“臣民”になりたい、陳腐な国民になってはいけない

昨日(11月4日)、日比谷図書文化館で開かれた「天皇代替わりと教育を考える討論集会」にミソカス参加した。小学校で進められる「皇民化教育」の一端の生しい現実に戦慄したが、ことは他人事ではなく、ボクたちの社会全体で進む「新・天皇制」の問題として捉えなおす必要がありそうだ。
明仁前天皇から徳仁現天皇への代替わりキャンペーンを見ていると、国民自らが、新たな臣民化を希望しているかの如く演出されている。高御座から、国民代表とされた安倍晋三を見下ろしながら、安倍晋三が「てんのぉ~へーかぁ~、ばぁんざ~い」と間の抜けた万歳三唱をしたのはABEの個人的信条や趣味ではなく、多額の税金を用いた憲法違反の国家行事であることが象徴している。
ボクたちは、この国が陳腐化して異常であることに慣れてはいけない。


「文化の日→明治の日」運動10年超
 戦前回帰の指摘も
2019年11月2日:朝日新聞

 11月3日の「文化の日」を「明治の日」にすることをめざす運動が10年を超えて続いている。10月30日には祝日法の改正を実現しようという集会が、東京・永田町であった。明治維新から150年となった昨年までには実現しなかったものの、国会議員連盟は法案提出を急ぐ。こうした動きに、「戦前回帰」の政治的意図が隠されていると警戒する声も上がる。
 運動の中心は「明治の日推進協議会」(会長・塚本三郎元民社党委員長)。30日の集会では、100万人の署名を国会議連の古屋圭司会長に手渡した。
 古屋氏は「『復古調』とか一部メディアに言われることがないようにしたい。改正実現に向け、昭和の日制定運動にならって、自民党以外の他党にも運動を広げていきたい」などと述べた。
 推進協議会は、昭和天皇の誕生日だった4月29日を「みどりの日」から「昭和の日」へ改めた人々が中心。2005年の昭和の日制定の後、しばらくして活動を始めた。戦前の「明治節」にちなんで11月3日を「明治の日」に改めることをめざしている。
 明治節は大正末期から昭和初期、明治天皇の功績を後世に伝えようと、国民運動の高まりの中で実現した祝日だ。主唱者は戦時下の海外進出を正当化したスローガン「八紘一宇(はっこういちう)」を造語した新宗教「国柱会(こくちゅうかい)」指導者の田中智学(ちがく)だった。その縁で、明治の日運動にも、田中の流れをくむ人々が数多く合流している。
 そもそも戦後の保守陣営にとって、占領期に消えた祝日の復活は「日本回復」の大目標だった。神武天皇が即位した日とされる紀元節の復活運動は全国で繰り広げられ、明治100年の前々年、紀元節だった2月11日を「建国記念の日」とすることが決まった。
 初めての祝典は1967年。当時の佐藤栄作首相はその日の日記にこう記している。「復活紀元節第一回。名も代(変)わって『建国記念の日』となり」
 戦前は一目瞭然だが、現在の祝日も、建国記念の日に限らず、皇室祭祀(さいし)と重なる日程のものが少なくない。「春分(秋分)の日」は「春季(秋季)皇霊祭」、「勤労感謝の日」は「新嘗祭(にいなめさい)」だ。
 「暦は人心への影響が大きい」。そう話す島薗進・東大名誉教授(宗教学)によると、天皇崇敬を鼓舞するため、戦前、天皇崇敬と不可分の様々な祝祭日が作られたと歴史を振り返る。
 戦後になっても、建国記念の日、元号法、昭和の日、明治の日へと動きが続いた。「一連の運動は、戦前のような社会に戻したいという流れの一つだろう」と指摘する。
 一方、推進側が「祝日正常化運動」とも呼ぶ息の長い取り組みは、明治の日だけでも10年を超えた。世論喚起の絶好の機会と期待した「明治150年」はさほど盛り上がらず、保守系団体「日本会議」の中にも、「憲法改正に専念すべき時期だ」と消極論がくすぶる。神道政治連盟の動きも不透明だ。
 そんな中、推進協議会の副会長に日本会議の田久保忠衛会長が就き、日本会議のメンバーへの影響力に期待が集まっている。同氏は旧民社党の学者組織だった民主社会主義研究会議(現・政策研究フォーラム)で役員を務めた人物で、塚本会長の信頼が厚い。来年は明治神宮創建100年にあたるという。運動の熱は高まるのか。(編集委員・藤生明)



ラグビー代表に触発? 侍ジャパン、
国歌斉唱で見せた“桜スピリット”
「君が代を声に出して歌おう」稲葉監督が提言
2019年11月1日:夕刊フジ

 国際大会「プレミア12」(5日初戦)に出場する日本代表「侍ジャパン」は10月31日、カナダとの強化試合(沖縄セルラースタジアム那覇)に5-6で敗戦したが、大きな変化が試合前に起きていた。国歌斉唱の際、これまでは手にした帽子を胸に当て、君が代をほとんど歌わなかった選手たちが、両手を体の横に下ろし、センターポールの日の丸を見ながら口ずさんでいた。この変化の背景には、W杯で史上初の8強入りを果たし国民を熱狂させたラグビー日本代表の影響もある。(片岡将)

 「全員に集合してもらって、君が代を声に出して歌おうと話をさせてもらった。われわれはジャパンとして日の丸を背負って戦う。ラグビー代表などの他競技で君が代を熱く歌っている姿には心を打たれました。野球も同じ。見習って歌おうと話させてもらった」
 試合後の会見で稲葉篤紀監督(47)が明かした。
 快挙を成し遂げた桜の戦士たちのように肩を組み、涙を流しながら君が代を熱唱したわけではないが、はっきりと口を動かし声に出して歌うことで日の丸への敬意を表する、代表としてあるべき振る舞いがこの日の侍ジャパンにはあった。
 以前から「しっかりと国歌を歌うべき」と話してきた指揮官だが、前日30日に法大時代の恩師でもある山中正竹侍ジャパン強化委員会強化本部長(72)から後押しを受け、改めてナインに説いたという。
 山中本部長は「このチームに来ている選手はみな、日の丸を背負う重みや誇り、責任を重々に感じている。これまではその思いを国歌斉唱の時に表に出すか、内に秘めるかというのはそれぞれに任せてきた」と明かす。
 ラグビー代表の活躍で、競技に関わらず選手の国際的なマナーや振る舞いがよりクローズアップされるようになったことを踏まえ、「世界の中で代表がどう見られるかという点が大きな意味を持っている。国際大会において勝つということはとても重要で、それによって競技人口が左右されたりもする。ただ、勝つことよりも重要なこともある。品位や品格、競技を行う上で前提となるスポーツマンシップが大切」と強さだけでなく、子供から憧れられ、他国から尊敬される態度が侍には求められるとした。
 「ラグビー代表は単に勝つだけでなく、その振る舞いも素晴らしかった。君が代に対する姿勢もその一環。『胸のうちに秘めた思いは表に出していこう。表現するのは恥ずかしいことではないし、堂々としよう』と話はさせてもらった」と山中本部長。
 ラグビーの代表チームは国籍主義ではなく、3年以上の居住実績などの条件をクリアすれば代表入りができる協会主義をとっており、日本代表は31人中15人が外国出身選手が占めている。多様ななバックボーンを持つ選手たちが1つにまとまるためにリーチマイケル主将(31)=東芝=は歴史への理解を深める目的で、宮崎県日向市の大御神社をチームで訪れ、日本最大級の「さざれ石」を見学している。
 期せずしてこの日の始球式に登場したのはラグビー代表で司令塔のスタンドオフを任された田村優(30)=キヤノン=だった。
 「野球のボールを投げたのも初めて」というが見事なストライク投球で「見ての通り、完璧でした」とさすがのコントロールで球場を沸かせた桜の司令塔は、侍の変化に関して「それはすごくうれしいことですね。僕たちはいい影響を与えようとか思ってやっていた訳じゃないけど、もし自分たちの姿に何かを感じてくれていたら、それはとても素晴らしいことです」とわが意を得たりの表情だった。
 「この選手たちの姿をみて高校や大学、あるいはさらに下の世代の代表チームが真似をしていく。そのお手本になるような振る舞いをみせないといけない」と山中本部長。試合には敗れ、いまいち盛り上がりに欠ける現代表だが、確かな変化も示している。



【主張】
「男系男子」復帰案 安定策議論のたたき台に
2019年10月28日:産経新聞

 皇位継承にとり最も大切な原則である男系(父系)継承を守り、皇統を盤石にするよう求めた提言を歓迎したい。
 自民党の有志国会議員44人でつくる「日本の尊厳と国益を護(まも)る会」が発表した「皇位継承の安定への提言」である。
 天皇陛下、秋篠宮皇嗣殿下の次の世代で皇位継承権を持つ男性皇族は、秋篠宮家のご長男、悠仁さまお一方だ。安定的な皇位継承の維持が国家の基本に関わる重要事となっている。天皇陛下が即位に伴う大嘗祭(だいじょうさい)を11月に執り行われた後、政府は安定継承策の本格検討に入る。
 自民有志の提言は、「男系による皇位継承を、いかなる例外もなく、126代一貫して続けてきたのが日本の伝統である。これは、性差による優劣を論じるものでは全くない」として、男系による継承の堅持を求めている。父方を遡(さかのぼ)れば必ず天皇を持つのが男系継承をとる日本の皇統の特徴だ。
 提言は今の皇位継承順位を守った上で、(1)男系である旧宮家の男子が現皇族の養子か女性皇族の婿養子になる(2)本人に了承の意思があれば皇族に復帰できる-の2案を挙げた。立法措置が必要となる。2案の同時実施もあり得るとした。女性皇族との結婚は、「自由意志に基づく自然なものでなければならない」とした。
 提言は、旧宮家には「10代5人、20代前半2人」の男子が存在するとしている。
 「女性天皇」や女性皇族が、旧宮家出身でない民間人男性と結婚して生まれる子が皇位に即(つ)く「女系天皇」案には反対した。歴史上、一度も存在しなかった「女系天皇」を認めれば、日本に「異質の王朝」「天皇ならざる天皇」を生み出してしまうと指摘した。
 今回の具体的提言は、日本と皇室の歴史、伝統を踏まえ、実現可能性のある内容といえる。
 君主にとって継承の歴史、伝統の尊重は極めて重要だ。女系継承の容認は大きな混乱を招き、天皇の正統性を失わせ、象徴性を打ち砕く禁じ手である。
 護る会は大嘗祭の後、安倍晋三首相へ提言を提出する。首相は今年6月、皇統について「例外なく男系が継承されてきた。長い歴史を十分踏まえなければいけない」と語った。男系継承という皇統の大原則を国民に伝える努力を重ねつつ、今回の提言を議論の有力なたたき台にしてもらいたい。



青山繁晴ら自民党極右議員が
「旧宮家男子を女性皇族の婿養子に」と
カルト提言! 竹田恒泰が愛子内親王と
結婚して天皇になる可能性も?
2019年10月27日:LITERA

 22日に行われた「即位礼正殿の儀」では、安倍首相の「天皇陛下万歳!」の雄叫びに合わせて自衛隊が空砲を連発。あらためて浮き彫りになったのは、この国の右派がいまだに「天皇を中心とした神の国」という戦中のカルト的思想を温存し、その復権を虎視眈々と狙っているという事実だった。
 一方、儀式を中継したテレビマスコミでしきりに語られていたのは、皇室の「後継者問題」だ。現状の皇室典範では〈皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する〉(第一条)と定められている。徳仁天皇の子息である愛子内親王に皇位継承権はなく、次世代の「男系男子」は秋篠宮家の悠仁親王ただ一人。このままでは先細りは免れない、ということで、「女性天皇・女系天皇」を認めるか否かの議論があるのは周知の通り。
 そんな「後継者問題」が盛り上がるタイミングを見計らい、自民党が満を持して“アンチ女系天皇”を打ち出してきた。あの“ネトウヨの尊師(グル)”こと青山繁晴参院議員が代表幹事を務める「日本の尊厳と国益を護る会」なる自民党の極右議員グループである。
 本サイト読者にはおなじみだろうが、青山氏といえば、日々、大ボラを吹きまくってネトウヨから絶大な支持を受けている御仁だ。そんな青山センセイが牽引する「日本の尊厳と国益を護る会」が23日、皇位継承をめぐって、「男系男子」を堅持すべしとの提言を発表したのだが、これがまた、まさに“カルト”としか言いようのないシロモノ。なんと、「男系男子」維持のため「旧宮家」の男子を現皇室の養子にしろ、などと本気で言っているのだ。

 提言では、「男系男子」について〈皇位の歴史が男系・父系による継承であるために、父を一系で辿ることができ、仁徳天皇や神武天皇にまで繋がる天皇家の皇統が続いてきた〉などと述べたうえで、〈今後もし女系天皇、母系天皇を認めれば天皇家の皇室は終わり、異質の王朝(皇室)、すなわち神武天皇から受け継ぐ祭り主ではない「天皇ならざる天皇」を生み出すことに直結する〉と主張する。
「天皇ならざる天皇」という言い回しなんか、いかにも青山センセイらしいハッタリの臭いがプンプンするが、問題は「提言」の後半、“男系男子の維持”の〈具体的な安定策〉としてこうぶちあげていることである。
〈(イ)養子および婿養子案
 旧宮家の男子が、現皇族の養子となられるか、女性皇族の婿養子となられる案。お生まれになる子が即位された場合、父が天皇の血を引くという男系・父系の原則を満たすことができる。〉
 さらに青山センセイたちは、旧宮家の10〜20代の「男系男子」に了承を得て、立法措置により皇族に復帰させるという「旧宮家の皇籍復帰案」もプラン(ロ)として提唱しているが、どっちも同じようなものだ。
 念のため説明しておくが、「旧宮家」とは、戦後の1947年、GHQに特権を享受する宮家の縮小を求められて皇籍離脱した11宮家のこと。当然、現在は一般人である。たとえば、あのネトウヨ丸出しのお騒がせ男である竹田恒泰氏も、この時に皇籍を離脱した旧宮家のひとつ竹田宮の子孫にあたる(ただし、竹田氏が生まれたときにはすでに宮家ではなかったので、竹田恒泰が皇族であった時期は存在しない。彼が一時期まで自己PRに使っていた「旧皇族」というのはウソである)。
 いずれにしても、青山センセイたちは、今の天皇から10親等以上離れた遠い親戚にあたる一般の家庭で生まれた男性を、ただ“男系で天皇の血を引いている”というだけで、世間とは隔絶され基本的人権を著しく制限される皇室にいれようというのである。
 まったく、どうかしているとしか思えない。とりわけ、「女性皇族の婿養子」という発想は、もはや狂気じみてさえいるだろう。
 現実に照らせば、その「旧宮家の男系男子」と結婚させられるのは、明仁上皇の孫である愛子内親王、秋篠宮の佳子内親王、小室圭さんと婚約している眞子内親王の3人と、大正天皇のひ孫である高円宮承子女王、三笠宮彬子女王、三笠宮瑶子女王の3人しか選択肢がないことになる。青山センセイたちは〈婚姻はご当人の自由意志に基づく自然なものでなければならない〉と予防線を張っているが、彼女たちが“男系天皇を絶やさないため”なる理由で旧宮家の男と結婚し、「男系男子」の子どもを産むことを強要されることに変わりはない。“現代の人身御供”と言わずしてなんと言うのか。
 もちろん、当人だけの問題ではない。事実、眞子内親王と小室圭さんの婚約の場合、二人が望む結婚が実現すれば眞子内親王は民間人になるわけだが、それでも、小室さんの母親スキャンダルなどで世間は“一億総姑状態”になってしまった。まして旧宮家の婿養子になるとすれば、“次世代の天皇の父親”というだけでなく、自身にも皇位継承権があるわけだから、到底、国民がすんなりと受け入れるとは思えない。

男系男子を主張する竹田恒泰が
「もし私が皇族になってしまったら」の妄想ツイート

 繰り返すが、「旧宮家」と言っても、すでに皇籍離脱から70年以上も経っており、若い世代は一般家庭とほとんど変わらない環境で育ったと推測される。そうした人たちがいきなり皇室に入るというのは普通に考えて無理がある。「天皇家の養子・婿養子案」にしても「皇籍復帰案」にしても、それこそ普通の感覚で言えば「天皇ならざる天皇」であることに変わりはない。
もしそれでも、養子や婿養子に名乗りをあげる旧宮家の人間がいるとしたら、それは相当にファナティックな復古主義者か天皇や皇室の権威を何かに利用しようという腹に一物のある人間だろう。
 いずれにしても、この提言通りになれば、竹田恒泰みたいな輩が佳子内親王や愛子内親王の婿養子になり、「天皇か天皇の父親」になる可能性がある、ということだ。実際、竹田氏自身、本人は「私は皇族にはなりません」などと嘯いているが、以前から「婿養子案」などを含む旧宮家男子の皇籍復帰を主張してきた。最近もこんなツイートをしている。
〈もし私が皇族になってしまったら、、、、悲劇である。
25万人が登録する「竹田恒泰チャンネル」は、Twitterアカウントは、4万人の会員がいる竹田研究会はどうなる?「そこまで言って委員会」「ゴゴスマ」は?文科省が検定中の中学歴史教科書はどうなる?本業のラーメン屋は?? 復帰などありえない。〉(10月21日)
 いや、何言ってんだ、この人。問答無用でナシに決まっているだろう。だいたい、竹田サンは例の「あいちトリエンナーレ」の件で大村秀章・愛知県知事を攻撃しており、「大村知事は即位礼正殿の儀に参列するな!」などとがなり立ててきたが、自称「天皇の親戚」であるにもかかわらず、ご本人はそもそも招待すらされなかったらしい。当然だろう。ようは、皇室からみても“お呼びでない”のである。
 ちなみに、竹田恒泰氏は“明治天皇の玄孫”と紹介されるが、実際には明治天皇の子女の家系なので“明治天皇の男系の玄孫”ではない。男系で辿ると実に南北朝時代にまで遡らなければならないらしく、ここまでくると現在の天皇家とは“男系的にほとんど他人”と呼んで差し支えないだろう。いずれにせよ、こんな“ネトウヨビジネスマン”が「天皇の親戚」と自称している時点で国辱モノなのに、ましてや皇籍復帰して皇位継承権を持つなど、考えるだけでも身の毛がよだつというものだ。

男系男子カルトは青山繁晴や竹田恒泰だけではない!
安倍首相も女系天皇真っ向否定

 しかし、こうした“男系カルト”の妄言を垂れ流しているのは、青山センセイや竹田サンのようなトンデモ人士だけではない。実はこれ、日本会議周辺などが以前から主張してきたことで、ほかならぬ安倍首相自身が“男系カルト”主義者なのだ。
 実際、小泉政権下で「皇室典範に関する有識者会議」が設置され、女性宮家創設の議論が盛り上がったときから、当時官房長官だった安倍首相は「反対派」の急先鋒として振る舞い、第一次安倍政権では女性宮家の議論を封印した。下野時には雑誌で〈二千年以上以上の歴史を持つ皇室と、たかだか六十年あまりの歴史しかもたない憲法や、移ろいやすい世論を、同断に論じることはナンセンスでしかない〉などと鼻息を荒くし、女系天皇を真っ向から否定。その後、民主党野田政権が女性宮家創設議論を復活させたが、安倍首相が政権に返り咲くとまたもや「白紙化」を宣言した。
 では、なぜ連中は「旧宮家男子を婿養子にする」などというイカれた発想を口にするほど、男系の血にこだわるのか。たとえば安倍首相の“ブレーン”のひとりで、直接、男系継承についてレクチャーしたこともあるという八木秀次・麗澤大学教授はこう語っている。
〈これ(男系継承)に手を加えるということは、国柄の崩壊、ひいては天皇制度そのものの否定に直結する。有識者会議メンバーの方々は、あの大東亜戦争で敗れても護持された国体に、マッカーサーでさえできなかったような空恐ろしいことをしようとしているのだという認識があるのかどうか、はなはだ疑問ですね。〉(文藝春秋「諸君!」2006年1月号での所功氏、長谷川三千子埼玉大学教授との鼎談)
 しかも八木氏に言わせれば、「神武天皇のY染色体を継承できるのは男系男子だけ」らしいが、言わずもがな実際に男性のY染色体を辿って行き着くのは“神話”ではなく類人猿だ。何度でも繰り返すが、完全にカルトである。
 いずれにしても、青山センセイや竹田恒泰サン、そして安倍首相のような“男系カルト”たちが言っているのは、「天皇は男系の血そのものである」なるグロテスクな血統主義だ。そして、連中が男系継承にこだわるのは、「神武天皇から続く万世一系」という文字通りの神話を利用して、戦中の「天皇を中心とした神の国」の復活を夢見ているからにほかならない。
 マスコミは「天皇の後継者問題」をしたり顔で議論する前に、まず、安倍政権とその周辺のイかれた戦前回帰思想をちゃんと検証するべきではないのか。
(宮島みつや)



【主張】
憲法公布73年 9条欠陥正面から論議を
2019年11月3日:産経新聞

 現憲法の公布から73年を迎えた。日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増しつつあるが、日本が十分対応できているとは言い難い。
 「平和主義」を掲げる憲法第9条が、日本の平和を守る妨げとなっている。皮肉な話だが、この点に気づいて憲法改正を実現しなければ、いつまでたっても平和を保つための抑止力を整えることは難しい。
 北朝鮮は10月31日、短距離弾道ミサイルを発射した。弾道ミサイル防衛(MD)の迎撃網をかいくぐる新型の短距離弾道ミサイル戦力をつくる一環だ。ロシア製弾道ミサイル「イスカンデル」を模しており、ミサイルの下降段階で弾道軌道から外れて飛行し、目標に着弾する。弾道を計算して終末段階で迎撃することが困難になる。北朝鮮はいずれ、核弾頭搭載可能なノドンなど対日攻撃用の準中距離弾道ミサイルの「イスカンデル化」をもくろむだろう。
 MDや、ミサイル発射基地を叩(たた)く敵基地攻撃能力だけでは十分でない。有事に日本を攻撃しようとする侵略国の独裁者の居場所や重要軍事基地を叩く「敵地攻撃力」を保有することが、抑止力の確保につながる。だが、9条に由来する「専守防衛」が妨げている。
 中東海域の日本関係船舶の安全確保のため、政府は海上自衛隊の護衛艦などを派遣する方針だ。
 「調査・研究」名目の派遣だが日本関係船舶が実際に危機に直面すれば、自衛隊が「海上警備行動」の発令で守ることになる。一定の効果は期待できるが、あくまで警察権の行使であり、撃退すべき相手に対する「危害射撃」の度合いには制約がある。自衛隊が国際法上の軍隊として武器を使用できる場合と比べて手間取り、日本側の被害が増す恐れもある。
 これも9条のもと、自衛隊が国際法上の軍隊として行動できる「防衛出動」が、「外国軍隊によるわが国に対する計画的、組織的な武力攻撃」などがあった場合に限られ過ぎているためだ。
 9条は、自衛隊を「普通の民主主義国の軍隊」と位置づけない。このため、国民や自衛隊の現場の危険は増え、抑止力の充実は妨げられている。
 国会などで憲法改正論議の進展が期待される。「自衛隊明記」は当然として、国民を守らない9条の欠陥とその是正についても正面から論じてもらいたい。



憲法公布の日に ワイマールの悪夢から
2019年11月3日:東京新聞

 今年はドイツのワイマール憲法誕生百年に当たります。民主的な憲法でしたが、ナチスに蹂躙(じゅうりん)されました。そんな人類史も忘れてはなりません。
 一九一九年は大正八年です。日本ではカイゼル髭(ひげ)が流行していました。政治家も軍人も…。カイゼルとはドイツ皇帝。確かに威厳ありげに見えます。髭の形が自転車のハンドルに似ているから「ハンドルバームスタッシュ」の異名もありますが…。
 その髭の主・ウィルヘルム二世は前年に起きたドイツ革命により特別列車でオランダに亡命していました。何両もの貨車には膨大な財産が満載でした。
◆完璧な基本権だった
 ドイツは帝政から共和制へと変わりました。新しい議会がワイマールという東部の都市で開かれ、「ワイマール憲法」が制定されました。生存権の条文があります。「経済生活の秩序は、すべての人に人たるに値する生存の保障をめざす、正義の諸原則に適合するものでなければならない」と。
 労働者の団結権なども保障されます。男女の普通選挙による議会政治も…。「ワイマル共和国」(中公新書)で元東京大学長の歴史学者林健太郎氏は「基本権はさすがにすぐれた憲法学者の作だけあって、最も完璧なもの」と記しました。基本的人権の保障が近代憲法の第一段階で、第二段階の社会権を装備した先進的憲法でした。
 でも、この共和国は難題に直面します。第一次大戦後のベルサイユ条約で領土の一部を失ったうえ、多額の賠償金を負っていました。空前のハイパーインフレが襲いました。物価水準は大戦前に比べ二万五千倍を超え、マルク紙幣は額面でなくて、重さで量られるありさまです。さらなる災難は世界大恐慌でした。六、七百万人ともいわれる失業者が巷(ちまた)にあふれました。
◆独は「戦う民主主義」で
 ここでチョビ髭の男が登場します。そう、ヒトラーです。「ベルサイユ条約の束縛からドイツを解放する」と訴えて…。三〇年の選挙で右翼・ナチ党の得票率は18・3%だったのに、三二年には37・3%と倍増します。その翌年に高齢の大統領がヒトラーを首相に任命しています。「強いドイツを取り戻す」ためでした。
 直後に国会議事堂が放火される事件が起きます。政権を握ったヒトラーはこれを機に、言論の自由や集会・結社の自由など憲法に定めたはずの基本権を停止する大統領令を発布します。いわゆる国家緊急事態宣言です。
 皮肉にも正式名は「人民と国家防衛のための緊急令」です。憲法にあった緊急事態条項を巧みに利用したのです。決して選挙で過半数を得たわけではないのに、憲法停止という強権を手にしました。有名な全権委任法をつくったのも同じ年。違憲の法律も可能になるもので、ワイマール憲法は完全に息の根が止まりました。
 チョビ髭の男から独裁者たる「総統」へ。その権力掌握がいかに早業だったかがわかります。林氏はこう書いています。「ドイツ国民は(中略)官僚の支配に馴(な)れており、みずからが国家を形づくるという意識と慣行に欠けていた」と。「敗戦(第一次大戦)によって突然、民主主義と政党政治という新しい実践を課せられたとき、彼らはそれをいかに駆使するかに迷った」とも。
 民主主義を重荷に感じると「上からの強力な支配に救いを求める人々が増えた」という指摘は今日にも通じるものがあります。
 この反省から第二次大戦後、当時の西ドイツは「戦う民主主義」の道を歩みます。憲法秩序に反する団体の禁止などを基本法に書き込んだのです。「自由の敵には自由を与えない」精神です。現在も同じです。
 日本国憲法は「戦う民主主義」の考えを採りませんが、近代憲法の第三段階である「平和的生存権」を採用しています。公布から七十三年たち自由と民主主義は根付いたかに思われます。でも、錯覚なのかもしれません。
 貧富の格差とともに貧困層が増大し、若者が夢を持てない。老後の生活も不安だ-そんな閉塞(へいそく)感の時代には、強力な指導者の待望論に結びつきかねない怖さが潜みます。政治家も付け込みます。
◆民衆の不満は「愛国」で
 敵をつくり、自らの民族の優位性を唱えます。危機感をあおり、愛国を呼び掛けます。民衆の不満を束ねるには古来、敵をつくる方が便利で簡単なのでしょう。
 現在、改憲テーマとして俎上(そじょう)にあるのは、戦争放棄の九条ばかりでなく、緊急事態条項の新設も含まれています。独裁者はチョビ髭の男とは限りません。ワイマールの悪夢を繰り返さぬ賢明さと冷静さが必要です。



論点 揺れる多国間主義
2019年11月1日:毎日新聞

 世界中で「自国第一主義」が横行している。米国のトランプ政権に続き、欧州連合(EU)からの離脱を進める英国。ロシアや中国なども独自路線の行動が目立つ。国際政治の基軸だった「多国間主義」はどこに行ってしまったのか。日本はどう動くべきなのだろう。

中露との対話、核は依然G7
 佐々江賢一郎・日本国際問題研究所理事長

 主要7カ国(G7)首脳会議は、石油危機を受けた1975年、リベラルな貿易・経済体制を構築するために生まれた。その後、冷戦が終結すると、西側にロシアを加えたG8となったが、北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大などにより、ロシアと西側諸国との関係が再びぎくしゃくし、次第に「G7+1」という様相になった。2014年には、ロシアによる一方的なクリミア半島編入を経て、ロシアの参加が停止された。
 さらに、「米国第一主義」をうたい17年に発足したトランプ米政権は、多国間よりも2国間協議を重視する。このため「G6+1」とも言える状況になり、G7の弱体化が指摘されている。昨年のカナダのG7会合では、貿易問題を巡り米国と他国のあつれきが表面化し、トランプ大統領が合意文書の承認を撤回する事態となった。今年のフランスでの会合は、参加国をアフリカなどにも広げ、あえて難しい争点を避け、簡潔な宣言文書などを公表して終わった。
 背景には、西側を中心に形成された世界の強固な構造がきしみを起こし、過渡期に入っていることがある。世界の政治、経済問題を議論するうえで、中国やロシア抜きには語れず、G20は正しい取り組みと言える。だが私は、それによってG7の価値が低下したとは思わず、逆にその価値はより重要になったと考える。
 中国やロシアの発展は、国家主導のもと、非民主主義的国家であっても繁栄できるモデルを示した。これは民主主義体制への挑戦とも言える。この民主主義体制の危機的状況を看過することはできない。G7は民主主義体制の価値や原則を再確認する核になる。
 私たち西側の体制が進めてきた考え方や統治機構を維持するためには、中国、ロシアとの競争に加え協力関係強化も必要だ。そのためには対話が欠かせず、その核となり得るのがG7といえる。少数の首脳だけが集まり、ひざを突き合わせ、話をする場は貴重だ。G20もあるが、参加国が多く議論が深まりにくい。G7を強化し、今は難しくても、いずれロシアや中国を入れたG8、G9という形に拡大させることが望ましい。
 トランプ政権の2国間主義が批判されることもあるが、私は、多国間も2国間も必要と考える。理想は皆で集まり合意を築くことだが、参加国が多数だと、一つのルールで合意することは難しくなる。その時、2国間という枠組みは有益になる。2国間を積み上げ、そのうえで全体合意を目指す手法も重要だ。すべての2国間が「悪」というわけではない。
 今後、鍵を握るのが米国の姿勢であることは間違いない。米国が「世界の警察官」ではないという方向性は、オバマ前政権時代から始まった。各国も、昔のように米国にだけ頼るのではなく、それぞれ責任を分担するなど新しい協力の方向を議論することが大切だろう。「G6+1」という状況を日本や欧州も努力して変えていくことが求められる。来年のG7は米国で開催される。米国が議長国としてどのように振る舞うか。一つの分岐点たりうるかもしれない。【聞き手・永山悦子】

政治力学の変化、国連に影
 植木安弘・上智大学総合グローバル学部教授

 毎年9月、米ニューヨークにある国連本部では国連総会がある。各国首脳による一般演説があり、今年も安倍晋三首相をはじめ、首脳らが恒例のスピーチを行った。
 首脳らも参加するハイレベル会合も企画され、今年も「気候変動関係」や「SDGs(持続可能な開発目標)」などをテーマとした会合が開かれた。中でもスウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんの演説は、世界の指導者たちに向けた若い世代のメッセージとして注目された。
 国連の最大の力は、グローバルな課題に関わる議論を引き起こす力がある点だ。近年では地球温暖化対策のためパリ協定や持続可能な社会のためのSDGs、難民や移民に関する国際合意が形成された。国連トップの事務総長も、この場を使って各国に行動を促す。また総会は、2国間協議や交渉、会談を行う場を提供する役割も果たす。「国連軽視」とされるトランプ米大統領でさえ、毎年総会には出席している。各国は国益のために国連を使っている。
 しかし、こうしたマルチの場を軽視して自国第一主義に走る現象が相次ぐ。ロシアによるクリミア半島編入や中国による南シナ海の軍事化、インドとパキスタンが領有権を争うカシミール地方のインドによる一方的併合、アマゾン開発に伴う森林破壊などがある。国際法に基づく秩序の維持、紛争の平和的解決、グローバルな課題解決への国際協調といった国連の基本理念が順守されていない。
 背景には米国の変化がある。これまで自由主義的な国際秩序の守護神的な役割を果たしてきた米国が自国第一主義に走り出したことで世界秩序が混乱、不確実性が高まっている。欧州連合(EU)も、英国の離脱問題の影響で主導的地位が薄らいでいる。パワーポリティクスの変化が起きており、国連にも影を落としている。
 日本はどうだろうか。総会での安倍首相の演説は、国際貢献をアピールするという点は評価できた。だが、自由主義体制を守り、国際秩序を維持し、グローバルな課題の解決に向けて積極的な先導的役割を果たしていく意気込みはあまり感じられなかった。
 日本が多国間主義の中心となりうる分野はいくつもある。まず地球温暖化対策。再生エネルギーを中心とした新時代のエネルギー戦略を明確に打ち出すべきなのに、新環境相による日本の立場の表明はなく、その動静ばかりが話題の中心になってしまった。軍縮も日本の強みだ。世界では現在、AI(人工知能)を使った新しい軍拡競争が進んでおり、宇宙にまで拡大している。いかに宇宙を人類共通の資源として平和利用する体制を守るか。カナダや北欧、ドイツなど、日本に近い価値観を持つ国々と一緒に動くべきだろう。紛争解決に向けた平和構築や災害対応、保健なども日本の経験が活用できる。
 国連の基本は集団安全保障体制と多国間主義。米・露・中といった大国がこれ以上、自国優先路線に走らないように調整してゆくことこそ、日本の役割ではないだろうか。【聞き手・森忠彦】

日本、アジアで役割果たせ
 梅﨑創・JETROアジア経済研究所研究グループ長

 「自国第一主義」が想像以上の速度で世界に広がり、先鋭化している中で、日本が国際社会で果たす活躍の場はどこにあるのか。現在、設立交渉が大詰めを迎えている自由貿易圏構想「東アジア地域包括的経済連携(RCEP)」に注目したい。
 RCEPは2012年、東南アジア諸国連合(ASEAN)関連首脳会議の中で交渉開始が宣言された。ASEAN10カ国に日本・中国・韓国、さらに豪州、ニュージーランド(NZ)、インドの16カ国が参加する。中心はこの20年間に目覚ましい経済発展を続け、経済共同体としての結束を強めたASEAN。そのASEANと個別に自由貿易協定(FTA)を結ぶ周辺の6カ国を加えた構図だ。
 FTAは、貿易自由化などを通じて加盟国の経済的利益を拡大することが目的だ。「ルールに基づく自由貿易体制」によって経済発展の恩恵を被ってきたアジア諸国が、RCEP設立により自由貿易を維持する姿勢を内外に示そうとしている。世界的に保護主義が台頭する中、その意味は大きい。
 なぜこの枠組みがいいのか。日・中・韓だけだと経済的な競合関係が強く、また歴史的なつながりが深いがゆえの交渉の難しさも生じうる。だが、豪州やNZが加わることで、サービス貿易や知的財産保護などの分野で日本と価値観を共有しやすくなる。世界最大の民主主義国家であるインドの参加も、潜在市場としての魅力に加え、中国へのけん制となる。また、独自に「一帯一路」構想を進める中国にとってもRCEPは経済外交の両輪となりうる存在だ。米国との貿易摩擦が激化している状況だけに、関係の深いアジア諸国との多国間協力枠組みとして再評価されているようだ。
 RCEPは米国が参加していたTPP構想への対抗軸として動き出した面もあったため、米国のTPP離脱によって当初の勢いがそがれた印象はある。だが、16カ国を合わせると人口は世界の5割、貿易額は約3割という世界最大の巨大な経済圏。潜在力は大きい。交渉は大詰めを迎えており、9、10月と閣僚会合を開き、10月の会合では新たに8分野で合意に達した。11月の首脳会議での大筋合意を目指す最終段階にある。
 近年、ASEAN諸国では官民ともに韓国や中国の進出が著しいが、日本の存在感はまだまだ大きい。戦後賠償や政府開発援助の歴史に加え、1960~70年代からは多くの日本企業が現地に進出し、経済関係を深めながら相互の信頼を積み重ねてきたためだ。人口規模や経済、文化など、あらゆる面で多様性豊かなアジアは、今後も日本にとって国益上、最も需要な地域であることは変わらない。
 一方で役割分担も必要となっている。中国と争い敗れたインドネシアの高速鉄道建設が象徴的だが、もはや援助規模などで中国と争うことは困難だ。日本は、自らの得意分野で、かつ相手のニーズに合わせたより質の高い協力を中心に据えるべきだ。世界の動静を注視し、さまざまな枠組みを通じて日本らしい役割を果たしてゆくべきだ。【聞き手・森忠彦】

米が先べん「自国第一」

 「自国第一主義」が顕著になったのは、2年半前の米トランプ政権の発足がきっかけ。環太平洋パートナーシップ協定(TPP)や気候変動対策の国際枠組み「パリ協定」からの離脱を決め、その後も「アメリカ・ファースト」を唱える。影響は多国間交渉の場にも表れ、昨年のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議を欠席。今年8月の主要7カ国首脳会議(G7サミット)では、イラン問題などの対立から首脳宣言が1ページの合意文書で終わった。

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 ■人物略歴
佐々江賢一郎(ささえ・けんいちろう)氏
 1951年生まれ。東京大卒。74年外務省入省。北東アジア課長、首相秘書官、経済局長、アジア大洋州局長、外務事務次官、駐米特命全権大使などを歴任。2018年から現職。

 ■人物略歴
植木安弘(うえき・やすひろ)氏
 1954年生まれ。上智大卒。米コロンビア大院で博士号(国際関係論)。82年、国連本部広報局。東ティモールやイラクで報道官、アチェで広報官など。2014年から現職。

 ■人物略歴
梅﨑創(うめざき・そう)氏
 1970年、福岡県生まれ。九州大卒。神戸大院修了後、95年アジア経済研究所入所。専門は東南アジアの経済統合。東アジア・ASEAN経済研究センター(ERIA)リサーチフェロー兼任。



ジョーカーへの「共感」の嵐に抱く違和感
アーサーに共感し、その境遇に同化する人が多数いる一方で、
なぜこんなにも社会的弱者が批判され、
自己責任論が盛んに展開されるのだろうか。
2019年11月1日:ハフィントンポスト
(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics

10月4日に公開され、4週連続でランキングの1位を記録している映画『ジョーカー』。この作品を見て「共感する」と語る人は多い。劇団ひとりは、本作の映画CMの中で、「共感してしまってる自分が怖くなるんですよね」と語っていて、それはある意味、端的にこの映画の本質を表すものであると感じた。
しかし一方で、今の日本の社会に目を移すと、果たしてジョーカーに本当の意味で共感している人はどれだけいるのだろうか、という疑問もわいた。
なぜ人はジョーカーに共感し、ある部分では恐怖を感じるのか。さらには、「本当には共感してはいないのではないか?」というところにまで踏み込んで、考えてみたい。
アーサー/ジョーカー役を演じたホアキン・フェニックス

なぜアーサーに「共感」できるのか

本作では、貧しい生活を送るコメディアンのアーサーが、殺人者「ジョーカー」に変貌するストーリーが描かれる。単純にアーサーに共感できる部分はというと、アーサーの価値基準が意外にも「真っ当」だということだろう。 
彼は妄想癖と、無意識のうちに笑い出し、止まらなくなってしまうという病を持っている。とはいえ、彼が狂っているかというと、単純にはそうは言えないグレーな部分があるように描かれている。
それは、アーサーが相談所で語る「狂っているのは自分か、それとも世界か」というセリフからも見てとれ、本作の問いであるようにも思える。
彼はさまざまな人から迫害されている。ピエロの格好をして路上でサンドイッチマンをしていたら、町の不良少年たちに商売道具の看板を奪われ、殴る蹴るの暴行を受けることになる。仕事場の管理者からはその事情を聞いてももらえず、同僚からも不気味だと思われている。しかも、その同僚は彼を貶めるためか、彼に拳銃を渡すのだ。またある日には、その拳銃を所持していることがきっかけで仕事を失い、社会保障からも見放され、破れかぶれの時に、最悪の事態に出くわしてしまう。
ここまでの描写はスムーズであった。
さまざまな人から蔑まれ、自尊心をとことんまで失ったとき、ほんの些細なことが「発火剤」になってしまう。本作では、その過程が克明に描かれる。
前述の劇団ひとりは、自身の小説の映画化であり、監督も務めた『青天の霹靂(へきれき)』でも、大泉洋演じるしがないマジシャンが心理的に堕ちていく過程を丁寧に描いていた。
『青天の霹靂』の主人公はアーサーを彷彿とさせる。
後輩のマジシャンはテレビで売れっ子になるが、一方の自分はボロアパートでレトルトカレーを食べ、挙げ句の果て、バイト先のマジックバーにその後輩が現れてバカにされる。そして、彼が連れてきた業界人の吐いた(と思われる)吐しゃ物の処理を後輩とともにさせられる。翌日、スーパーで半額になったばかりのホットドッグを買って帰宅すると、アパートは水漏れでびしょ濡れに。ゴミが散乱した部屋の電球も雨のために切れ、外でホットドッグを食べようとしたところに電話がかかってきて、そのせいでソーセージが砂の上に落ちてしまう。そのソーセージを公園の水道で洗って食べようとしていたときに、電話から行方不明の父親がホームレスになり、荒川で亡くなっていたと聞くのだから、彼がジョーカーになっても仕方がないくらい、踏んだり蹴ったりの展開だ。
なんともいえないみじめさが、これでもかと描かれていた。
劇中の大泉は、そこで怒るのではなく、泣いて嘆き、そして青天の霹靂ともいえる様々な出会いがあり、救われる結末を迎える。こんな風に、一つ一つはなんでもないような不遇な出来事でも、重なってしまうと、怒るか絶望するかどちらかの感情を抱くと思わせる展開だった。
アーサーにとっては、それが電車の中での証券マン達との事件であった。
彼に共感してしまうのは、そんな風に小さな事件が積み重なっていったこともあるが、それ以上に、彼が怒りを感じる相手が、そう感じても仕方がないと思ってしまうような人物や物事ばかりだからではないだろうか。
看板を奪う少年、聞く耳を持たない上司、腐った気持ちに火をつけさせようとする同僚、そして社会的なケアの打ちきり(これに関しては本人不在のため、怒りが相談員には向けられることはないが)、電車でからかってくるホワイトカラーのマッチョで有害な男らしさの持ち主。そして、自分を虐待した母親のパートナーとそれを見て見ぬ振りをした母親(ここに関してはアーサーがその当時の真実を知ることは難しく、母親もある種の被害者であるともとれたが)、彼をテレビに引っ張り出してまで嘲笑してくるコメディアン…。
怒りを感じて当然と思わせる人物ばかりなのだから、彼に共感してしまうのは至極真っ当な感覚なのかもしれない。
では、「アーサーに共感することが恐ろしい」と感じる理由はなにか。
それは、どんなに怒りの理由が真っ当であっても、そこから殺人に繋げてはいけないという気持ちが見ている側にあるからだろう。それも真っ当な感覚である。




















作中の象徴的な場面で登場する「ジョーカーの階段」。
ニューヨーク・ブロンクス地区にあり、"聖地巡礼"に訪れる人が続出しているという。

「共感」の嵐に抱く違和感

本作には、前述以外にも、別の種類の共感も存在している。それは、「自分の状況もアーサーのようにつらい」と同化して考えるというものだ。しかし、この種類の共感には疑問を感じる部分がある。
映画の冒頭では、ゴッサムシティはストライキによりゴミの処理が滞っていることが描かれる。その根っこには、市民の行政、政治への不満があることが伺える。そんな状況にも共感を煽る効果があるのだろう。日本でも、度重なる災害に対しての政府の対応に不満を持っているものも多いはずだ。
しかし、そんな状況に対して、日本では異を唱えるどころか、受け入れ、あきらめている人も多い。 
それどころか、自然災害で被害を受けた人に自己責任論を突きつけるものもいる上に、10月の台風19号上陸時には、路上生活者が「区民ではない」という理由で避難所から受け入れを拒否された。それについて、テレビで「(避難所に)来ている方たちは嫌ですよ」と語る芸人がいるばかりか、それが賛否両論の形で報じられている。ある意味、今の日本社会がゴッサムシティと同じか、それよりも最悪な状況にあるのではないか。 
アーサーに共感し、その境遇に同化する人が多数いる一方で、なぜこんなにも社会的弱者が批判され、「自己責任論」が盛んに展開されるのだろうか、と思うのだ。
映画の中では、アーサーは社会から見放された人であるとはっきり描かれており、そういう意味では避難所を追い出された路上生活者と非常に近しい立場にある。しかも、アーサーは社会に対して怒りを感じ抵抗しようとしていて、物語の中でジョーカーを讃える人たちも同じように社会に抵抗している。
もしも避難所受け入れ拒否に「NO」と言わない人がアーサーに共感するなどと言っているとしたら、明らかに理論が破綻しているのではないか。
アーサーの不遇さに共感したい気持ちはわかる。だとすれば、現実の世界で弱者を切り捨てたり、自己責任論を振りかざしたりしないでほしいと、切に願う。
悪に強さを感じて憧れ、同化してみたいという欲望は、あるものかもしれない。この映画には、そんな悪が昇華していく刹那の美しさが描かれているように見える映像もある。なかには、その部分だけを切り取って、都合よく解釈する人もいるだろう。この映画がそのような共感のされ方をするものだとしたら、危険視する人がいるのも当然だろう。
しかし、アーサー、そしてジョーカーは、現実の世界において弱い立場にある人間に目を向けることのできない人に共感されるようなキャラクターではないし、この映画は人の露悪的な感情を煽ったり引き出したりするために作られているものではないと思う。
「自分もまた弱者である」と感じながら、自分よりも弱いものは切り捨て、嗤うものがもしもアーサーやジョーカーに共感しているとしたら、何をもってそう思えるのか、という怒りの感情を持ってしまうのだ。

(執筆:西森路代 @mijiyooon / 編集:生田綾 @ayikuta ・毛谷村真木 @sou0126)



「天皇陛下の公的行為」が増加
 高まる懸念「政治利用」
2019年11月3日:朝日新聞

 令和初の国賓として新天皇陛下と会見したのは、トランプ米大統領だった。
 昨年11月、安倍晋三首相から招待を受けたトランプ氏の反応は「その行事は日本人にとってスーパーボウルより大きいのか?」。退位に伴う新天皇の即位を、米プロフットボールNFLの王者を決める一大イベントにたとえて聞いた。首相は「もちろん。200年ぶりですから」。トランプ氏は5月の訪日を決めた。
 日米貿易交渉が合意に至る前のこと。政府関係者は「これで関税が安く抑えられるなら安いものだ」と言ったが、こうした経緯にも「天皇の政治利用」との批判は高まらなかった。
 かつては違った。
 天皇は戦後の新憲法で象徴となると同時に、国政への関与を禁じられた。天皇は首相の任命や法律の公布といった「国事行為」のみを行う、と憲法は定める。
 1951年10月、昭和天皇が国会開会式での「おことば」で、前月のサンフランシスコ講和条約締結について「諸君とともに、誠に喜びに堪えない」と述べると大きな議論が巻き起こった。全面講和論もある中、政府が西側中心の片面講和に踏み切ったことから、天皇の政治的発言として批判を受けた。国会開会式でのおことばや天皇が各地をめぐる巡幸は、そもそも憲法上許されるのかという憲法議論に発展し、「公的行為」の考え方が生まれた。

増加する「公的行為」

 外国元首の接遇のほか、外国や地方への訪問も公的行為だ。政府見解では「国事行為と同様、政治的意味や政治的影響を持つものが含まれてはならない」との制約があり、憲法の趣旨に沿って行われるよう配慮すべき責任は内閣が負う。だが見解とは裏腹に、公的行為を統制するはずの内閣が「天皇を政治利用した」と批判される例が続く。
 2009年には民主党の鳩山政権が天皇と外国要人の会見は1カ月前までに調整するとの慣習を破り、中国の習近平(シーチンピン)・国家副主席(当時)との特例会見を実現させた。13年には安倍政権がサンフランシスコ講和条約の発効61年を記念した「主権回復の日」の式典を開き、米施政下に取り残された沖縄などが反発する中、天皇、皇后両陛下の臨席を求めたことが問題視された。公的行為は法的にあいまいな分、政治権力が介入する余地が大きい。
 一方、平成の30年で公的行為は膨らんだ。上皇ご夫妻が、被災地訪問や太平洋戦争の激戦地をめぐる慰霊の旅などの公的行為を「象徴としての務め」と捉え、重視したことも影響した。
 退位を検討した政府の「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」は16年10月、天皇が82歳時点の活動状況を昭和と平成で比較した。国事行為は約1千件で同じだったが、公的行為は344件から529件に増大。外国訪問での活動は0件から10件に、行幸啓(ぎょうこうけい)と呼ばれる地方訪問での活動は42件から128件になっていた。

「平成流」の活動は継承か

 「平成流」は世論の支持を得た。NHKが73年から5年ごとに行っている「日本人の意識調査」では、昭和の時代は天皇に対して「特に何も感じていない」が最も多く、「尊敬」「好感」と続いた。平成に入ると「好感」が増える一方、08年からは「尊敬」が伸び続け、18年には「尊敬」がトップの41%に達した。
 今月22日、「即位礼正殿(せいでん)の儀」の後に予定されていた即位のパレード「祝賀御列(おんれつ)の儀」は、台風19号の被害に配慮して延期された。官邸幹部らによれば、政府の意思決定の背景には被災地を思う天皇、皇后両陛下の「お気持ち」もあった。「平成流」の活動は引き継がれていくとみられる。
 渡辺治・一橋大名誉教授は「『平成』の時代、政治と皇室の双方によって、憲法の規定を超えて公的行為が拡大した。能動的な象徴天皇像が定着し、政権が天皇を利用しても、国民が疑問を感じにくい危うい状況が生まれている」と話す。(二階堂友紀)

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