「ニッポン、ダメじゃん!」どうするの?

少し前「同調圧力」という言葉をよく目にした。日本社会の異常の一つを表す言葉だが、日本語文化圏として閉じた空間であるこの国の風通しは、今でも極めて悪い。
世界では当たり前のことが、日本では“当たり前”として通用しない。巨大な「ガラパゴス空間」が形成され、その中で支配と被支配の構造がかたちづくられている。



(インタビュー)
男女平等、世界一への道
 アイスランド女性権利協会事務局長に聞く
2019年10月25日:朝日新聞

 世界経済フォーラムの男女格差ランキングで、アイスランドは10年連続1位を誇り、「世界で最も男女平等な国」と言われる。一方で日本はここ10年、じわじわと順位を下げており、昨年は149カ国中110位だった。毎年、複雑な思いで記事を書いている記者が聞いてみた。「どうすれば男女平等な国になるんですか?
■アイスランド女性権利協会事務局長、
ブリュンヒルドゥル・ヘイダル・オグ・オゥマルスドッティルさん
 ――日本では昨年、複数の大学の医学部入試で女性が不利に扱われたことが明らかになり、大スキャンダルとなりました。
 「この露骨な差別を知った時はとても驚きました。性別を問わず最適な人材が医師になるべきですし、アイスランドでは医学部を卒業するのは男性より女性の方が多いのです。そもそも人口34万の私たちのような小国では、こうした差別によって優れた人材を無駄にする余裕はありません」
 ――日本の順位が低い理由の一つは、女性議員の少なさです。「政治は男性がするもの」というイメージが依然、あるのですが、アイスランドではどうですか。
 「『政治は男性のもの』!? ノー、ノー、ノー! 全くありません。女性も男性と同様に意思決定にかかわることは、もうありふれた光景です。ごめんなさい、質問の意味が理解できませんでした」
 ――昔から男女格差のない国だったのですか。
 「いいえ、つい40年前までは非常に男性優位的な社会でした。女性は20世紀初頭に参政権を得ましたが、いま41歳の私が生まれた時、女性の国会議員は3人と、定数のわずか5%でした。1990年代にようやく3割を超えましたが、しばらくはそのままでした」
 「大きな転換点は、2009年です。世界金融危機の余波で銀行が全てつぶれ、政府への信用も地に落ちました。当時銀行のトップは全て男性。政府にも女性は少なく、『意思決定の場にもっと女性を』といううねりが起きました。この年、女性議員が初めて4割を超え、初の首相も誕生しました。今も女性議員は4割近くを占め、首相は43歳の女性です」
 ――政治の場に女性が増え、何が変わったのでしょうか。
 「女性が政治の対話に参加することによって、男性に有利に働いてきた法律や制度が、全ての人がメリットを受けられるように見直されました。たとえば従業員50人以上の企業の役員は、男女とも40%以上とすることが義務づけられました。また従業員25人以上の企業には、男女で同じ賃金基準を設けることが義務化されました。そのほかジェンダーに配慮した政府予算の義務化や、同性婚の合法化、ストリップ・クラブの禁止など次々に新しい法律が生まれ、法的には完全なるジェンダー平等が保障されています」
 ――「既得権益」を失うことになる側の男性からの反発は?
 「30、40年前は確かに反発がありました。でも今は、異を唱える人はいません。なぜなら男性たちは、ジェンダー平等が自分たちにとってもメリットになると感じているからです。たとえば男性も、女性と同様に育児休業をとることを譲れない権利だと主張しています。男性も幼い我が子と過ごしたいと思っており、約8割が取得します。また男女の賃金が平等になれば、不当に低い賃金で働いていた女性たちの賃金が上がります。つまり世帯収入が上がることにつながり、男性にとってもありがたいのです」
     ■     ■
 ――本当にそんなにいいことばかりなのですか。
 「実は、まだまだ男女格差は残っています。たとえば、男女同一賃金が義務づけられたことで、時間ベースでは賃金格差は15・3%まで縮まりました。ただ月収では22・5%の格差があります。女性のほうが無償の家事労働に費やす時間が長く、有償の労働時間が男性より短いためです。また、保育士や看護師など女性が多い職種は、建設作業員や配管工など男性が多い職種に比べ、賃金が低い傾向にあるという問題もあります」
 ――日本では待機児童問題が深刻で、女性が仕事を続けづらい状況もあります。
 「私たちも同じ問題を抱えています。2~5歳児はすべて保育所に入れますが、2歳未満は制度化されておらず、1歳児の半数は入れていません。育児のためにキャリアを中断するのは男性より女性が多く、それは将来にわたって収入に影響します。決して、男女平等のパラダイスではないのです」
     ■     ■
 ――女性への性暴力も少なくない、と聞きました。
 「他国と同様、深刻な課題です。女性の33%がセクハラを、25%が性暴力を受けたことがある、というデータがあります。被害届が出されたレイプ事件のうち、加害者が訴追され、有罪となるのはごく一部です。どうすれば女性への暴力を根絶できるのか。この問題を解決しない限り、真の平等な社会は築けないと思っています」
 ――ジェンダー平等には、メディアや教育が果たす役割も大きいですね。
 「残念ながら、ここにもまだ偏りがあります。たとえば、テレビでインタビューを受ける人の約7割は男性です。国際情勢など重要な話題では男性が、育児などやわらかめの話題では女性が選ばれる傾向もあります。また、教科書を含め、歴史本の多くは男性に焦点が当てられ、社会の発展に貢献してきた多くの女性たちの存在が記されていません。バイキング時代の歴史の本を読んだ子どもたちは、『この時代には男性しかいなかったんだ』と思うでしょう。歴史本の書き直しが必要です」
 ――アイスランドは小国だから、こんなに早く平等を達成できたのではないですか。
 「確かに、小さな国のほうが変化は早いかもしれません。でも私たちよりはるかに人口の多い国でもジェンダー平等は進んでおり、人口規模は言い訳になりません」
 「一方で人口が少ない国は、変化をもたらす人的資源が限られています。日本は人に恵まれています。私は10月中旬に箱根に滞在し、台風19号の直撃を受けました。大変な状況でしたが、周囲の人の配慮のおかげで、無事に東京にたどり着けました。こうした日本人の特性も価値ある資源です」
 ――潜在的な力はある、ということでしょうか。
 「お飾りではなく、本当に意思決定ができる場にもっと女性を起用すべきです。女性たちの力が十分に発揮されるようになれば、日本はジェンダー平等の分野でもアジア地域のリーダーになれるはずです。これだけ豊かな人的資源のある国が『110位』にとどまっているのが、残念でなりません」
     ■     ■
 ――「年功序列」の慣習も、障壁になっていると感じます。
 「年長者の知恵に学ぶことも大事ですが、『改革』は若い人たちのためのゲームで、男女平等を成し遂げるには彼らの情熱が必要です。若い人たちに、もっと発言力を与えて下さい。テーブルにつかせて下さい。これは、非常に強調したいことです」
 ――アイスランドでも平等への意識に世代間格差はありますか。
 「ジェンダー平等への異論はもはや、どの世代からも聞こえませんが、若い世代は上の世代よりもはるかにフェミニストです。彼らは男女格差のない社会で育ち、それを尊重しています。ある高校の女性教員が07年、ジェンダーやフェミニズムについて学ぶ独自の講座を作りました。国のカリキュラムではありませんが、今では多くの高校で選択科目としてジェンダー平等について学べるようになっています。その影響もあり、若い世代は不平等に対して敏感です」
 ――女性による大規模なストライキがあるそうですね。
 「男女の賃金格差から換算し、『ただ働き』にあたる時間分の仕事を放棄します。1975年に始まり、このときは全国で約9割の女性が午後2時5分に仕事を終え、街頭に集まりました。ストを組織した女性たちが交流するようになり、政治について学び、女性のための政党結成につながったのです。6度目となる昨年は、午後2時55分に仕事を放棄しました。こうした草の根の運動こそが、社会を変えると思っています」
 ――日本では、価値観の違いから女性の間でも分断があります。
 「確かに、保守とリベラルでは考え方が違います。たとえば先ほど『ストライキ』と言いましたが、ストだと『そんな左派っぽいこと、したくない』という人もいます。だから私たちは『女性の休み』という枠組みで運動を進めました。同じ仕事には同じ賃金が払われるべきだという主張に、異論を唱える女性はいないはずです」
 ――日本も変われますか。
 「人的資源は十分です。首相が国際社会に対して、ジェンダー平等を目指すと発信してきたことも知っています。それなのに大きな進展がない。実現の方策を徹底的に追求していく、政治の意思が欠けているのではないでしょうか。社会のしくみをもっと変えていく必要があるのだと、政治家に圧力をかけ続けなければなりません。国として最も賢い投資は、女性運動を支え、変化を促すことにあるのです」(聞き手・三島あずさ)
 *
 1978年生まれ。アイスランドの大学を卒業後、米国の大学院で17世紀の英国文学を学び、2011年から現職。フェミニズム童話の執筆も。


クローズアップ
カスタマーハラスメント
組織で対応サポートを 対クレーマー、
1人で月11日 市職員うつに
2019年10月24日:毎日新聞


カスハラ対策のロールプレー(役割演技)で、
悪質なクレームをつける顧客の夫役(中央)と妻役(左)=大阪市北区の関西大で、加古信志撮影

 顧客らによるカスタマーハラスメント(カスハラ)で精神障害になったとする労災認定が相次いでいる。民間だけでなく、地方自治体の職員の被害も深刻だ。パワハラ防止を企業に義務づけた改正法はカスハラを想定しておらず、対策は遅れている。【大島秀利】


 流通やサービス業などの産業別労働組合「UAゼンセン」(東京都千代田区)の流通部門が昨年9月に報告したアンケート(約5万人回答)では、顧客から迷惑行為を受けた影響として54・2%が「強いストレスを感じた」と答えた。「軽いストレスを感じた」(37・1%)と「精神疾患になった」(0・5%)を含めると91・8%に上った。関西大の池内裕美教授(社会心理学)は「深刻な精神疾患を患った従業員は、アンケートの時点で既に離職している可能性がある」と分析している。

枚方市が作成した苦情対応マニュアル。「社会的妥当性」を逸脱した例などの判断基準が並んでいる

 関東地方の市職員は、特定の市民によるクレームへの対応を1人で担当させられてうつ病を発症し、民間の労災にあたる公務災害の認定を2017年に受けた。

 「現場に来い」「なぜ電話に出なかったのか」

 毎日新聞が入手した地方公務員災害補償基金支部の認定通知書などによると、09年、道路整備を担当していた当時30代だった職員の男性に対し、特定の市民から道路維持に関する苦情や改善要望が頻繁にあった。怒鳴り散らされたり威圧的な態度を取られたりしたが、苦情には一定の根拠があったという。当初は上司の課長(当時)と一緒だったが途中から1人で任され、多い月で11日間対応した。
 さらに男性は、課長の指示で自分の携帯電話の番号をこの市民に教えたため、勤務時間外や休日も電話で対応せざるを得なかった。同僚らの証言では、組織的な対応指示は見受けられなかったという。男性は約6カ月後、うつ病と診断されて仕事を5カ月以上休み、その後も断続的に休むことを余儀なくされた。
 男性は16年、全国の地方公務員でつくる自治労に加盟している市職員組合に相談して公務災害認定を申請。地方公務員災害補償基金は17年、「公務上、強度の精神的負荷により精神疾患を発症した」と認めた。男性は「市が組織として謝罪せず責任を取っていないので納得がいかない思いがある」と話す。支援した市職員組合の元委員長は「市は市民に対し、開かれた窓口を保証して苦情に対応せざるを得ないが、職員の健康と安全を守り切れなかった責任があることを十分自覚してほしい」と言う。
 市の人事課は「組織的に対応できなかったのは事実。本人には、公務災害認定の手続きを通じて『申し訳なかった』と、当時の人事課長が伝えていたと聞いている。それ以降、難しい事案については複数で対応するよう徹底させている」とコメントした。

手引「やり取り中止」 大阪・枚方市

 市民窓口、土木工事、各種給付金関係……。地方自治体の各部署でカスハラなどに思い悩み、ストレスから精神障害になるケースも出ている。その中で、人口約40万人の大阪府枚方市は2017年1月、職員向けの内規として「社会的妥当性を逸脱した苦情等への対応マニュアル」を作成した。悪質なクレームに対して組織的に対応することを明記し、職員個人が中傷を受けた際などには、対応を打ち切ってもいい判断基準を定めているのが特徴だ。
 マニュアルは「通常の苦情等への対応」として「市政運営や業務改善のための貴重な情報」であり、傾聴してメモを取り、適切に敬語を使って分かりやすく説明するなど「重要性を十分認識し誠実に対応する」と定めている。
 そのうえで「社会的妥当性を逸脱した苦情等への対応」の指針を示した。まず「担当者への配慮」として負担が大きくなったり孤立したりすることがないように「事情を熟知した複数の者で話を聞くなど課全体で対応する」「職員の安全の確保を最優先に行う」などと規定。注意事項としては「職員個人の気力や体力には限界がある」「担当者任せでは相手方の要求に屈する危険性が高まる」などと記している。
 対応を打ち切る場合についても定めた。その基準として(1)当初伝えた時間が経過した(2)従前の主張の繰り返しのみである(3)担当外の事項に関する主張のみである(4)職員個人を誹謗(ひぼう)中傷する発言の繰り返しである――と四つのケースを挙げた。該当する事例でさらに苦情などが続いた場合は、電子メールや郵送で最終的に対応を打ち切る旨の書面を送るとしている。
 重大な問題の場合は、公正な職務の執行などのために設置されている市の不当行為調査等委員会(弁護士、精神科医、大学教員で構成)に伝達。意見を聞き、市長決裁を得たうえで対応を打ち切るとしている。
 作成した枚方市コンプライアンス推進課は「一線を越えた苦情への対応を続けると事務の遂行に支障を来し、他の市民へのサービス低下を招くこともあると考えた。常勤・非常勤を問わず『何かあれば組織で対応します』と研修などで伝えている」と説明している。
 過去に悪質クレームの問題が深刻化した韓国の首都ソウル市では、顧客対応で自分の気持ちを管理する必要がある「感情労働」を念頭に16年、「感情労働従事者の権利保護などに関する条例」を制定。関係機関にマニュアル作成を義務付けている。

国指針の実効性疑問

 相談窓口の設置をはじめ職場のパワーハラスメント(パワハラ)の防止措置を企業に義務付ける改正労働施策総合推進法が、5月に成立した。ただし法律の想定は職場内で起きるハラスメントで、顧客や取引先など社外の第三者から受ける悪質クレームなどのカスハラは対象外だ。
 改正法は、パワハラについて「優越的な関係を背景に、業務上必要な範囲を超えた言動で労働者の就業環境を害する」と初めて定義。相談体制の整備や、被害者に対する不利な取り扱いの禁止などを企業に義務付けた。しかし、顧客や取引先などからの著しい迷惑行為は社外の相手との関係で起きるうえに、業務で一定のクレーム対応を伴うこともあり「どこからが迷惑行為に当たるか」という判断が困難とされる。再発防止まで含めた一連の措置を課すことも難しいとして、改正法自体には含まれなかった。
 一方、国際労働機関(ILO)が6月に採択したハラスメント禁止条約は、職場の暴力とあらゆるハラスメントの禁止を明記。雇用された従業員だけでなく、顧客や取引先などの第三者、フリーランスや求職者にも保護の範囲を広げた。国内の現状は、大きな隔たりがある。
 来年4月の改正法施行(中小企業は2022年4月予定)に向け、厚生労働省の労働政策審議会では、パワハラを防ぐため企業に求める具体策を盛り込んだ指針づくりの議論が進んでいる。現在、労働者を保護する法律が適用されないフリーランスや就職活動中の学生を対象に含めるかどうかで労使間の意見が対立し、カスハラへの対応策も論点の一つになっている。労働者側は「悪質クレームへの対応の判断基準を指針で示すことが必要だ」と主張している。
 厚労省は今後、カスハラ被害者に対するケアをはじめ企業が取るべき必要な対策を指針に盛り込む方針だが、配慮を求めるにとどまり、その実効性が課題になりそうだ。【矢澤秀範】


尊敬する人にストーカーされたら......
「同意」に隠されたワナが女性を傷つける
Crossing the Line
2019年10月16日:ニューズウィーク

<学問の場でストーカー被害を受け沈黙を強いられた著者が回想記で声を上げる意義を訴えた>
ドナ・フレイタスは教育での男女平等を保障したタイトルナイン(米教育改正法第9編)における「同意」について研究し、講演活動もしている。先頃出版された回想記『同意──望まざる注目の記憶』では、大学院時代に尊敬していた教授から嫌がらせとストーカー行為を受けた経緯を詳しく描いた。
そもそも「同意」とは何か。学生と教授、部下と上司の関係において、何をもって女性側の同意と見なすのか。こうした議論から逃げてはいけないと、フレイタスは訴える。
フレイタスを虐待した教授は神父でもあった。当初は教授が自分の仕事に注目してくれるのを光栄に感じたが、その後、関係は悪化していった。








指導教官からセクハラを受けた体験を語るフレイタス  NINA SUBIN

この「神父L」(今でも彼女は加害者の名前を明かしていない)からフレイタスが受けた虐待は、私的な空間に絶えず侵入するという精神的なものだった。教授は直接に性行為を求めたり、圧力をかけたりはしなかった。しかしフレイタスが博士号を取り、将来専門職として仕事をするには教授の支持が不可欠だったという。
当初は自分の不快感を認めるのが難しかったと、フレイタスは打ち明ける。教授の行動を、弟子に対する指導者の悪意なき関心の表れだと信じ、 正当化しようとしていたからだ。
だが性的な接近を思わせる教授の行動が執拗さを増すにつれ、その偏執的な性質を否定できなくなった。大学に苦情を申し立てたフレイタスは、教授がクビになると信じていた。
【参考記事】「私を犯した夫を訴える...」 夫婦間レイプとの向き合い方をフランスと日本から考える
ところが大学側は、男女差別を禁じるタイトルナインに基づく法的措置の申し立てができる180日の期限が過ぎるまで逃げ回った。それでもフレイタスの弁護士は大学当局との合意を取り付け、フレイタスは神父Lと接触することなしに卒業することが可能になった。
神父Lはどうなったか? 教職を続けている。フレイタスは卒業後も専門家の会議で、神父を見掛けることがあった。彼女が教職をやめ、執筆と講演活動を中心にしたのは、神父の顔を見たくなかったからだ。
なぜ今になって回想記を発表したのか。フレイタスによれば「これ以上の沈黙は有害」と考えるからだ。以下は同書からの抜粋である。
私はこのことを話してはいけないことになっている。私が在籍していた大学院は、指導者の嫌がらせをやめさせ、わずかな金をくれた。私は引き換えに、これから伝えようとしていることが起こらなかったふりをすることに同意した。
私は全ての不正行為を免責することに同意した。永遠に沈黙することに同意した。自分が何をしようとしているのか、何に署名しようとしているのかを考える余裕はなかった。
【参考記事】女が醜いからレイプ男は無罪?
当時の私が求めていたのはただ、この男、私の指導教官であるはずのこの男、大学院生活を通じて私を導き、将来のための指導を仰ぐつもりでいた男がいなくなることだった。
あの男から解放されるためならば、求められるままに何でも手渡そうと思った。
すると大学側は、私の「声」をよこせと言った。
だから私は声を与えた。大学の人事課で自分の舌を切り取り、係の女性に渡した。私は自分自身を切断した。出血にも気付かなかった。当時授業のために読んでいたフェミニストの理論によれば、女性が持つ最も重要なものを差し出した。

奪われた女性たちの声

かなり後になるまで、私は自分に対して犯した罪に気付かなかった。人事部の部屋で向き合った人たちが、学生の体を犠牲にして大学と教師を守るために働いているのだとは、当時の私は知らなかった。
しかし、こんな経験は私だけのものではない。全国各地の大学に、あらゆる規模と種類の職場に、善良な企業市民を自称する会社のどこかに、発信されなかった女性の言葉でいっぱいのファイルキャビネットがある。彼らは私たちから声を奪い、傷つけることが通常の業務であるかのように振る舞う。
女性の舌は、そのままにしておくと危険だ。大学も役所も企業も昔からそれを知っており、だから舌を奪おうとする。そして私たちは舌を没収される。その代わり彼らは私たちにお金を払って黙らせる。でも黙るものか。自分の舌は取り返す。
取り戻した舌の感触にまだなじんでいない。厚ぼったい舌が口の中にあるのは奇妙な感じだ。
教授の行為に疑念を抱き始めたのは、教授が不意に私のアパートに現れたときだった。当時の私は半地下の部屋に住んでいて、窓の高さが歩道と同じだった。玄関の郵便受けの隙間から郵便物を取ろうとして、上から私を見下ろす教授の姿を目にしたとき、私は驚いて跳び上がった。教授は笑っておらず、手も振らなかった。
「近所に来たのでね」と、私の部屋に入った教授は説明した。その日ジョージタウンで会議があったと、彼は言った。
【参考記事】レイプ事件を届け出る日本の被害者は氷山の一角
ずっと後になって思い出したのだが、教授に自分の住所やアパートへの道順を教えたことは一度もない。彼は大学院にある私の個人ファイルを見て、住所を調べたに違いない。彼は私の指導教官で、当時は学部の責任者でもあったから、どんな情報にもアクセスできた。
大学院の1年目はあっというまに過ぎ去った。教授はやたらに電話をかけてきた。以前の半地下のアパートにも、引っ越した先にもかけてきた。
私は教授に自分の電話番号を教えたことはない。それには気付いていたが、その疑問を、教授がなぜか私の新住所やスケジュールを把握しているという不穏な事実とともに、心の奥底に封じ込めてしまった。
その夏、教授は新しい住所に手紙を送ってきた。電話もあった。時には毎日、時には1日2回以上。手紙の数も増え、1日3通来ることもあった。
手紙の山は100通ぐらいになり、ほとんどが未開封のまま、窓辺に積み上がった。私はやがて手紙の山を見るのが嫌になった。からかわれているように思えたからだ。手紙の山が大きくなり過ぎたため、私はある日、オフィスのゴミ箱を持ってきて大量の手紙を放り込んだ。

引き裂かれた頭と心

いろいろな意味で、私は2人の人間だ。同じ体、同じ頭脳、 同じ心、同じ魂を共有する2人の女性だ。この2人は決して交わることのない別々な人生を送っている。公的な私は自信にあふれ、はっきりした物言いをし、有能な研究者であり、論文もたくさん発表している。
もう一人の私は表に出ない。精神が不安定で、20代前半に経験したことを恥ずかしく思い、自分も悪かったと思っていて、それが起きたこと、それが長く続くことを許した自分の役割に当惑している。
この女性の人生は、加害者の男によって取り返しのつかないほど傷つけられた。この男に自制心が欠けていたから、この男に不適切な行動を控える理性がなかったから、そして私にそれを拒む力がなかったからだ。
私は生き延びた者だが、被害者であり、これからも被害者であり続ける。こうした二重のアイデンティティーを持つ人々の代弁をすることはできないけれど、私自身について言えば、虐待を乗り越えた人間という称号を贈られた誇り高い人間でありたいと思う一方、常に怯え、苦しんでいる犠牲者たちの仲間でもあると感じている。
【参考記事】レイプや近親相姦でも「中絶禁止」の衝撃
自分は犠牲者ではないと主張することは、あの事件から20年が過ぎた今でも、結局は嘘になるだろうと思う。
私は世間に向かって声を大にして言うべきこと、そして自分が最もつらいとき自分自身に告げるべき真実を知っている。「悪いのは『彼』だ、それは彼が私に対してしたことであり、私自身を責めてはいけない」
私はこのフレーズを、セリフを覚える役者のように何度も練習した。それでもこの言葉が真実だと感じられるのはほんの一瞬で、たいていはどこかで居心地の悪さを感じている。

女は「同意」していない

「学生に同じような経験を打ち明けられたら、どう答えます?部分的にでも彼女に非があると言いますか?」
同僚や友人からそう問われたら、答えはもちろん「ノー」だ。 非はあなたにあると言うつもりは、みじんもない。その女性は完全に潔白だと、私は信じて疑わない。異論の余地はない。潔白の事実は揺るぎない。
ならばなぜ自分の場合は違うのか。なぜ私は恥ずべき被害者から誇り高き生存者に、すんなりと変われないのか。どうしたら引き裂かれた2人の自分に折り合いをつけられるのか。
無理かもしれない。
私たちの社会では少女や大人の女性に対するハラスメントや暴力があまりに頻繁に、当たり前のように、執拗に起きる。だからこそトラウマで人格が引き裂かれてしまう女性がいることに、思いを致さねばならない。何もなかったかのように生きるために、女たちが演技と嘘を学ばねばならないことを理解しなければならない。
【参考記事】赤ちゃんもレイプするペドフィリアの男たち、その罪状
引き裂かれた頭脳と心を抱えて生きることがキャリアと私生活に及ぼす損失について、何年間も自分自身の身体が記憶の底に封じてしまう秘密について、悪いのは私だという思い込みについて、思い込みが女性の自意識と自分の本質を理解する能力に与えるダメージについて、知ろうとしなければいけない。
私たちは「同意」を単純なもの、「ノー」のひとことで片が付くものと思いがちだが、それは嘘だ。「ノー」で魔法のように他人の行動を止められるなら、教授の行為があんなに長く続いたはずはない。私の「ノー」には何の効き目もなかった。そのせいで多大な代償を払い、今も払い続けている。
あの体験から何か学んだとすれば、それは「同意」が途方もなく複雑で、常に確認し合わなければならないものだということ。当事者間に関係性がある場合はなおさらだ。
©2019 by Donna Freitas. Used with permission of Little, Brown and Company, New York. All rights reserved.
無理やり招致の自業自得
東京五輪に国民はもうドッチラケ
2019年10月18日:日刊ゲンダイ

 9カ月後に迫った2020年東京五輪のマラソンと競歩のコースが突然、札幌へ変更されることになった。IOC(国際オリンピック委員会)が16日、前代未聞の方針を発表すると、関係者は右往左往し、衝撃が広がっている。

 IOCが土壇場のコース変更に動いたのは、6日まで中東カタールのドーハで開催されていた世界陸上が引き金だ。暑さを避けて深夜に開催されたものの、気温30度以上、湿度70%以上という“灼熱地獄”に、マラソンや競歩の選手は棄権が続出。次々と車いすやカートで運ばれていく映像が映し出され、案の定、「来年の東京五輪は大丈夫か」と不安が高まっていた。IOCのバッハ会長が「選手の健康は常に懸案事項の中心にある」とアスリートファーストの姿勢を示し、日本側は受け入れざるを得ない状況である。

 大会組織委員会の森喜朗会長は17日、都内で報道陣に「暑さ対策の一環からすればやむを得ない。IOCと国際陸連が賛成したのを組織委が『ダメ』と言えるのか。受け止めないといけない」とコメント。北海道と札幌市は、17日大慌てで両者の連携を確認した。

 一方、「青天のへきれき」と不快感をあらわにするのは開催地・東京都の小池百合子知事だ。17日に出席した連合東京の会合の挨拶で、安倍首相と森がロシアのプーチン大統領と親しいとして、「涼しいところというのなら、北方領土でやったらどうか」と皮肉たっぷりだった。

 マラソンは五輪の花形種目であり、男子マラソンは最終日のメインイベント。それが札幌で行われるなんて、それでも「東京五輪」と言えるのか? 体調のためとはいえ、このタイミングの変更は選手にも酷だ。東京開催で調整してきたのに一からやり直し。本当にアスリートファーストなのか。

 新著「オリンピックの終わりの始まり 」を出版したばかりのスポーツジャーナリスト・谷口源太郎氏はこう言う。

「IOCのバッハ会長が札幌への変更理由として『アスリートファースト』を挙げていましたが、空々しい。選手第一は当然のことです。だったらなぜ、そもそも開催時期を真夏にしたのか。背景には欧米のプロスポーツシーズンを避けた商業主義がある。札幌への変更もドーハのマラソンが深夜になったことを批判されたからで、日本列島で最も北にある札幌なら“商品価値”を毀損しないだろうという場当たり発想。暑さが問題ならトライアスロンなど他の競技も問題を抱えている。マラソンと競歩だけを札幌へ持って行っても何の解決にもなりません」

 既に開始時間を午前7時や7時半に繰り上げているトライアスロンは、今月末からのIOC調整委員会でさらなる前倒しが検討されるという。

 いやはや、もうメチャクチャだ。

真っ赤なウソで塗り固めた薄汚い国家戦略

 マラソンコースが札幌に変更されるとの一報に、観戦チケットを手にしていた人たちは怒り心頭だ。メディアの取材に「何を今さら」と憤っていた。テレビの街頭インタビューで都民は「えっ、沿道で見られないの」と絶句し、コースにある飲食店関係者は「多くのお客さんで盛り上がると思っていたのに」と落胆だった。

 国民挙げての五輪歓迎ムードは、これで雲散霧消するんじゃないか。7、8月の東京では酷暑の五輪となるのは火を見るより明らかだ。本当にやれるのかと誰もが疑問に思っていた。ブラックボランティアとも批判されてきた。それでも強行したのがIOCであり組織委だったのに、あまりに身勝手すぎる。

 すべては安倍ペテン政権の猿芝居のツケだ。オールジャパン体制の五輪の裏に、安倍の「1964年の東京五輪の夢よ、もう一度」があった。2020年を「新しい時代の幕開け」と勝手に位置付け、高度経済成長が再現するかのようなバカげた夢想を国民に植え付け続けたのだ。
 裏を返せば、それはマトモな成長戦略を示せないから。無理やり五輪を経済起爆剤に仕立て上げたのである。国威高揚を政権維持にも利用した。

 そのために、安倍は招致時の演説で、福島原発事故の汚染水について「アンダーコントロール」と大ボラを吹き、「立候補ファイル」は〈この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖〉と真っ赤なウソで塗り固め、開催にこぎ着けたのだ。

「2020東京五輪は、2011年に施行された『スポーツ基本法』をバックに国家戦略として政府主導で進められたものです。安倍首相が招致演説でウソをつき森会長がオールジャパン体制を呼びかけたのは、国威発揚による国民総動員体制で日本の力を世界へ見せつけるため。戦争のできる全体主義国家づくりの一環として五輪を利用し、国を挙げてシャカリキになっている。スポーツの相互理解や人間の尊厳を保つという五輪憲章とは相反するものなのです」(谷口源太郎氏=前出)
 そんなデタラメで薄汚い思惑にまみれた五輪だから、開催決定後も次々不祥事が露呈した。「世界一コンパクトな五輪」と売り込みながら予算は雪だるま式に増え、東京都、組織委、国が負担する総経費は3兆円に膨らむ勢い。招致段階の4倍増だ。新国立競技場の「ザハ案」の白紙撤回、旧エンブレムの盗作騒動も起きた。極め付きは、招致を巡るJOC(日本オリンピック委員会)・竹田恒和前会長の裏金疑惑だった。

 そして、ついに「札幌マラソン」に変更という恥辱。無理やり招致した帰結の自業自得である。

 1社150億円とされる巨額の協賛金を払った「ゴールドパートナー」や60億円以上の「オフィシャルパートナー」らスポンサーにはお気の毒だが、このドタバタに世界は失笑、日本国民はドッチラケだ。

■“自然災害大国”に五輪招致は間違いだった

 “やってるふり”の安倍は17日、台風19号の被災地である福島県と宮城県を視察。「特定非常災害」に指定したことを受け、「生活再建に向けた動きをしっかりと後押しする」などとアピールしていた。

 台風19号の死者は70人を超えた。行方不明者も10人以上いて、被害の全容もまだ見えていない。政府は被災者支援に予備費から7・1億円の支出を決めたが少なすぎる。被害は21都県に及ぶ。そんな“自然災害大国”で、五輪などやっている場合なのか。

 東日本大震災からの「復興五輪」も形だけ。そんな東日本はまた大水害なのである。地球温暖化の影響もあり、100年に1度のはずの災害が、1年に何度も襲ってくる。カネを掛けるべきは、国土の保全や国民の安全であり、五輪に3兆円も使うなら、もっと他に振り向ける先があるはずだ。国民はようやく、ペテン政権の正体に気付いたことだろう。

 呪われた東京五輪は世紀の失敗イベントとして記憶されることになる。その後の日本は暗転。沈没への道。そんな言い知れぬ不安が漂う。10月からの消費増税を前にした経済指標の悪化は、既にその兆候を見せ始めている。この国が、借金漬けと社会保障削減の目もあてられない悪循環へ陥る予感は日増しに強まっている。

 この国はもう持たないのではないか。五輪を待たずに、安倍政権も急速に色あせていくのだろう。

 法大名誉教授(政治学)の五十嵐仁氏が言う。

「やはり、東京五輪はやるべきじゃなかった、招致自体が間違いだった、という一言に尽きます。汚い裏金で勝ち取ってきた疑惑に加え、簡素でコンパクトもウソだった。競技会場は臨海部にとどまらなかっただけでなく、ついに北海道にまで広がったわけですからね。復興五輪も掛け声だけで、むしろ五輪準備のために被災地の資材を奪った。そんな偽りに満ちた五輪を無理をしてやろうとした結果、しっぺ返しを食らったのです」

 お祭りムードに乗せられるのはもうやめだ。


先生の働き方 まずは業務の削減から
2019年10月24日

 教員の勤務時間を年単位で調整することを可能にする法案が今国会で審議される。長時間労働が本当に改善されるのか、現場の疑念は強い。まずは教員が抱えすぎている業務の削減が必要だ。
 長時間労働が深刻となり、子どもの未来を育む仕事の魅力がかすんでしまっているのではないか。教員採用試験の競争倍率の低下や教員不足の現状を見るにつけ、懸念が膨らむ。
 国が働き方改革の一つの方向性として打ち出しているのが「変形労働時間制」だ。忙しい時期の勤務時間を延長した分、夏休みなどに休みをまとめ取りできるようにする。そう国は説明する。
 教職員給与特別措置法(給特法)を今国会で改正し、二〇二一年四月から自治体の判断で導入可能にすることを目指す。残業時間の上限を月四十五時間とする指針も法的に位置付ける。
 しかし教員からは夏休みも研修などがあってまとめ取りは難しいと批判の声が上がる。根底には国の方針で教員の仕事が増える一方だったことへの不信感がある。教える内容は増え、事務作業も煩雑となっている。業務削減の道筋を明確にすることが先決だ。
 小学校では長時間労働を是正できない根幹に学級担任制があり、中央教育審議会は高学年を教科担任制にすることなどを議論している。外部の人材が活躍しやすい免許制度も含め、早期の実現を目指すべきだ。
 中学校は部活だ。地域や外部指導員に助力を仰ぐとともに、生徒主体で改革の道筋を考えてみてはどうか。ラグビー強豪校の静岡聖光学院高校は、密度が濃い時短部活の実現に向け生徒が話し合う「部活動サミット」を開催している。公立中学校の参加や参加校以外の問いあわせもあり、練習日削減にもつながっているという。
 タイムカードなどによる在校時間の把握は四割にとどまる。実態把握が改革の第一歩であり、早急に全校で実施すべきだ。過労死した教員の遺族からは、外部の相談窓口の開設を求める声もある。神戸市の教員間のいじめなどから透ける学校の閉鎖性を考えれば、検討に値するのではないか。
 給特法が残業代を想定していないことが、学校が労働時間を管理してこなかった背景にはある。教員や、部活動指導員など支える人たちの増員には教育投資を手厚くしていく必要がある。疲弊した現場を救うため、国会には根本に踏み込んだ議論を望みたい。


姜尚中、神戸教諭いじめ事件で
「思い出される戦後文学『真空地帯』」
2019年10月23日:AERA

 政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。
*  *  *
 教諭4人が同僚に暴力や嫌がらせを繰り返す──。神戸市須磨区の東須磨小学校で、教員間暴力という一見すると信じがたい事件が起きました。事件の異常性、幼稚さ。一方でそれが教育現場で起きているということに、多くの人が驚きを隠せませんでした。

 現在も調査中でこの事件の全容はまだわかりませんが、報道されている情報を見ていると、思い出されるのは野間宏の戦後文学の金字塔的作品『真空地帯』です。『真空地帯』は、軍曹以下一兵卒たちが一緒に生活を共にする「内務班」を舞台にした小説です。この内務班のなかで、古参兵が一兵士をいたぶり、しごき、リンチまがいなことをする、いわゆる「かわいがり」のシーンがあります。『真空地帯』は半世紀以上前の文学ですが、どうも今回の小学校での事件を見ていると、一連の暴力や被害者の教師のプライバシーを全部奪い取るような所業が、この古参兵と一兵士に重なります。

 統制管理型の文部行政の最先端に位置している現在の学校は、人事採用、人脈、派閥、上下関係、こういう様々な問題が凝縮されています。学校の職員会議で一体みんな何を話していたのか。そこは自由な言論空間でなかったのか。学校の中で抑圧移譲が行われていたとしたら、まさに『真空地帯』の内務班そのものです。

 今後、閉鎖的な学校をオープンにするために民間出身の管理職を入れようという議論が起こるかもしれません。しかし、学校は株式会社とは違い、ガバナンスでは仕切れない場所です。今の民営自由化の流れでCEO型の管理職を増やしていくと、皮肉なことに学校はもっと管理強化に向かう可能性があります。

 加害者を叩くことやCEO型の管理職を増やすことだけでは問題は解決しないでしょう。求められているのは、いかにしてきめ細かく、チェック&バランスと見える化を図るか。たとえば人事採用ならどういう理由でこの人を採用したのか。その理由について可能な限り第三者に可視化できるようにしていく。今後は生徒の保護者も含め、こういうようなチェック&バランスで可視化を進めていくしかないと思っています。

※AERA 2019年10月28日号


(社説)
増える不登校 まず教室を風通し良く
2019年10月24日:朝日新聞

 昨年度、小中学校を30日以上欠席した児童・生徒の数は16万4千人を超え、98年度以降で最多となった。中学の場合、40人の学級に1人はいる計算だ。各校からの報告を文部科学省がまとめて、先日公表した。
 増えたのは「無理に登校する必要はない」との考えが浸透してきた結果でもあろう。2年前に教育機会確保法が施行され、民間のフリースクールなど、子どもの事情に応じた多様な学びの場を用意することの大切さが確認された。自治体も6割が公立の受け皿を設けている。
 一方で、本当は学校に行きたいのに行けない子がいるのも事実だ。子どもを遠ざけている原因を探り、取り除く。国や教育委員会、各学校現場にはその責務がある。それは学校を良くする糸口にもなるはずだ。
 不登校の理由(複数回答)は家庭の状況38%、いじめを除く友人関係28%、学業不振22%、教職員との関係、学校のきまり各3%などとなっている。
 少子化による学校の小規模化に悩む地域は多く、子どもが日常的に接する友だちや先生が固定化する傾向にある。そこでうまく人間関係を築けなかった子どもにとって、学校は息が詰まる場所になってしまう。
 学級、学年をこえた活動や交流行事を増やす。その学年を担当する全ての教員が、全ての生徒に目配りする「全員担任制」を試みる。そんな試みを重ねて、風通しのいい学校をつくることが求められる。
 解せないのは、同じ調査で「いじめ」が小中あわせて52万件を超え、やはり過去最多となったのに、不登校の理由では1%未満とされたことだ。学校側の認識が間違っている可能性はないか。子どもの側へのアプローチも定期的におこない、実態に迫る必要がある。
 「学業不振22%」という数字も、学校の存在意義にかかわる深刻な問題だ。休むと授業についていけなくなる。疎外感を抱き、さらに足が遠のく。この悪循環を断つには、欠席期間中も独自に勉強を続けられるようにする工夫が欠かせない。
 たとえば、校長の裁量でIT教材を使った自宅学習を出席扱いにできる制度があるが、昨年度の利用者は小中あわせて115人にとどまった。学校によって対応に差があるとの指摘もある。文科省は改めて趣旨の周知を図ってほしい。
 背景に貧困問題が隠れていることも多い。勉強の遅れを取り戻すにせよ、校外に学びの場を探すにせよ、家庭に経済的な余裕がないとなかなか思うようにならない。民間の無償の学習支援活動に助成するなど、格差を広げない施策の充実が必要だ。


筑駒生、大学入学共通テスト中止を訴える
「ぼくたちに入試を受けさせてください」
2019年10月25日:dot.

 大学入学共通テストの見直しを求める声が高まっている。

 この新入試制度で受験する高校生に、話を聞いてみた。筑波大学附属駒場高校2年の男子生徒である。彼は、9月に文部科学省前で行われた共通テスト中止を訴える抗議行動にも参加していた。

―――大学入学共通テストの根本的な問題点はどこにあると考えますか。

 入試制度改革の流れをみて感じたのは、試験本番の運営のことをなにも考えていないということです。どのような事務的手続きが必要なのか、いかなる不測の事態が起きるのかについて、まったく対応できていません。きちんと制度設計しているのでしょうか。50万人の受験生が同時に受ける試験なのに、試験内容、スケジュール、実施会場などの決め方が、行き当たりばったりです。入試政策うんぬん以前に、入試実施にあたっての運用能力に問題があります。最近でも、英検の申し込み期限が延期されました。はずかしくないのでしょうか。民間委託といいながら、民間ならばこんなことは通用せず、問題視される事態です。

―――英語民間試験の活用はどのあたりに問題がありますか。

 地方在住の受験生、ハンディキャップを持つ受験生に対して、大学受験の機会が平等に与えられていません。公平性が保たれていません。ぼくはこの問題で全国の高校生に独自調査をしました。地方の高校生は英語民間試験を受けるだけで交通費、宿泊費がかかってしまい、親にこんな負担はかけられないと憤っています。ハンディキャップについては、吃音の高校生にスピーキングの試験で長めの時間を設けるといった配慮があるのか、全然わかりません。それゆえ、心配しています。英語民間試験を受けるまでの手続き、試験の内容がまだ十分に明らかにされていない。中身が発表されても不備が多い入試制度です。都会の高校に通うぼくらにも詳しい情報が入ってこない。ぼくが通っている学校で「共通ID」が話題になったとき、「まだなにも決まっていないのか」「あまりにもずさんだ」という声が多くあがりました。

―――国語で導入される、記述式問題についてはどのように受け止めていますか。

 2017年に行われた大学入学共通テストのプレテスト(平成29年度試行調査「国語」)を見て驚きました。国語の問題で資料、課題文を読ませて、80~120字で記述させる設問があります。こんな条件がつけられています。

<一文目は「確かに」という書き出しで、具体的な根拠を二点挙げて、部活動の終了時間の延長を提案することに対する基本的な立場を示すこと。二文目は「しかし」という書き出しで、部活動の終了時間を延長するという提案がどのように判断される可能性があるか、具体的な根拠と併せて示すこと。(筆者注:課題文は、架空の学校の部活動について)>

 設問条件をガチガチに固めておいて、与えられた文章、資料から必要な情報、キーワードを抜き出せるように誘導して、採点するわけです。これのどこが思考力を問う問題なのでしょうか。文科省は資料を読み取り、読解力を試すと言っていますが、しょせん、ことばの抜き出しにすぎません。このプレテストを見て、ある国語教師は「全文を読まず、斜め読みでも解答できる」と指導しているぐらいです。センター試験の選択問題を記述式にしただけの問題であり、採点はこちらのほうがかえって難しくなります。

―――数学の記述式問題はどうでしょう。

 プレテストでは、数学的な処理について、書かせるものがありました(平成30年度試行調査「数学I・数学A」)。

<…………階段の傾斜をちょうど33°とするとき、蹴上げを18センチメートル以下にするためには、踏面をどのような範囲に設定すればよいか。踏面をxセンチメートルとして、xのとり得る値の範囲を求めるための不等式を、33°の三角比とxを用いて表せ。解答は解答欄(い)に記述せよ。>
 記述式では論理、思考力、表現力、数学的構築力が問われます。ここでは、与えられた日本語の条件をうまく数字のことば、数式に変換することが求められます。思考力、表現力は必要とされず、数式のパターン化を再現できれば正解になります。これも国語と同様、マークシート方式の試験問題と変わらず、解答欄が広くなっただけのこと。そして、採点がより困難になるでしょう。結局、国語も数学も記述で試すといっても、マークシートからマス目に変えただけの話で点数のつけ方が複雑化しただけのことです。これまでの入試の再生産にほかなりません。記述式導入にあたって「暗記重視から脱却して自由な思考を問います」と聞こえのいいことは言っているけれど、そもそも50万人分も採点できるのでしょうか。自由な発想を許す採点が保証されるのでしょうか。こうした試験で思考力を問えるのかという議論ができる人が、文科省にいないのはおかしな話です。

―――大学入試制度を変えることで日本の教育全体を良くしていく、という考え方があります。

 英語4技能重視によって、小中学校や高校の英語教育はそれに対応せざるを得なくなります。そういう意味では大きく変わることになります。しかし、そんなことを教育現場でできるのでしょうか。小中学校、高校で英語の先生がしっかり教えられるのでしょうか。英語の読み書き重視の風潮を変えたければ、大学入試からではなく、教育現場から変えるのがスジです。入試を変えれば、という考え方では、それに対応できない小中学校、高校の自己責任、先生が悪い、生徒がダメだと責められることになる。これはおかしな話です。教育を良くするという、崇高な理念を掲げるのはいい。そこには聞こえがいい印象的なことばが、たくさん並べられています。でも、これらは実務的な話とごっちゃに議論されてしまい、実際の運用ではうまく進んでいないのではないでしょうか。

―――教育理念、試験の手続き、試験の内容、それぞれ分けて議論すべきということですか。

 はい。いくら崇高な理念であっても実現できないことはたくさんあります。それぞれの段階、テーマできちんと話を詰めていかないとダメでしょう。実際、いま、ほころびがたくさん出ています。そのせいで、英語民間試験一つ取ってみても、高校2年生は混乱しています。文科省は、不安を理解しており払拭するようにつとめる、と言いますが、不安で片づけられてしまうのは困ります。そんな印象を振りまくのは、いい迷惑です。不安ではなく、不満なのですから。

―――大学入試はどうあるべきでしょうか。

 本来、入試は大学が入学してほしい学生を選抜するために考えるものです。それを国が見繕って第三者に作らせた試験で試そうとする。これは大学の受験生選抜の意志に反していませんか。入試の仕事じゃないものを入試にさせている。入試を入試ではないものにしています。思考力、表現力を身につけさせたいならば、アクティブラーニング、ディベートのような営みは教育現場で行えばいい。それをたかだか1、2時間の入試で思考力、表現力を試すとか、まして、これらを民間に委ねるとか、やり方は間違っています。

―――最後に文科省に訴えたいことをお願いします。

 ぼくたちに入試を受けさせてください。大学入学共通テスト。ひとことで言えばこれは入試ではありません。入試を入試じゃなくする制度です。構造的な欠陥を多く抱えています。荒唐無稽な制度はいますぐ中止して、見直すべきです。

(文=教育ジャーナリスト・小林哲夫)

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