかを問う裁判が相次いだ。最高裁は「参列は儀礼の範囲内」と合憲としたが、大嘗祭そのものへの国費支出について合憲性は判断していない。
 一方、大阪高裁は大嘗祭などへの国費支出を「違憲の疑義は一概に否定できない」と指摘した。今も法的な決着がついたとは言えない。
 前の天皇陛下の退位により、新天皇即位まで時間の余裕もあったが、政府は議論に踏み込まなかった。安倍政権の支持基盤で、戦前からの即位関連儀式の継続を重視する保守派の反発を懸念したためとみられる。
 こうした中、昨年11月に秋篠宮さまが「宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか」と発言され、波紋を広げた。
 秋篠宮さまは多額の費用を充てるのではなく「身の丈に合った儀式」にすることが本来の姿との考えを示した。その上で、天皇家の私的生活費にあたる「内廷費」を使うべきだと述べた。
 政教分離に関する重い問題提起だったが、政府はその後、一部を簡素化したものの、儀式のあり方自体を見直そうとはしていない。
 平成の時のように、国民の間で激しい意見対立は起きていない。だからといって、国民が納得しているとするのは早計だろう。
 伝統を守るのは大事だが、憲法問題をあいまいにしたまま前例を踏襲するばかりでは、皇室と国民の距離は広がりかねない。



大嘗祭の日に 伝統と憲法の調和は
2019年11月14日:東京新聞

 天皇即位に伴う大嘗祭(だいじょうさい)が十四日、十五日と行われる。伝統儀式で宗教色が濃い。明治の大規模化の踏襲でいいのか。憲法との調和も深く考えるべきだ。
 日本民俗学の草分けである柳田国男に「大嘗祭と国民」という小文がある。大正天皇の代に貴族院書記官長で、京都での大嘗祭に仕えた。こう記している。
 <如何(いか)なる山の隅にも離れ小島にも(中略)遠くその夜の神々しい御祭の光景を、胸にえがかざる者は一人もない>

柳田国男の苦言とは

 <夜の御祭には本来説いてはならぬ部分があるのかも知れぬ。(中略)今考えると唯(ただ)きらきらと光るものが、眼(め)の前を過ぎたという感じである>
 国民の感激と体験した神秘性を伝えている。一方で、儀式の壮麗さを批判する文面が「大嘗祭ニ関スル所感」の一文に表れる。
 <今回ノ大嘗祭ノ如(ごと)ク莫大(ばくだい)ノ経費ト労力ヲ給与セラレシコトハ全ク前代未聞>
 心ある者が「眉ヲ顰(ひそ)メシムル如キ結果ヲ生シタル」と。経費や労力だけでなく、「徹底的ニ古式ヲ保存シ一切ノ装飾ヲ去」らねばならないのに、問題点を挙げ苦言を述べている。
 柳田の一文は昨年の秋篠宮さまの発言を思い出させる。「大嘗祭は身の丈に合った儀式で行うのが本来の姿」とし、「宗教色が強いものを国費で賄うことは適当かどうか」とも疑問を述べられた。
 天皇家の私的費用である「内廷費」で対応する。儀式会場の大嘗宮を新築せず、宮中にある新嘗祭(にいなめさい)の神殿を利用して経費を抑える、そんな提案だった。
 新嘗祭は毎年行われるが、大嘗祭は皇位継承時のみである。皇祖および天つ神・国つ神に安寧を、そして国家・国民の安寧と五穀豊穣(ほうじょう)を祈る。だが、秋篠宮さまの持論を宮内庁側は「聞く耳を持たなかった」という。

簡素化案は検討せよ

 これは見過ごせない問題を投げ掛けている。まず「身の丈」-。大嘗祭の公費支出は総額二十四億円余り。皇居・東御苑に大嘗宮が建てられ、約九十メートル四方に大小三十もの建造物群が並ぶ。参列者は約七百人にのぼる。壮大な国家的行事の様相を示す。
 これほどの巨大な儀式が必要なのか。伝統といいつつ、祭祀(さいし)一般が巨大化したのは明治期からである。むろん天皇を神格化する国家づくりのためである。十七世紀の「鈴鹿家文書」にある大嘗祭図は高床式の素朴なものである。奈良・平安時代は床さえなかったという。もともとは天皇が身を清める「廻立(かいりゅう)殿」、東西の祭場「悠紀(ゆき)殿」「主基(すき)殿」、調理場「膳屋(かしわや)」が基本なのだ。さらに室町時代から江戸時代の約二百二十年間は中断していた歴史もある。
 議論を尽くさず「前例踏襲」と言い、かつ仮に明治賛美をあおると、天皇神格化の復活の意図があるか、政権による天皇の政治利用の意図さえ疑われるであろう。何しろ「文化の日」を「明治の日」とする案が浮かぶ今日である。
 簡素化案は今後、十分に検討すべきであろう。「内廷費」で賄うべきだとの考えは憲法の政教分離原則に沿っている。政府は大嘗祭の宗教性を認めているから、国事行為にはできない。だが、「皇位継承に伴う重要な皇室行事」とし、公費支出する。つまりは重要というだけで論理が希薄である。
 平成の式典で一九九五年の大阪高裁判決が原告敗訴ながら、「政教分離規定に違反するという疑義は一概に否定できない」と述べたことに留意すべきである。今回もキリスト教関係団体などが「国家神道の復活を意味し、違憲だ」と主張しているし、別の市民や弁護士らが提訴する動きもある。
 象徴天皇制は戦前の君主制の否定であるし、政教分離は神権的天皇制の封印のためである。公費支出にこだわらなくとも、秋篠宮さまの提案にも十分に理があるはずである。
 即位に際しても「即位灌頂(かんじょう)」という仏教色の儀式があったが明治になり廃された。江戸期の天皇は京都・泉涌(せんにゅう)寺で埋葬されてきた。明治政府の神仏分離で変わった。そんな歴史をたどれば、現行方式は明治以降の伝統にすぎないとの考えもある。

新皇室典範から削除

 そもそも大嘗祭は新皇室典範から削除されている。戦後の国会で「信仰の点を含むため不適当」とされたためだ。それでも「前例踏襲」で戦前と同じ形式を続けるのは、思考停止と同じである。このままでは戦前回帰の宗教的なナショナリズムを抱く人らに、皇室祭祀が利用される恐れがある。
 多様な信念を持つ人々が暮らす日本で、憲法にふさわしい様式を真面目に考えてはどうか。



「大嘗宮の儀」皇居で始まる
 即位行事の中核的「秘事」
2019年11月14日:朝日新聞

 天皇陛下の即位に伴う皇室行事「大嘗祭(だいじょうさい)」の中核儀式「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」が14日午後6時半ごろから、皇居・東御苑に建てられた祭場「大嘗宮」で始まった。即位に伴う一連の行事のクライマックスと言える行事で、前半の「悠紀殿(ゆきでん)供饌(きょうせん)の儀」には安倍晋三首相ら三権の長や全国の知事ら約670人が招待された
 新たに即位した天皇が、皇祖神とされる天照大神と全ての神々に新穀を供え、自らも食して国家の安寧と五穀豊穣(ほうじょう)を祈る一世一代の儀式だ。大嘗宮は大小30余りの建物からなる祭場で、天皇陛下は東の神殿「悠紀殿」で「悠紀殿供饌の儀」を、西の神殿「主基殿(すきでん)」で「主基殿供饌の儀」を行う。両儀式は同じ内容だ。(中田絢子、長谷文)

【悠紀殿(ゆきでん)供饌(きょうせん)の儀の主な内容】

    (『平成大禮要話』などによる)

・神饌(しんせん)(お供え物)を調理する膳屋(かしわや)で、采女(うねめ)と呼ばれる女性らが臼と杵(きね)で、稲をつく所作をする「稲舂(いなつき)の儀」を行う
・東日本各地から届いた農林水産物が神々に示す供え物「庭積机代物(にわづみのつくえしろもの)」として並べられる
・楽師が古くから大嘗祭(だいじょうさい)で歌われてきた「国栖(くず)の古風(いにしえぶり)」、今回「悠紀地方」とされた栃木にちなんだ「風俗歌(ふぞくうた)」を歌う
・皇后雅子さまが帳殿(ちょうでん)で拝礼する
・膳屋から神饌を持った采女らの行列が悠紀殿に着く
・天皇陛下が悠紀殿の奥の間、内陣(ないじん)に進み、采女と呼ばれる女性らも悠紀殿内に入る
・内陣で天皇陛下が、新穀の米やアワのご飯、海産物や干し柿などを、竹製の箸を使い、カシワの葉の器に乗せて神々に供える。この所作に約1時間20分はかかるとされる
・天皇陛下が拝礼し、五穀豊穣(ほうじょう)や国家安寧を祈る御告文(おつげぶみ)を読み上げる
・天皇陛下が米とアワのご飯、これら新穀を用いた酒を口にする
・天皇陛下が悠紀殿を退出する

詳しく解説 中断、朝廷再興、神格化…
大嘗祭の長い歴史

 皇位継承に伴う「大嘗祭(だいじょうさい)」のメイン儀式「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」が14日から15日にかけて行われる。大嘗祭への公費支出をめぐっては、宗教色が強く、憲法の政教分離原則に抵触するとの批判がある。これに対し、政府は「皇室の長い伝統を受け継いだ皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式」として、憲法上の問題はないとの立場だ。だが、そもそも長い伝統とは何なのだろう。歴史学者と考えた。
 大嘗祭は7世紀後半、毎年行われる新嘗祭(にいなめさい)と区別し、天皇の即位に伴う一代一度の儀式として行われるようになったとされる。室町時代、応仁の乱が始まる前年の1466年、後土御門天皇即位に伴って実施されたが、それ以降、約220年間行われなかった。
 復活したのは江戸時代の1687年、東山天皇の即位の際だった。当時の将軍・徳川綱吉が、朝廷再興を強く目指す霊元上皇の意向をくんだという。
 高埜利彦・学習院大名誉教授(日本近世史)によると、それまでは幕府による朝廷の封じ込めの時代。天皇は京都にある禁裏(御所)から出て行幸することもなく、天皇を支え、朝廷を構成する公家たちも自由勝手な行動は許されなかった。それを、天皇や朝廷の権威を封じ込めるのではなく、朝廷儀礼などを復活させる方針に転換した。
 高埜氏は「海外に目を向けると、明朝が滅んで清の時代を迎え、国内外に平和が訪れたことが背景の一つ」とみる。「武力によるのではなく、上下の身分や階層秩序を利用することで将軍権力を守る方向へ路線転換した。天皇や朝廷の権威がそれに利用された」
 その後、大嘗祭は中御門天皇の即位時に中断したが、桜町天皇の即位から代替わりの度に実施されるようになる。「幕府側から積極的に働きかけて再開させたことが特徴」と高埜氏。「(徳川)吉宗政権の末期で、財政再建など様々な制度改革が行われた。天皇・朝廷の儀式も統治の基盤の一つとしてしっかりやるべきだとなり、大嘗祭の再復活もその一環だった」

歴史上初めて東京で実施

 1867(慶応3)年12月、倒幕派が朝廷でクーデターを決行。王政復古の大号令を宣言し、天皇を中心とする新政府を樹立した。新政府の理念は「神武創業」に求められた。明治維新後の1871(明治4)年11月、大嘗祭は歴史上初めて東京で実施された。大嘗宮は宮城(現在の皇居)の吹上御苑に造られた。古代の伝統にのっとり、京都で行うべきだと強く主張した国学者たちが拘禁される事件も起きた。
 明治政府は69年、東京に遷都した。高木博志・京都大教授(日本近代史)は、「遷都には京都の公家社会からの離脱などの目的があった。大嘗祭を東京で行うか京都で行うかは維新政府の政治構想を左右する問題だった」と語る。神事である大嘗祭をとりまく京都周辺の権門寺院や仏教儀式からも離脱したという。
 大嘗祭の東京実施は様々な変化をもたらす。
 例えば、江戸時代では大嘗祭に使う新穀を栽培する悠紀田(ゆきでん)と主基田(すきでん)は毎回、京都に近い近江国と丹波国で選ばれていたが、全国へと拡大した。高木氏は、「朝廷が持っていた畿内地方との結びつきを断ち切り、天皇制を全国的規模に編成替えすることにつながった」と解説する。
 大嘗祭の後に行われる饗宴(きょうえん)に外国公使などが招かれたことも新たな動きだった。攘夷(じょうい)主義を排し、国際化への対応を目指すものだったという。文明開化に向かう時代の流れを映し出していた。
 高木氏は、「東京で実施されたことに端的に表れているように、天皇を中心とした統一国家を創るために前近代の伝統が軽視されたのが、明治の大嘗祭の特徴だった」と話す。

皇室典範「京都に於て之を行ふ」

 1889(明治22)年、大日本帝国憲法と皇室典範が制定された。紀元節を選んで同年2月11日、明治天皇は発布に先立ち、告文を「皇祖皇宗ノ神霊」に伝える儀式を宮中の賢所(かしこどころ)で行った。
 皇室典範11条には「即位の礼及大嘗祭は京都に於(おい)て之(これ)を行ふ」と定められた。83年1月、皇室儀礼の整備に熱心だった岩倉具視が、「京都皇宮保存ニ関シ意見書」を発表し、即位式と大嘗祭を京都御所で行うことを提案。こうした動きが大嘗祭の京都での実施につながったとみられている。
 高木博志氏は「ロシアでは首都サンクトペテルブルクではなく、伝統的宗教都市のモスクワで皇帝の戴冠式(たいかんしき)が行われた。京都への回帰には、こうした独自の文化を持つことが『一等国』になるのにふさわしいという考えがあった」と語る。
 もっとも、皇室典範の制定過程をみると、枢密院の審議にかけられた原案では、京都で行うと明記されたのは即位の礼のみ。「ヨーロッパの戴冠式に比せられる即位の礼の国民統合機能のほうがより重視されていた」と高木氏は指摘する。
 1909年、即位の礼や大嘗祭など皇位継承にかかわる儀式の式次第を細かく規定した登極令が公布された。大正の大嘗祭はこの規定に基づいて京都で初めて行われた。一定の期間を置いて行われてきた即位の礼と大嘗祭を11月に連続して行うという先例を作ることになり、「即位の礼の華やかさの一方、大嘗祭の厳粛さが失われることになった」と高木氏はみる。
 民俗学者の柳田国男は「神域の清浄さを保つためには八百人の参列者はいささか多すぎた」とし、「原始の形式を追つて、簡朴はあくまで簡朴に、神秘はあくまで神秘に執り行はれむことを望む」と記している。

「イデオロギー強化に利用」

 昭和の大嘗祭は1928(昭和3)年11月に行われた。同月7日発行の「官報」に、宮内省掌典で大礼使事務官として即位の礼と大嘗祭の準備にあたった星野輝興の一文「大礼本義」が掲載された。大嘗祭の意義について「(天照大神(あまてらすおおみかみ)など天皇の先祖といわれる)皇祖の霊徳を肉体的にお承けになる」「神代ながらの御建物は神にお接しになるのに必要のばかりでなく、一面御自身が神の生活をあそばされる御ためと拝すべき」と記し、大嘗祭を通じて天皇は神となるという解釈を示した。
 宮地正人・東京大名誉教授(日本近現代史)は、「大正天皇の時にはなかった公式解釈。天皇制の神権的な側面が正面から強調され、国民に徹底させる意味を持った」と説明する。
 星野の見解は、歌人で民俗学者の折口信夫が当時提起した説と通じる。悠紀殿(ゆきでん)と主基殿(すきでん)の内陣にそれぞれ寝座があり、天皇がここにこもって神性を得て神と一体となる――という説だ。
 満州事変を経て、戦争の時代に突入する中、天皇の神格化がさらに強調されるようになる。支配的学説だった美濃部達吉の天皇機関説が攻撃され、37年に文部省が「国体の本義」を発行。「天皇は祭祀(さいし)によつて、皇祖皇宗と御一体とならせ給」うとして、「現御神(あきつみかみ)」である天皇に対する忠誠を国民に求めた。
 43年発行の教科書「初等科修身 四」には「大嘗祭の御儀」が登場。「(大嘗祭は)大神と天皇とが御一体におなりあそばす御神事であつて、わが大日本が神の国であることを明らかにするもの」とされた。宮地氏は「1930年代から敗戦にかけて、現御神としての天皇イデオロギーの強化の一つとして、大嘗祭が利用された」と語る。

議論不在のまま、令和の大嘗宮の儀へ

 敗戦に伴い日本国憲法が制定され、主権者は天皇から国民へ。憲法1条で天皇は「象徴」となった。
 登極令も廃止され、新たな皇室典範から大嘗祭は削除された。憲法問題担当大臣の金森徳次郎は「信仰的なる部面のこと(=大嘗祭)は国の制度の外に置くということになっています。(中略)皇室内部の御儀式として続行せられて行くことであろうと想像しております」と答弁した。
 20条で政教分離原則が定められた。「明治維新以降、国家と神道が密接に結び付き、種々の弊害を生じたことにかんがみ、新たに信教の自由を無条件に保障することとし、その保障を一層確実なものとする」(1997年4月の最高裁判決)というのが理由だ。
 ところが、平成の大嘗祭は、儀式の骨格などは登極令にならって行われ、経費は皇室の「公的な活動」にあてる宮廷費から支出された。政教分離違反ではないかという疑義が出る中、政府は89年12月に大嘗祭に関する見解をまとめた。大嘗祭は五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈る収穫儀礼として、宗教色を認めつつ「皇位が世襲であることに伴う、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式」と強調。「公的性格」があり、宮廷費からの支出は可能だと結論づけた。
 同じころ、神道学者が神との一体化を唱えた折口説を否定する論文を発表。宮内庁も90年に記者会見で折口説を否定した。宮地氏は「政教分離との矛盾は明白だが、公費を支出させるための『神かくし』ではないか」と疑問を投げかける。
 時代を反映しながら、大嘗祭の「伝統」は変容してきた。主権者として国民はこの儀式をどう考えるべきか。議論不在のまま、令和の大嘗宮の儀が始まる。(編集委員・豊秀一)



詳しく解説
非公開の秘事、「大嘗祭」の中身と論点
2019年11月14日:朝日新聞

 東京駅から徒歩10分ほど。皇居の東側に広がる庭園「東御苑」に、柴垣で囲まれた大小30余りの真新しい建物が並ぶ。本体がほぼ完成した大嘗宮(だいじょうきゅう)だ。ここで、14、15の両日、「大嘗祭(だいじょうさい)」の中核儀式である「大嘗宮の儀」が行われる。
 大嘗祭は、即位の礼と並んで、天皇の即位に伴う一世一代の儀式。新天皇がその年に収穫された米などを神々に供え、自らも食し、五穀豊穣(ごこくほうじょう)と国家安寧を祈る「新嘗(にいなめ)祭」が毎年11月23日に行われているが、大嘗祭は天皇の即位後最初に挙行される新嘗祭だ。
 古くから伝承されてきた収穫儀礼の新嘗祭に由来する。7世紀の天武天皇の時代に新嘗祭と区別され、大嘗祭が代替わりの儀式として整えられたとされる。
 宮内庁によると、大嘗宮の儀では、内陣と呼ばれる一番奥の場所で、天皇が采女(うねめ)と呼ばれる女性から渡される米などを供え、拝礼後にお告文(つげぶみ)を読み上げる。夕方から翌日未明にかけて、東日本で収穫されたものを供える悠紀殿(ゆきでん)と西日本で収穫されたものを供える主基殿(すきでん)でそれぞれ行われる。
 ただ、内陣での儀式は公開されない。このため、その「秘事」をめぐって、様々な説が流布されてきた。 特に耳目を引いたのが、昭和の初め、歌人としても知られる折口信夫が天孫降臨神話と関連づけて、大嘗祭は天皇が神と一体となる儀式、とした説だ。悠紀殿と主基殿の内陣には、それぞれ寝床である寝座がしつらえてある。天皇がここにこもって神性を得て、神と一体となる、と唱えた。
 この説は、平成の大嘗祭が近づくにつれて外国メディアなどにも取り上げられた。宮内庁は、折口説が流布されることを懸念していた。大嘗祭をめぐって、宗教行事への公費支出に批判もあがっていただけに、「天皇が神になる儀式だということになれば、公費支出への批判をさらに強めかねなかった」(当時の宮内庁関係者)と振り返る。
 その頃、宮内庁にとって願ってもない論文が発表された。本番前年の1989年12月号の「国学院雑誌」に掲載された岡田荘司・国学院大助教授(当時)のもので、歴史上の資料を検証したうえで、「根拠が乏しい」と折口説を批判。「寝座は神のために用意されたものであり、天皇も触れてはいない」と結論づけた。
 宮内庁は本番1カ月前の90年10月、外国の報道機関も招いて記者会見を開いて、折口説を否定した。岡田論文に沿った内容だった。岡田氏(現同大名誉教授)は「あくまでも学問として真実を求めた結果で、大嘗祭の実施を助けようという意図はなかった。当時、宮内庁からの接触もなかった」と証言する。
 平成の大嘗祭で、メディア側は公費支出を理由に儀式の取材を要望した。しかし、撮影が認められたのは天皇が回廊を歩くわずかな時間だけ。1千人の参列者にも、儀式の間は暗闇に浮かぶ炎ぐらいしか見えなかった。儀式が終わった2日目の午前3時すぎ、参列者席には空席が目立った。

倹約目指す令和の大嘗祭

 大嘗祭(だいじょうさい)を執り行う大嘗宮(だいじょうきゅう)は、大嘗祭が行われるたびに建てられ、儀式が終われば壊されるしきたりとされている。
 大嘗宮は、約90メートル四方の敷地に、悠紀殿(ゆきでん)、主基殿(すきでん)と呼ばれる二つの神殿が東西に並び、その北側には、天皇が神事に臨むための支度をする廻立(かいりゅう)殿がある。参列者用のテント張りの幄舎(あくしゃ)2棟を含めて大小30余りの建物で構成される。
 宮内庁は大嘗祭の準備にあたり、「平成の例を参考にするが、社会経済情勢の変化などを踏まえ、意義を損ねない範囲で見直す」ことを基本方針に掲げた。
 大嘗祭にかかる費用の予算額は、来年度予算の概算要求額を含めて計約24億4千万円。そのうち、大嘗宮の設営関係費は約16億3千万円。人件費や資材価格などの高騰が影響し、平成時より約1億8千万円増えた。
 宮内庁は当初、材料や工法などを見直すことによって、大嘗宮を平成通りに設営した場合と比べて、約6億円を節減する計画をたてた。約6億円の主な内容は、こうだ。
 ①主要三殿の屋根をかやぶきから板ぶきに変更した。かやを刈り取る職人が減少し、限られた期間内に、一定量のかやの調達は難しいと判断した。
 ②皮付きの丸太を使う「黒木造り」については、悠紀殿、主基殿、廻立殿の主要三殿とその近くの門に限定した。伝統的な木工技術にたけた職人が集められず、皮付きの丸太を手に入れても、加工された製材を使うより時間がかかると考えた。
 ③建物の面積も見直した。男性皇族らが参列する「小忌幄舎(おみあくしゃ)」は前回の4割ほどの面積に縮小。平成時は6人の男性皇族が参列したが、今回は、83歳の常陸宮さまと秋篠宮さまのみが対象だ。女性皇族らが入る「殿外(でんがい)小忌幄舎」も前回比約8割の面積に。参列予定の女性皇族の人数は平成時より増える予定だが、十二単(ひとえ)を着ても動ける範囲を厳密に計算し直した。
 ④参列者数を平成時の約900人から約700人に絞った。前回は、一部の参列者が儀式の様子を見ることができず、私語が目立ったといい、配置を見直した。人数が減ったため、参列者が入る「幄舎」も前回の約7割の面積になった。
 ただ、実際、入札をしてみると、大嘗宮の設営費は宮内庁の想定を大幅に下回った。同庁の予定価格は約15億4千万円だったが、今年5月の一般競争入札で、清水建設が約9億6千万円(芝生の植え付けなど復旧費をのぞく)で落札した。
 同庁によると、平成時は過激派のゲリラ事件が多発していたため警備費用などがかさんだが、今回は厳しい警備は必要なく、建設技術の進歩もあって金額が抑えられたという。
 その結果、今回は平成の時の予算額内に収まる可能性はある。だが、今年9月以降、立て続けに襲来した台風によって、建物に防護ネットを張るなどしていて、追加工事の費用も見込まれるという。

大嘗祭は憲法違反か

 昨年12月、大嘗祭(だいじょうさい)など即位の一連の儀式は憲法違反と主張する全国の市民らが、国を相手取って損害賠償などを求め、東京地裁に提訴した。原告は約300人。①儀式は宗教的色彩が濃い②政府による公金支出は憲法上の政教分離規定に違反する③信教の自由を侵害され、精神的苦痛を受けた――などと主張した。
 昭和から平成への代替わりでも、政教分離をめぐる議論があり、違憲性を問う訴訟が各地で起きた。1995年、大阪高裁で言い渡された控訴審判決。大嘗祭について「神道儀式の性格を有することは明白」としたうえで「公的な皇室行事として宮廷費をもって執行したことは、国家神道に対する助長、促進行為として、政教分離規定に違反するとの疑義は否定できない」との判断を示した。
 判決は即位礼正殿の儀についても、神話に由来する高御座(たかみくら)を用いたり剣璽(けんじ)を登場させたりしたことから、「政教分離規定違反の疑い」を「一概に否定できない」とし、首相が高御座の中の天皇より一段低い位置で万歳を三唱した点から、「国民を主権者とする現憲法の趣旨にふさわしくないと思われる点が存在することも否定できない」と述べた。
 結論は請求棄却だったが、原告らは「実質勝訴」と判断して上告せず、判決は確定した。
 なぜ日本国憲法に政教分離規定があるのか。憲法学者の佐々木弘通・東北大教授は、憲法の成り立ちと深い関係があると説く。45年7月のポツダム宣言で、世界平和のため軍国主義を駆逐するよう連合国から求められた日本は翌月、これを受諾して降伏した。
 45年12月、連合国軍総司令部(GHQ)は「神道指令」を出した。「神道の教理や信仰をゆがめて日本国民を侵略戦争に誘導した軍国主義や超国家主義の宣伝に利用されることの再発を防ぐ」ため、国家神道を廃止し神道と国家の分離を求めた。国家神道体制が軍国主義の支柱だったとして解体を求めたのだ。戦前、神道は「国家の祭祀(さいし)であり宗教ではない」とされ、全国の神社は内務省や神祇院(じんぎいん)、靖国神社は陸軍省・海軍省の所管下に置かれ、神職は公務員に準ずる待遇だった。
 佐々木氏は現憲法の政教分離規定について「神道指令の示した政教分離原則を占領終了後も通用させるため憲法化したもの」と説く。77年の津地鎮祭訴訟の最高裁判決は「明治維新以降、国家と神道とが密接に結びつき、種々の弊害を生じたことにかんがみ、新たに信教の自由を無条件に保障し、政教分離規定を設けるに至った」と述べる。
 島薗進・上智大教授によると、GHQは神道指令を出す際に皇室祭祀を廃止せず、国家神道を完全には解体しなかった。「天皇や皇族の私的行事」としてなら許容できるととらえたからだ。このため、宗教性を持つ皇室儀式が天皇家の私的行事にとどまらず、国家行事として大々的に行われる場合、宗教行事への公金支出を禁じる憲法の政教分離規定に触れないかどうかが問われることとなった。
 即位儀式の違憲性を問う訴訟で、平成に続いて今回も原告側代理人を務める加島宏弁護士は「前回は天皇が亡くなって沈鬱(ちんうつ)な空気の中、多くの人が関心をもって議論していた一方、天皇の戦争責任について発言する人への攻撃もあった。今回は前回のような緊張感はなく、政教分離の問題点に目を向けた議論もきわめて少ない」と語る。

秋篠宮さまが触れた課題

 昨年11月、53歳の誕生日を前にした記者会見でのことだった。秋篠宮さまは、「即位の行事や儀式についてお考えがあれば」との質問に「国事行為について何かを言うことができるかというとなかなかそういうものではないと思います」と前置きしつつ、皇室行事である大嘗祭(だいじょうさい)についてこう語った。「宗教行事と憲法との関係はどうなのか、という時に、やはり内廷会計で行うべきだと思います」。「大嘗祭自体は絶対にすべきものだが、身の丈にあった形で行うのが本来の姿」「宮内庁長官などにはかなり言ったが、聞く耳を持たなかった」と続けた。
 大嘗祭は、宗教色があるため、国事行為にはできないので皇室行事にする。ただ、大嘗祭は代替わりに伴う一世一代の行事で公的性格があるので、公費を支出する――。政府はこう説明し、今回、昭和から平成への大嘗祭と同じ方針をとることに決めた。
 秋篠宮さまが語った「内廷会計」とは、公費ではなく、天皇家の私的費用である内廷費のことだ。発言を受け、宮内庁は「殿下のお考えにしっかりした返答をしなかった宮内庁へのご叱責(しっせき)」(西村泰彦次長)と釈明。政府は「改めて何らかの対応をとることは考えていない」とした。
 秋篠宮さまが、経費のかさむ大嘗宮の代案として、神嘉殿(しんかでん)での実施を宮内庁長官に提案したことも、その後明らかになった。神嘉殿は皇居・宮中三殿脇にあり、宮中祭祀で最も重要とされる新嘗祭(にいなめさい)が行われる。新嘗祭は、新穀を神々に供え、自らも食べる儀式で、大嘗祭は新嘗の祭りに由来する。周囲に「神嘉殿で執り行っても、儀式の心が薄れることはないだろう」とも語ったという。
 秋篠宮さまは、これまでも率直な発言が目立った。
 「皇族の数が減ることは、仕事を担う人が少なくなりますが、国費負担という点から見ますと、決して悪いことではない」(2009年の誕生日会見)
 「(天皇の公務に定年制を設けるという意見について)定年制というのは、やはり必要になってくると思います。ある一定の年齢を過ぎれば、だんだんいろんなことをすることが難しくなっていきます」(11年の誕生日会見)
 そして、今回の発言。
 現状の皇位継承順位通りに皇位がつながれば、次の代替わりの大嘗祭は秋篠宮さまが執り行うことになる。自ら提案したように神嘉殿での実施も選択肢であろう。江戸時代までのような質素な作りにすれば、大嘗宮の造営を内廷費でまかなうことも可能だ。
 平成から令和への代替わりの契機となった天皇による退位メッセージは、象徴のあり方について私たちが考えずにいたことを気づかせた。今回、秋篠宮さまからも、ボールが投げられた。憲法で政教分離が定められている中で、大嘗祭への公費支出が適切なのかどうか。秋篠宮さまの発言のあるなしに関わらず、私たち主権者が考えるべき問いだろう。(喜園尚史、長谷文、編集委員・北野隆一)



令和の大嘗祭、皇居で重要祭祀
 「政教分離違反」と批判も
2019年11月15日:東京新聞

 皇位継承の重要祭祀「大嘗祭」の中心儀式「大嘗宮の儀」が14日夜~15日未明、皇居・東御苑に特設された大嘗宮で、公的な皇室行事として営まれた。即位した天皇が五穀豊穣や国の安寧を祈る儀式で、「秘事」とされる。14日夜の「悠紀殿供饌の儀」と、15日未明の「主基殿供饌の儀」が挙行された。
 神道形式の大嘗祭に対する公費支出を巡っては、1990年に催された前回から、憲法の政教分離原則に反するとの批判が根強いが、政府は令和の今回も公的性格を認め、費用は皇室の公的活動費「宮廷費」を充てた。総額約24億4千万円となる見通し。
(共同)

「大嘗宮の儀」のため、皇居に向かわれる天皇陛下=14日午後4時34分、赤坂御所



いよいよ大嘗祭
 夜通し行われる「秘儀」とは?
2019年11月14日:週刊朝日

 代替わりのクライマックスに位置づけられる大嘗祭(だいじょうさい)が11月14日夜から15日未明にかけて執り行われる。過去には、天皇霊が新天皇の身体に入る「秘儀」といった学説も語られた。暗闇の神域で天皇陛下と皇后雅子さまが行う儀式の中身とは。
*  *  *
 漆黒の闇が大嘗宮(だいじょうきゅう)を包む。深夜、「大嘗宮の儀」が続く。悠紀(ゆき)殿・主基(すき)殿に置かれた寝具(寝座)で天皇霊と天皇が一体になる「秘儀」が行われる──。

 昭和の大嘗祭の2年後の1930(昭和5)年。柳田国男と並び民俗学の2大巨頭であった折口信夫は、「大嘗祭の本義」で、独自の祭祀(さいし)論を書き記した。

「恐れ多い事であるが、昔は、天子様の御身体は、魂の容れ物である、と考へられて居た」

「天皇霊が(身体に)這入(はい)つて、そこで、天子様はえらい御方となられるのである」

 折口は、「大嘗宮の儀」によって、天皇は復活して完全な天皇となる、という解釈を説いた。

 呪術的な「秘儀」をイメージさせる折口説は、平成の大嘗祭で世間の興味をひいた。一方、宮内庁は、「特別の秘儀はない」と打ち消すように強調した。

「布団と枕の置かれた寝座は、天照大神のための場所ですから、天皇は立ち入ることはできません」

 そう話すのは、国士舘大の藤森馨教授(歴史学)だ。「大嘗祭の本質は、皇祖である天照大神をもてなすこと。平和や豊作を祈願する儀式です」

 天皇は毎年、皇居内の神嘉殿(しんかでん)で新嘗祭(にいなめさい)を行う。新穀を皇祖はじめ神々に供え、自らも食べて祈る。一年を通じて最も重要な祭祀だ。天皇になって一番初めの新嘗祭が大嘗祭だ。

 そもそも大嘗祭は、いつ始まったのか。

「最初は、天武天皇の673年に行われ、皇后であった持統天皇のときに、毎年の新嘗祭と分離しました」(藤森さん)

 成立の背景にあったのは、朝廷を脅かす隣国との緊張関係だ。663年に「白村江の戦い」で唐や新羅の連合軍に大敗するなど、日本は存亡の危機にあった。

 これを転機として国家意識が高まった。律令制確立の第一歩となる飛鳥浄御原令編さんが始まった。天武朝は、日本独自の君主号「天皇」を強く意識した。また、災厄を退ける国家行事として「国の大祓(おおはらい)」の儀式などで朝廷の存在感を高めていく。

 では今回、徳仁天皇と皇后雅子さまは、何を行うのか。おふたりとも清浄を示す純白の装束に身を包む。陛下は、帛御袍(はくのごほう)と呼ばれる束帯姿。雅子さまも、白い十二単である帛御服(はくのごふく)を身に着ける。

 この布は、「生絹(すずし)」といい、特殊な糸と織り方で作られている。

「生絹とは、蚕からとったままの加工せず硬い状態の糸で作る布です。最もシンプルな平絹(へいけん)という織り方で、帛御服や御祭服(ごさいふく)に用いる布に仕立てます。質素であることが、大嘗祭の精神にかなうという考えからくるものです」(宮内庁関係者)

 悠紀殿供饌(きょうせん)の儀が始まると、徳仁天皇は、廻立殿(かいりゅうでん)で湯あみをし潔斎を済ませる。同時に、帛御袍から、神事服である御祭服に着替える。

 そして徳仁天皇は、悠紀殿・主基殿それぞれで神事を行うのだ。本殿に入るのは、天皇と食事の世話をする女官の陪膳・後取の采女(うねめ)の3人だけ。皇太子(皇嗣)や皇后も儀式を目にすることはできず、「秘儀」と言われるゆえんだ。

 皇后である雅子さまは、帳殿で拝礼を行ったのち廻立殿に戻る。ほかの皇族も、小忌幄舎(おみあくしゃ)と殿外(でんがい)小忌幄舎に参列して待つことになる。

 天皇が本殿で、どのような儀式に臨むのか。その内容は、『延喜式』など文献の記録から推測できる。

 建物のなかには、神のための布団と枕や靴、服が置かれた寝座が設けられる。 横には、神がすわるための神座と、伊勢神宮の方角を向くように敷かれた天皇がすわるための御座。神座には、全国から献上された五穀や白酒、黒酒、調理した料理など神のための「神饌(しんせん)」が供えられている。
 徳仁天皇が口に運ぶのは3口の新穀と粟(あわ)のみである。注目したいのは、庶民の食べ物である粟が含まれている点だ。

 歴史学者の岡田荘司氏の説を踏まえる形で、前出の藤森さんが言う。

「米は、天照大神からのいただきものとして大切に供えられます。天皇は、災害から民を守る役割を担う存在でした。災害や飢饉(ききん)の多い列島で、国民の食糧である粟を育ててくれた感謝の意味が込められていた」

 大嘗祭が、夜から明け方にかけて行われる儀式であることも、「秘儀」説が広まった理由のひとつだ。

 平成では、悠紀殿供饌の儀は、午後6時半から同9時半ごろまで続き、休憩を挟んで深夜の午前零時半から始まった主基殿供饌の儀は明け方の3時すぎまで行われた。

 なぜ夜中なのか。

「即位を宣明する『即位礼正殿の儀』は、政治的な儀式ですから、昼間に行われます。一方で、神祭りの儀式は古来、夜に行われてきました。大嘗祭や新嘗祭を行う時刻は、もののけが出る丑(うし)三つ時にあたる。もともと妖怪は、まつられなかった神様が変化したものですからね」(藤森さん)

 平成の代替わり儀式は、各地の神社で火炎瓶が投げ込まれるなど、天皇制に反対する動きがあった。大嘗祭に新穀を納める悠紀地方と主基地方の2カ所の斎田は、亀の甲羅を使う亀卜(きぼく)で決められる。平成のときは、ギリギリの段階まで場所は極秘にされた。

■秋篠宮さま発言 政教分離に言及

 平成で悠紀田の大田主を務めた、伊藤容一郎さんはこう振り返る。

「大変なお役目を無事に果たすために、夢中でした。しかし、自分にも家族にも警察の警護が付きましたし、大田主として公表された夜は、自宅に脅迫電話がかかってきました。いまと違い、大嘗祭にいろいろな意見を持つ人がいたのです」

 大嘗祭には、常に政教分離の問題がある。今回は来年度予算の概算要求額を含め、計約24億4千万円。政府は、「公的性格」を持つ皇室行事との見解だが、宗教色の強い大嘗祭への公費支出は、憲法が禁じた宗教的活動にならないか、との指摘だ。
 こうした点について、昨年11月、秋篠宮さまは誕生日を前にした会見で、「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか。私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています」などとして、皇室の「私費」にあたる「内廷費」で賄うべきだとの考えを示した。

 上の図は、国学院大の笹生衛教授(日本考古学)が、平城宮の発掘跡から復元した大嘗宮の推定図だ。現在よりも小規模で質素な造りである。

 1467年からの応仁の乱の混乱によって中断し、江戸中期の再興まで約220年間空白だった時期すらある。江戸後期の朝廷は、財政も苦しく、内裏の庭に悠紀殿、主基殿と、神饌を調理する膳屋(かしわや)が一棟だけのときもあった。

 明治に入り、近代国家として天皇の権威を示すために、大正天皇の大嘗祭から、より大規模になったのだ。

 前出の宮内庁関係者は語る。

「皇嗣である秋篠宮さまが代替わりなさるときは、また変化が起こるかもしれませんね」

(本誌・永井貴子)

※週刊朝日  2019年11月22日号



「大嘗祭」の秘密の儀式とは!
新天皇が寝座のある部屋に一晩こもり…
秋篠宮は“宗教色”の強さを指摘し
国費支出に異議
2019年11月14日:LITERA

 本日14日から15日にかけて、天皇の代替わり儀式のなかで最重視される「大嘗祭」が行われる。大嘗祭は、代替わりした天皇が初めて行う「一世一度」の新嘗祭。その内容の多くは非公開で行われるが、これまでの研究から、その実態は一連の代替わり儀式のなかでもとりわけ宗教色が強いことがわかっている。
 だが、国民主権や政教分離の原則に反する大嘗祭の問題に、安倍政権はまったく触れぬまま進めてきた。いや、テレビなどのマスコミも表層的な解説でお茶を濁すばかりで、正面から大嘗祭を論じることはほとんどない。
 だとすれば、本サイトがその本質をあらためて伝えておく必要があるだろう。
 まず言っておかねばならないことは、大嘗祭の実相は単なる「豊作を祝う農耕儀礼」ではなく、明らかな「宗教儀式」である、ということだ。
 明治新政府がクーデターで幕府を倒した後、日本の政治支配層は「世界で唯一の天皇を中心とした神の国」という思想を国家神道として体系化し、国民支配の基盤にした。その流れで、天皇神格化と国家神道を徹底するために旧皇室典範と登極令をつくり、それまで国民の知らないところでこじんまりと行われていた皇室祭祀を大々的に執り行うようになった。つまり、大嘗祭を大きくクローズアップすること自体が、政治権力の作り上げる「祭政一致」のイメージ装置であったのだ。明治以来の日本政府は、皇室の宗教性を表に出すことで国民の支配に利用したわけである。
 しかも、だ。大嘗祭は、新たな天皇が皇祖神とされる天照大神(アマテラスオオミカミ)らに穀物を供え、新天皇自らも口にすることで豊穣と国民の安寧を祈る儀式と説明され、半年以上前から当日にかけて、多岐にわたる儀礼が執り行われる。だが、そのなかには具体的な内容がまったく明かされていない儀式がある。
 それが、これまでの大嘗祭研究で注目されてきた、霊的・性的な意味合いをもつ“秘密の儀式=秘儀”の存在である。
 本祭の夜、新天皇が大嘗宮の悠紀殿および主基殿に籠ってなされる儀式のことだ。一般参列者はもちろん報道関係も完全にシャットアウトされたなか、天皇は11月14日夕方から翌15日未明まで、ふたつの殿の内陣に合計8時間にわたって引きこもる。
 このとき、新天皇は供えた新稲をアマテラスと一緒に食す〈共食〉の儀を行うと説明されるが、この共食の儀は、悠紀殿と主基殿で二度繰り返されることを除けば、毎年の新嘗祭と同じだ。しかし、それではどうして大嘗祭が特別な皇位継承儀礼であるかの説明がつかない。
 そして着目されたのが、内陣の構造だ。両殿内部には天皇と神の席がしつらえられており、ここで対座して〈共食〉をすることになっている。ところが、これが中心儀礼の割には部屋全体から見ると片隅に追いやられており、内陣の中心・大部分を占めるのは八重畳(やえだたみ)の寝座なのだ。そしてこの寝座を使って〈秘儀〉が行われている、というのが最も有力な説として浮上してきたのである。
 言っておくが、寝座を使った秘儀の存在は、都市伝説として語られているわけではない。神道や歴史学の分野でも本格的に議論されてきたものだ。その先鞭をつけたのが、民俗学の権威で、戦前は国家神道の強化にも多大な影響を与えた折口信夫である。
 折口は大嘗祭がおこなわれた昭和3年の前後にかけて、自身の天皇論と大嘗祭に関する論考を積み上げていった。それらのテーマを総合的にまとめたのが、昭和5年に発表された「大嘗祭の本義」だ。折口はこのなかで、寝具を天孫降臨神話で瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)がくるまって地上に降り立ったとされる「真床覆衾(マドコオフスマ)」に見立て、天皇が布団にくるまる儀式の存在を唱えた。

折口信夫が指摘した「前天皇との同衾」「性の解放」の儀式の存在

 折口がこの見立てに不可欠な要素として持ち出したのが、「天皇霊」という概念だ。折口によれば、〈天子様の御身体は、魂の容れ物〉であり、天皇はその魂(「天皇霊」)を受け入れることで完全な天皇として「復活」する。すなわち折口は、天皇の権威をほかならぬ「万世一系」の「血筋」ではなく、「肉体を入れ替えて復活をとげる霊魂」という超越的存在の継承によって説明しようとしたのだ。
 折口は「真床覆衾(マドコオフスマ)」「天皇霊」に付随して、「先帝同衾」という説も唱えている。これは前天皇の亡骸と新天皇の肉体というふたつの〈御身体〉を〈一つの衾で覆うて〉、復活のための儀式を行ったというものだ。折口によれば、古代には生死を明確にする意識がなく、平安期でも生死がはっきりしなかったので、「天皇霊」が前の身体に戻るか別の身体に移るかを確認する必要があった。そのための「同衾」だという。
 折口の説はその後、発展されるかたちで、さまざまな論考を生み出した。その一つが「聖婚儀礼」だ。あけすけにいえば、大嘗祭の夜、天皇による性行為が行われるという説である。
 大嘗宮の悠紀・主基両殿に入ることが許される人間は極めて限られる。その内構造は大きく二つにわかれており、御座と神座がある内陣(「室」という)には、天皇以外に「采女(うねめ)」という身の回りの世話をする女官の代表ひとりしか入れない。日本史学者の岡田精司氏らは、この采女を性行為の相手と見た。地方豪族から貢上された采女と「聖婚」することで服従を誓わせる儀礼があったのでないかと推定したのである。
 また、折口は、悠紀・主基両殿以外での性的な儀式の存在を指摘している。大嘗祭において、天皇は悠紀・主基両殿に籠る前に、廻立殿という併設の殿舎で「大忌の御湯」「小忌の御湯」と呼ばれる二度の沐浴=聖水儀礼を行うことで「穢れ」を払うという。史料によれば、この沐浴時に天皇は「天羽衣」を着用したというのだが、折口は〈元来、褌即、下紐は、物忌みの為のものである〉などとして、なんと、天羽衣とフンドシを結びつけた。そして〈物忌みの褌を締めて居る間〉は〈神秘たる霊力をして発散させぬ為〉の〈極端なる禁欲生活〉だとし、その〈解放の時〉が〈性の解放〉であると見立て、こう続けている。
〈天子様の場合には此湯の中の行事の、一切の御用をつとめるのが、処女である。天の羽衣をおぬがせ申し上げるのが、処女の為事なのである。そして羽衣をおとりのけさると、ほんとうの霊力を具へた、尊いお方となる。解放されて、初めて、神格が生じるのである。〉(「大嘗祭の本義」)

平成の大嘗祭でも秘密のうちに執り行われた主紀殿、悠紀殿の儀

 ちなみに、御所には「内掌典」と呼ばれる処女の巫女がおり、その内掌典がこの「大忌の御湯」「小忌の御湯」に立ち会うとされてきた(実際、昭和天皇の代には、本当に若い頃からずっと俗世界と関係を絶った4人の女性が御所に住んでいたが、その後、交代制になった)。
 しかも、ここで指摘しておかなければならないのは、かくも異様な儀式の存在を述べた折口の説を当時、当局が容認していたという事実だ。前述したように、折口が前後に天皇論・大嘗祭論を展開した昭和3年は、大嘗祭の実施年であったと同時に、治安維持法の最高刑が死刑へ改められた年であり、「三・一五事件」と呼ばれる共産党への大弾圧も行われた。
 ところが、折口の説は取締の対象とならなかっただけではなく、当時、国家神道推進の中心人物によって堂々と紹介されてもいる。近代神道の創始者であり、内務省神社局考証課長でもあった宮地直二が東大の神道講座で「天皇霊」論を講義したのである。
 もちろん、大嘗祭に、折口らの主張する秘儀があったとしても、途中からは、実際に性的行為や前天皇との同衾が行われていたわけではなく、模擬儀礼として行われているだけという可能性が高い。
 また、民主主義下で初めて行われた平成の大嘗祭では、海外メディアが秘儀をめぐる報道を繰り広げたことを政府が憂慮。わざわざ宮内庁が事前に会見で「(大嘗祭に)特別な秘儀はなく、特別な御告文にもそのような思想はない」と否定した(ただし、折口が性的儀式の存在を指摘した「大忌の御湯」「小忌の御湯」の儀については、会見で具体的内容について質問がとんだものの、宮内庁は説明を拒否している)。
 しかし、その平成の大嘗祭にしても、大正や昭和の大嘗祭とまったく同じように、長時間、徹底して秘密裏に執り行われたことは事実だ。

秋篠宮は大嘗祭の“宗教色”を指摘し、国費でまかなうことに疑義

 平成の大嘗祭を取材した元朝日新聞皇室担当記者でジャーナリストの岩井克己氏は、当時のことを〈午後五時過ぎから午後九時過ぎまで約四時間にわたって天皇の悠紀殿の儀が行われたが、殿内での天皇の「秘儀」はもちろん、廻廊を歩む姿も諸役の動きも全く見えない。奏されたという神楽歌など楽部の奏楽もほとんど聞こえず、ただひたすらじっと座って寒さを我慢しただけで終わった〉と振り返っている(「選択」2014年1月号)。
 今回も、殿内での儀式は当然のように非公開にされている。政府は大嘗祭を「国事行為」ではなく「皇室の行事」と位置付けることでお茶を濁すと同時に「公的性格がある」という二枚舌を使う。その費用は宮廷費つまり公費から支出されることにかわりはなく、大嘗祭だけで約24億4000万円が費やされる予定だ。
 むしろ、その宗教性と国民主権・民主主義の“本質的な不和”については、現在の皇室のほうが自覚的ですらある。昨年、秋篠宮文仁親王は誕生日に際した記者会見で、「宗教色が強いものを国費でまかなうことが適当かどうか」などと公に疑義を呈した。
「大嘗祭については、これは皇室の行事として行われるものですし、ある意味の宗教色が強いものになります。私はその宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか、これは平成の時の大嘗祭の時にもそうするべきではないという立場だったわけですけれども、そのころはうんと若かったですし、多少意見を言ったぐらいですけれども。今回も結局、その時を踏襲することになったわけですね。もうそれは決まっているわけです。ただ、私として、やはりこのすっきりしない感じというのは、今でも持っています」
 だが、宮内庁は「聞く耳を持たなかった」という。秋篠宮文仁親王は記者会見で「そのことは私は非常に残念なことだったなと思っています」とまで踏み込んでいたが、結局、安倍政権は皇室が懸念する「宗教色の強い皇室行事」をなし崩し的に、事実上の国家行事にしてしまった。
 いずれにしても、大嘗祭の宗教性は明らかにもかかわらず、なし崩し的に本番を迎えようとしている。大嘗祭をめぐる国民主権と民主主義、そして政教分離の原則の議論は深まらないままだ。政治権力が天皇と皇室を国家神道に組み入れることで国民を支配した、明治から終戦までの大日本帝国。この国の政府と有権者は、いったい、いつまで“戦中”を引きずるつもりなのだろうか。
(編集部)



天皇と国民つなぐ祭祀、大嘗宮の儀
 「災害はらう」古代から継承
2019年11月14日:産経新聞

 14日夜に始まった大嘗祭(だいじょうさい)の中心的儀式「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」は皇位継承に際し、最も重要とされる儀式で、7世紀後半以降、中断を挟みながらも歴代天皇により継承されてきた。専門家は「天皇と国民をつなぐ祭り」「現代に通じる自然災害をはらう祈り」といった意義があると分析する。
 天皇陛下は即位した5月1日に「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」で皇位継承の正統性を示し、10月22日の「即位礼正殿(せいでん)の儀」で即位を国内外に宣明された。しかし、皇室研究者で神道学者の高森明勅(あきのり)氏は、大嘗祭を除くこれらの皇位継承儀式に欠けるのが「民との接点」と指摘し、大嘗祭に際して納められる米に着目する。
 高森氏によると、時の天皇が臨む例年の「新嘗祭(にいなめさい)」では前近代の場合、都を取り巻く畿内(大和、山城、河内、和泉、摂津)の官田(かんでん)(天皇の田)の米が使われるのが原則だった。これに対し、平安時代に編集された法令集「延喜式(えんぎしき)」では、大嘗祭の米を「民の耕作する田」と規定。畿外の一般民衆の田が、亀の甲羅を使った占い「亀卜(きぼく)」によって選ばれた。「天皇と民が、稲作を媒介としてつながるのが大嘗祭。すべての民の奉仕を象徴するという位置づけで、日本人が日本人としての同一性を御代ごとに確かめる祭儀ともいえる」(高森氏)
 米の供納に関し、天皇と国民の従属的な関係を表すという指摘もあるが、高森氏は「大嘗祭の成立以来、天皇は国家の公的統治の体現者であり、専制君主だったことはない。階級闘争史観の先入観を持ってみない限り、強権支配の表れとみるのは見当違い」との見方を示す。
 国学院大名誉教授の岡田荘司氏は、大嘗祭の意義を「古代の衣食住への回帰」にあるととらえる。岡田氏は「清浄」を保つために新設される大嘗宮について、かつての天皇の居住空間を再現したものとみる。神々に供する米などは柏の葉で作られた簡素な器に盛られ、陛下が身につけられる「御祭服(ごさいふく)」も粗い絹が用いられる。
 「現代と比べ厳しい状況にあった衣食住の環境下で、陛下が自然が鎮まるよう祈られる。近年は国内でも災害が続くが、日本国中に住む人々の祈りを、天皇の立場で共有するところに現代的な意味がある」。岡田氏はこう分析する。
 宮内庁は陛下が五穀豊穣(ほうじょう)を祈られる「御告文(おつげぶみ)」の内容を明らかにしていない。ただ、これまでの研究で判明している過去の大嘗祭の御告文では、自然災害を被らないよう祈る言葉は共通しているという。
 国学院大学研究開発推進機構長の武田秀章氏は、平安時代に東北地方を襲った貞観地震(869年)の際、当時の清和天皇が救済のための詔(みことのり)を出した例などを挙げ、「被災者への気持ちは東日本大震災などにおける皇室のなさりようと同じ」と指摘。今回の大嘗祭での御告文の内容も継承されていると推測し「自然の恵みを祈り、災いを未然にはらう歴代天皇の祈りが凝縮されているのではないか」と話した。
(伊藤弘一郎、篠原那美)



薄明かり 浮かぶ大嘗宮
 「古代の世界」に引き込まれ
2019年11月14日:産経新聞

 14日に皇居・東御苑で始まった「大嘗祭(だいじょうさい)」の中心的儀式「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」。舞台となる大嘗宮は日没後、かがり火と灯籠の薄明かりの中に、幻想的に浮かび上がった。茅(かや)を束ねたたいまつのような「脂燭(ししょく)」の炎に照らされ、白い装束を着た天皇陛下が姿を見せられると、集まった参列者は神秘的な“古代の世界”に引き込まれていった。

 約90メートル四方の敷地に、高さ約10メートルの「悠紀殿(ゆきでん)」「主基殿(すきでん)」を中心に約40の建物が並ぶ大嘗宮。ヤチダモの丸太が鳥居形に組まれた東西南北の「神門」にはかがり火がたかれ、静寂の中に「パチパチ」と音が響く。そばには矢を背負い、弓を持った衛門が並び、厳粛な雰囲気を漂わせた。神門をつなぐように巡らされた柴垣の外では、510人の参列者がテント張りの2つの「幄舎(あくしゃ)」に分かれて座り、しんと冷えた空気の中で息をこらして見守った。

 午後6時半前、「廻立殿(かいりゅうでん)」で身を清め、白い「御祭服(ごさいふく)」に着替えた陛下が、悠紀殿へと向かう屋根付き廊下にお出ましに。宮内庁の秋元義孝式部官長の先導で、侍従らが敷く「葉薦(はごも)」の上を静々と進まれる陛下の頭上には、鳳凰(ほうおう)の飾りの付いたかさのような「菅蓋(かんがい)」が差し掛けられていた。

 いよいよ陛下が悠紀殿の中へ進まれ、帳が閉じられる。奈良・吉野に古くから伝わる歌「国栖(くず)の古風(いにしえぶり)」の後、悠紀地方の栃木の風俗歌が楽師らにより奏でられ、低く、長い声が響いた。白い十二単姿の皇后さまは悠紀殿脇の「帳殿(ちょうでん)」でご拝礼。秋篠宮ご夫妻をはじめ皇族方も拝礼された。

 帳の中で一切うかがい知ることのできない「秘事」とされる「供饌(きょうせん)の儀」は、四隅に灯籠の明かりがともる約8メートル四方の「内陣」で行われる。陛下は「采女(うねめ)」と呼ばれる女性らの手伝いを受けながら「神饌(しんせん)」と呼ばれる米や粟などのお供え物を自らとりわけ、拝礼される。その後、五穀豊穣(ほうじょう)と国家安寧を祈る御告文(おつげぶみ)を読み上げ、自らも食される。



反対派が大嘗祭への抗議集会
 「天皇制要らない」
2019年11月14日:共同通信

 皇居に近い東京駅の丸の内側にある広場では14日夜、天皇制に反対する市民団体「おわてんねっと」が大嘗祭への抗議集会を開いた。参加者は皇居に向かって「天皇ヤメロ」などと書かれた横断幕を掲げ「天皇制要らない」と訴えた。

 同団体によると、約150人が参加。次々にマイクを握り「台風で被災した人が大勢いる。復興半ばなのに多くの税金が大嘗祭に投じられるのはおかしい」などと主張した。

 東京都東久留米市のフリー編集者の女性(67)は「生まれながらに高貴な人とそうじゃない人に分けられてしまう天皇制はおかしい。反対する人がいることを知ってほしい」と話した。



大嘗祭「一晩のため税金27億円」
 東京駅前で反対集会
2019年11月14日:朝日新聞

 東京都千代田区のJR東京駅・丸の内駅前広場で14日夜、大嘗祭(だいじょうさい)に反対する集会があった。主催者の男性はマイクを持ち「たった一晩の儀式のために27億円もの税金を使い、巨大な神殿が建てられた」と訴えた。参加者は「インチキ大嘗祭」などと書かれたプラカードを掲げ「大嘗祭反対」「税金返せ」とシュプレヒコールの声を上げた。武蔵野市から来たという女性(37)は「天皇制に反対する人は潜在的にいるのに、声を上げにくい息苦しい状況が生まれている」と語った。



5時間半にわたる「大嘗宮の儀」が終了
 安寧、五穀豊穣など祈り
2019年11月15日:毎日新聞

「悠紀殿供饌の儀」のため、祭服を着て大嘗宮の悠紀殿に進まれる天皇陛下
=皇居・東御苑で2019年11月14日午後6時34分(代表撮影)

 皇位継承に伴う皇室行事「大嘗祭(だいじょうさい)」の中心的儀式として皇居・東御苑で行われた「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」は15日午前3時15分ごろ、終了した。天皇陛下は計約5時間半にわたって国と国民の安寧や五穀豊穣(ほうじょう)を祈る儀式に臨まれた。
 儀式が始まったのは14日午後6時35分ごろ。大嘗宮の悠紀殿(ゆきでん)で行われた前半の儀式は午後9時15分に終わった。陛下は日付が変わった15日午前0時半ごろ、主基殿(すきでん)に入り、後半の儀式に臨んだ。
 儀式の所作は同じで、陛下は御祭服(ごさいふく)と呼ばれる装束をまとい、神前にご飯や酒などを供え、祈りのためのお告文(つげぶみ)を読み上げた。主基殿では西日本から占いで選ばれた京都府南丹市で収穫された米「キヌヒカリ」が使われた。皇后雅子さまは隣にある帳殿で拝礼した。
 主基殿の儀式には安倍晋三首相ら三権の長や各界の代表の計425人が参列した。悠紀殿の儀式の参列者は510人だった。
 大嘗祭は新天皇が即位後に臨む一代一度の儀式。宗教色が強いが、政府は公的性格があるとして宮内庁予算の「宮廷費」から約24億4000万円を支出する。16、18日には陛下が大嘗宮の儀の参列者と酒食を共にする「大饗(だいきょう)の儀」が宮殿で行われる。【高島博之、和田武士】



社説[大嘗祭]政教分離の疑義消えぬ
2019年11月15日:沖縄タイムス

 皇位継承に伴う一代に一度しか催されない重要祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」が14日夜から15日未明にかけ、皇居・東御苑を舞台に皇室行事として営まれた。
 首相ら三権の長や閣僚、全国の知事、各界の代表ら675人が招かれた。
 天皇は毎年11月、その年に収穫された新穀を神々に供え、自らも食し国と国民の安寧や五穀豊穣(ほうじょう)を祈る「新嘗祭(にいなめさい)」を執り行っている。即位後初めて行われる新嘗祭が特に大嘗祭と呼ばれる。
 7世紀後半に始まり、戦乱などの影響で約220年間中断した時期もある。もともと簡素な祭祀だったとされるが、天皇を神格化する国家づくりを進めた明治に巨大化した経緯がある。
 祭祀の舞台として建設された大小30余りの建物など、建設関係費に約24億4千万円の国費が支出される見通し。
 問題は、大嘗祭が天皇家の私的な祭祀で、神道形式の宗教色が強いことだ。それに国費を支出することは疑問である。大嘗祭は「秘事」とされ「神と一体化する儀式」との説もある。核心部分を含めほとんどが非公開だ。
 憲法20条の政教分離に違反するとの批判は根強い。政教分離原則は、明治以降、国家と神道が結び付いた国家神道への強い反省がある。
 平成の代替わりでは、国庫支出が憲法の政教分離原則に違反するとして市民らが国を相手にした訴訟を各地で起こした。大阪高裁は1995年3月、「神道儀式としての性格は明白」として、「政教分離規定に違反するのではないかとの疑義は一概に否定できない」との判断を示した。
 今回もすでに訴訟が提起されている。憲法違反との疑義が消えないのである。
■    ■
 昨年11月、皇嗣(こうし)秋篠宮さまは誕生日を前にした記者会見で「大嘗祭は皇室の行事として行われるもので、宗教色が強い。国費で賄うことが適当かどうか」と疑問を呈し、「身の丈にあった形で行うのが本来の姿」などと語った。
 公費ではなく、内廷会計という天皇家の私的費用で営む。政教分離と簡素化を念頭に置いた発言である。
 政府方針に皇室側からの問題提起だったが、議論が深まることはなかった。
 政府は昨年3月の式典準備委員会で、平成の代替わりを「前例踏襲」することを早々と決めたからである。議論の時間があったにもかかわらず、会合は3回しか開かれず、「結論ありき」で議論らしい議論はなかった。
■    ■
 明文化された大嘗祭は戦後、法令から消えた。しかし政府は平成の代替わりで次のような見解をまとめた。
 宗教上の儀式であることは否定できず国事行為として行うのは困難としながら、皇位の世襲制をとるわが国の憲法の下では公的性格があるとして、国費の支出を決定した。曖昧なのである。訴訟が提起されるのはそのためである。
 議論の棚上げは政府の怠慢と言わざるを得ない。大嘗祭を憲法の理念に基づくものにするにはどういう在り方が望ましいのか。時代にふさわしい儀式の在り方について、不断の議論が重要である。

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