分断によって維持される“アベ政治”

日本の「分断」も身近なところから、社会全体まで、あらゆる場面で深刻だ。
「分断」の元凶は、安倍晋三だ。ABEが唱えてきた、アベノミクスは弱い者と強い者を階級的に分断し、それぞれに政策を行なうという、分断を前提としたものだ。萩生田が「身の丈」と言ったのも、この文脈でアベノミクスの本質から出ていることに国民は気が付かなければいけない。
今の日本にはさまざまな分断の溝が走り、その溝を超えて連帯を進めることはなかなかに難しい。しかし、この文壇の溝に橋をかける試みはいろいろと行われている。
昨年聞いた「上級国民」という言葉は、必然的な意味を持つのだろう。敗戦後の日本で平等な社会が目指され、一時期は「国民総中流」という言葉も良く使われた「国」が、小泉純一郎が首相のときに発した「自己責任」や、政策として進めた「新自由主義」の下で、日本にも高所得の持てる者と、低収入の持たざる者とが、当然のごとく前提される社会が現出した。この30年、上位20%の高所得層の年収は伸び続け、下位60%の低所得層の年収は下がり続けている。いくら景気が良くなろうと、この低所得層にとっては、年収の増加はなく、消費税増税が追い打ちを掛けるばかり…。これで世の中が明るく見通しの良い社会になるはずがない。問題は明白で、答えも出ているのに、実行されない。それは、現在の社会がこの分断によって維持されるシステムを構築したからに他ならない。



橋を架ける① 分断を超えて
抗議に対応 互いに敬意
不自由展に出展 美術家 小泉明郎(43)
2020年1月1日:東京新聞・こちら特報部

 ネット、芸術、政治、国籍…。あらゆる場面で分断が広がっている。一方が相手を批判するともう一方は受けて立ち、対立は激化するばかり。この1年、溝が埋まることはなかった。このままでいいのか。2020年。新たな10年の始まりに、分断のはざまで、橋をかけようと苦闘する人たちを訪ねた。

SNSではできないこと

 電話から聞こえる女性の声は、「昭和天皇の肖像を燃やす作品に、あなたはどれだけの人びとが傷ついたか分かりますか」。女性は30分、そう繰り返した。
 昨年10月14日、「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」最終日。美術家の小泉明郎(43)は、抗議電話に耳を傾けていた。
 不自由展を一時中止に追い込んだ電話による抗議の「電凸」。この問題を受け、出展作家ら約30人が「Jアート・コールセンター」で自ら電話を取った。
 不自由展では、戦時中の慰安婦を象徴する「平和の少女像」や、昭和天皇の肖像を燃やす場面を含む映像作品「遠近を抱えて」に激しい批判が集まった。ツイッターなどSNSで作品の画像が出回り、抗議電話のマニュアルも拡散した。
 「死ね」「ぶち殺すぞ」。トリエンナーレ実行委員会や愛知県庁などへの電話は、8月だけで3500件を超えた。不自由展は安全を確保できないとして、8月1日の開会からわずか3日で中止になった。
 小泉は「中止の本質は、自主規制の延長だった。本来は検閲にあたるが、セキュリティの問題にすりかわってしまう難しさがある」と話す。天皇を扱う作品を展示しようとするとこうした問題によくぶつかる。「だからこそ、何としてもまた会場を開けたかった」
 出展した美術家を含め関係者たちの間でも、意見は分かれた。海外の作家らによる作品のボイコットも相次いだ。「内部で『誰が悪いのか?』と責任者探しが起きると、本来の敵を見失う。関係者たちの意見をつなぐために動き回った」。展示に反対する人々も含め市民らと議論もした。
 不自由展の実行委員会が再開を求める仮処分を名古屋地裁に申請した影響もあり、展示は約2カ月の中止を経て、10月8日にようやく再開。県の検討委員会は閉幕後、報告書でSNSから炎上した背景を「日本社会の分断と格差が進行した結果」と指摘した。
 SNSでは、意見の異なる相手を徹底的に拒否する言葉が飛び交う。小泉は、その流れで電凸が起きたと見る。「コールセンターで話した人らと理解し合えたとまでは言えない。それでも直接に言葉を交わし、互いに最低限の敬意は生まれた。SNSでなかなかできないことだった」
 不自由展への批判は一部の作品にばかり集中した。小泉の「茎#1」を含め、他の作品が語られることは少なかった。この作品は、皇室カレンダーの写真を題材に、平成の天皇や皇族の姿を消したものだ。小泉は「多くの人は天皇や皇族を空気のように受け入れている。当たり前のように意識しない天皇制を浮かび上がらせ、考えるきっかけにしてほしかった」と語る。

表現の不自由展・その後
 国内の公立美術館などで、過去に「抗議の恐れ」や「政治的」といった理由で撤去されたり公開中止になったりした作品を集めた。国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の津田大介芸術監督と、有志9人による実行委員会が企画し、国内外の作家16組が23作品をしゅってんした。2015年には東京のギャラリーで開かれた「表現の不自由展」が原型。

国による美の定義 危険
天皇制題材 自主規制でタブーに
不自由展問題 人々の意識に残し続けたい

 1976年に群馬県で生まれ、クリスチャンの両親に育てられた小泉は、高校時代に神の存在を深く考え、疑問を抱くようになった。信仰と距離を置き、99年に国際基督教大を卒業すると、ロンドンへ渡って美術を学んだ。
 その後2009年に特攻隊員を演じる役者と演出する小泉自身のやりとりを捉えた「若き侍の肖像」を制作するなど、天皇制や太平洋戦争をテーマに、映像作品を多く作ってきた。
 「夢の儀礼 帝国は今日も歌う」は、反天皇制を訴えるデモと、攻撃する人々のヘイトスピーチの映像をもとに製作。デモ行進に役者が参加し、歩きながら「父親が警察に連行された夢」を語る。

人間の矛盾表現

 映像は3つの画面で進行する。役者の独白とともに、デモに浴びせられる「日本から出てけ!」「ゴキブリ」といった罵声が重なる。不穏なBGMや天皇を賛美する歌も流れ、役者の怒りや悲しみのせりふが混じる。鑑賞者は見入りつつ、もやもやした割り切れない感情を抱く。
 小泉は「人間は正義や善意だけでなく、攻撃性、悪意、差別といった意識も同時に抱えている。美しい面や汚い面もある人間の矛盾を表現することが美術の力だと思う」と話す。
 天皇を扱う作品は、国内の公立美術館ではほとんど展示されない。小泉は「天皇制をアートで取り上げることは、美術界で長くタブーとされてきた」と語る。
 キュレーター(学芸員)から「面白いけど展示は難しい」と言われたり、美術館側から映像の一部カットを求められたりしたこともあった。そもそも天皇制を題材にする美術家が少ない。「学芸員や美術家の間でも『天皇は扱えない』と自主規制し、議論さえしない空気がつくられてきた」
 息苦しさは強まっている。表現の不自由展・その後を巡り、河村たかし名古屋市長は「日本人の心を踏みにじるものだ」と発言するなど、一部の政治家が強く抗議した。文化庁はあいちトリエンナーレに補助金を交付しないと決めた。
 小泉は「政治家や国が『日本人の心』や『何が美しいか』を定義し、それを批判する声を排除しようとするのは、とても危険なことだ」と語る。天皇の人格や思想にかかわらず「天皇制」が人々を統合する装置として機能し、戦争と結びついた歴史があるからだ。
 戦前に天皇は現人神とされ、太平洋戦争で多くの兵士が「お国のため、天皇のため」に特攻や玉砕で死んだ。そうした戦死は日本人として名誉であり「美しい」とたたえられた。

10万筆超の署名

 戦後に憲法で「日本国民統合の象徴」となり、政治権力と切り離された。ただ小泉は「権力を持つ側が、天皇の威光やそれを支持する人々を利用する恐れは、今もある」と危ぶむ。
 不自由展の閉幕から約1カ月後の昨年11月、皇居前広場で新天皇の即位を祝う国民祭典が開かれた。安倍晋三首相らが出席し、アイドルグループ「嵐」が奉祝曲を披露。祝賀パレードに120000人近くが集まった。小泉は、皇居や沿道で一斉に日の丸を振る人々にカメラを向け、今後の制作に生かそうとしている。
 不自由展の再開を美談で終わらせるわけにはいかないと、小泉は言う。美術家たちが呼び掛けた文化庁の補助金不交付の撤回を求める署名は10万筆を超えた。宮田亮平長官への手渡しは実現していない。
 「国家が認める『美しい日本』に公金を使われるのなら、天皇や加害の歴史を扱う美術にも使われるべきだ。何より美術の価値が、政治に支配されてはならない。不自由展の問題を人々の意識に残し続けることが必要だ」。小泉にとって、表現の自由の実現はまだ遠い。          (中山岳、敬称略)

デスクメモ
 「ワンチーム」。同じみラグビー日本代表のスローガン。2019年の流行語大賞になった。年末、食傷気味になるほど聞いた。きっと分断への不安の裏返しで、この言葉を使いたくなるのだろう。そう考え、忘年会で何度も続けて繰り返したほろ酔いのオジサンを許すことにした。         (裕)


排外主義に抗い続ける
理解の話広げたい
在日朝鮮人人権協会事務局長 金東鶴(51)
2020年1月3日:東京新聞・こちら特報部・橋を架ける②

 普段より金東鶴(キムトンハク)の表情が明るい。年末の夜、東京朝鮮第六幼初級学校(東京都大田区)に教職員や児童の父母、在日コリアンを支援する日本人ら13人が集まり、11月の同校の公開授業を振り返った。「50人来れば成功、100人で大成功」が目標で、120人が参加。「当初の目的は果たせたんちゃう?」と金。校長の呉英哲(オヨンチョル・50)は「学校の新しい歴史の幕開け」と喜ぶ。
 公開授業は、在日コリアンの子どもたちが学ぶ朝鮮学校への偏見をなくそうと、金たちが企画、半年前から準備してきた。日本人の住民や区議らが授業参観し、オモニ(母親)たちが校内を案内、子どもたちが民族舞踏や歌を披露し、焼き肉交流会も盛況だった。
 「国と国の懸け橋になれるように…」と女児があいさつした。この言葉に呼応し、参加者が多くの感想を寄せた。「政治が分断を促していることを情けなく思う。地域の一人一人のつながりから、互いの理解が深まるようにしたい」「自分もできることから行動したい」「まずは知ること」
 朝鮮学校への理解と支援を求めるのは、日本政府が拉致問題などの外交・政治情勢屋「各種学校」であることを理由に、高校と幼児教育無償化の対象から外しているからだ。高校無償化をめぐっては最高裁が昨年8月、朝鮮学校側の上告を棄却した。
 「こうした官制ヘイトをおかしいと思う人が、もっといてもええんちゃうか」と金が指摘する。「学校教育法の第1条項になりゃええと日本政府は言ったりもするが、それじゃ民族教育ができない。外国人の人権を軽視し、植民地主義の影が見える」
 金の日常は、在日コリアンの生活支援と、排外主義への抗いだ。国籍や年金、相続、生活保護などの相談を受け、情報を提供する。職場での差別、賃貸住宅の入居差別などの相談には、必要に応じて弁護士らを紹介する。入管難民法などが改正されれば、必要な手続きを知らせ、より抜本的な改正を求めて法務省と交渉してきた。朝鮮学校への支援もその一環。民族教育の権利を守るためだ。
 公開授業の反省会では、全国の朝鮮学校を回り、東京・阿佐ヶ谷で朝鮮学校の支援を続ける「サランの会」に取り組む元小学校教諭の長谷川和夫(72)が助言した。「イベント参加者から日常型の支援と交流に、どうつなげるかが大事。朝鮮学校の図書館で住民が読み聞かせをするとか。子どもたちと住民が互いにファンになるような感じで」
 金は「この地域で朝鮮学校の教壇に立つといった企画もいいかもしれない。と提案した。「ウリハッキョ(私たちの学校)応援隊」の結成に向け、1月には世話人の体制を固める。「無償化問題をきっかけにして在日コリアンへの理解が広がれば、分断を乗り越えられるんちゃうやろか」

顔合わせ 互い知れば
差別があるなら なくそうと決めた

 京都・西陣で生まれ、大学まで日本人と同じ学校に通った。建材店を営んでいた父は、京都で生まれ育った在日コリアン二世。ダンプカー1台から店を始めた。一緒に店に立った母は現在の各国・慶尚北道出身の一世で、戦中に父親が病気で働けなくなり、祖父を頼って一家で日本に移った。4人兄弟の2番目の金も、よく店を手伝った。
 商売に支障が出るかもしれないからと、父は「生きる術として」日本名を名乗った。金も日本名の名字で地元の公立小学校に通った。いじめられることはなかった。中学に入って早々、先生から「君は中国人か韓国人か」と聞かれた。ずっと自分は南北問わず「朝鮮人」だと思ってきたので、どう答えてよいのか分からない。とっさに「分かりません」と答えた。自分の出自を隠したような気分がした。朝鮮人であることを堂々と言えない自分を「しんどく」感じた。
 同志社大に進むと、サークルの朝鮮文化研究会の在日コリアンの先輩たちから強烈な勧誘を受けた。当時世間にあふれていたのは「コスモポリタン」「世界市民」といった言葉。「民族にこだわる必要があるんですか」というと、先輩に論破された。「本名で生きていく方がいい」「朝鮮人として生きていくべきだ」
 日本人の「おっさん学生運動家」の影響も大きかった。バブルの対極のような、ずいぶん年上に見えた彼は日朝関係史に詳しく、外国人登録法の指紋押捺を疑問視し、日本社会はこのままでよいのかという思いを、全身にみなぎらせていた。「この人に比べて、自分なんて『もっさい(かっこ悪い)』んやろ」
 差別があるなら、それをなくすように生きていこうと決めた。本名を名乗り、在日コリアンはどうあるべきか、朝鮮半島の南北分断をどうするべきかを考えるようになった。朝鮮との関係史を教える場が日本の教育システムにないことに気づき、学内に日朝関係史講座を計画。大学の宗教主事の牧師の助言で、当時あった学生組織「学友会」の協力を取り付け、学外に開放した市民講座で始めた。

大学に日朝関係史講座 30年続く

 講座は在日コリアンの学生が引き継ぎ、外部講師を招いて30年続く。年間18回。直近5年間の聴講生は2300人に上る12月の30年記念講座を聴いた元メーカー技術者の太田豊治(66)=京都市右京区=は「私たちは日本人の視点からしか、世の中を見ていない。講座には朝鮮の人たちの視点を知る意義がある。多くの日本人に受講してもらいたい」と語った。
 だが、令和の日本は外国人を34万人入れようというのに排外主義がはびこり、ヘイトスピーチ(憎悪表現)もなくならない。そこには根強く残る植民地主義と、格差が広がり、日本人が依拠できるものが曖昧になっていることがあると、金は感じている。同じ傾向の情報が偏って集まるインターネットの影響も。
 この分断に対するとき、金は、恩師で日朝関係史講座の初回の講師を務めた故・朴鐘鳴(パクチョンチョル)を思い出す。朴は活動家や大学講師として民族教育権を守ろうと奔走。日朝関係に詳しく、兵庫県尼崎市で、朝鮮半島や在日コリアンに関する書籍を集めた図書館「錦繍文庫」の理事長を務めた。
 「謦咳に接する(尊敬する人に会って話を聞く)」「信念とは、整合的な論理に支えられた強靭な自己主張」というぱくから習った言葉を思い、金は言う。
 「今までたくさんの真摯な日本人と出会い。刺激を受けながら一緒に動いてきた。物事も前進した。だから、まず朝・日関係の歴史を知ること。なぜ在日コリアンは日本にいるのか。日本の門物はどうやって来たのか。そして、顔を合わせて互いを知る。そのために私みたいなおっさんも、まだまだ頑張らなあかん」
=敬称略(大野孝志)

デスクメモ
 昨年12月、川崎市はヘイトスピーチに罰金を科す差別禁止条例を成立させた。全国初で、もちろんヘイトに苦しむ在日コリアンらにとっては朗報だろう。だが、一人の川崎市民として言えば、罰則が必要なほどヘイトが蔓延していたことが恥ずかしい。やはり理解の輪が必要だ。         (歩)


住民としてもがき
5割超外国人の団地で
川口芝園団地自治会事務局長 岡崎広樹(38)
2020年1月6日:東京新聞・こちら特報部・橋を架ける⑤

 2019年師走の15日。埼玉県川口市にある川口芝園団地の集会室には、親子連れやお年寄りら25人ほどが集まっていた。日曜日のこの日、参加無料のクリスマスパーティが開かれていた。
 参加者は3つのグループに分かれ、クリスマスカードを作った。中学生から大学院生まで6人の運営スタッフがパーティを盛り上げた。
 「上手にできてますねー」「今、何書いてるの?」その6人より少し年上、38歳の岡崎広樹も親子連れに声を掛けた。「絵文字」と父親が答えた。はっきりとした日本語だが、抑揚に癖があった。
 男性は中国人で団地に以前住んでいた。他の親子連れも多くが中国人。それもそのはず、約2500戸からなる都市再生機構(UR)のこの団地は住民の半分以上が外国人。そのほとんどが中国人といわれている。都内のIT企業に通勤する人が多い。催しの参加者は住民構成を反映したかのような顔ぶれだった。
 クリスマスケーキをみんなで食べ、記念写真を撮ってパーティーはお開きに。岡崎の周りには、スマートフォンを手にした参加者が集まった。連絡先を交換しているのだ。ただアプリは日本で多く使われる「LINE(ライン)」でなく、その中国版と言われる「ウィーチャット」だった。
 このパーティはボランティアグループ「芝園かけはしプロジェクト」が開いた。スタッフの若者はそのメンバーで、団地の自治会事務局長の岡崎はプロジェクトの「生みの親」だ。
 プロジェクトは外国人と日本人の住民の接点をつくろうと、試行錯誤を繰り返す中で結成された。毎月第三日曜日に団地で催し「多文化交流クラブ」を開く。
 「こういうオープンで緩やかに人が集まれる場がないと。学生らと連絡先を交換した外国人がまた、来やすくなれば」。岡崎はそう願う。
 今は穏やかに見える団地だが、以前は日本人と外国人の住民間で起きる生活トラブルが注目されていた。
 「住民33%が中国人になった埼玉県『チャイナ団地』現地報告」。「10年、週刊新潮がこんな見出しの特集で生活習慣の違いによる数々のトラブルが起きていると紹介した。すると外部からの見物人が相次いだ。排外主義を掲げるヘイトスピーチの標的になった。
 それでも中国人は増え続けた。URは12年、自治会の要望を受け手団地の管理サービス事務所に中国語の通訳を配置した。ごみの出し方など生活のルールを中国語で説明すると、トラブルは改善された。
 政治家らを輩出する私塾「松下政経塾」の熟成だった岡崎が初めて団地を訪れたのは、その翌年だった。

支え合う土台探る
生活トラブル 落書き 一緒に改善
「将来の日本の縮図」…続く挑戦

 岡崎は以前、総合商社の三井物産に勤めていた。欧州に赴任した時、日本人と外国人が文化や仕事に対する考え方の違いを感じた。30歳の節目の年に帰国し、「この先の人生をどうするのか、考えてみたい」と松下政経塾に応募、選考を通った。
 塾では日本人と外国人の関係性を研究することをテーマにし、国内に点在する外国人の集住地域を訪れて話を聞いた。13年に川口芝園団地に出向いたのも、その一環だ。
 団地の自治会が開く夏祭りと年末の餅つきを見学した。外国人と交流するための催しだった。だが岡崎の目には、どちらの催しでも交流が生まれているようには見えなかった。
 「外から見ているだけでは分からない」。実際に住んで自治会の役員をしながら研究したいと14年4月、団地に引っ越した。
 古い団地だけに、昔から住んでいる日本人の多くは高齢になっている。一方、最近移り住んできた外国人は若い。生活リズムが異なる両者にはそもそも接点がなかった。しかも生活習慣が異なる。日本人にとって中国人は「迷惑な隣人」、中国人にとって日本人は「見知らぬ隣人」だった。団地に住んで実感するようになった。
 そんな両者の交流は一筋縄ではいかない。
 岡崎は自治会で防災講習会を企画した。世代を超えて関心を持ってもらえると思ったからだ。日本語と中国語で説明する会で、もくろみ通り外国人も参加した。が、受講中は交流しようがない。講習が終わると、日本人も外国人も帰ってしまった。
 「汚い中国人帰れ」「泥棒大国=中国」
 14年末、団地の共用スペースにあったテーブルとベンチに、こんな落書きがいくつもされているのを岡崎は見つけた。
 誰がいつ書いたか分からない。放置しておけないと思った。15年4月、誕生したばかりの「芝園かけはしプロジェクト」のイベントで、日本人と外国人が一緒に上塗りをして落書きを消した。
 それから4年が過ぎた。プロジェクトの活動は軌道に乗り、団地の自治会も「多国籍」になった。役員9人の中には、中国人1人とガーナ出身で日本国籍を取得した1人も名前を連ねている。それでも日本人と外国人の交流が十分に深まったとは、岡崎には思えない。
 関心がない外国人はイベントに足を運ばない。中国人は仕事の都合や、より良い環境を求めて数年で引っ越してしまう。外国人の住民は入れ替わってしまうので、関係づくりはまたやり直しになってしまう。
 「正直なところ、8割ぐらいはやめたい」
 岡崎は弱音のような言葉を漏らす。それでもやめないのは「残りの2割ぐらいは、これって本当に大事なことだと思う時がある」身体と岡崎は説明する。
 その大事なこととは…。
 岡崎は団地の姿を近い将来の日本の縮図と感じている。日本ではますます高齢化が進み、一方で外国人労働者は増えるからだ。
 「少しでも外国人の受け入れがましになる方法を誰かが考えなければ。そうしないと外国人、日本人とも不幸なことになる」
 団地に住んで6年近く。本当にやめるのなら、引っ越せばいい。だが、顔を見知った人が増え、居心地も良くなったのだろう。岡崎は「ウダウダ悩みながらやっているというのが、本当のところですね」と笑みを見せ、都内の一般財団法人に職を得てから団地に住み続ける。        (稲垣太郎、敬称略)

デスクメモ
 入居開始から年月が過ぎ、住民の高齢化が進んだ大規模団地が首都圏にはいくつもある。共通の問題が孤独死。ご近所との関係が途切れた入居者が誰にもみとられず亡くなるのだ。対策には「交流」しかない。新たに転居して来た若い外国人の入居者が解決のカギになるかもしれない。        (裕)



自分たちで決めたい
陸自基地建設計画巡り
石垣市住民投票を求める会代表 金城龍太郎(29)
2020年1月4日:東京新聞・こちら特報部・橋を架ける③

石垣島の陸自ミサイル基地配備計画
 島中央部の貴重な動植物が生息する森を含む46㌶の土地に、地対空・地対艦ミサイル部隊を配備する。隊庁舎や車両整備場、弾薬庫、訓練場などが設けられる。島民には「自衛隊がいれば災害時に安心」と賛成の声がある一方、「建設する予定地は水源地、環境汚染につながる可能性がある」「有事の際の攻撃対象になりかねない」などと反対する意見もある。

 沖縄本島から西南へ約400㌔にある石垣島(沖縄県石垣市)。島の西寄りに小高くそびえる「パンナ岳」の展望台から、眼下に畑が広がる。黒毛の石垣牛がのんびりと草をはむ牧草地。小ぶりの実を付けたパイナップル。収穫期を迎え、背が高くなったサトウキビが、冬の柔らかい風になびいている。
 一角でマンゴーを栽培する農家、金城龍太郎(29)が遠くの丘を眺めた。亜熱帯特有のうっそうとした森の中に、重機に削られた地面の土色が目立つ。「だいぶ変わりました。茶色の部分が広がった」防衛省が平得大股地区で造成工事を進める、陸上自衛隊ミサイル基地の建設予定地だ。
 金城は「石垣市住民投票を求める会」の代表を務める。「島にかかわる大事なことは頭ごなしに決められるのではなく、自分たち島のみんなで決めたい」。自衛隊の計画が明るみに出た後の2018年10月、そんな思いを持った人たちが結成した。沖縄本島では「辺野古新基地建設」の賛否を問う県民投票を求める声が若者を中心に高まっていた時期。石垣の会も、若手の金城が代表を務めることになった。
 住民の投票を行うには、そのための条例を議会に提案し、承認を得る必要がある。地方自治法では、市長や市議だけでなく、一般市民も遊園者の1/50(2%)以上の署名を集めれば提案できる。当時の市内の有権者は約39000人。780筆集めれば足りる計算だ。だが、金城らははるかに上回る14263筆(37%)を集めた。おおむね有権者の3人に1人が署名したことになる。
 「自衛隊そのものに反対するための住民投票じゃない。みんなで話し合って、島の民意を示すための住民投票です」。そんな訴えが支持を受けた。「計画に反対の人も賛成の人も署名してくれた」と振り返る。
 18年12月、段ボール箱いっぱいの署名を持って条例制定を請求した。翌年2月の市議会採決は賛成10、反対10の同数で議長判断で否決された。普通ならこれで終了になるのだが、金城らは諦めなかった。石垣市には09年に県内で初めて制定された自治基本条例があった。
 この条例は、有権者の1/4(25%)以上の署名を集めた場合、市長は「所定の手続きを経て」住民投票を実施しなければならないと規定する。これを根拠に実施を掛け合った。が、市は「所定の手続き」の具体的な中身が決まっていないなどとして受け入れない。とうとう19年9月、市を相手取り、住民投票を行うように義務付ける訴訟を那覇地裁に起こした。
 ただ、金城の心境は複雑だ。浮かない表情でこう語る。「署名した人からは『何で住民投票ができないのか?』と今も聞かれるし、たくさんの人の署名を無駄にできない。とはいえ、人間関係が狭い島社会の中で裁判をするのは心が痛むこと。できることなら、やりたくはなかった…」

根強い「沈黙の文化」
人間関係濃く 政治的な話題避け
語り合うこと必要

 石垣島に地対空ミサイル部隊を備えた陸上自衛隊の基地を造る計画のベースにあるのは、防衛省が2013年に発表した「中期暴力整備計画」(14~18年度)だ。
 「南西諸島」と呼ばれるエリアがある。鹿児島県奄美大島から沖縄県与那国島までの島々を指し、石垣島も含まれる。防衛省は以前から、この一帯に自衛隊基地が少ないと懸念し、防衛力の「空白地」と位置付けていた。
 発表前年の12年、石垣島から北へ約150㌔の尖閣諸島を日本が国有化。中国が反発し、日中間の緊張が高まった。日本国内で、中国脅威論とナショナリズムが強まる中、中期防に盛り込まれたのが「南西諸島の防衛強化」。この延長に石垣のミサイル基地計画もある。
 だが、本土の中央で練り上げられた計画について、地元住民が事前に意見を聞かれることはない。金城自身、地元紙の報道を見て初めて知った。「畑もたくさんある場所なのに、『なぜここが?』という感じ。想像しづらくて、当初は誤報だと思っていた」と振り返る。
 島内では、普段の日常会話で、政治的な話題は避けるべきだという雰囲気がある。人間関係が濃密過ぎて、どんな政治問題であっても、自分の親戚や知人をたどれば利害関係者がいるのがその理由という。
 「例えば、親戚同士の宴席で話題が政治的な方へ行きそうになると、場の空気がぴりぴりしてくる。すると誰かがすぐに話題を変え、火消しに走る」
 だが、突如持ち上がった今回の計画は島民を混乱に陥れた。まずは予定地近隣の4つの集落が早々と反旦決議をした。市長選や市議選で争点となり、有権者が「反対派」と「賛成派」に色づけられていく。一方、中山義隆市長は「国防は国の専権事項」を強調し、基地容認の姿勢を打ち出した。それに合わせて防衛省も計画を進めていく。「反対派」のわだかまりはつのり、「賛成派」との溝が深くなった。
 けれども、日常に戻れば、それぞれの思いはまた心に秘められ、一緒に地域の行事を行う。島内を一周する地域対抗駅伝大会では、賛否両派が入り乱れ汗を流す。街の居酒屋で自衛隊の話題はタブーだ。島の中では、たとえ意見が違っても、人とかかわらずに生きていくことは難しい。
 したがって、両派の溝は見えにくくなる。「それは会話の最中のほんのささいな瞬間に出る。心の中で相手を『あっち派』とか『こっち派」と区別する『垣根』のようなものがある。人間関係をぎこちなくさせてしまう。『垣根』だ」
 政治的話題を前に沈黙することは、島社会の分断を表面化させないための知恵だと金城も感じる。ただ、それでは、心のわだかまりを根本的に解消することはできない。今必要なのは、沈黙ではなく語り合うこと。自由に意見を言い合い、島としての民意を示すことではないか。
 例えば選挙なら、自分の意にそぐわない候補者が当選しても「みんなで決めた結果」として受け入れることが可能だ。ミサイル基地をめぐる問題も、住民投票を通じて一つの民意を出せるはずだ。することになれば、必然的に相手の違う意見に触れる。なぜ、いかようにしてその意見が出てきたのかを考える。そのことが、島に続く「沈黙の文化」を乗り越えるきっかけになれば、と願う。
 「島の大きな課題について、そこに住む人が意見交換しづらいのは、やっぱり不自然。もし、島の民意すら示せないまま基地が造られたら、対立が一層強まりかねない」。金城は島の未来を見据え、そうつぶやいた。                                 (石井紀代美、敬称略)

デスクメモ
 突如持ち上がった計画に住民が混乱。「反対派」と「賛成派」に色分けされ、溝を深めていく―。沖縄・辺野古の新基地建設計画や、岩国への空母艦載機移駐、秋田・山口へのイージス・アショア配備でも同じことが起きた。共通するのは国からの押し付け。それが分断を生む。          (本)



「身分化」された労働者
正規と非正規の溝に挑む
派遣ユニオン書記長 関根秀一郎(55)
2020年1月4日:東京新聞・こちら特報部・橋を架ける④

正規雇用と非正規雇用
 総務省の2018年の労働力調査によると、役員を除いた雇用者5596万人のうち正規雇用は62・1%で、派遣やアルバイト、契約社員を含めた非正規雇用は37・9%。統計でさかのぼれる02年は正規70・6%、非正規29・4%。非正規の割合は年々増える傾向にある。

 東京西部を横切る京王線、初台駅(東京渋谷区)から徒歩5分ほど。非正規労働者が個人加入する労働組合「派遣ユニオン」の事務所は、労働関係の法律書や資料がひしめいている。「正規と非正規の溝は深く、広くなる一方だ」。派遣ユニオン書記長、関根秀一郎(55)が言い切る。
 2008~09年の年末年始。東京日比谷公園に「年越し派遣村」が設けられた。08年のリーマンショックの打撃を受けた日本に横行した「派遣切り」で、食と住まいを失った非正規を救うためだ。寝泊りの場と温かい炊き出しを求める人々の姿に、村の実行委員だった関根は「労働者を簡単に使い捨て機できる政策ミスによる人災だ」と世間に訴えた。
 それから10年余、東京五輪を控えた今、好況といわれる。しかし関根は、派遣村は歴史ではなく、今も続く現実だという。「五輪が終われば仕事を失う人が大量に出るはずだ。切り捨てが多発する不況や大災害だって、いつでも起こり得る。そして経済界は非正規をなくそうとしない」
13年施行の改正労働契約法は、有期で雇われた労働者が同じ職場で契約更新をし、通算5年を超えると無期に転換できる権利を定めた。ところがルール適用を逃れようと、期限の少し前で辞めさせる企業が絶えない。「最近は短期の契約も目立つ。口では長く雇うと約束し、書面上では数カ月単位の契約にして、細切れに更新する手口だ」。繁忙時は使い倒し、経営が悪化すると捨てる。便利な労働力として非正規を扱う企業の意識は変わっていない。
 解雇、賃上げ拒否、賃金不払い。関根が受けた相談は数え切れない。「20円でいいから、賃上げしてほしい」と悩む30代の派遣社員の女性。生活費が足りず借金を重ねて多重債務に陥った。50代の非正規の男性は「債務整理をして、安定した仕事に就きたい」と訴えた。「職場に行く交通費が出ず、実際にもらえる額は最低賃金を下回る」という非正規の悲鳴も聞こえてくる。
 ある大手電機メーカーで長年働く非正規の女性が「正社員になりたい」と訪ねてきた。会社側との交渉時、関根は女性の勤め先の労組に後押しを求めた。「素っ気ない応対でね。『うちは正社員の労組。就職活動で難関を通った自分たちと非正規は違う」と見下しているのがハッキリ分かった。一度非正規の道に入ると抜け出せない。正規と非正規は今や『身分化』されている」と関根は指摘する。
 労働条件や職場が違う非正規同士が、団結して待遇改善を求めるのも難しい。関根は何度か派遣会社のビル前で「皆さんの権利確保や賃上げを交渉します」と呼び掛け、チラシを配った。文面に見入り、その場で職場の不満を話しだす人もいた。しかし、仕事がもらえなくなるのを恐れ、行動に移せる人は少ない。
 「『非正規は小遣い稼ぎ』という誤解は根強い。一時期は自由な生き方ともてはやされ、自ら選ぶ人もいた。でも今は、女性や高齢者など(労働市場の)弱者がやむなく非正規で働いている。そして、就職氷河期世代も非常に多い」と関根は語る。1990年代初めのバブル経済崩壊で企業が採用数を減らした時期の新卒者が、氷河期世代だ。

雇う側意識変えねば
バブル崩壊後生まれた「使い捨て」
「有期」禁じる法改正を

 内閣府によると、35~44歳が中心の氷河期世代の非正規雇用は、2018年時点で約371万人。世代全体の22・0%を占める。政府は19年6月にまとめた「骨太の方針」に氷河期世代の集中支援を盛り込んだ。非正規や引きこもり状態の約100万人を対象に、3年間で正規雇用を30万人増やすという。
 同年12月決定の行動計画では、ハローワークに専門窓口開設、短期間の資格取得や正社員就職の支援、採用に積極的な企業への助成金拡充などを掲げた。しかし関根は、効果を疑う。「日本企業は新卒一括採用が慣例。新卒で正社員就職できないとずっとそのままだ。正社員になりたいとハローワークに相談したら、『高望み』と言われた人もいる。野党側の意識を変えなければ、解決しない」
 差別されている非正規に関根が目を向けた原点は、大学時代にある。東京で育ち、有名私大の付属高に通っていた。しかし系列大に進む気になれず、浪人して岩手大に進学。「ろくに大学に行かなかったけれど」と関根は苦笑する。代わりに足しげく通ったのがジャズ喫茶。「ブラスバンドでトランペットを吹いていたから、ジャズに親しみがあって、おもしろい人が集まっていて、社会のいろんなことを教わった」
 ある時、ジャズは黒人差別から生まれた音楽だ、と常連客が語った。「白人がダンスなどを楽しむ音楽を、後ろに下がった場所で奏でる黒人バンドが根っこだったと。そんな差別を音楽の力で覆し、主役になって人々にジャズを聴かせるようになった、と」。差別なんておかしい。そんな思いが高まる中、ふと気付いた。「人生で多くの時間を過ごす場所は、職場。そこにも差別があるのでは」
 大学を中退して東京に戻り、求人誌で見つけた労働関係専門誌の編集記者に、やがて、労組のない職場の組合結成を支援する「東京ユニオン」の活動に携わり、原稿を書くよりも労働者に寄り添って動く方が性に合うと感じた。
 05年に派遣ユニオン発足後、非正規を巡る問題と向き合い続けた。「かつて企業には『従業員は家族。決して路頭に惑わさない』という気概があった。でもバブル崩壊後、使い捨ての発想が生まれた」。関根はその転換の契機は、1995年に日経連(現経団連)が発表した「新時代の日本的経営」にあるとみる。
 厳しい経営環境を生き抜くためと称し、労働者を少数の正社員、多数の非正規、専門職の三つに分けて雇用を流動化し、福利厚生も含めて人件費を抑え、競争力を高めるなどと唱えた。それが、経営状況で解雇や賃金抑制をする流れにつながったという。
 政府も経済界の意に沿って、非正規雇用を広げた。86年の労働者派遣法施行時、派遣労働者は秘書や通訳など13業務に限っていた。しかし徐々に緩和し、99年に原則自由化、2004年に製造業に解禁した。さらに同じ派遣先で3年を超えて働く場合、直接雇用に切り替えることなどを促した15年の改正で、人を変えれば派遣労働者を使い続けられるようになった。
 「非正規を正社員にするのは難しい」と関根は言う。政府は非正規の待遇改善や正社員化をうたうが、関根は有期労働契約自体に疑問を抱いている。「期間限定のプロジェクトならともかく、恒常的な仕事になぜ有期雇用を充てるのか。安く使える労働力を前提にしているからだ」
 5年での無期転換ルールが機能しないのも、「出口規制」だから。関根は、有期雇用を原則禁じる「入り口規制」の法改正が必要だと考える。「そうでもしないと、非正規はなくせない」。働く人たちの間に「身分」はいらない。それが関根の深淵だ。 (中沢佳子、敬称略)

デスクメモ
 バブル崩壊後の1993年に入社した。筆記試験の出来は悪く面接もめためたで、なぜ採用されたのか今もってわからない自身の経験から言えば、就職活動は運の要素が多分にあると思う。そんな一発勝負で、人生が半ば決まってしまうような社会はどうなのか、健全とは言い難い。 (千)



相模原殺傷初公判 誰もが暮らしやすい社会へ 何が必要か
分離が生んだ無知と戦い
「青い芝の会」の運動に学ぶ
2020年1月9日:東京新聞・こちら特報部

 津久井やまゆり園事件の初公判が8日、横浜地裁で開かれた。殺人罪などに問われた元施設職員、植松聖被告(29)は障害者の存在を否定する主張を繰り返しているが、脳性まひ者の団体「青い芝の会」は1970年~80年代、自ら立ち上がって数々の運動を展開し、社会を動かしてきた。その活動を振り返るとともに、誰もが暮らしやすい社会にするにはどうすればいいのか、改めて考えた。  (佐藤直子、石井紀代美)

 「日本の社会はまだまだ障害者を分離し、隔離している。優生思想は植松被告だけが持っているものではない」。福永年久さん(67)=兵庫県西宮市=はこう語った。
 福永さんが5年ほど前から会長を務める青い芝の会(正式名称・日本脳性まひ者協会全国青い芝の会)は、「過激」な障害者運動の担い手として知られた。本格的に活動を始めたのは1970年代。重度の脳性まひ児の育児と介護に疲れた横浜市の母親が、わが子に手をかけた事件がきっかけだった。
 「母親がかわいそう」と減刑の嘆願書が住民から出されたのに対し、会は「障害児を殺した親に減刑を認めたら、われわれは生きられなくなる」と抗議。神奈川県立病院で行われていた羊水検査など出征前検診の中止を求め、障害児は養護学校(当時)へ通うよう義務付けた法律も隔離につながるとして反対した。

障害者の「生存」守る抗議…バリアフリー化へ

 会の名を知らしめたのは、77年の「川崎バス闘争」。乗車拒否を繰り返した路線バスに抗議し、車いすで車両の前に陣取ったり、何人もで一斉にバスに乗り込んだりした。会は行動綱領で「強烈な自己主張を行う」などと定めていた。その手法には賛否両論あったものの、「障害者が体を張って訴えたから、今があるんです」と福永さんは言う。駅にエレベータが設置されるなどバリアフリー化が進み、結果的に高齢者やベビーカー利用者も恩恵を受けられるようになった。
 神奈川県立保健福祉大の臼井正樹名誉教授(社会福祉学)は県の福祉担当職員だった90年代後半、会との交渉役を務めた、印象に残るのは、2013年に死去した前会長の横田弘さんが発した「私たちは障害者の立場からモノを言う」との言葉。「障害者は健常者とは立場が違う。互いが相対する存在として認め合えたらそれでいい、という考えだった。
 臼井氏は「重度障害者は不幸しかつくらない」との植松被告の主張を、「見方が一方的、自分もまた誰かによって、『殺されてもいい』存在と決めつけられることを考えていない」と感じたという。
 やまゆり事件後、ネット上では「この正論にまともに反論できん」などと植松被告を肯定する意見も相次いだ。会の研究をしている二松学舎大の新井裕樹准教授(障害者文化論)は「誰にも生きる意味があるのは普遍なこと。それなのに、人の命が毀損されても気にしない人間の想像力の欠如を感じた」と指摘する。
 事件後の18年にも、知的、精神障害のある40代の長男を父親が20年間、プレハブに監禁して死亡させる事件が兵庫県で起きた。荒井氏は「横田さんら障害者が『殺すな』『共に生きよう』と体を張って積み上げてきたものが、ひっくり返された」と話した。

今「障害者差別解消法」できたのに
UDタクシー・盲導犬・施設…相次ぐ拒否
「自分と同じ」実感せよ
共に学び触れ合う体験必要

 青い芝の会の活動などを通じてバリアフリー化が進むなど、障害者を取り巻く状況は少しづつ変わってきた。最近の大きな動きは、2016年4月の障害者差別解消法施行。不当な差別を禁止するのに加え、役所や事業者に「合理的配慮」をするよう義務付けた。
 段差があると車いすで通れず、耳が不自由だと音声でのコミュニケ―ションが取れないなど、障害者はさまざまな障害に直面する。そうした時に、役所や事業者ができる限り手助けをすることが合理的配慮とされる。
 ただ、法施行後も障害者への理解は十分に進んでいるとは言い難い。内閣府が17年8月に3000人を対象に行った調査では、同法を「知っている」は約2割にとどまり、約8割が「世の中に障害者差別があると思う」と答えた。
 障害者の生きづらさを示す例はいくつもある。障害者の権利保護を推進するNPO法人「DPI日本会議」は昨年10月、車いすのまま乗り込めるようスロープが付いた「ユニバーサルデザイン(UD)タクシー」に乗車を試みる調査を21都道府県で実施。UDタクシーは、東京五輪に向けて国が補助金を出して導入が進んでいるにもかかわらず120件中、32件(27%)が乗車を拒否された。
 また、公益財団法人「日本盲導犬協会」が昨年1~2月に行った調査で、盲導犬ユーザー201人中123人(約60%)に入店拒否の経験がると判明。障害者施設などの開設が計画されると住民が反対する「施設コンフリクト(紛争)」も各地で起きている。
 こうした差別の根はどこにあるのか。自身も全盲で、NPO法人「日本障害者協議会」の藤井克徳代表は「日本は歴史的に差別が生まれやすい状況だった」と解説する。
 「強者が生き、弱者は去れ」という優生思想が最も強く出るのは戦争時。全てが経済性や効率性で測られ、障害者は邪魔者扱いされていく。敗戦後の食糧難、労働力が求められた復興期、高度経済成長期を通して、障害者排除の流れが強まった。障害者は都市部から離れた施設などに隔離され、彼らの強制不妊手術などを合法とする優生保護法は1996年まで残っていた。
 「普段の生活で、障害者に接する機会はほとんどない。この分離により障害者への無知、無関心が広がり、差別を下支えしている」と藤井氏。熊本学園大の東俊裕教授(障害者人権論)も、障害者は健常者とは別に特別支援学校などに通う現状を「小さい頃から、障害者は『自分とは違う人』『かわいそうな人』という意識がつくられていく。優生思想につながりやすい」と批判する。
 大阪市立大の野村恭代准教授(社会福祉学)は解決策として「小さいころから自分と同じ人間、生活者だという実感を持たせられるかが重要」と強調する。そのためには自治体が積極的に障害者と触れ合う機会をつくり、現状の知識詰込み型の福祉教育を変える必要があるとし、野村氏は「単に車いすの使い方を学ぶのではなく、実際に障害者に話し掛けたり、手を触れたりする実体験が大事」と話す。
 2019年版の障害者白書によると、身体、知的、精神障害者は963万人で、高齢の認知症患者約600万人(推計)を加えると人口の12%強になる。藤井氏は「弱視、軟調、難病などを含めれば5人に1人で、誰もがすでに障害者か、いずれなり得る。『自分は無関係』ではなく、己のこととして想像していくことが差別をなくす契機になる」と語った。

デスクメモ
 神奈川県は事件後、いかなる偏見や差別も排除するとして、「共に生きる社会かながわ憲章」を定めた。ところが一昨年12月に結果を公表した県民の調査で、「知らない」と答えた人は81%に上った。藤井氏が言うように、一人一人がわが事として捉えられるかが問われている。            (千)



この国で つながり信じ
入管収容者の支援続ける
「仮放免者の会」アフリカ地域リーダー
 エリザベス・アルオリウォ・オブエザ(52)
2020年1月10日:東京新聞・こちら特報部・橋を架ける⑥

仮放免者と生活上の制限
 退去強制令書を受けながら、健康や人道上の配慮から一時的に収容施設の外に出られる仮放免の外国人は昨年6月末現在、2303人。仮放免が認められるには保証金や保証人が必要。就労や入管施設までの経路を除き居住地以外の都道府県への異動が原則禁じられる。健康保険に加入できず、医療に多額の費用がかかることもある。

 昨年末の平日朝、東京出入国管理局(東京都港区)。ナイジェリア国籍のエリザベス・アルオリウォ・オブザエ(52)が、茨城県牛久市の自宅から2時間かけて電車とバスを乗り継ぎ現れた。「MENKAI(面会)」と書かれたガラス張りの入り口にまっすぐ進む。
 毎日のように東京や牛久の入管施設を訪れ、収容者の支援を続けている。黒いキャリーケースは、差し入れるためのシャンプーやタオル、文具、国際テレフォンカードでぱんぱんだ。
 「助けて、と携帯にいっぱい電話が来る。なぜこんなひどいことをするのか」。エリザベスは、職員に足を踏まれ、腕を骨折したという収容者のエックス線写真を手に憤る。
 観光ビザで入国したエリザベスは、2011年にオーバーステイで収容された。国は難民と認定せず、エリザベスはその処分の取り消しを求める訴訟を起こしている。約250人の当事者が参加する「仮放免者の会」(東京)のアフリカ地域リーダーでもある。
 入管施設は多くの問題を抱えている。昨年も抗議のハンガーストライキによる飢餓死や、職員の制圧の際の暴行など、過酷な収容実態が明らかになった。
 厳しい環境の中で、国籍も言葉も異なる収容者が、同じ居室で寝起きする。かんかや盗難などのトラブルは後を絶たない。何年も収容されたままの人がいる一方で、仮放免され、とりあえず「自由」を手にする人もいる。ねたみや不満が生まれ、収容者同士は分断されがちだ。
 「管理する側には都合良いかもしれない。でもエリザベスは違う」と会の事務局長、宮廻満(ミヤザコ・57)は語る。「エリザベスは相手にビザが下りれば、自分のことのように喜ぶし、理不尽なことがあれば、共に怒る純粋な人。分け隔てなく接してきた」
 この日もエリザベスは自分とは国籍の違う収容者と次々、面会した。
 入管の建物7階にあるパイプ椅子とカウンターだけの殺風景な面会室。インドネシア人女性は「仮放免を何度お願いしてもだめで…」と悲しい顔を見せた。透明なアクリル板越しにエリザベスは「ひどいいじめだよ。また来るからね」と励ます。技能実習生として来日した同国の男性とは「安い給料でたくさん働かせ、逃げたら捕まえる。日本はおかしいよ。あなたは悪くない」と共に怒った。
 別の日、エリザベスは、収容中に同室だった50代のフィリピン人女性の仮放免が認められたと聞き、入管の窓口に駆けつけた。3年1カ月ぶりに外に出た女性は、ハンストで15㌔も体重が落ちていた。『こんなにやせてしまって…。何が食べたい?」と慰めるエリザベス。女性と肩を抱き合い、笑って涙ぐんだ。
 エリザベスは「入管に来ると、いろいろなことを聞いて心が痛む」と言う。では、なぜ面会を続けるのか。「収容者は死んで出るか生きて出るかまで、追い込まれている。私は外にいるから、中で困っている人は助けたい。神さまの仕事と思ってやっているの」。エリザベスはこう語った。

「非人間的」行政と闘う
ハンスト死 暴力 就労禁止 無保険
「働いて役に立ちたい」…「生存権」求め

 エリザベスは、独立運動への抑圧が続くナイジェリア南東部の出身。17歳の時、地域の風習として残るFGM(女性器の削除)を強要されそうになり、教員だった亡き母の後押しで家を出た。銃や薬物が横行する社会を嫌うエリザベスには、治安の良い日本が好ましく見えた。
 1991年に来日した時はバブル景気、非正規滞在で働く外国人の多くが、事実上「黙認」されていた。エリザベスも首都圏のプリンターやクリーニングの工場で働く一方、クリスチャンとして教会に通い、他の外国人労働者の悩みを聞くようになった。
 風向きが変わったのは、2003年。不法滞在の外国人らが組織犯罪の温床となっているとして、国は「半減5カ年計画」を打ち出した。警察の取り締まりが強化され、収容される人が増えた。エリザベスは教会でお金を集め、自主帰国に必要な航空券を買う支援も始めた。
 ただ、自信は日本の暮らしに馴染み「ナイジェリアは治安が悪く、頼れる人もいない。もう帰れない」と思うようになっていた。06年、入管に自ら出向き、「日本に住む手続きを教えてほしい」と告げた。その願いは認められなかった。収容生活は11年から2回、計2年弱に及んだ。
 牛久の入管施設では、窓に黒い幕が張られた6畳ほどの部屋で、集団で過ごし、外から施錠された。収容者の多くは不眠となった。精神安定剤などを処方されると無気力に陥る。フィリピン人の女の子が衝動で、自らの首をTシャツで絞めたこともあった。
 「誰だって、おかしくなるよ」とエリザベス。収容所は外の医者にかかるのも難しい。エリザベスは、入管の医者には「日本の税金は使わせない」と断られた。「私だって日本で働き、税金を払ってきた。なぜそんな差別をできるのか」と憤る。左半身がしびれるのは、収容中の後遺症だ。
 その後、仮放免が認められた。ただ、就労は禁じられ、フードバンク団体や教会の支援で暮らしている。エリザベスは「私は働いて、日本の役に立ちたい。みんなもそう。何年も働かず、どう生活すればいいの」と訴える。
 より深刻なのは、仮放免者の親から生まれた子どもも、仮放免になっている場合という。「日本の学校でいくら勉強しても、卒業後は働けない。かわいそうよ」。前出の宮廻は「働くことは生きること。仮放免者というのはいわば、日本での生存権を奪われている人たちだ」と指摘する。
 エリザベスは日本社会からの分断を感じているのだろうか。質問をぶつけると、すこし丈の短い黒いコートの裾に手をやって答えた。
 「確かに多くの日本人は、私たちのことを分かっていない。でも、私がきているこのコートも教会の支援。助けてくれる人もたくさんいたから、私はこの国で生きてこられたし、他の収容者に差し入れもできる。だから、私たちはつながっているんじゃないか」
 昨年12月には、非人間的な入管行政の現状を、日本社会に訴えてきた活動が評価され、民間の基金による「多田謠子反権力人権賞」の表彰を受けた。不安定な仮放免の身だが、「入管を批判することは怖くない」と断言する。
 「人間はみな同じでしょ。牛久でも暖房をつけてほしいと言い続けていたら、やがてかなった。日本での滞在が長い仮放免者には、就労やビザを認めてほしい。収容で家族を離ればなれにしないでほしい」。エリザベスは、こんな願いをかなえようと入管施設に足を運び続ける。      (安藤恭子、敬称略)

デスクメモ
 42人。2018年に日本が難民として認定した人数。前年から倍増したが、お寒い。ドイツや米国、フランス、カナダは日本の数100倍から数1000倍を保護している。桁が3つ違うのだ。金持ち観光客の誘致や外国人労働者の受け入れに、やっきになっている場合じゃないでしょう。      (裕)



<2020年 核廃絶の「期限」>
「核ゼロ」世界が誓った年
 「被爆者存命中に」迫る時間
2020年1月13日:東京新聞

 「核兵器のない世界の実現に向けた道筋を示し、二〇二〇年までに目標を達成する」
 〇三年十月、英国で開かれた平和市長会議(現・平和首長会議)の理事会。被爆地の広島、長崎両市に加え、開催地のマンチェスターやフランス、ドイツの都市が全会一致で決議した。
 決議したのは核廃絶に期限を設ける「二〇二〇ビジョン」。出席者は「核兵器で犠牲を強いられるのは都市であり、住民だ」と核使用への危機感を訴えた。
 広島、長崎両市が創設した会議には当時、核保有国の米ロなどを含めた百七カ国・地域の五百五十四都市が名を連ねていた。現在の加盟都市は八千に迫る。
 〇三年当時、北朝鮮が核拡散防止条約(NPT)から脱退表明するなど核を巡る状況は緊迫。「二〇二〇年」に込めたのは、被爆者が存命のうちに核なき世界を達成するとの決意だった。
 会長都市として理事会に出席した当時の広島市長、秋葉忠利(77)は「期限のない目標は夢にすぎない。現実を変えようとしたらゴールを決めて努力すべきだと考えていた」と振り返る。
 市民も「二〇年核廃絶」を訴えていた。核兵器を巡る国際情勢を調査するNPO法人「ピースデポ」(横浜市)もその一つ。特別顧問の梅林宏道(82)も「期限設定は、核廃絶の世論形成に貢献した」と語る。
 決議から十六年余。核廃絶は実現しないまま、「期限」の二〇年を迎えた。
 一月九日。青空の下、長崎市の平和祈念像の前に被爆者ら百人余りが集まり、反核を訴える「九の日座り込み」が行われていた。
 マイクを握った川野浩一(80)は、米国がイラン革命防衛隊司令官を殺害するなど緊張が高まる中東情勢について「あんな野蛮なことが許されるのか。安倍晋三首相も米国に物を言うべきだ」と呼びかけた。
 座り込みは、長崎原爆の日に合わせて毎月九日に実施。一九七八年に原子力船「むつ」が県内に入港したことを機に始まり、今年最初の今月で四百五十一回目を迎えた。
 被爆者の平均年齢は今や八十二歳を超え、ピークには二百人を超えた参加者数も先細る。川野は「いつも隣に座っていた人が来ていないと思うと、亡くなったという知らせが届く。くしの歯が欠けるように減っていく」と話す。
 川野は五歳の時、長崎市内で被爆。原水爆禁止日本国民会議議長を務めるなど、核廃絶運動を引っ張ってきた。昨年十一月には、三十八年ぶりに長崎を訪れたローマ教皇の演説を聞き、勇気づけられた一方、こう感じた。
 「自分たちの力がなくなってくると、教皇にすがるような気持ちになってしまう。話を聞いて心を打たれるだけでは何もならない」
 「ノーモア・ヒバクシャ」を合言葉に、新たな被爆者を出さないよう、自らの体験を語り継いできたが、高齢化は止めようがない。
 川野は言う。「私たちにはもう後がない。しかし、諦めるのではなく、若い人たちに思いを伝えていかなければ」  (敬称略)
 ◇ 
 原爆投下七十五年に当たる二〇二〇年は、世界の都市が核廃絶の「期限」とした年でもある。米ロ対立や北朝鮮の挑発などで核使用の脅威が高まる中、平和を求め、核廃絶を訴える被爆地や市民の思いを伝える。
 (この連載は、木谷孝洋、北條香子、関口克己が担当します)



(社説)成人の日に 社会は動く、動かせる
2020年1月13日:朝日新聞

 コンサルティングや会計業務を手がけるPwCジャパンは、昨秋の社内の研修で、子どもの貧困問題に取り組むNPO「ラーニング・フォー・オール」の学習支援教室を見学した。
 きっかけの一つは、採用活動の場で学生からしばしば「社会の課題に向き合える会社で働きたい」と言われることだった。実際、社内でこうした活動に参加する若手は多く、上の世代に刺激を与えている。「若い人は大人の本気度を見ている」と人事担当者は感じている。
 教室を支えるのはボランティアの大学生たちだ。同じように勤務先の研修で訪れた人が、その真剣な姿に触れ、個人として寄付を始めるといったケースも少なくないという。
 「自分で国や社会を変えられる」と思う若者の割合が、日本は他国に比べて低い。日本財団が昨年、欧米やアジアの計9カ国で実施した調査の結果だ。
 だが一人ひとりがしっかり考え、言葉や行動に表せば、こんなふうに他者を動かし、世の中も動かせる。自分では気がつかなくても、あるいは微々たる歩みであっても、間違いなく。
 122万人の新成人をはじめとする若者に、そう伝えたい。大学入試改革をめぐり、当事者である高校生が声を上げ、世論を動かし、ついに政府が方針を変えたのは昨年のことだ。
 いやそんなことを言う前に、胸に手を当てて考える必要があるのは大人たちだろう。
 なぜ先のような調査結果になるのか。何が無力感を植えつけてしまっているのか。
 例えば理不尽な校則だ。スカート丈から果ては下着の色まで統一する。部活動は本来自由なのに、全員参加を強いる……。
 ルールの意味や必要性を生徒自身に考えさせ、決めさせている学校はどれだけあるだろう。身近な教室や学校の中でさえ、自らの考えを表明し、結果に反映された経験をもたなければ、「国や社会を変えられる」なんて思えるはずもない。
 では、学校が考えを正せば問題は解決するのか。教師が生徒の行動を縛ろうとする大きな理由に「世間の目」がある。生徒がちょっと目立った振る舞いをすると、学校の評判が落ちる。面倒を起こせばたたかれる。
 子どものための習いごとや塾通いだったはずなのに、思うような結果が出ないといら立ち、追いつめてしまう親も、自立を妨げる原因になりうる。
 入試や就活で、大人は若者に「主体性」を求める。ならば、その前から自分で歩く力をつけてもらうために、歯がゆさをこらえ、見守る。成人の日を、大人の側がそんなことを確かめ合う機会にしてはどうだろう。

2020年最初の長崎での「9の日座り込み」。被爆者らは平和祈念像の前で核廃絶を訴えた
=9日、長崎市で(木谷孝洋撮影)
(東京新聞)



【主張】成人の日 あなたが新時代の主役だ
2020年1月13日:産経新聞

 令和となって最初の成人の日である。新成人となった皆さんのこれからの人生に幸多かれと、願ってやまない。
 新元号の出典となって話題を呼んだ「万葉集」から、皆さんに味わってほしい歌がある。
 「父母(ちちはは)が頭(かしら)かき撫(な)で幸(さく)あれて言ひし言葉(けとば)ぜ忘れかねつる」
 巻第二十に収められた防人(さきもり)の歌である。防人に、また父母に限らない。だれしも育ててくれた人がいる。成長した皆さんの今後の幸せを祈っているだろう。まずそんな人たちに感謝したい。
 仕事でも学業でもいい。それぞれの分野で頑張り、社会に尽くす大人になってほしい。それが、いつくしんでくれた人の恩に報いることにもなる。
 日本の将来に不安もあろう。少子高齢化が進んでいる。厚生労働省の推計では、昨年の出生数は明治32年の統計開始以来、初めて90万人を割る見通しとなった。昭和24年に比べ3分の1以下である。今年元日時点での新成人は総務省の推計で122万人と、前年より3万人減った。
 一方で高齢者人口は2040年代初頭まで増加傾向が続く。政府は全世代型社会保障改革を進めているが、医療や年金は大丈夫か、不安を抱く人も多いだろう。
 それだけではない。災害が多発し、安全保障上の脅威もなくなっていない。日本が置かれた状況は厳しい。
 しかし悲観ばかりしてはいられない。今回の新成人だけでなく若い世代には、逆風を吹き飛ばす力をこそ見せてほしい。
 東京五輪の年である。若い力の躍動が見られよう。晴れ舞台に立てなくてもいい。白血病と闘っている競泳女子の池江璃花子選手は「コツコツと頑張っていきたい」と今年の抱負をつづった。すでに十分頑張っている彼女に、多くの人が声援を送ってきた。
 スポーツに限らない。どんな分野でも、ひたむきな若者の姿は社会に力を与える。特に新成人の皆さんには、大人としての自覚と責任感を持って、挑戦を続けてほしい。令和という新時代を切り開いていく主役は、皆さんだ。
 高齢世代も共に頑張りたい。社会保障改革の一環として雇用制度の改革も行われる。70歳まで企業で働くことが現実味を帯びてきている。元気な間は働き、若い世代の負担を少しでも減らしたい。



成人の日 挑戦する気持ちを忘れずに
2020年1月13日:読売新聞

 成人の日のきょう、122万人が大人の仲間入りをした。新たな門出を祝いたい。大人としての自覚を胸に刻み、人生を歩んでほしい。
 1999年に生まれた新成人は、携帯電話やスマートフォンの普及により、子どもの頃から便利な暮らしを送ってきた世代だ。
 内閣府が昨年実施した世論調査によると、現在の生活に充実感を感じていると回答した人の割合は18~29歳では8割を超えた。
 景気は緩やかな回復を続け、企業の雇用は安定している。こうした経済情勢が、現状に対する満足感に反映していると言えよう。
 一方で、13~29歳を対象にした内閣府の国際調査では、「将来に希望を持っている」とした若者の割合が日本では6割にとどまった。約9割に上った米国や英国の若者と比べて、かなり低い。
 年金給付など社会保障制度の持続性や、仕事と子育ての両立などについて、漠然とした不安を抱えている若者が多いのだろう。
 「支払った保険料と期間に応じて年金を受け取れる」という年金の基礎を知っている割合は、18~24歳では他の世代に比べて、著しく低いという調査結果がある。基本知識を持っていないことが不安を助長しているのではないか。
 まず、税や社会保障といった、生活する上で必要な知識を学ぶことから始めてはどうだろう。
 成人になれば、年金の保険料を納める義務も生じる。厚生労働省は様々な制度について、わかりやすい情報発信が求められる。
 子育ての現場を知ることも有効だ。25歳の新居におり日南恵ひなえさんが社長を務める「manma(マンマ)」(東京)では、大学生や若い社会人に、共働き世帯を訪問してもらう活動を続けている。
 学生からは、「仕事をしながら子育てをするのは大変だと思っていたが、工夫次第で充実した生活を送れることがわかった」との感想が寄せられているという。
 こうした体験が、将来への不安を和らげ、新たな一歩を踏み出すきっかけになればいい。
 若者の挑戦を社会も後押ししたい。秋田県では、若者の店舗開業資金などの一部を補助する事業を始めた。事業に応募した仙北市の八島誠さん(30)は、地域活性化を目指し、自然を満喫できるサウナの開業を計画中だ。
 昨年、ノーベル化学賞を受賞した吉野彰さんは、「失敗してもええから、挑戦せえや」と若い世代に呼びかけた。この言葉を糧に、チャレンジしてみよう。



新大学入試の検討会議
 まずは制度破綻の検証を
2020年1月13日:毎日新聞

 大学入学共通テストの今後のあり方を検討する文部科学省の有識者会議が15日、初会合を開く。導入が見送りとなった英語民間試験や国語・数学の記述式問題の扱いなどを話し合う。
 当面は委員が自由に意見を交わし、1年間をめどに結論を出す。まずは制度が頓挫した原因を分析し、再び迷走する事態を防がなければならない。
 特に詳しい検証が必要なのは英語民間試験導入の破綻だろう。文科省は新たな英語試験を2024年度の入試から始めることを目指しており、新制度でも「読む・聞く・書く・話す」の4技能を重視する従来の姿勢を変えていない。
 大学入試で英語民間試験の活用を求める提言は13年4月、経済同友会と自民党の教育再生実行本部が相次いで公表した。
 経済同友会は、日本企業の国際競争力を高める上で、実用的な英語力が学校教育で身についていないことがネックになっていると批判した。「話す」を含め4技能を問う民間試験の導入で大学入試を変えれば、英語教育も変えられると主張した。
 その後、この考え方は大学入試改革の柱になっていった。
 最終的に暗礁に乗り上げた直接の原因は、具体的な制度設計の段階で、受験生の家庭の経済事情などによって不公平が生じる問題を解消できなかったことだ。
 だが、根本的な原因は、改革が政財界主導で始められ、高校、大学という当事者の声をじっくり聞く姿勢を欠いたまま進んでいった点にあるのではないか。4技能を共通テストで測るという出発点から問い直す必要がある。
 本来、大学入試とは切り離して、授業で4技能とも高める工夫をしていくべきだ。教員の指導力を向上させる研修なども欠かせない。英語教育の改善は、そうした粘り強い取り組みの集積により可能となる。
 入試改革をカンフル剤にして教育を変えるという発想は、そもそも乱暴だ。
 新たな会議では、具体的な制度設計を視野に入れ、高校、大学側との対話を重視してほしい。現場本位でない議論を重ねても、同じ失敗を繰り返すだけだ。



政治家のジェンダー差別発言
 麻生氏がワースト「連覇」
2020年1月11日:毎日新聞

衆院財務金融委員会で答弁する麻生太郎副総理兼財務相=国会内で2019年11月29日、川田雅浩撮影

 2019年の政治家のジェンダーに関する問題発言を取り上げ、ワースト1位を決めるインターネット投票の結果が11日発表され、1位は麻生太郎財務相の少子化に関する発言となった。麻生氏は昨年も1位に選ばれており、ワースト「連覇」となった。【中川聡子/統合デジタル取材センター】

麻生氏への投票理由「問題発言多いのに反省ない」

 投票を実施したのは、上智大の三浦まり教授(政治学)らによる市民団体「公的発言におけるジェンダー差別を許さない会」で、今回で3回目。同会のウェブサイトであらかじめ提示された8発言に対して1人最大2票投票できる仕組みで、19年12月30日~今年1月9日の投票期間中、前回より約1800人多い3820人が参加し、投票総数は7593票だった。
 その結果、1位は麻生氏、2位は安倍晋三首相、3位は平沢勝栄衆院議員となった。
 2588票を集めて1位となったのは、麻生氏の次の発言だった。
 「(日本人の平均寿命が延びたのは)いいことじゃないですか。素晴らしいことですよ。いかにも年寄りが悪いみたいなことを言っている変なのがいっぱいいるけど間違ってますよ。子どもを産まなかったほうが問題なんだから」(2月3日、福岡県内の国政報告会で)
 この発言に投票した理由(自由記述)としては、政策の失敗の原因を子どもを産まない人に押しつけることは政治家の責任放棄▽過去にも問題発言が多く、反省が見られない――などが挙げられたという。
 麻生氏は昨年も、財務事務次官のセクハラ問題に関連して「(加害者側の)人権はなしってわけですか」「財務省担当(の記者)はみんな男にすればいい」などと述べた一連の発言がワースト1位に選ばれている。

主催者「政治の根深い問題を象徴」


首相官邸に入り記者団らに「おめでとうございます」とあいさつする安倍晋三首相
=首相官邸で2020年1月7日、川田雅浩撮影

 2位以下は次の通り。
 ▽2位(1765票)安倍晋三首相「お父さんも恋人を誘って、お母さんは昔の恋人を探し出して投票箱に足を運んで」(7月16日、新潟県内での選挙応援で)

衆院憲法審査会で質問する自民党の平沢勝栄氏=国会内で2019年5月9日、川田雅浩撮影

 ▽3位(866票)平沢勝栄衆院議員「LGBTで同性婚で男と男、女と女の結婚。これは批判したら変なことになるからいいんですよ。もちろんいいんですよ。ただ、この人たちばっかりになったら国はつぶれちゃうんですよ」(1月3日、山梨県内での集会で)
 今回は回答者に性別や性的少数者かどうかといったことも尋ねており、こうした属性ごとの集計では順位はそれぞれ違ったという。
 「許さない会」は公表したコメントで「属性によって見えている景色は多様だという認識を前提にすることが重要」と指摘。「1位、2位に投票が集中したのは、政権の2トップの発言であることが影響している。支持者が集まる場で『受け』を狙ったものと思われ、根深い問題を象徴している。(こうした)発言が出てくる政治風土を変える必要がある」と述べている。
 結果や集計の分析は会のホームページで公表されている。

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