蔓延する、陳腐な正義感

「在日特権を許さない会(在特会)」などという右派団体がヘイトスピーチを繰り返し、ネトウヨが脅迫まがいの書き込みをし、政治家がその動きをサポートするような時代となっている。
日本には、すでに「同情」という言葉はないかのような、冷淡な社会になっている。その基調は「アベノミクス」という、「弱者に厳しく、強者に優しい」政治に端的に示されている。
「他人の得」を不平等と言って、珍妙な正義感を振りかざす人びとが増殖し、カレラは自らの陳腐さを自覚することもない。
このような状況は、ほぼ全体主義社会の様相だ。すでにこの国は、先進国でも、民主主義国家でもない。しかも国民の多くが「いいじゃん日本!」という洗脳状態で反省することがない。
世界の多くの国の人びとは、「だめじゃん日本!」と見ていることを理解しなくてはならない。


「他人の得が許せない」人々が増加中
 心に潜む「苦しみ」を読み解く
2019年10月15日:AERA

 自分が不利益を受けるわけではなくても、他人の利益を不快に感じる。そんな人たちが少なからずいる。極端な不寛容さは一体どこから来るのか。技術の進歩が生んだ現代人特有の心情だとの指摘もある。AERA 2019年10月14日号に掲載された記事を紹介する。

*  *  *

 今春、定食チェーンの「やよい軒」が、無料だったご飯のおかわりを試験的に有料にするというニュースが流れた。運営会社は、おかわりをしない客から「不公平だ」という指摘があったと説明した。夏の参院選でれいわ新選組から車いすの議員2人が当選し、国会が改修されたというニュースには、ネット上などで「自己負担でやるべきだ」「我々の税金を使うな」といった反発がわき起こった。

 どちらも、批判する人自身が、何らかの負担を強いられたわけではない。ただ、自分以外の人が利益を受けているのが不快という感情。「他人の得が許せない」人が増えている。

●出席せずにいい成績「それ、ずるくないですか」

 都内の女子大に勤める男性准教授(44)は、一昨年に経験した学生とのやり取りが今も忘れられない。9月中旬、ため息を大きくついた後、筆者にこうはき出した。

「本当にあきれかえるしかありませんでしたよ。付き合うのも面倒だから、叱ったりしませんでしたけど。あぜんとするっていうのは、こういうことなんだと思い知らされましたね」

 新年度が始まったばかりの4月。近付いてきた1人の学生が突然訴えた。

「先生、お願いがあるんですけど」

 学生が切り出したのは、准教授が授業で出欠を取っていないことについての申し入れだった。出欠を取ってほしいのだという。

 最近の大学生の傾向だろうか。授業にはほとんどの学生が出席していた。准教授は、そんな状況で出欠を取ってもほぼ全員に等しく加点されるだけで意味がないと感じていた。そのため、その学生には必要に応じて授業の理解度を試す「レスポンス・ペーパー」を配って、内容次第で加点することを提案してみた。
 申し入れが成績の評価に関する不満だと感じたため、配慮したうえでの提案だった。ただ、学生は予想と違う反応を示した。

「それはやめてもらえませんか」

 出来の良い学生がいい点を取ることになるから、自分にメリットはないと感じたようだ。さらによく話を聞くと、本心とみられる言葉も出てきた。

「授業に出てこないのにテストで良い点を取って、いい成績を取る子がいるんです。ずるくないですか?」

 体中の力が抜ける思いがした。そんな発想をするのか、と。

「そういう学生が仮にいたとしても、事情があって授業に出られないだけかもしれないでしょう。ずるをしているのではなく、損をしながら頑張っているのかもしれないよ」

 准教授はこう諭してみたが、学生には伝わらなかった。それどころか、「出欠を取るのは当たり前だ」と、食い下がってくる。最後は納得しないまま、学生は立ち去った。

 心理カウンセラーで「インサイト・カウンセリング」(東京都)代表の大嶋信頼さんによると、相談に訪れる人の多くは「他人の得が絶対に許せない」「いつも自分が損ばかりしている」という気分になっているという。そんな気持ちに苦しむ人たちが、この社会にあふれ返っているようだ。

 大嶋さんは特に、そういう人たちが他者に攻撃的な言動をとってしまうケースは「『ルサンチマン』という言葉で説明がつく」という。

 ルサンチマンとは、「強者に対する弱者のねたみや恨み」という意味だ。准教授が経験した例では、授業をきちんと受けながらも成績が心配される学生が弱者で、授業を受けなくても成績が良い方が強者と言えるだろう。大嶋さんは「多くのケースで、『弱者がすることは正しい』と思い込んでしまう傾向があります」とも指摘する。

●子ども使ってスターと写真、母にも子にも腹が立つ

「あの人がずるい」。そんな感情から、楽しいはずの思い出を素直にそう振り返ることができなくなってしまった東京都内の女性(45)も9月、話を聞かせてくれた。
 6年前の東京・六本木ヒルズ。女性が大ファンだった俳優のブラッド・ピットと、交際相手(当時)のアンジェリーナ・ジョリーが映画の宣伝で来日し、レッドカーペットを歩いた。そのイベントの抽選に当たった女性は、高校時代の友人と一緒に出かけた。

 400人超のファンでごった返す会場。ブラピとアンジーの2人は、レッドカーペットの上でやや距離を置きながら別々にファンの声援に応え、写真撮影に応じたり、差し出される色紙にサインを書いたりしていた。

 優雅な2人の姿とは対照的に、ファンの争いは熾烈だった。警備員はいたが、他人を押しのけてでも前に出てこようとする人たちばかり。女性も、その一人だったかもしれない。

 その中に、小学校低学年ほどの子どもを連れた母親がいた。その母親が子どもに色紙を持たせてアンジーに向かうように指示しているのが分かった。

「慈善活動に熱心で気持ちの優しいアンジーなら、子どもに食いつくだろうと思ったんじゃないですか」

 実際、アンジーはその子どもにサインを書き、いつの間にか近づいていた母親も含めてスリーショットでの記念撮影にも応じた。女性にとってはそれが、思い出したくないほど腹立たしい光景だったのだ。

 女性は夫と都心で2人暮らし。普段、家の外で見かける他人の子どもは、騒がしかったり、うっとうしかったりする存在でしかなかった。

「だから余計に腹が立ったのだと思います。母親にも子どもにも」

 こうした感情はどこから起きてくるのだろうか。前出の大嶋さんは、「優劣の錯覚」や「間違った平等意識」を原因に挙げた。

「他人との関係で自分が常に『上』で、相手が『下』だと信じて疑わない人は、『下』の人間が自分より得をしている場面に出くわすと発作を起こすように攻撃的な感情を抱いてしまうことがあります。平等意識も同じ構図です。みんな平等だと思っているかもしれませんが、この世の中で何から何まで全員が平等なんてあり得ないですよね」
 宗教家はどうみるのか。浄土真宗本願寺派の研究機関、宗学院(京都府)の西塔公崇研究員(45)=富山県・金乗坊副住職=はこう話す。

「仏教の世界で言う『苦しみ』とは、自分の思い通りにならないときに抱く苦しい感情のことです。まさに、前出の大学生やレッドカーペットイベントの女性が抱いた精神的な苦しみが、当てはまるでしょう」

 なぜそのような苦しみを感じるのか。

「自分中心の心があるからだと思います。自分にとって好ましいことばかりを追い求め、都合の悪いものに対しては拒絶するだけでなく、時には腹を立てます。そうすると、自分の都合でしか物事を見ていないから、結果的に物事の本当の姿が見えなくなるという事態を招いてしまいます」

 また、宗教家の立場からこうも指摘する。

「宗教には、ある超越的な存在と出会うことによって自己の有限性を知り、自己を相対化させる機能があります。ところが、宗教が弱体化している現代において、人間は自己絶対化の度合いを増します。さらに、テクノロジーの進化でこれまで制御できなかったものを人間が制御し始めると、人間の絶対化は進みます」

 技術の進歩で得た万能感が「自分中心の心」を生み、かえって人間を苦しめているのだ。

●怒りにまかせた言葉の暴力、同僚は職場を追われた

 東京都に住む専業主婦の女性(32)も、西塔さんが指摘する「物事の本質が見えなくなってしまった」一人かもしれない。自分の思い通りにいかないことから、過剰に人間関係を閉ざした状態が続いている。

 女性は、街コンで知り合った夫と4年前に結婚した。夫は清潔そうな印象で、最初から好感を持てた。20代で結婚し、多くの人から祝福を受けた。

 結婚から半年ほどたって、1通のLINEが入った。それほど仲が良かったわけではないが、高校時代に吹奏楽部で一緒だった同級生からの久しぶりの連絡だった。

「今度、結婚することになりました。式に来てもらえますか?」

 こんな趣旨の連絡だった。別の同級生にも同じように式への案内が来ていて、「私1人では行けない」と言われたため、仕方なく参列した。新婦との交流の再開はその後、何年も心をかき乱され続けるきっかけとなった。
 あるころ、頻繁にLINEがくるようになった。

「お茶しませんか」

「少し話したいことがあるんだけど」

 当時は仕事をしていたため、多忙を理由に断っていた。だけど、直感はあった。子どもができたに違いない。さらに半年ほどたって、その直感が当たっていたことを人づてに知った。

「自分の方が先に結婚して、こんなに子どもを欲しがっているのに、『なんで後から結婚したあの子が授かったのか』ってずっと思っています」

 他人の子どもの話題が苦しくなった。子どもの話題を目にしないよう、SNSは一切やめた。LINEも本当に親しい家族や友人だけとの連絡手段としてのみ使うなど、他人との意図しない接触を避け続けている。

 女性はいま、不妊治療を受けている。まだ32歳。にもかかわらず、本人は「順調にいかなかった」との思いを強めている。

「他人の幸せがつらい。同級生に子どもができた件は、仲が良かったわけでもないけど知らないわけではないという中途半端な関係だからこそ、心がかき乱されました」

 前出の大嶋さんは、自分の中で苦しむだけでなく、発作的に他人に攻撃的になるなど、直接言動に表れてしまうケースで特に注意を呼びかけている。「破壊的人格は、人間関係もチャンスも壊す」(大嶋さん)からだ。

 都内の女性(35)は2年ほど前、給食の調理室で一緒に働いていた50代の女性が、職を失う場面を見た。

「彼女はとにかく新しく入ってきた若い人を片っ端からいじめていました。退職に追い込むまで。10人くらい辞めていったと思いますよ」

 いじめは、言葉による過剰な攻撃だった。どんなささいなことでも厳しい口調で責め立てた。

「リンゴのカットの仕方が悪い」

「掃除もろくにできないのか」

「だからあんたは結婚できない」

 自身はなぜかいじめの対象にならなかったが、ある日、どうしてそんな振る舞いをするのか聞いてみたところ、こんな答えが返ってきた。

「若い人はどこでも就職できるのがねたましいし、腹が立つ。私なんかはもうどこにも行くところがない」

 この女性は、職場でのいくつものいじめの行為が会社に認定され、職場を追われたという。(編集部・小田健司)

※AERA 2019年10月14日号


台東区
“避難所ホームレス排除”に賛同する
差別的主張が…
ウーマン村本は
「納税での選別」思想を真っ向批判
2019年10月15日:LITERA

 台風19号により全国各地で避難指示・避難勧告が出されたが、そんななか東京都台東区が、避難所でホームレスの受け入れを拒否するという信じがたい対応をとり、問題になっている。
 これは、路上生活者支援などをおこなう団体「あじいる」が、10月12日にツイッター、ホームページなどで報告し明らかになったものだ。「あじいる」のホームページによれば、上野駅や東京文化会館周辺で野宿者たちに食料やタオルを提供するとともに、台東区が設けていた自主避難所への避難を呼びかけていたところ、ひとりの男性が「その小学校に行ったけど、自分は●●に住民票があるから断られた」と消沈した様子で話したのだという。
 区の告知には住民票のことなど書かれておらず、驚いた「あじいる」スタッフが避難所に行き確認したところ、現場にいた区の職員は「住所の無い人は利用させないようにという命令」を受けていた。さらにその場で、台東区長が本部長となる台東区災害対策本部にも問い合わせたところ、「台東区として、ホームレスの避難所利用は断るという決定がなされている」という返答があったという。
「あじいる」スタッフは、ツイッターでも、こうした台東区の対応について〈事実上、台東区の災害対策は、ホームレスを排除しています。〉と批判した。
 実際、台東区の対応はまさに指摘の通りだった。避難所では名前・住所の記入を求め区内に住民票がないと答えたホームレスに対し「区民が対象」とし、受け入れを拒否。「区民が対象だから」とする一方で台東区は、区民ではない帰宅困難者や外国人旅行者向けの一時滞在施設も複数設けていたが、ホームレスの人たちをそちらへ案内することもしなかったという。
 しかも受け入れを拒否された79歳の男性が、「Buzz Feed」の取材に明かしたところによれば、一時滞在施設となっていた東京文化会館の入り口付近の壁に囲まれた場所に避難していると「ここは避難場所の入り口なのでここにはいないで下さい」と、施設付近から強制的に排除されたのだという。
 台東区は「差別ではなく、住所不定者をどうするかとの観点が抜けていた」などと釈明しているが、旅行者や帰宅困難者との対応の差を見れば「区の住民票の有無」など建前にすぎない。そもそも台東区には山谷もあり、ホームレスの存在が抜け落ちていたなどという言い訳は明らかにごまかしだ。
 台東区は、明らかにホームレスを差別し、排除したのだ。命の危険に関わる緊急事態のさなかに、ホームレスであることを理由に避難所から排除するというのは憲法25条で保障されている生存権の侵害であり、命の選別という究極の差別だ。到底許されるものではない。
 しかもこの差別方針は、混乱した現場担当者の偶発的不手際などではなく、区としてあらかじめ正式に決定していたもので、確信犯だ。「あじいる」スタッフの告発を受け、台風がまさに接近中だった12日に多くの人が抗議の声をあげたが、台東区がそのホームレス排除の方針を変更することはなかった。

台東区へのグロテスクな賛同であふれかえったヤフコメ欄

 すべての人命を守るべき行政により公然と命が選別された。それだけでも深刻な事態だが、さらに暗澹とさせられるのは、この台東区の対応を擁護・支持する声がネットにあふれていることだ。
 たとえば、この経緯を報じたニュースのヤフコメ欄にはこんなコメントが並んでいる。
〈もし自分が避難所に避難して、狭か限られたスペースの中、横に路上生活者の人が来たらすごく嫌だし、安心して眠れない。〉
〈現実問題として避難所内でも事故や事件が発生します。偏見や差別ではないと思っていますが、身元が不確かな方がいると、やはりハイリスクと考えざるをえません。〉
〈なんだかんだ言っても、周りに路上生活者の人がいると安全面、衛生面、精神面で不安が生じると思います。
役所の人は避難している住民の方の気持ちを代弁してくれた、というように感じました。
普段は国民の3大義務を放棄しているのに、有事には権利を主張することに違和感を覚えます。よって私は区役所の方の行為に賛成します。〉
〈受け入れのキャパシティの問題があるのなら義務(就労、納税)を果たしている人を優先するのは仕方ないのでは?
税金を払ってるのに払ってない人のせいで行政の支援を受けれない方が問題だと思う〉
〈実際は身元もはっきりしない浮浪者を地域住民と一緒に収容するのは防犯上も問題があると思う。衛生面においても。〉
〈非情な意見だが住民登録があり、きちんと税金を払っている人が優先的に避難所を利用できる様にすべきであり、権利があると思う。
人命も大事だと思うが、人命という大義名分がまかり通るならホームレスで避難があふれる。
ちゃんと税金も納め、頑張っている人が利用出来ずにバカを見る世の中にはなって欲しくない。〉
 念のために言っておくが、これはひどい意見をわざわざ選んでいるわけではない。台東区の対応を批判する声はほとんどなく、「受け入れ拒否は当然」と、むしろホームレスの人や支援団体のほうを非難する声ばかり。
 ここは本当に近代民主主義国家なのだろうか。「ホームレスの人がいると衛生や防犯が心配」などという剥き出しの差別心を公の場で発露することになんの躊躇もない人間がこんなにたくさんいるとは、近代民主主義国家どころか差別大国としか言いようがない。

ウーマン村本「税金は払える人が払えばいい。
誰であっても見捨ててはいけない」

 こうした差別心を正当化しているのが、「税金を払っていないから当然」というトンデモ論理だ。
 基本的人権というのは、税金を納めた人にだけ与えられる特権などではなく、納めている税金の多寡や就労の如何にかかわらず、すべての人に保障されているものである。公共サービスを受けることは納税の対価ではない。ましてや、今回は史上最大級の台風が直撃し人命に関わる事態だ。税金の多寡つまりは収入の多寡によって、命の選別がなされていいわけがない。たとえば、避難所のキャパシティに限りがあるからといって、納税額や収入の高い者から順番に受け入れ、収入の低い者は切り捨てられると言われて、納得できる人などいるのだろうか。
 税金を払っていないホームレスに避難所を使わせる必要はないというこうした意見に対して、ウーマンラッシューアワーの村本大輔がこんな正論をツイートしていた。
〈ホームレスを区が受け入れないのは税金を払ってないからというツイートをみた。おれは高い税金を払ってる。それは税金を払えない人の分も負担させてもらってる。だから社会ってのは税金を払ってない人もいていい場所。税金は払える人が払えばいい。社会は誰であっても1人も見捨ててはいけない。〉
〈税金を払えない人たち、その身内が心苦しくなるような空気を作るな。アホ。〉
〈このツイートでおれのことを偽善者というやつがいる。偽善綺麗事は余裕あるやつが言えばいい。言えないやつは余裕ができてからでいい。お金、心、余裕があるやつが配ればいい。ないやつは出来た時に配ればいい。誰も悪くない〉
〈生まれたときから障害を持って親に捨てられてホームレスになった人もいる。彼は死んでいいのか?おまえもおれもいま稼いで税金払ってるのはたまたまな。明日交通事故にあって動けなくなって社会が見放したときに何を思う。色んな人がいる。もちろんおまえみたいな考えも。それはそれでいい。〉

排除はホームレスだけじゃない!
日本の避難所は海外に比べあまりに劣悪

 国民の命と安全を守ることは近代国家の最低限の責務だ。税金を納めた者だけが享受できる特権ではない。しかし、現実にはこうした正論は全く届かず、税金を払っていないというだけで攻撃され、被災したホームレスや貧困者が行政から見殺しにされても自業自得、そんな差別思想がまかり通るようになった。
 いや、排除されているのは、ホームレスだけではない。この国では、被災者全体が十分な保護や保障を受けられられず、放置されている。
 たとえば、ホームレスが排除されたその避難所一つとってもそうだ。日本人は体育館でお風呂も入れずプライバシーもなく雑魚寝状態で寝泊まりすることを当たり前のように受け入れているが、国際基準で考えれば、こんな避難所しか用意されていないということ自体、ありえない。
 弁護士の大前治氏は「現代ビジネス」で、日本の避難所の生活環境が、海外の避難所にくらべて、かなり劣悪であることを指摘している。
〈日本と同じ地震国であるイタリアでは、国の官庁である「市民保護局」が避難所の設営や生活支援を主導する。2009年4月のイタリア中部ラクイラ地震では、約63,000人が家を失った。これに対し、初動48時間以内に6人用のテント約3000張(18,000人分)が設置され、最終的には同テント約6000張(36,000人分)が行きわたった。
このテントは約10畳の広さで、電化されてエアコン付きである。各地にテント村が形成され、バス・トイレのコンテナも設置される。
ただし、テントに避難したのは約28,000人であり、それより多い約34,000人がホテルでの避難を指示された。もちろん公費による宿泊である。
(「現代ビジネス」2018年7月10日)
 これはイタリアだけが特別被災者にやさしいというわけではなく、日本の避難所が国際基準以下、難民キャンプ以下なのだという。
〈災害や紛争時の避難所について国際赤十字が提唱する最低基準(スフィア基準)は、次のように定めている。
・世帯ごとに十分に覆いのある生活空間を確保する
・1人あたり3.5平方メートルの広さで、覆いのある空間を確保する
・最適な快適温度、換気と保護を提供する
・トイレは20人に1つ以上。男女別で使えること
 これは貧困地域や紛争地域にも適用される最低基準である。経済力の豊かな日本で、この基準を遵守できないとは思われないが、実際には程遠い。〉(「現代ビジネス」2018年7月10日)

小泉政権で始まった自己責任論は
安倍政権で自然災害被害者にまで広がった

 なぜ、日本ではこのような劣悪な環境が当たり前のように放置されているのか。そして、その劣悪な避難所にすら、「税金を納めている人間以外入れるな」というグロテスクな考え方が広がっているのか。
 背景にあるのは、明らかに小泉首相から始まり、安倍政権で拍車がかかっている新自由主義政策、そしてその政策が生み出した弱肉強食的な価値観と自己責任論だ。
 自由競争を野放しにして格差、貧困を広げる一方で社会保障を「自己責任」として切り捨てるこの方針は十数年で、様々な制度に反映され、国家が公的責任を逃れ、個人にすべての責任を押しつける傾向を助長させてきた。
 しかも、安倍政権はさらにそれをエスカレートさせ、生活保護受給者やホームレスだけでなく、自然災害の被災者にまで、自己責任を押し付けるようになっている。
 たとえば、昨年3月に内閣府防災担当が出した「避難勧告等に関するガイドライン改定」の冒頭に〈「自らの命は自らが守る」意識の徹底〉が謳われている。警報を出すが、出したあとは、自己責任でやってくれ、ということだ。
 また先月、福島県議会が、東日本大震災・福島原発事故での自主避難者に無償提供していた国家公務員宿舎からの退去を求め提訴する議案を可決したが、被災者をまるで“不法占拠者”のように扱うこの措置の背景にも政府・財務省の意向があったことがわかっている。
 これはおそらく、安倍首相の思想、体質がもろに反映されたものだろう。本サイトでも繰り返し指摘しているが、安倍首相は、大災害が起きても、平気でお友達と会食をしたり、ネトウヨネット番組に出演したりという、被災者をないがしろにする行動を繰り返してきた。そして、先の台風15号では関係閣僚会議も開かず、総理指示も出さず被害を拡大させ、今回の台風19号でも、13日夕方、まだ被害が拡大し、救出作業が続いているのに、とっとと私邸に帰り、ラグビー観戦。日本代表の勝利に大はしゃぎして、〈台風で大きな被害を受けた被災者の皆さんにとっても元気と勇気を与えてくれる〉などと、台風被害を過去のもの扱いするツイートを投稿した。
 何度批判されても迅速な災害対応がとれず、相変わらずこういう態度を続けているというのは、安倍首相自身が「自然災害も自己責任なのになんで国が面倒を見なきゃいけないのか」と考えているからだ。
政権に乗せられた被災者、ホームレスへの攻撃は国民自身に返ってくる
 そして、こうした安倍首相の姿勢はその支持者に広く行きわたっている。今回の台風についても、安倍首相の支持者たちは、おそらく心の中でこう考えているはずだ。災害に耐えうる建物に住まないのが悪い。災害インフラの弱い地方に住んでいるのが悪い。ハザードマップを見れば危ないところだってわかるのにそんなことも調べずに住むのが悪い。引っ越さないのが悪い。
 誰もが都心の安全な場所の頑丈な建物に住むお金があるわけではない、ということも理解せず、「そのお金がないのは、本人の自己責任」「被災して生活が立ちゆかなくなるような資産形成しかしてこなかったバカや怠け者のために、なぜ税金を使わなければいけないのか」。それが彼らの本音なのだ
 だからこそ、台東区の避難所からのホームレス排除を「税金を納めていないのだから当然」などという声があんなに大量に湧き上がってくるのである。連中にとって、自助で生活を再建することのできない被災者は、“たかり”でしかないのだ。
 これはもちろん、安倍首相自身もそうだろう。安倍首相は今日の国会でホームレス排除についても問われたが、「各避難所では、避難した全ての被災者を適切に受け入れることが望ましい」などと建前的なことを、しかも「望ましい」という他人事な表現で口にしただけだった。
 こうした思想を持つ総理大臣が支配している以上、今後も「税金を納めていない人間」の排除はどんどん進むだろうし、避難所の生活環境が改善されることもありえない。それどころか、もし避難所の改善を訴えようものなら、「何を贅沢を言っているのか」と炎上し、避難生活を送る人たちに「普段の生活よりいい生活しやがって」「焼け太り」「税金泥棒」などの罵詈雑言が浴びせられることになるだろう。
 しかし、政権や富裕層にとって都合がいいだけのこんな詐術に乗せられて、弱者に刃を向け続けた結果、いったい何が起きるのか、国民はわかっているのだろうか。有名なニーメラーの警句ではないが、ホームレスを「自己責任」と断罪し「くさい」だの「怖い」だの差別心丸出しで攻撃している者も、次に災害が起きたときに切り捨てられるのは自分かもしれないことを肝に銘じておいたほうがいい。
(編集部)


ホームレスの被災者を避難所が拒否、
SNSでは賛否 台風19号「ハギビス」
2019年10月15日:ニューズウィーク


大型で強い台風19号「ハギビス」が日本を通過中、東京都台東区の避難所がホームレスの被災者2人の受け入れを拒否していたことが明らかになった。この件について安倍晋三首相は15日朝、「各避難所は避難した全ての被災者を適切に受け入れることが望ましい」と述べた。
台風19号は12日から13日にかけて日本列島を縦断した。NHKによると、15日午後6時までに67人の死亡が確認されている。12日夜には、台東区の避難所が住所不定の男性2人に対し、受け入れを拒否したという。
この件は日本国内で大きな議論を呼んでいるが、全員がホームレスの被災者に同情的ではないようだ。
避難所で起きたこと
台風19号が接近中の12日朝、住所不定の男性(64歳)が避難所として開放されていた台東区内の小学校へ向かった。

台東区には山谷という歴史的に労働者の多い地域がある。労働者の多くはホームレスだ。
朝日新聞が取材した同区の職員によると、この男性は避難所に到着した際、住所と名前を書くよう求められた。住所がないと男性が伝えると、「区民対象です」と受け入れを断られたという。
男性は、「『北海道に住所がある』と説明したところ、『都民のための避難所です』と断られた」と話している。

台風19号が通過した後の神奈川県川崎市

この男性はこの晩、建物の軒下でビニール傘を広げて過ごしたという。
「風が強く雨も降っていた。受け入れてもらいたかった」
またこの日の午後には、別のホームレスの男性も避難所に受け入れを断られた。

同情的ではない意見も

受け入れ拒否のニュースはソーシャルメディアで広がり、避難所の決定に多くの人が怒りの声を上げた。
あるツイッターユーザーは、「これが、東京でオリンピックをする国なのでしょうか?」と疑問を投げかけ、外国人から最低の国だと思われるだろうとツイートした。 
また、山谷で炊き出しなどを行っている山谷労働者福祉会館は、12日夜に急きょ、避難所として施設を開放した。
一方、ホームレスの人たちに同情的ではない意見もあり、「くさくて」「精神疾患のある」ホームレスの人たちには別の避難所を用意するべきだという声もあがった。
他にも、「権利を主張するなら義務は果たして」、「隣ですっごい異臭する人と寝れるのかな」などのツイートもあった。
安倍首相は15日午前の参議院予算委員会でこの件について質問を受け、「避難所は、災害発生後に被災者の生命身体などを保護するために、被災者が一時的に生活を送るために、設置されたものであり、各避難所では避難したすべての被災者を適切に受け入れることが望ましい。関係自治体に事実関係を確認し、適切に対応していく」と述べた。
台東区は、今後、手続きを見直し、住所不定者をどう援助できるかを検討するとしている。

日本にホームレスの人はどれくらいいるのか

今年1月の厚生労働省調査によると、日本全国には現在、住所不定者が4555人いる。うち4253人が男性、171人が女性と判明している。
全体では、前年度から8.5%(422人)少ないという。
都道府県別に見ると、最も多いのが東京都の1126人。これに大阪府(1064人)、神奈川県(899人)が続く。
また、同じ時期に行われた東京都の調査では、都内で最もホームレスの人が多いのは新宿区の117人だった。これは前年度に比べ7人少ない。
今回の件があった台東区は都内で2番目に住所不定者が多いが、前年度より69人少ない61人だった。

<分析>目に見えるリバタリアンな風潮 ―
―加藤祐子、BBCニュース(東京)

東京都が今年1月の調査で数えたホームレスの人数は1126人で、そのほとんどは公園や道路や河川沿いに生活しているという。
その他の都民と日常的に接触する機会はあまりないかもしれないが、台風19号によって、誰もがその存在を意識することになった。
豪雨と強風に東京がさらされた12日の夜、台東区の避難所がホームレスの人を受け入れなかったという情報が、ツイッターなどで広まった。
とんでもないことだと、いきりたつ人が大勢いた。その一方で、避難所内の衛生面を心配する人たちがいた。ホームレスの人の精神状態が気になる人たちもいた。
ホームレスの人と避難所で一緒に過ごすのは、ただひたすら怖いという人たちもいた。
ツイッターなどソーシャルメディアでは、近年の日本の世論で目を引くようになったリバタリアン主義の風潮、特に自助努力を重視する風潮が今回もあらわになった。ホームレスは税金を払わないから、避難所など行政が用意する公的支援の恩恵を受ける資格がないという意見だ。
これにはツイッターでも大勢が反発した。まっとうな人としての思いやりはもちろんのこと、実際的にも。ホームレスの人も、何かを買えば消費税を払っているのだからと。
(英語記事 Homeless men denied shelter in Japanese typhoon)


台風19号被害拡大
災害頻発列島で疑問だらけの対策対応
2019年10月15日:日刊ゲンダイ

「命を守れ」と連呼しながら、
肝心の情報は自治体のHPに丸投げしたテレビの限界
 8月の九州北部の大雨や、関東地方を襲った9月の台風15号をはるかにしのぐ記録的な豪雨と暴風で大惨事をもたらした台風19号。国交省や総務省消防庁によると、宮城や福島、長野など、少なくとも37の河川で52カ所の堤防が決壊。水害の影響などで、これまでに11県で計56人の死亡が確認された。消防庁によると、7県の計約76万人に避難指示が続き、計約3万8000人が避難所に。行方不明者は16人で、警察や消防が捜索を続けている。

 頻発する大災害はまるで何かに呪われているようだが、気象庁は今回、台風19号が日本列島を直撃する3日も前に異例の会見を開き、国民に注意を呼び掛けた。

 にもかかわらず、なぜ、悲劇を防げなかったのか。ささやかれているのは、テレビ報道の限界だ。

「命を守るための行動をしてください」。気象庁やNHK、民放アナが繰り返し使ったフレーズだが、違和感や戸惑いを覚えた国民は少なくなかっただろう。「自己責任」を迫られているような突き放した物言いに加え、具体的にどう行動すればいいのかが、よく分からなかったからだ。
 画面上でも「避難指示」や「避難勧告」「避難準備の指示」が出た自治体名が示されたり、読み上げられたりしたが、それ以上の説明はなし。結局、自治体のHPで詳細な情報を確認しなければならなかった。

 地震や津波、豪雨などの防災情報はふだん、スマホアプリを利用しているというITジャーナリストの井上トシユキ氏はこう言う。

「『命を守るための行動』と連呼されても、ヘルメットをかぶれと言われているのか、すぐに逃げろと言われているのか分からない。次の行動につながるような具体的な情報が欲しかったと思います」

 今回の台風でも、刻々と変化する浸水被害の状況を伝えたり、消防や自衛隊に救助を求めたりするのは、SNSなどネットの方が圧倒的に早かった。

 気象庁や消防が発表する情報を右から左に垂れ流すだけの災害報道はすでに時代遅れ。テレビでは「命は守れない」ことを国民も学んだに違いない。

危機だけは伝わった気象庁の警戒呼び掛けは役立ったのか

「国民の皆さま、被災地の皆さまに早めの対策をお願いします。自分の大切な人、地域や近隣の人で避難が1人で難しい人にも、適切な台風の備えができるよう気を配っていただければ」


 日本列島に上陸すると予想された12日から3日も前に会見を開き、異例の呼び掛けを行った気象庁。その後も会見を開き、河川の氾濫や土砂崩落の危険性について警鐘乱打し、12日午後には、1都6県の一部に「大雨特別警報」を発表した。かつて経験したことがない超大型台風の襲来という危機感だけはヒシヒシと伝わってきたが、結果的に大きな犠牲が出てしまったことから、「悲痛な叫び」とも言える気象庁の呼び掛けが必ずしも役立ったとは言い難いだろう。政治評論家の森田実氏は「国や国会議員に災害の備えに対する真剣味が足りないため、危機を訴える気象庁だけが際立った面はある」と言い、こう続ける。

「最近の傾向でみられるのは、国や都道府県が市町村の現場に防災業務を丸投げし、災害に対して傍観者になっていることです。千葉県でも問題視されましたが、職員が本気で現場の状況を把握しようとしない。丸投げされた自治体も怠慢なのです。これでは気象庁からの情報がうまく届かないのも無理はないでしょう。その上、今、国民生活に最も密着しているはずの市町村職員の数は減る一方です。地方自治体行政の現場が急速に劣化していることも、台風被害を防げなかった背景にあるでしょう」
 総務省によると、全国の地方公務員数は18年4月現在、約273万7000人で、94年のピーク時から55万人も減った。全国では高度成長期以降に整備された道路や橋、トンネル、河川などのインフラが老朽化を迎えるため、対策は待ったなしだが、自治体現場では対応しきれないのが現状だ。

 行政の劣化が台風被害の拡大を招くのだ。

嵐が過ぎ去ってから動き出した安倍官邸の「やっているふり」

「3万人を超す方が避難生活を続ける中、被災者へのきめ細やかな支援は急務だ」。14日、官邸で開かれた台風19号の被害に関する非常災害対策本部の会合で、安倍首相は各省庁横断の被災者生活支援チームの設置を表明。菅官房長官は警察や消防、自衛隊など計11万人超の態勢で対応していると説明したほか、河野防衛相も災害対応の長期化に備え、即応予備自衛官らを最大1000人規模で招集する考えを明らかにした。

 政府が一丸となって復旧に取り組んでいるように見えるが全く違う。例によって、いつもの「やっているふり」だ。

 政府は台風19号被害に備え、11日に関係閣僚会議を開いたものの、日本列島を直撃した12日は夕方に「総理指示」を出しただけ。非常災害対策本部の設置は翌13日夕方になってからだ。今回、気象庁は1200人以上が犠牲になった1958年の狩野川台風に匹敵する恐れがあるとして、最大級の警戒を呼び掛けていたが、今年5月に公表された中央防災会議の「防災基本計画」(風水害)にはこうある。
〈内閣総理大臣は、被害の最小化を図るため、(略)予想される災害の事態及びこれに対してとるべき措置について周知させる措置をとるものとする〉

 つまり、安倍は一刻も早く警戒態勢を取るべきだったのに何もせず、被害そっちのけでラグビーW杯の日本チームの勝利に大はしゃぎ。ツイッターで〈勝利を諦めないラグビー日本代表の皆さんの勇姿は台風で大きな被害を受けた被災者の皆さんにとっても元気と勇気を与えてくれるものだと思います〉などとノンキに投稿していたから呆れる。

 自民党の二階幹事長も13日に開いた党本部の緊急役員会で「予測に比べると、(被害は)まずまずに収まった感じ」なんて言っていたが、浸水被害で家財を失い、不自由な避難所生活を余儀なくされた被災者が聞いたら怒り心頭に違いない。前出の森田実氏がこう言う。

「自然災害への対応、国民生活を守るのは政府、行政の最大のテーマです。それなのに真剣味が全く感じられないし、現場に入って汗をかいている政治家の姿も見えない。おそるべき政治の劣化です」

 このまま安倍政権が続けば国民生活はズタズタだ。

防衛担当、停電担当大臣が醜聞まみれの不運

 安倍政権がいかに防災対策を軽視しているかは、コロコロ代わる担当大臣がその証左。第2次政権発足以降、今の武田良太防災相で7人目。いずれも国家公安委員長との兼務で任期約1年、みな初入閣の超軽量級だ。つまり防災大臣なんて名前だけなのである。

 そのうえ武田は入閣前から警察関係者の間で「暴力団とベタベタ」などと噂されるフダツキ。就任直後に早速、山口組系元組員から献金を受領した疑惑が報じられた。14日は被災地の福島県で、阿武隈川の浸水現場や避難所を視察したが、醜聞大臣が腰を落ち着けて対策を指揮できるとは思えない。

 防災担当といえば政務官も酷い。今井絵理子参院議員である。今井は台風15号が襲った千葉県内を先月19日に視察した際、「現場の声を聞くのは大事なことだと思った」と幼稚園児のような発言を繰り出している。今度の台風19号でも、13日に千葉県に入り、竜巻で車両横転や住宅損壊が起きた市原市などを視察。「政府として全力でサポートする」と強調していたが、今井に言われても安心できない。
 停電担当の菅原一秀経産相は、台風が日本列島に接近した12日以降、全国の停電軒数と復旧軒数を怒涛のツイート。<一刻も早く復旧させます>と猛アピールだった。

 菅原は、11日の衆院予算委員会で選挙区の有権者にメロンやカニなどを贈ったとされる疑惑を追及されたばかり。必死のアピールは疑惑隠しなのか。

「役人の振り付け通りのコメントでカッコつけていますが、醜聞大臣では心のこもった災害対応など期待できません」(政治評論家・本澤二郎氏)

 安倍政権である限り、被災者は救われない。

最凶台風が数十年に一度ではなく頻発する懸念

 最強クラスの台風が発生した背景には10月という気候が影響しているとの説がある。ロシアから寒気が吹き込み、台風の湿った温かい空気とぶつかったため通常より大きな雨雲ができて北に伸び、北関東や東北に大雨をもたらしたというのだ。

 別の要因を指摘する声もある。

「今回、雨量が増えたのは例年9、10月にできる移動性低気圧の影響もあります」と言うのは立命館大環太平洋文明研究センター教授の高橋学氏(災害リスクマネジメント)だ。

「台風19号が北上する前から東北地方を中心に移動性低気圧が張り出していたのです。ただでさえ大雨が降る準備が万端なところに大型台風が来襲して豪雨になり、河川が氾濫しました。北と南からのダブルパンチだったわけです」

 気象予報士の高橋和也氏(ウェザーマップ)によれば、10月に大型台風が発生した例は過去に何例かある。
 2004年10月には風速45メートルの台風が高知県を襲って死者95人、行方不明者3人を出した。

 09年9月末から愛知県を襲った台風は風速55メートルで死者6人を出している。もともと9~10月は海水温が高いため台風が発生しやすいのだ。

 ただ、今回の19号は圧倒的な雨量の多さが特徴だ。

「箱根では2日間で1000ミリを超える大雨が降りました。これは驚くべき数字です。原因として考えられるのは温暖化。海水温が上がることで水蒸気が増えて大気全体の温度が上がり、日本の上空に台風が入り込みやすくなったとも考えられます」(高橋和也氏)

 前出の高橋学氏はこう言う。

「1959年の伊勢湾台風まではこうした強力な台風が毎年起きていましたが、その後、数が減りました。現在は気候変動の波によって、大型台風が起きやすい時期に来ているのかもしれません」

 これから最大クラスの台風が頻発しそうだ。

紙一重だった脆弱首都沈没の現実味

 巨大台風の直撃は、あらためて首都・東京の脆弱さを浮き彫りにした。


 鉄道各社は台風が通過した12日の計画運休を前日に発表。早めの決定は英断ではあるが、その結果、東海道新幹線はパニック状態に。東京駅の改札口に長蛇の列ができ、ホームはすし詰め、車両から乗客があふれ出て、ドアが閉まらず、出発が遅れた。

 12日の都心部は、交通機関がほとんど運休のうえ、大手百貨店が軒並み休業したため閑散とし、台風による混乱はなかったが、周辺部では豪雨による浸水被害が発生。世田谷区で多摩川が氾濫し、東急電鉄二子玉川駅付近の住宅など100軒以上が浸水、停電も発生した。対岸の川崎市高津区のマンション1階で60代男性が死亡した。

 東京都の北東部を流れる荒川が、上流の埼玉県内で「危険水位」に達しながらも氾濫しなかったのは不幸中の幸いだった。荒川に近い墨田区、江東区、足立区、葛飾区、江戸川区の5区で約82万世帯、約165万人に「避難勧告」が出されていたのだ。
 内閣府の想定では、東京の北区北部の荒川右岸で氾濫が発生した場合、北区、荒川区、台東区はほぼ全域が水没。地下鉄被害は17路線、97駅。東京の浸水面積は110平方キロに及び、皇居の敷地面積の約100倍の土地が水の底に沈むとされている。その際の被害想定額は土木学会によれば62兆円に上る。

 そして、今回は難を逃れたものの東京湾の高潮も首都を壊滅させる。

 昨年6月の土木学会の報告書によれば、1934年の室戸台風級の巨大高潮が東京湾を襲った場合、洪水などによる想定死者数は8000人、浸水域内人口は140万人にも達するのである。

「台風19号は伊豆半島に上陸したので、東京に到達するまでに勢力が落ち、被害は軽減されました。まっすぐ東京湾に来ていたらちょうど満潮時と重なり、高潮による大きな被害が出た可能性があります」(高橋学氏=前出)

 首都沈没は紙一重だったのだ。

生死を分ける判断、今回の教訓

 今回の台風では56人もの死者が出た。栃木県では水田や用水路に落ちたクルマから遺体が見つかった。相模原市では家族4人が乗っていたクルマが川に転落。父親と母親、長女(11)の遺体が見つかり、長男(8)が行方不明になっている。


 どのタイミングで逃げればいいのか。防災に詳しい高橋学氏(前出)は道路の水が数センチになった段階で避難するべきだという。

「豪雨の際に道路を流れるのは泥水です。水深が10センチになったら底が見えず、側溝やマンホールなどに転落してしまいます。特に今回の台風は夜間だったので見通しが利きませんでした。水深5センチになったら避難すること。それも明るいうちに行動してください。クルマで逃げる場合は水が排気口と同じ高さになったらエンジンが止まることを覚悟すべきです」

 線路の下などに掘り下げて造られた通路「アンダーパス」を通過しようとして、たまった水で立ち往生することもあり得る。通路の幅が狭いと壁が邪魔でドアが開かず、脱出が困難になる。近づいてはいけない。
 高橋氏によると、ハザードマップに記載された避難所のうち、1970年以降にできた公園や学校は低い土地に立っていることがあるためかえって危険。スーパーや病院、マンションの3階以上に身を寄せたほうが安全という。

「『大人は1日に3リットルの水が必要』という話を真に受けて数日分の水と食糧を持ったら20~30キロになります。重くて歩けません。1日に500ミリリットルの水があれば十分。あとタオルを用意して首に巻けばジャンパーと同じ保温効果が得られます。近年東京などで増えているのがペットを見捨てられず逃げ遅れる人。ペットは籠に入れてすぐに連れ出せる用意をしてください」

 実際、埼玉県で救出された13歳の少年は「猫を飼っているので逃げられなかった」と話している。ペットと自分の命、どちらが大切かを考えるべきだろう。


「なぜ、弱者を叩く社会になったのか?」
相模原事件から考えた、不寛容な時代
相模原市の障害者施設で45人を殺傷した植松聖被告。
社会は彼に怒りをぶつけたのか。
2015年10月15日:ハフィントンポスト
雨宮処凛さん

命の選別――。
映画や小説といったフィクションの世界ではない。
この日本で、リアルにそんな言葉を聞くことになるとは思ってもいなかった。
2016年7月に相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が殺傷された(うち19人が死亡)「相模原事件」によって、この「命の選別」という問題が色濃くなり、恐ろしくなったことをよく覚えている。
先日の台風19号の際にも、ホームレスの人たちが避難所への入所を断られ、この言葉がまた話題になっている。
2020年1月に始まる相模原事件の植松聖被告の裁判を前に、6人の専門家と対話を重ね『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』を出版した雨宮処凛さんにその思いを聞いた。

インターネットなどを通じて、ばらまかれる悪意

――雨宮さんは、ハフポストで掲載しているブログで何度もこの相模原事件について言及をしています。そして、今回は書籍を出版。この事件にとてもこだわりがあるように感じられますが、これほどまでにこの事件が雨宮さんの関心を引き寄せる理由はどこにあるのでしょうか。
そう言われてみると、確かに関心が強いかもしれませんね。
本の中でも言及していますが、例えば2008年に起きた秋葉原通り魔事件の加藤智大は、誤解を恐れずに言えば“わかりやすい”と思うんです。加藤自身がネットの掲示板で犯行に至るまでの思いを書き込んでいたり、動機や本人が身を置いていた環境など「人となり」がつかみやすかった。
でも相模原事件の植松被告は、違います。一見ごく普通の若者ですし、悩みや心の叫びのようなものは聞こえてきません。「死刑になりたかった」「誰でも良かった」という自暴自棄になったうえでの事件とも異なります。だから、この事件、そして植松被告には、なんとも言えない不可解さのようなものを感じていると言えるでしょう。
また今回被害に遭われたのが障害のある方たちということで、遺族も名前や顔を出しにくいという状況のなか、社会の中で忘れ去られるスピードがとても早かったとも感じていました。世の中での忘却のされ方も植松被告の望んだ通りにというか、生産性がない人間を抹殺することができる=殺しても忘れられるという図式になってしまっている気がしてなりません。更に言えば、そういった植松被告に社会がそれほど怒っていない印象すら受けるのです。 
――今回6人の方と対話をして、雨宮さんの抱えていた植松被告への不可解さは解消されましたか?
本の中で、植松被告と何度か面会をしている、福岡のRKB毎日放送の記者で、現在は東京報道制作部長をしていらっしゃる神戸金史さんとお話ししました。その中で、植松被告はあの事件を起こしたことで「自分は役に立つ側の人間になった」と感じていること、「障害児を育てることに苦しんでいる母親を救いたい」という思いがあったということを聞き、びっくりしました。恐ろしいことにあの事件は彼にとって、「善意」に基づいていることになる訳です。
そして、批評家で元障害者ヘルパーの杉田俊介さんと「べてるの家」の理事・向谷地生良さんが同じ出来事を指摘していたことも驚きでした。その指摘とは、相模原事件が起きたのと同じ年の3月に、マイクロソフトが開発したAI(人工知能)の実験で、インターネットにAIを接続したら勝手に学習して、ユダヤ人のホロコーストを否定したり、ヒトラーを礼賛するような発言をするようになったというニュース。
つまり、植松被告もインターネットなどを通じて世の中に散らばる悪意をフィルタリングすることなく「学習」して、彼自身がその悪意を体現してしまったというか、植松被告がAIやBOTのようなものと近いのではないかとも考えられる指摘です。この視点はこの本を作るまで私の中になかったものなので、とても衝撃でした。

無意識で「選別が始まっているんだな」と感じる

――私はこの本の中で、この相模原事件は入り口でしかないというような指摘があったことに、とても恐怖を感じました。
相模原事件から2ヶ月後、アナウンサーの長谷川豊氏が「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ!」とブログに書いて起きた大炎上や杉田水脈議員の「生産性発言」などもそうですが、植松被告と同じように、本気で「日本には財源ないから、障害者や高齢者のような役に立たない人の面倒見るなんて無理だよね」という話を善意からしてしまう人が出てくるようになってきていると感じます。「日本はもうある程度パイが限られているから、命の選別をしなくてはいけない」という空気感も相模原事件を機に強まっているのではないでしょうか。
貧困問題にずっと取り組んできた私は、ずっと「人の命を財源の中で語るな」ということを訴えてきました。ですが、2012年の第二次安倍内閣以降、この言葉がどんどん通用しなくなり、鼻で笑われるようになっている感覚がありますね。
――本来であれば財源の有無など国の政策によって生じている問題に関しては、国や政治家に怒りや批判が向くべきものだと思いますが、それが障害者、高齢者、生活保護を受けている人に向かうのが不思議でなりません。しかも、そういった「弱者」とされる人が、他の誰かから見ると「恵まれている」人とされ、敵とみなされる空気感も感じます。
障害者も病気の人も、あるいは生活保護を受けている人なども、好き好んでそうなっているのではないのに、その人自身が悪いかのように言われることってありますよね。
2000年代になって、「公務員バッシング」が起きたのを覚えていますか。公務員は安定した職業で、いい給料をもらっている特権階級だと非難されるようになったわけですが、日本全体の景気が良くて給料の良かったバブルの頃は、誰も公務員が特権階級だなんて思いもしなかったはずです。
格差が広がり、貧困が進んでいくと、こんなことが起きるんだなと公務員バッシングを見て感じていたところ、その後、2010年ごろから「自分はフルタイムで働いているのに、給料は生活保護以下」と生活保護バッシングが起き始めます。低賃金に怒るのではなく、生活保護を利用している人を非難する。鬱で休職した職場の同僚をディスったり、その人が遊んでいないかFacebookを監視したりしているような動きが出てきたのもこの頃だと思います。
それがますます進んで、障害者が「特権」になりつつある。今の世の中、生きづらさを抱えている人やうつなどの精神疾患を患っている人も多いけれど、病名がつかないと、どれほど辛くても、社会福祉などの支援は何も受けられません。でも障害者は障害年金もあるし、様々なフォローがあるから特権だという声すら、最近では聞こえてくる。末期の末期としか言いようがありません。
――そういった空気感の中で、植松被告のような人、相模原事件のような事件は増えていくとお感じになりますか。
相模原事件のようなことが起きて「命の選別」を匂わせるような空気が出てくると、無意識でみんなが「選別が始まっているんだな」と感じるようになるでしょう。そうすると自分は生産性があることを殊更に強調しようとして、そのために人を叩いたり蹴落としたりする人や、勝手に人の価値を決める「選別ポリス」も出てくるでしょうね。そして、生きられる資格がある人の枠がどんどん狭まっていく。植松被告は、その第1発目のヨーイドンをしたわけですよね。だから、相模原事件に似た事件は増えていく可能性はあると思います。
一方で、地味なことですが最近ものすごく怖いと思うのは、駅のホームなどで女性だけを狙ってわざとぶつかってくる男性や、赤ちゃんの抱っこひもの背中についているバックルをはずす人などが話題になっていることです。抱っこ紐を外されて赤ちゃんが落ちたら、命を落とすでしょう。わざとぶつかる男も、状況によってはぶつかられた人は死に直結します。そういう殺意が日常にあって、その殺意の存在をみんなが知っている。そんな異常な社会で生きているということによほど自覚的にならないと、自分もいつ加害側になるかわからないと思います。

 来年の1月から始まる裁判で注目していること

――来年の1月から植松被告の裁判が始まります。どんなことに注目していますか?
先ほどもお話しした通り、植松被告は思想も背景も見えない。もしかしたら何かに影響を受けているのかもしれないけれど、それが何かもわからないし、人間性が見えません。裁判を通じて、不可解な彼という「人間」が見えてくるのか気になるところですね。
そして、もう一つ植松被告が裁判で何を語り、それをどこまでマスコミが報道するかも大きな問題だと私は考えています。相模原事件の直後、耳を塞ぎたくなるような植松被告の言葉、例えば「生きる価値がない」というようなものがたくさんマスコミで流れました。それを耳にした当事者はどれほど辛かったことか……。植松被告が法廷で話す言葉は、人をボコボコに殴りつける暴力のような言葉になる可能性があります。マスコミの方にはそういったことも考えて報道して欲しいと思っています。
――『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』を読んでいて、私は「相模原事件」を扱った本というだけではない、もう少し大きなテーマのようなものを感じたのですが。
確かにおっしゃる通りです。
最近だと国連気候行動サミットでスピーチをしたグレタ・トゥーンベリさんをネット上で批判する人を多く見かけました。なぜ、彼女を口汚く罵る人が多くいるのか。なぜ、精神的に追い詰められて休職するひとを笑い者にしたり、休職している人のFacebookを監視したりする人が現れたのか。女性にわざとぶつかる男、抱っこ紐のバックルを外す人はどうして出てきたのか。そういったことを考えていくうえで、私たち一人ひとりが、この10年、20年くらいで自分がどれだけ殺伐として冷酷になったのかを考える必要があると思うんです。その背景には「環境ハラスメント」というか、社会から受けた抑圧のようなもの、例えば常に競争を煽られ、それに負けたら死ぬというような恐怖もそのひとつだと思いますが、そういうものの蓄積があるのではないかということを考え直してもらいたいのです。
世界や日本で起きている出来事に対する自分の感じ方、考え方、そして苛立った時にしている行動が、日本の社会によって作られているんじゃないかということを、この本を読んでもう一度見つめ直していただけたらと思っています。


『ジョーカー』怒りを正当化する時代に
怒りを描く危うい映画
The “Joker” Isn’t Political?
2019年10月15日:ニューズウィーク
ジョーカーを演じた主演のフェニックスは大幅に体重を落として役に臨んだ
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<バットマンの敵役ジョーカーの原点を描き、その疎外感に共感を寄せる『ジョーカー』。トランプ時代の空気を映し出している作品だが>

『ジョーカー』の舞台は1981年の腐臭漂うニューヨーク(※)ゴッサム・シティ。映画の冒頭近くで、主人公アーサー・フレックは道化師姿で看板持ちの仕事をしていたとき、中南米系とおぼしきギャングたちに嘲笑され、暴行を受ける。
※映画の舞台を誤って「ニューヨーク」と記載していました。お詫びして訂正します。(2019年10月7日11時20分)
白人が不当に迫害されているという描かれ方は、近頃では珍しくない。これは、ドナルド・トランプ米大統領が巧みに利用してきたストーリーでもある。
『ジョーカー』は、コミックや映画で絶大な人気を誇る「バットマン」シリーズの敵役ジョーカーの原点を描く映画だ。のちのジョーカーであるアーサーを演じるホアキン・フェニックスは、この仕事のために大幅に体重を減らした。骨が浮いて見える背中はあまりに弱々しい。
しかし、アーサーをかわいそうだと思う前に、彼の境遇を理由に自らの怒りを正当化しようとする人間が出てこないか警戒すべきかもしれない。
『ジョーカー』の作品内でも、アーサーは思想や運動のシンボルに祭り上げられる。酔った証券ブローカーたちに地下鉄の車内で絡まれた道化師姿のアーサーは相手を殺して逃走。この事件をきっかけに、恵まれたエリート層への憎悪が社会に拡大し始め、アーサーはヒーローのように位置付けられる。
監督のトッド・フィリップスは「政治的な映画では全くない」と述べているが、政治的な色彩を帯びた作品であることは明らかだ。今日の社会の空気を、正体ははっきりしないけれど誰もがなじみのあるキャラクターに落とし込んでいる。

憎悪の炎が広がっていく

ジョーカーというキャラクターにすごみを与えてきたのは、人物像の読み取りにくさだ。それでも、アーサーが精神を病んでいることははっきり分かる。その病に拍車を掛けているのは、コミュニティーと社会的セーフティーネットの不在だ。
『ジョーカー』の建前は、アーサーを理解しつつも、その行動は容認しないこと。しかしオルト・ライト(白人至上主義の極右勢力)は、自分たちのメッセージをオンライン上で拡散させるために、この映画に登場する要素を利用し始めている。
もともとオルト・ライトたちは、そうした素材に事欠かなかった。それでも映画会社や俳優や監督は、せめて新たな素材を提供することを避けるべきだったのではないか。
『ジョーカー』は政治的な主張をしたいというより、かなりご都合主義的に政治を取り扱っている面がある。道化師の仮面を着け、「金持ちを殺せ」といったプラカードを掲げてデモ行進する人々(ほとんどは白人男だ)の描写には、オルト・ライトの集会を連想させる要素と、左派のアンチファ(反ファシスト勢力)の集会を思わせる要素を意図的に混在させている。
こうした手法は、挑発のための挑発になりかねない。この映画はいわば、ガソリンをたっぷり浸した布の山にマッチの火を近づけるようなことをしている。布を炎上させずに、どこまでマッチを近づけられるかを試しているかのようだ。
映画の中のニューヨークゴッサム・シティでは、次第に憎悪の炎が広がり始める。人々の無知や無関心が原因で反社会的衝動が抑え込まれなければ、どのような結果を招くかが描き出される。
この映画が真に共感を寄せている対象はアーサーではなく、アーサーが象徴する怒りと疎外感だ。そうした怒りと疎外感は、憎悪こそ、不当な世界と戦うための最良の方法だという発想にも結び付く。
このような感情は、時として現実の世界にも充満している。ジョーカーは、それを体現しているにすぎない。
JOKER
『ジョーカー』
監督/トッド・フィリップス
主演/ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ
公開中
©2019 The Slate Group
<本誌2019年10月8日号掲載>

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