五輪公害への覚悟

敗戦後の政治家で、日本に最大の損害を与えたのが石原慎太郎だ。
「子どもを産めなくなった女に価値はない」、胎児性水俣病患者に「生きてる価値があるのかね」などとその暴言もすさまじかった。
その慎太郎が、東京都知事の時、2007年に言い出したのが東京オリンピックだった。五輪そのものが陳腐化して、開催する意義が失われつつあるというのに、慎太郎は独断で手を挙げたのだった。
来年の東京五輪は、「五輪公害」とでも言うべき災厄を東京にもたらしそうだ。ボクは来年8月、「五輪疎開」と言って、五輪・パラ五輪開催中はできるだけ首都圏を離れる予定だ。
心配なことはイロイロあるが、特にひどいのがこの時期の東京の暑さだ。白人は蒸し暑さに弱いので、日本人以上に生命の危険がある。命を懸けて五輪に参加する必要があるのか疑問だ。
また、多くの外国人が大量に入国することは、伝染病が新たに持ち込まれ、五輪会場で多くの人に感染するリスクも高い。一番心配なのは地震だ。巨大な競技場の外国人観衆の多くは、地震の揺れを経験したことがない。日本人なら、震度3程度の揺れに慌てる人はいないだろうが、生まれて初めて地震を経験する多くの外国人はパニックに陥る危険がある。慌てて出口に殺到する外国人が将棋倒しで死傷することは十分考えられる。
また、五輪後の負債として競技場などが残り、東京都の財政を苦しめ続けることになる。長野冬季五輪を主催した長野市は「五輪公害」と呼んで苦しんでいる。
すでに陳腐化した巨大スポーツイベントに巨額の税金を注ぎ込み、残るのは財政苦というのでは都民は浮かばれない。
ここまで来たら、後戻りはできないだろうが、石原慎太郎には、シッカリ反省してもらいたいものだ。

哲学なき五輪、何の誰のため
 そしてあなたは 真山仁氏
2019年8月12日:朝日新聞

7月28日早朝、取材旅行でシンガポールから帰国し、羽田空港の到着口を出た私がまず目にしたのが、「1 Year to Go! 開催まであと1年!」という文字だった。
 東京五輪開催1年前を告知するその看板の前を歩きながら、いよいよか、と思う私の横で、外国人親子が記念撮影をしていた。
 東京が開催地に決定した2013年から、なぜ、今さらオリンピックなんだ、とずっと疑問を抱かせた東京五輪まで、ついに1年を切った。
 最終選考の際に、福島第一原子力発電所の汚染水について「アンダーコントロール(統御されている)」というとんでもない演説をした安倍晋三首相に怒りを覚えた。あるいは、大会のエンブレムが既存のデザインと酷似していると抗議を受け、変更したことにあきれた。さらには、五輪誘致以前より全面建て替えが決まっていた新国立競技場の設計デザインが、当初の予定をはるかに超える高額となったことで、15年7月に白紙撤回された。
 まるで、今の日本の迷走ぶりを象徴しているようじゃないか、と思った。
 こんな調子で、本当に五輪なんて開催できるんだろうかという不安ばかりが募ったものだ。

国立競技場に厳しい目

 8月1日、新国立競技場建設を主管している日本スポーツ振興センター(JSC)を訪ねた。
 「7月末現在で92%の建設が完了している」と、新国立競技場設置本部長を務める今泉柔剛理事は言う。昨年7月、文部科学省から出向し理事に就いた。すったもんだがあったにもかかわらず、工事は順調で、開会式の1年前となる7月24日に来日した国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長にも「1年前でこれだけ準備が進んでいる開催都市は見たことがない」と称賛された、という。
 ちなみにこの施設は神宮外苑内に位置するため、明治神宮や新宿御苑などとの親和性にも配慮している。また、国立の施設であるということを強調するため、スタジアム内に張り巡らされた軒ひさしの材料は、47都道府県全てから集めたそうだ。
 順調に進んでいるが、国立競技場に関して、なぜか周囲の目は厳しい。
 五輪終了後の利用法に、納得がいかないのだ。従来の国立競技場はサッカーやラグビーのスタジアムとして、日本選手権や国際大会の場となっており、今回の新競技場もそれを踏襲する予定だ。
 だが世界のサッカーやラグビーのスタジアムは、近年はピッチとスタジアムの一体化が重要とされている。にもかかわらず新国立競技場はピッチを遠く感じるような設計だ。なぜなら東京五輪のためには陸上競技のためのトラックが必要だからだ。その解決案として有力なのは、五輪後にトラックまで観客席を伸ばして距離を縮める案だという。ただし、その場合、莫大(ばくだい)な税金を使う可能性もあり、今泉理事は「そこまでする必要があるか否かは慎重に考えなければならない」と明言を避けた。
 同時に今泉理事は「新国立競技場のコンセプトは、未来を育てよう、スポーツの力で、だ。それを五輪に向けて、より具現化したい」と意気込んでいる。
 トラブル続きで国民を白けさせた東京五輪は、果たして関係者らの思惑通りに日本を熱狂させられるのだろうか。都内にいると、地下鉄や繁華街のスクリーンやポスターなどに東京2020に期待を寄せるアピールはある。にもかかわらず、日本人の中で五輪が盛り上がっているという印象がない。
 もっとも五輪競技を観戦するチケット販売にはアクセスが殺到した。だが、今度は宿泊施設の不足で当選者を不安に陥れている。
 そして五輪関連のニュースを耳にするたびに同じ疑問が湧いて出る。
 なぜ今さら、五輪なのか――。
 開催地が決まった後の国会で、安倍首相は「復興五輪」だと言い切った。
 だが、そんな気配はどこにも感じられない。聖火リレーが福島から始まるそうだが、それを復興だと言うのなら、お笑いぐさだ。そもそも11年の震災から8年半を過ぎたのに、いまだ震災復興というスタンスに違和感がある。東日本大震災以降も、日本は毎年のように大災害に見舞われて、各地で甚大な被害をもたらしている。せめてそれらすべての復興を願うなら、自然災害大国日本らしい言葉とも解釈できるが、彼らの言う復興には東北の太平洋側沿岸部にしか頭にないように思える。
 もし、本気で復興五輪を掲げるならば、それこそメインスタジアムは、被災地にあるべきだろう。
 五輪を東京に誘致したかったのは、成長戦略がずっと空回りし、元気のない日本にカツを入れるための起爆剤としたかったからと私は理解している。

付和雷同的な浅薄さ

 では本当に五輪で東京が、日本が活気づくのか。
 五輪は分かりやすく言えば、国際運動会だ。世界中から集った、一流のアスリートが覇を競う。それを生で見られるチャンスを逃したくないと、大会期間中は世界中から人が押し寄せるかもしれない。だが、それ以上でもそれ以下でもない。
 五輪の問題を継続的に取材している朝日新聞の稲垣康介・編集委員は「五輪の開催に積極的な国が、どんどん減っている。カネがかかり過ぎ、期待したほどの経済効果もない」と話す。
 その結果、将来的には「住民投票を経ないまま、権力者の一存で開催できる国しか手が挙がらず、やがて開催危機に陥る可能性もある」という。
 そもそも五輪はスポーツの祭典であるはずなのに、政治的な目的や経済効果が期待されすぎてはいないか。
 ヒトラー総統が治めるドイツで開催されたベルリン五輪は、第1次世界大戦で完膚なきまでにたたきのめされたドイツの復興を高らかに誇った。以来、五輪は世界に自国をアピールするための場と化していく。
 1964年の東京五輪にも、日本の戦後奇跡の復活を世界に誇る目的があったのは、紛れもない事実だ。
 同年4月にOECD(経済協力開発機構)に加盟し、先進国の仲間入りをした日本は、五輪に合わせて、羽田から都心を結ぶ首都高速道路、東京モノレール、そして東海道新幹線を開通させ、先進国の首都に比肩するメトロポリタンをアピールした。
 日本中が熱く沸いたのも、五輪が日本復興のシンボルだったからだ。
 だが、今回の五輪には、そんなムードはない。もはや五輪ごときでは、日本は大きく躍進を遂げるレベルの国ではなくなってしまったのだ。
 ならばいっそのこと開催地選考の時にアピールした「おもてなし」を徹底的に体現してみてはどうか。
 五輪が、国際運動会であるなら、一つでも多くの世界記録が生まれるような環境を提供するべきだ。
 例えば、酷暑の炎天下に競技を行うことを断固としてIOCに抗議して変更を求めてもよかったのではないか。
 64年の東京五輪が10月開催だったのは、日本の夏の暑さが考慮されてのことだった、のではないのか。
 よちよち歩きの先進国だった当時の日本にできたことが、押しも押されもせぬ先進国に成長した現代日本になぜできないのか、不思議でならない。
 一説では、五輪の収益を支えているのは放映権収入で、その大部分は米国の放送局であるNBCが支払っており、NBCが夏開催を望んでいるからそのようになるとも言われている。
 それでも、夏の開催にこだわるのであれば、選手、観客、スタッフの皆の健康を守るために、日本の優秀な頭脳をもっと働かせるべきだ。
 世界津々浦々の様々な事情がある選手が集まる五輪大会。その誰もに、日本に来て良かったと感じてもらうには、何をすればいいのか。
 そんな「おもてなし」が検討されているようには思えないし、それよりも見えてくるのは、公式スポンサーらの必死で盛り上げようとしているPRと、五輪を当て込んで一もうけしようという新手のビジネスの出現だ。
 近年、日本の行動には、表層的で付和雷同的な浅薄さが目立つ。その結果、哲学や美意識がなくなった気がしている。今回の五輪も、そう思えてならない。
 誰も、五輪をどう捉えるのかという視点で語らない。世界から来るアスリートへのメッセージも見当たらない。ただ、政府や組織委員会などが、官僚的な取り決めを進め、時間だけが過ぎていく。
あなたは何が出来るのか
 それでも、きっと来年の7月24日に東京五輪が開幕すれば、日本中が五輪に熱狂するだろう。
 なにしろ、五輪が北京であろうが、ロンドンであろうが、リオデジャネイロであろうが、皆、徹夜してでも競技に釘付けになる国民なのだ。
 しかし、それでも問いたいのだ。
 何のための五輪なのか、誰のための五輪なのか、そして、そのために、あなたは何が出来るのか、と。

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