2020年、今年の抱負「アベ政治を許さない」

今のこの国は、危うい。
年の初めがやるせない。
格差と分断の社会をどのようにして、公正で連帯の社会へと再編集することができるのか、政治が問われる。
しかし、その政治がダメだ。
政治を支える政治家がダメだ。
トップから、地方まで多くの政治に希望が見いだせない。
これでは、国は亡ぶ。その淵源に安倍晋三という人物がいる。ここに不幸がある。桜が咲いても、忘れない。
五輪のためと、惑わされない。刮目して過ごそう。


安倍首相の有終の美
2019年12月31日:毎日新聞

田中秀征氏=宮武祐希撮影

 首相在任記録では前人未到の境地に入っている安倍晋三首相だが、本人としてはもちろんそれだけではもの足りないだろう。また、われわれ同時代人もこのままでは肩身の狭い思いをしかねない。
 できれば、吉田茂(講和)、岸信介(日米安保)、佐藤栄作(沖縄返還)、田中角栄(日中国交回復)のような大宰相と同様の際だった歴史的業績がほしいところだ。
 安倍首相は自分の歴史的使命を憲法改正、北方領土返還、拉致問題の解決などに置いてきたようだが、いずれも一筋縄ではいかない難題だ。
 それに、先人の歴史的業績は、たまたま“時務”すなわち時代の要請として機が熟していたものがほとんどだから、特に安倍首相自身の責任を問われるものではない。
 首相の(自民党総裁としての)残りの任期は2年弱。この間に東京五輪・パラリンピックもある。常識的に見て、この間に大風呂敷を広げるのは賢明ではない。大事業への中途半端な取り組みを始めるより、後始末をしなければならない仕事をきちんと片付けるのが肝心だ。それが首相としての歴史的評価を高めることにもつながる。
 私が仕上げの仕事として首相に期待しているのは主として次の4点である。

 (1)集団的自衛権の行使を容認した閣議決定を過半数の反対世論に従って撤回すること。もし撤回しないなら堂々と憲法の改正手続きを経ること。国民が納得していない新安保法制は、危機に際して国民的協力を得られず、有効に機能しない恐れがある。
 (2)北方領土問題について、国内、ロシア、国際社会には、わが国が2島返還論に転じたかのような誤解が生まれている。これを早期に払拭(ふっしょく)しなければ後に続く政権の動きがその誤解に制約される。
 (3)8年目に入るアベノミクスを厳しく検証し、その展望を明らかにすること。
 “異次元緩和”によって日銀は巨大なリスクを背負い込んだが、物価が上がる、消費が活発になる、貸し出しが増えるなどの目指した政策目標はほとんど裏目に出ている。果たして鳴り物入りで深入りする必要があったのか。
(4)安倍首相は先頭に立って政治の信頼回復に全力を尽くしてほしい。

 12月13日、首相は最近の国会について「一昨年と昨年はモリカケ問題。今年の春は統計問題、この秋は桜を見る会」など「政策論争以外の話に多くの審議時間が割かれている」と政治不信を軽視するような講演をした。
 かつて石橋湛山首相は、病に倒れると周囲(野党まで)が止めるのを振り切って、首相就任わずか2カ月で退陣した。その“潔い出処進退”は政治への信頼を高め、今もって歴史に深く刻まれている。
 「信なくば立たず」と言うように、政治にとっては”信頼”がすべてに優先する課題だ。
 首相は求められている説明責任を徹底して果たすこと。近年、タガがはずれた感がある公文書問題に厳しくメスを入れること。そして、大学入学共通テスト問題、かんぽ生命保険の不正販売問題などを巡って、政、官、民が癒着を深め相互の領域を侵食しつつある現状に断固として立ちはだかってほしい。
 そもそも、行政の改革、公務員制度の改革は、第1次内閣以来、安倍首相の最大の公約であったはずだ。
 その初心に戻ることこそ有終の美を飾る道なのかもしれない。



拓論’20
五輪・パラと日本社会
 共生と公正求める祭典に
2020年1月3日:毎日新聞

 東京五輪・パラリンピックの年を迎えた。56年ぶりの五輪開幕まで200日余りと迫った年の初めに、改めて日本開催の意義を考えたい。
 1964年の前回は、日本の戦後復興と経済成長を世界に示す大会となった。しかし、今は少子高齢化、人口減少が進む低成長時代だ。
 国内では右肩上がりだった時代の再現を夢見るような計画が立てられている。2025年に大阪・関西万博があり、30年冬季五輪・パラリンピックには札幌市が立候補する。
 複数回にわたって夏季大会の招致に成功した世界的な大都市にも共通の傾向が見られる。ロンドンやパリ、ロサンゼルスも都市の再活性化と経済成長が重要なテーマだろう。
 しかし、五輪やパラリンピックを開く目的は、老朽化した競技施設を建て替え、道路を整備し、ホテルや観光客を増やすことではない。

多様な文化受け入れて

 国際的に活躍する日本の選手を想像してほしい。テニスの大坂なおみ、バスケットボールの八村塁、陸上のサニブラウン・ハキームやケンブリッジ飛鳥、卓球の張本智和の各選手らは、外国出身の親を持つ。ラグビー日本代表も、外国人を含むメンバーの多様性が話題になった。
 グローバル化の現象は世界のスポーツ界でさらに顕著だ。98年サッカー・ワールドカップは開催国フランスが優勝した。その中心メンバーは、アフリカやカリブ海など外国や旧植民地にルーツを持つ選手だった。
 英国ではロンドン五輪とリオデジャネイロ五輪の陸上長距離で、計4個の金メダルを獲得したモハメド・ファラー選手が英雄的存在だ。ソマリア生まれだが、内戦を逃れて8歳で英国に渡り、才能を開花させた。
 日本も人種、民族、宗教、言語の異なる人たちと暮らす多様な社会になりつつある。
 共生の大切さは、障害者との関わりにも通じる。パラリンピックは、ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院で、48年に始まったアーチェリー競技会が原点だ。最初は第二次世界大戦で脊髄(せきずい)を損傷した兵士のリハビリを兼ねていた。
 「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」は大会の創設者、ルートビヒ・グトマン医師の言葉だ。その理念が共感を広げ、大会は国際的な発展を遂げた。
 日本の障害者スポーツはかつて厚生労働省の管轄だった。14年度から文部科学省に移管され、今はスポーツ庁の傘下にある。トップ選手は五輪代表と同様、国立のトレーニング施設を使えるようになった。リハビリではなく、五輪と同じ競技スポーツとして位置づけられた証しだ。
 障害を持つ人たちが、可能性と限界を求めて挑戦する。パラリンピックはそんな姿に身近に接し、共生社会の意味を肌で感じる機会になる。

メダル至上主義の危険

 一方、グローバル化への反動で、多様性に背を向ける国家主義的な潮流が世界各地で広がっている。愛国心がメダル競争と結びつけば、重圧で選手を苦しめることになる。
 64年東京五輪のマラソン銅メダリスト、円谷幸吉選手が次のメキシコ五輪を前に走れない苦悩から自殺した。今も語り継がれる悲劇だ。
 日本は今回、五輪で金メダル目標を30個と掲げている。56年前は金15個を目指して16個を獲得し、これが今も04年アテネ五輪と並んで最多だ。4年前のリオ五輪は金12個だけに、30個はハードルが高い。
 パラリンピックでも日本は金メダル獲得順位で世界7位以内を目指している。だが、リオ大会では金メダルゼロと厳しい現実に直面した。
 高い目標設定の背景には、国家戦略として選手強化に巨額の予算がつぎ込まれている事情がある。20年度予算案ではスポーツ関係に過去最大の351億円、このうち競技力向上に101億円が計上されている。
 だが、選手を精神的に追い込むメダル至上主義は、時に不正を誘発する。国威発揚の考えが強いロシアがドーピングを根絶できず、大会から除外されるのは典型だろう。
 競技の現場に求められるのは、結果よりも、公正さだ。前回東京五輪で日本選手団の団長を務めた大島鎌吉氏は、五輪を宗教になぞらえて「オリンピック宗の本尊は『フェアプレー』。世界共通の理念である」と書き残している。
 多様性を認め合い、公正さを追求する。将来の日本の姿を占う意味でも、成熟した社会として、自然体で世界の人々と接する祭典にしたい。



(社説)世界100年の教訓
 協調の秩序が試されている
2020年1月3日:朝日新聞

 緑色の壁をした民家の前庭に星条旗が翻る。100年前、ここで「アメリカ・ファースト(米国第一)」を朗々と説いた人物が、やがてホワイトハウスの主になった。
 米オハイオ州の町マリオン。かつて鉄道網の要衝だった工業の町だが、今は古びた家並みが目立つ「ラストベルト」(さびついた工業地帯)の一角だ。
 ここに1920年の大統領選で勝った共和党候補ウォーレン・ハーディングの自宅がある。玄関先のポーチに連日立ち、全米から集まった人々に演説する独特の選挙戦を展開した。
 ■相似する一国主義
 そんな「わが町の大統領」の業績に話が及ぶと、人々の表情に微妙な影がさす。就任2年半で病死したハーディングは、歴代の中でも「ダメな大統領」ランキングの常連だからだ。
 もともと誰も予想しなかった意外な勝利。第1次世界大戦の傷が癒えない当時の米社会には、自国第一の内向き志向が大いに受けた。ところが就任後、閣僚がらみの疑獄事件が続く。死去すると間もなく「三流」のイメージが残った。
 近年、そんなハーディングの政権がトランプ政権に似ているとの説が米国内で聞かれる。
 反移民主義で門戸を閉ざし、高関税で国内産業を守ろうとした。前任のウィルソンが提唱した国際連盟への加盟を拒んだ。多国間主義のオバマ氏のあと、「米国を再び偉大に」と一国主義を掲げたトランプ氏と重なる、という指摘だ。
 ハーディング政権を含む1920年代。米国は当初、経済的活況を呈したが、国際的には孤立に傾いた。30年代を前に世界恐慌が始まり、40年代には再度の大戦に陥った。混乱の種は、実は第1次大戦直後にまかれていたとの見方が強い。
 21世紀の今はどうか。自由貿易体制を始め、多国間協調で守られてきた国際秩序が米国の一国主義に直面し、揺れる。外見上、前世紀と似た構図に不吉な予兆を感じる人も少なくない。
 ■19世紀型の競争か
 世界は再び、経済恐慌や戦乱への道を転落していくのか。
 米国の歴史学者、フランク・ニンコビッチ氏は「例えばワシントン軍縮会議を開くなど、ハーディングはまだ国際協調の価値は信じていた」と語る。
 「トランプ氏は違う。多国間協調、民主主義や人権、米国が主導してきたグローバル化のプラスの側面自体を否定する。勝つか負けるか、という世界観は19世紀の大国間競争に近い」
 世界を見渡せば、自国第一主義は米国だけの現象ではない。折からの中国やロシアでの強権政治の台頭とあわせ、いまの世界は国どうしが露骨に利益を争う19世紀型の国家間競争の状態に向かうようにも見える。
 減速したとはいえ、中国の国力の膨張はいまも続く。香港の情勢が示すように国内で自由を制限する一方、経済発展と国家の地位向上をうたうことで国民の不満をおさえている。
 ロシアは力で併合したクリミア半島に先月、本土とつなぐ鉄道を敷いた。中ロだけでなく、トルコ、サウジアラビアなどの地域大国も好機と言わんばかりに自国中心主義に走る。
 無極化する世界の安定をこれから誰が、どう保つのか。パックスアメリカーナ(米国による平和)と呼ばれた時代が去ったいま、改めて問われている。
 今年は、そんな国際社会のあり方が試される節目が相次ぐ。
 まずは今月11日にある台湾の総統選である。独立を志向する民進党の総統が再選されれば、中国がどう出るのか。
 香港の危機を明日の自分の姿と案じるのは、台湾の市民だけではない。アジアやアフリカなどで拡散し始めた中国流の統治モデルには、力任せの危うさがつきまとう。中国による人権圧迫に、国際社会はいっそう声を上げ続ける必要がある。
 ■破局を避けるために
 欧州では分断が深まる。英国は今月末、欧州連合からの離脱を実現しそうだ。欧州統合の流れが初めて逆行する。離脱が禍根を残さぬよう、英国と欧州諸国の慎重な対応が求められる。
 一方、核軍縮と不拡散をめぐる国際的な規範は崩壊しかねない危機にある。この春には、発効50年にあたる核不拡散条約の再検討会議が開かれる。核の競争を抑える理性を人類は持ち得るのか、冷戦期から続く問いが今年さらに重みを増す。
 懸案の中で、11月にある米大統領選挙は、世界にとって重い分岐点となる。このままトランプ路線が続けば「第2次大戦後から築かれてきた国際秩序は、壊滅的終幕を迎えかねない」とニンコビッチ氏は警告する。
 100年前、地球上には核兵器は存在せず、温暖化の兆しもなかった。人類はその後、四半世紀の混乱を経てやっと協調の知恵を学んだはずだった。
 いま、自国第一主義がこれ以上はびこれば、破局は必然となる。多国間の協調以外に道はないのだ。歴史からくみ取るべき教訓を見誤ってはならない。



米中のはざまで
任務過密化に疲弊する自衛隊
尖閣諸島、北朝鮮ミサイル、ソマリア沖……
2020年1月2日:毎日新聞

日米共同訓練で、米軍オスプレイからの地上給油をする陸上自衛隊員と米海兵隊員。
後方にあるのは陸自の対戦車ヘリコプター
=滋賀県高島市の陸自饗庭野演習場で2019年12月5日、町田徳丈撮影

 沖縄県・尖閣諸島周辺で軍事力を増強し圧力を強める中国。ミサイル発射を繰り返す北朝鮮。日本周辺の安全保障環境が一層、厳しさを増す中で、自衛隊の任務は過密になり、大きな負担が自衛官にのしかかる。
 米海兵隊員が親指を立てて合図を送る。「スタート」。米軍の輸送機オスプレイから陸上自衛隊の多用途ヘリコプターに、ホースを通じて燃料が移された。
 2019年12月、紅葉が終わりに近づいた滋賀県高島市の陸上自衛隊饗庭野(あいばの)演習場で、日米共同訓練が実施されていた。この訓練は「地上給油」と呼ばれ、日米間では初めての試みだった。
 陸自の多用途ヘリは航続時間が約2時間で、東シナ海に連なる南西諸島に展開するには、燃料補給が必要なケースもある。そこで離島防衛の実効性を高めるため、燃料をより多く搭載できるオスプレイが「動くガソリンスタンド」の役目を担う。訓練をした陸自のヘリパイロット、三吉(みよし)悠司(ゆうじ)2等陸尉(34)は「日米の連携が高まり、任務に幅が出る」と胸を張った。
 自衛隊は海洋進出を進める中国を念頭に、南西諸島の防衛強化に余念がない。今年の春には習近平国家主席が初めて国賓として訪日する予定で、外交分野では改善が進む日中関係。その水面下で自衛隊と中国軍がにらみ合う。「机の上で握手しても、机の下では蹴り合う。それが現実」。日本政府関係者はそう表現する。
 米国と共に防衛を強化する自衛隊。中国をはじめ、日本周辺の安全保障環境が厳しさを増す中、その任務は次々に拡大している。
 19年末、海上自衛隊のイージス艦は日本海と東シナ海で警戒にあたった。米朝の駆け引きが続く中で北朝鮮が日本の上空を越える弾道ミサイルを発射する可能性があったためだ。北朝鮮が船籍不明の船舶と積み荷を移し替える「瀬取り」の監視も重要な任務だ。米国と対立を深めた中国軍機がロシアの爆撃機と共同で日本海をパトロールするなど、自衛隊は警戒の手を緩められない。
 一方で、ソマリア沖アデン湾への派遣は10年を超えた。2月上旬には、船舶の安全を確保する情報収集態勢の強化のため、護衛艦「たかなみ」が日本を出発する。海自の実任務が増えるとともに、日米が主導する「自由で開かれたインド太平洋」を具現化するため、インドやオーストラリア、東南アジア諸国など各国海軍との共同訓練も行われる。
 「言わば自転車操業の状態ですよ」。ある海自幹部は自嘲気味に口にする。護衛艦などの水上艦艇は日本周辺で警戒監視にあたるが、平均すると定員割れの8割台半ばでの人繰りを余儀なくされている。200人乗りの護衛艦を160~170人で運用する形だ。定員割れが大きいと、3交代制を組めない担当も出てくるため、勤務時間が長くなる2交代制を余儀なくされる。海外派遣などでは定期的な検査でドックに入っている艦船から「臨時乗組」として人をかき集める状態は慢性化しており、別の海自幹部は「身の丈に合っているのか。任務が過密なのでは」と漏らす。

人員足りず帰れない

 自衛官の疲弊は深刻さを増している。
 特に海自では実任務が膨らんだことで、練度を維持する訓練時間が圧迫されるため、航海が終わっても休みの合間を縫って「停泊訓練」をして補うことがある。警戒監視のための緊急出港もある。小さな艦艇の掃海艇まで駆り出される。家族との約束も果たせず家庭問題を抱える隊員もおり、隊員の疲れやストレスがたまる。とはいえ、自らが水上艦艇の部隊から離れると他の隊員に迷惑がかかる。
 「隊員は負のスパイラルの中でもがき苦しんでいる」。海自OBは指摘する。
 このOBは00年代、イージス艦の艦長を務めた。1カ月以上の訓練などの航海が終わり、入港しようとした前日、北朝鮮でミサイル発射の兆候があるとして日本海での警戒監視を命令された。入港前日に隊員をねぎらうため艦艇で振る舞われる海自伝統の「入港ぜんざい」の仕込みが終わった直後だった。
 携帯電話がつながる陸地が見えるタイミングで隊員全員に「まだ帰れない」と家族に連絡を入れるよう指示した。この時、他のイージス艦は修理や海外任務中で、日本周辺で活動できるのはこの1隻だけ。補給艦が何度も水や食糧を洋上で届けてくれたが、隊員からは「補給艦を見るのが嫌。まだ(洋上に)いろってことだから」との声が漏れたという。
 疲弊する自衛官の負担を考慮し、海自は基本的に艦船ごとに所属隊員を配属する現在の配置から、乗員を定期的に入れ替える「クルー制」の導入を検討している。理想は3交代で回す場合、余分にもう1グループ追加しサイクルさせることで、船が動いている場合でも常に1グループが休養できることになる。しかし、これには艦艇の定員を超える隊員数を確保しなければ、「絵に描いた餅」になりかねない。【「米中のはざまで」取材班】



変動する世界 米国の復元力が問われている
2020年1月3日:読売新聞

◆北朝鮮の軍事挑発に警戒強めよ◆
 米国はどこへ進んでいくのか。11月の大統領選を世界が注視する。
 自国第一主義を掲げ、予測不能で衝動的な政治スタイルをとるトランプ米大統領に審判が下される。
 米国の軍事力と経済力を柱とする国際秩序が揺らぎ、同盟や多国間協調の地盤沈下が目立つ。米中対立の着地点は見えない。世界情勢は不透明さを増した。
 ◆核の脅威は目前にある
 トランプ氏は再選を最優先し、支持者にアピールできる「成果」作りに走る。外交政策もその観点から進められ、各国が振り回されるのは避けられまい。
 警戒しなければならないのは、北朝鮮が混乱に乗じて軍事挑発を重ね、制裁解除などの譲歩を引き出そうとすることだ。
 北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長は昨年末の党中央委員会総会で「新たな戦略兵器」を保有すると威嚇した。核兵器の製造や使用、核実験を行わない、という従来の立場を転換する恐れがある。
 2018年の米朝首脳会談を機に、北朝鮮は核実験と大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射実験を自制したが、核の脅威が低下したわけではない。
 金委員長が核放棄に踏み出すまで、制裁体制を維持することが肝要だ。1994年の米朝枠組み合意や、2005年の6か国協議共同声明など、過去の非核化合意が北朝鮮の背信で崩れた歴史を忘れてはならない。
 国際社会が結束し、北朝鮮に軍事挑発の自制を求める必要がある。何より、米朝両国が実務者協議を通じて非核化の具体策を積み上げていく努力が欠かせない。
 ◆多国間主義は譲れない
 民主主義、法の支配、自由貿易を世界に広げ、繁栄を共有する。第2次世界大戦後に米国が推し進めてきたこの価値観が、トランプ氏のもとで揺らいでいる。
 トランプ氏の視点はこうだ。中国は多国間の枠組みを悪用し、米国は損をした。米国の利益追求には、2国間交渉で有利な取り決めを結び直す方がよい。米軍の海外駐留や紛争への介入は、コストに見合わないので大幅に見直す。
 確かに、中国に民主主義と公正な貿易を広めようとした米歴代政権の働きかけは奏功しなかった。アフガニスタンや中東での対テロ戦争に国民は疲弊している。
 トランプ氏が型破りな言動を続けても一定の支持を保っているのは、こうした事情があろう。
 米国に限らず、政府や国民が自国の利益を最優先に考えるのは当然だ。だが、国際協調は必ずしも国益と相反するものではない。
 ルールに基づく貿易体制や地球温暖化対策、テロ防止策を多国間で推進することは、すべての国の国益増大につながる。
 同盟を通じた地域の安定は米国の利益でもある。トランプ氏が同盟国に一方的な負担増を求め、日米、米韓同盟や北大西洋条約機構(NATO)を傷つけている現状は看過できない。
 米国は歴史的に、国際問題への積極介入と孤立主義的政策を繰り返してきた。第2次大戦や国連創設で先頭に立ち、ベトナム戦争では痛手を負って内向きになった。冷戦終結と湾岸戦争で、再び圧倒的な存在感を見せた。
 様々な人種が集う国民の多様性と、技術革新に果敢に挑む開拓者精神は他国にない強みだ。
 世界が変動期にある今こそ米国の復元力が問われている。トランプ氏の主張が幅広く浸透し、国民全体が国際協調に背を向ければ、軌道修正はより困難になり、より多くの時間を要するだろう。
 米露の核軍縮の枠組みは中国の軍拡に対応できず、崩壊の危機にある。時代の変化に見合った新たな軍縮体制の構築が必要だ。
 ◆新たな軍縮体制構築を
 今年開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議も焦点だ。非核保有国が核軍縮の停滞に反発し、核保有国との対立が激化する可能性がある。決裂の場合、NPTの信頼性はさらに低下する。
 まずは、米露が核軍拡競争を回避し、信頼醸成と軍縮交渉に取り組むことが重要だ。その上で、中国を加えた3か国による軍縮体制を模索しなければならない。
 軍事技術の進展は著しい。陸海空に宇宙、サイバー空間を加えた複数の領域で同時に作戦を行う構想が具体化している。人工知能(AI)を駆使したAI兵器や軍事用無人機の開発も進む。
 兵器の高度化や複雑化に現行の規制は追いついていない。攻撃と反撃の応酬が想定を超えてエスカレートする事態が懸念される。国際ルールの策定は急務である。


年のはじめに考える あなたサイズの社会に
2020年1月3日:東京新聞


 <いまの日本では、十人のうち八人までの青年は学校をでてからよくわからないままに就職して(中略)寝台にあわして手足を切り落とし、ちぢめてゆくということに体をゆだねるよりほかないのではあるまいか>(「ずばり東京」光文社文庫)
 東京での五輪開催を間近に控えた一九六〇年代前半、作家の開高健は企業の独身寮を訪れ、そんな感想を抱きました。猛烈に成長し始めた日本経済を支えたのは地方から上京した大勢の若者たちでした。成長ありき、そして、その動力源となる会社ありきの時代の趨勢(すうせい)の中で、個人が埋没してしまう。「手足を切り落とす」という表現に懸念がにじみます。
 二〇二〇年、二度目の東京五輪は、社会が右肩上がりで上を向いていた前回と違い、足元を見つめ直す必要に迫られている中での開催です。地球温暖化の影響もあり、暑すぎて東京ではマラソンが開催できないことが一つの象徴と言えるでしょう。
 これからの東京、これからの首都圏のあり方を探るため、いくつかの場所を訪れてみました。
 新宿区の飲食店「新宿ダイアログ」には十七個のびんが置かれています=写真。それぞれ「貧困をなくそう」「気候変動に具体的な対策を」など国連が掲げる持続可能な開発のための十七の目標が貼り付けられています。一日の社説でも紹介したSDGsです。

◆店も共有、知恵も共有

 店はドリンク一杯につき五十円を寄付に回します。客は会計時に渡される券を、選んだ目標のびんに入れます。枚数に応じてそれぞれの目標に取り組むNPOなどに寄付する仕組みです。
 店主の野村良子さん(41)は十年以上、飲食店を経営してきました。旬の野菜など食材にこだわってきましたが、深夜まで働きづめでアトピーがひどくなるなどの不調を感じていました。「社会そのものが健全に循環しないと、人は健康になれない」。注目したのがSDGsでした。
 自身の働き方も持続可能になるよう、何人かで一つの店舗を共有する形にしました。野村さんは日中にカフェを営み、夜は別の店主がバーを開いています。光熱費などは割り勘です。開店から一年。子どもにかかわる仕事をするため保育士資格取得を目指すなど気持ちの余裕が生まれたといいます。
 生活用品メーカー「ユニリーバ・ジャパン」(目黒区)は昨年七月、社員が一定期間、山形県酒田市や静岡県掛川市など連携している六自治体で仕事をすることができる仕組みを導入しました。自治体が提供した施設を会社の仕事で利用でき、自治体の課題解決の活動にも参加することで宿泊費も無料もしくは割引となります。
 同社は働く時間や場所を選択できる制度はすでに導入していて、それを地方都市まで拡大した形です。発案者の島田由香取締役(46)は「中長期的な日本の成長のためには、地方の成長や活性化が一つの鍵になる」と考えたそうです。社員にとっても違う思考が生まれる効果が期待できるといいます。東京の力を地域と分かち合う。高度成長期、地方から若者を吸い上げたのとは逆の流れが生まれようとしています。
 高齢化や人口減少など、地方が抱える課題に東京も遠くない将来、向き合うことになります。高齢者の自家用車以外の移動手段の確保もその一つです。介護事業のエムダブルエス日高(群馬県高崎市)は、デイサービス施設の利用者がリハビリなどで来所する日以外にも外出できるよう、送迎車を相乗りサービスで活用する試みを始めています。
 利用者は、スーパーなど、あらかじめ登録した場所への送迎希望をスマホのアプリを通じて連絡。人工知能(AI)が近くにいる送迎車を配車します。サービスを利用している寺内光子さん(76)は体に四つのがんを抱えています。「がんが怖いから、負けないよう行動的になりたい」と言います。

◆枠組みをつくる前提は

 持続可能な社会の枠組みを手探りでつくり上げていくためには、テクノロジーの力も借りながら、多様な人々の知恵を結集していくことがますます大切になるでしょう。その前提となるのは、一人ひとりの声が大事にされる社会、つまりは寝台に体を合わせるのではなく、体に合った寝台が確保できる社会なのだと思います。


斎藤幸平氏が警鐘
カリスマ政治とヒーロー待望論の危険性
2020年1月3日:日刊ゲンダイ

 経済的な格差の拡大が人々を不安に駆り立て、極右ポピュリズムが台頭。その一方では気候変動デモや香港の民主化デモなど、大規模な市民運動も各国で盛んになり、混沌とした時代を迎えている。日本でも「れいわ新選組」などの新しい動きが顕著だ。今後、社会はどう変わっていくのか。編著「未来への大分岐」がベストセラーとなり、注目を集める経済思想家の斎藤幸平氏に聞いた。

  ◇  ◇  ◇

 ――2020年は米大統領選、日本でも解散・総選挙があるのではないかといわれていて、政治の世界が一気に変わる可能性を秘めた一年ですが、政治への失望も深まってます。

 議会制民主主義が機能しなくなっているのが現状です。米国のトランプ大統領は「移民の犯罪が多い」「気候変動問題は存在しない」など、事実と異なることを言い立てて支持を集めている。日本も似たようなもので、SNSのせいで「見たいものしか見ない」人々が増え、気に入らないニュースは「フェイク」扱いしてスルーする「ポスト真実」と呼ばれる時代になっています。人々が、それぞれ違う「現実」を信じている状態では、議論が成り立たず民主主義は機能しません。

 ――嘘で真実を壊そうとするリーダーの跋扈も目立ちますが。

 例えば、トランプの支持率が下がらない理由は、「偉大なアメリカをもう一度」という彼の呼びかけが、つらい現実を否認してくれるからです。日本で安倍政権を強く支持しているのも、高度経済成長期やバブル時代を覚えている中高年の男性です。日本が輝いていた時代への郷愁と、今の生活を失うかもしれないという「恐れ」が、反中・嫌韓の排外主義を生んでいる。自分だけがよければいいというエゴが長期政権を支えています。

日本でグレタ批判が起こるわけ

 ――「今だけ」「自分だけ」よければいいという刹那的な発想は、目先の利潤を追求する資本主義と非常に相性がいいですよね。

 そこが問題です。資本主義の歪みは、格差拡大や環境破壊など見える形で表れている。にもかかわらず、自分だけが生き残れればよいと競争に走り、資本主義にしがみつこうとする人が増え、分断が深まっています。気候変動への対応を訴えるスウェーデンの環境活動家・グレタさんへの批判が、日本で多いのも同じ理由でしょう。彼女が正しければ、地球環境を破壊する資本主義を見直し、今の暮らしを抜本的に変えなくてはならない。自分は逃げ切れるという世代は、変化を恐れ、ヒステリックな反応を見せているのです。

 ――しかし、グレタさんがたった一人で始めた抗議活動が、わずか1年で世界中に広がり、数百万人がデモに参加するようになりました。

 長期的に見れば、この流れは止められません。気候危機は予測以上に急速に深刻化していて一刻も早い対応が必要です。ここでどう選択するかで人類の未来が決まる「大分岐」だからこそ2020年は重要な年です。トランプが再選されれば気候変動への取り組みが4年も遅れてしまう。


 トランプは気候変動が起きているのを知ってて否定しているし、GAFA(巨大IT企業)はわざとフェイクを蔓延させる。資本主義にとって気候変動対策は障害でしかなく、格差是正を求める民主主義も形骸化してくれたほうが好都合だからです。資本が優先するのは、地球や人権ではなく、利潤です。だからこそ、民主党のサンダースらは気候変動対策と格差是正を組み合わせたグリーン・ニューディールを掲げているのです。

■左派ポピュリズムが挑む資本主義

 ――日本でも、経済格差の是正を掲げた「れいわ新選組」が、2019年の参院選で台風の目になりましたが……。

 山本太郎代表が貧困や障害者問題の現場に足を運んで当事者を候補に立てた点が「れいわ」の画期的なところでした。現場の声を重視し、運動の声を政治にくみ取る姿勢が新しい。ただし、れいわが大衆を巻き込んで左派ポピュリズムの核になり得るかは未知数です。現状では山本代表一人に頼るカリスマ政治になりかねません。日本は主体的に政治に関わろうという意識が低いため、ヒーロー待望論が起こりやすいのですが、それは危険なのです。上からの改革は既存の制度内での対応になり、1%の人々への利益誘導とセットになりやすい。重要なのは下から支える運動で、サンダースも自身のカリスマ性というよりは、草の根運動に支えられています。

 ――社会運動が先にあり、運動と連帯する政治家がリーダーに押し上げられたのですね。

 選挙に負けて英労働党のコービンは辞任したけれども、社会運動は継続し、運動と政治をつなげる仕組みがあれば、また新しいリーダーを育てて現場の声を届けることができる。れいわの場合はまだ山本代表が社会運動を育てている段階です。人々を巻き込んだ政治ができるかはこれからが勝負。左派ポピュリズムが民主主義を壊すという批判もありますが、民主主義が機能不全に陥っているのは、資本主義が格差や環境問題を深刻化させている一方で、人々の不安を排外主義的な右派ポピュリズムが利用しているからです。左派ポピュリズムはむしろ民主主義を復興するために、資本主義に挑んでいる。「大分岐の時代」には、資本主義そのものを問い直すことが最重要なのです。

 (聞き手=峰田理津子/日刊ゲンダイ)

▽さいとう・こうへい 1987年生まれ。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。フンボルト大哲学科博士課程修了。2018年度ドイッチャー記念賞を日本人初、史上最年少で受賞。



新海誠、批判受けて決意
 少し息がしやすい社会になれば
2020年1月3日:朝日新聞

 世界よりも、目の前の大切な一人を救う――。2019年夏に公開され、興行収入140億円超の映画「天気の子」では、異例ともいえる主人公の選択が若い世代を中心に大きな反響を呼びました。「ハリウッド映画であれば、敵役にすらなりえた」という主人公の選択に、新海誠監督が込めた思いの背景には、ここ数年感じてきた日本社会への息苦しさがあったといいます。監督から見える世界、フィクションをつくる意義、2020年代への思い。真摯(しんし)に語ってくれました。

しんかい・まこと 1973年生まれ、長野県出身。2002年に短編作品「ほしのこえ」でデビュー。「雲のむこう、約束の場所」(04年)、「秒速5センチメートル」(07年)、「星を追う子ども」(11年)、「言の葉の庭」(13年)を手がけ、16年公開の「君の名は。」は250億円を超える興行収入を記録し社会現象に。

「君の名は。」批判受けて決意

 ――2016年の「君の名は。」を経て、「天気の子」を制作するにあたり、考えていたことは。
 「前作『君の名は。』には、さまざまな反響がありました。あれは少年と少女のラブロマンスのように見える映画ですが、消えてしまう町から人々を救うというテーマもあり、震災にインスピレーションを受けていることも見る人によっては確実にわかる。『町に危機が迫っているときに、2人の恋愛感情が先に立つ映画は正しくないんじゃないか』『現実の災害では亡くなった人は戻ってこないのに、映画で何の代償もなく死者がよみがえるのは端的に間違えている』という批判もあって、時には言葉を投げつけられるようなこともありました」
 「『君の名は。』は、社会といえるほど大きな単位の観客にさらされた僕にとって初めての作品だった。今まで自分の作品と出会っていなかった人たちと、ある種強制的に出会うことになり、作品への意見が急に多様になったんですね。そのこと自体は、すごくいいことだと思います。批判についても『こういう言葉を聞きたかったんだ』と思いましたし。ただ、こうした批判を受けて作品の方向を修正していくことは、社会の多様性の一角を減らしてしまうことになる気がしました。単純に悔しいという気持ちもありましたし。批判を受けたことで、より、自分の作りたい方向がはっきりしたんです」
 「『君の名は。』のクライマックスで、町を救うことよりも、出会えた喜びに突き動かされる2人を描いたことが許せなかったり、感情移入できなかったりするのであれば、僕が作るべきは、それをもっとやることだと思ったんです。目の前に大事な人がいることの喜びや、その人を救いたいという気持ち。そこをもっと先鋭的に描く作品を、この次で作ろうと。そんな思いが『天気の子』につながっていきました」

「天気の子」帆高は敵役にもなりえた

 ――「天気の子」にはどんな思いを込めましたか。
 「社会に何か言いたくて映画を作るという気分は、自分の中にどうしても多少はあるわけです。でも、それを前面に出してしまうと、若い人たちにはすぐに見透かされるし、彼らはそっぽを向いてしまうと思う。『これは僕たちにお説教する映画なんだ』『お説教するコンテンツなんだ』と思うと、もうこちらを見てくれなくなる印象があります。なので、何かの説教になってしまっていないか、大上段に構えて彼らを導こうとしていないかは常に自己点検していないと、映画はうまくいかないというのは実感としてあります」
 「でも、メッセージのようなものが入ってしまっているとしたら、クライマックスのシーンなんですよね。RADWIMPSの曲『愛にできることはまだあるかい』の、『支配者も神もどこか他人顔』という歌詞が流れて、(主人公の少年)帆高(ほだか)は『ほっといてくれよ』と言う。大人たちに対して『みんな何も知らないで、知らないふりして』と彼は叫びます。僕が映画を作っていったときの気分は、この彼が叫んだ言葉にあったと思うんですね。その気分に応答してくれた(RADWIMPSの)野田洋次郎さんが、『支配者も神もどこか他人顔』という歌詞を書いてきたような気がするんです」
 「帆高は、大事な人を守るために社会から逸脱していき、最終的には私たちにとって迷惑な決断をする。大事な人を救うことで、大雨が降り、東京が少しずつ水に沈んでいってしまう。だから帆高は、ハリウッド映画であれば、食い止めるべき敵役にすらなりえたと思います。あいつは愛のために突っ走っているけれども、あいつを止めないと世界が大変なことになる、と」
 「でも、その帆高に観客が感情移入してくれて、世界が沈んでも、(晴れ女の少女)陽菜(ひな)ともう一度再会できたことを『よかったじゃないか』と思ってくれたとしたら、僕がさっき言った、この映画を作っているときの気分……どこか他人顔であったり、知らないふりをしているとか、一言でいってしまうと『非寛容さ』みたいなもの、息苦しさみたいなものを、この映画が少し払えるんじゃないかという勝手な期待はあったんです。現実の社会では、彼のしたことは一斉にたたかれるような行為かもしれないけれど、観客が彼を応援するような気持ちでこの映画を見てくれたのだとしたら、この社会が少し息がしやすい場所になれば……といった気持ちは込めて、エンディングまでの展開を書いていきました」

僕たちは常に人柱をたてている

 ――世界よりも大事な人を守ることを選んだ帆高たちの決断をどう捉えればいいでしょうか。世界を背負わなかったのでしょうか。
 「この映画でいうと、陽菜がおそらく世界を背負うことになっているわけですよね。背負わされてしまった陽菜に対して、帆高は映画の最後で『僕たちは大丈夫だ』と言うわけですが、あの『大丈夫』という言葉は、全く大丈夫じゃないわけですよ。東京は沈みつつあり、そして彼らは相当苦しんで悩んでいたはずです。それでも帆高は、最終的には自分がやったことをはっきりと自覚して、そのうえで陽菜に『大丈夫だ』と言う。大丈夫ではないんだけど、でも、僕が君の大丈夫になるよ、と、世界を背負ってしまった陽菜に言うわけです。なので、何かを背負わされてしまうことはあっても、その隣に『僕が君と分かち合う』という人がいてくれさえすれば……。そういう願いのようなものは、エンディングには込めています」
 ――映画の中には「人柱一人で狂った天気が元に戻るんなら……」といったセリフもありました。「背負わせる」ことは、誰かに責任を押しつけることのようにも思えます。
 「難しいですよね。でも、常に僕たちはああいうことをやっている。もし晴れ女がいたとして、それが仮に自分の知らない人で、彼女だけが人柱になって今の秩序がキープされるんだったら、それはしょうがないんじゃないか……というのは、多くの人の実感だと思うんです。でも、それが自分の隣にいる人だったら、許せないという気持ちの方が強くなりますよね。現実はそんなにクリアにいろんなことを判断できるわけでもないし、その人の数だけ正義がある。遠い人のことであれば仕方ないといった気分と、それが自分の隣の人だとしたら許せないという気持ち……そのミックスで現実はできていると思います」

監督として背負うこと

「『背負う』『背負わない』という言葉だけのイメージで言うと、『背負う』ということ自体は、その人に力を与えてくれる気持ちだとは思います。僕の例で言うと、『君の名は。』がヒットして、次に『天気の子』を作るにあたって、プレッシャーはあったでしょう、ということを、国内外のメディアの取材でよく聞かれるんですね。その時にいつも答えるのは、『ありませんでした、特に』と。『監督としての仕事は、自分が良いと思える映画を作ることで、ヒットするかしないかに関しては、プロデューサーと配給会社が背負ってくれることだろうから、僕は気にしていませんよ』という話をするんです」
 「それはでも、実は取材向けに単純化した言葉であって、本音を言えば、もちろん気にしているわけです。ヒットするかしないか、きちんとスタッフが費やしてくれたものに応えるものになるのかならないのか。セールスも含めて、僕は責任を負っていると思います。だから僕は、『天気の子』という作品そのものや、そこに関わる人たちが費やしてくれたものに対する責任を、背負っているし、背負いたいという気持ちがあります」
 「一方で、さっき言った『ヒットするかしないかは、プロデューサーと配給会社が背負うもの』という言葉についても、それはある種の事実で。僕は自分で背負いたいという気分もあるけれど、それを軽口として放り投げることもできるし、それを背負ってくれる仲間がいるわけですよね。だから、自分一人では背負いきれなくても、彼らが持ち上げてくれるという信頼もあるし、『だからこそ背負いたい』という気持ちがあるからこそ、パフォーマンスを発揮できるというのも間違いなくある。一緒に背負ってくれる人が隣にいさえすれば、背負うということはポジティブな選択だと思うし、自分に力を与えてくれる行為だとは思います」

海外で本気に驚かれたのは

 ――海外では「天気の子」に対して日本と違う反応があったと聞きました。
 「この数カ月は海外でのプロモーションの機会が多かったので『国によってこんなに受け止め方が違うんだな』ということが、自分の中にくっきり残っています。違いというのは『気候変動』の部分を受け取るか受け取らないか、です。海外、とくにヨーロッパは環境意識がとても高いので、『これが環境問題を扱った映画でないとしたら何なのか』というぐらいの反応です。『日本ではあんまりそういう意見は出ないんですよ』と伝えると、本気で驚かれます」
 「僕はこの映画を作るときに『温暖化』や『気候変動』という言葉を、注意深く取り除いていったんですね。そういう消費のされ方は、まずはしてほしくないなと。してもらってもいいんだけれど、そんなことをやったら、若い観客は離れてしまうだろうと思った。結果日本では、『環境問題が含まれている映画』という受け取られ方はほとんどしなかった。中国や韓国でも、メディアから気候変動に関する質問はほぼなかったです。でも、アメリカ、インド、ヨーロッパ……特にヨーロッパでは、気候変動のことしか聞かれないぐらいでした」
 「そういった温度差が生まれた理由の一つには、日本がそもそも災害がとても多い国だからということがあると思います。日本という国は、どこかずっと災害に慣れていて、無常観のようなものを身につけていると思うんですね。簡単な言い方をしてしまうと、『自然にはかなわない』みたいな気分がどこかにある。だからこその強靱(きょうじん)さやしなやかさも同時にあるし、そのことはすごく美しいとも思うんですが、いま起きている気候危機に対しては、自然で起きていることをそのまま受け入れてしまう日本人ならではの能力のようなものが、ちょっとネガティブに働いているとは思います」
 ――「世界を選ばず一人を選ぶ」という結末部分に関しては、海外と日本で反応の差はありましたか。
 「そこへの強い反感のようなものは、どこの国でもあんまり感じないですかね。『こういう話を日本人のあなたが作ったんだね』と、海外の人から驚かれることはあります。日本には個人よりも集団を大切にするイメージがあるんだけど、個人を大事にする物語をよく思い切って作ったね、といったことを言われることがあって、『やっぱりそういうイメージがあるのか』と思ったりすることはあります」

なぜ見ず知らずの人をたたけるのか

 ――個人よりも集団を大切にする日本社会の空気は監督も感じていますか。
 「あると思いますよ。たぶん、みんな感じていると思います。それがうまく働いているときもあれば、うまく働かないときもありますよね。先日訪れたパリがちょうどストライキ中だったんですが、電車もバスも動いていなくて、とにかく生活が困るのに、彼らはあまり文句を言っていないんです。少し文句は言いつつも、みんな当たり前のように、ストライキを権利として認めている」
 「日本だと、そういう状況は想像できないですよね。それは単純に社会システムが違うんでしょうし、気分のレベルでも、寛容さのようなものがだいぶ違うなとは思います。寛容さというか、自分と違う他者への想像力であったりとか。『あの人は自分と違う人で、自分と違う職業だけれども、まぁ気持ちはわかる』といったような。そこが違うと、強く感じました」
 ――今の社会にどんな問題意識を感じていますか。
 「なぜ見ず知らずの人をあれほどたたけるんだろうというのは思います。僕もたたかれることもたくさんありますが、なぜこんなに言われなければいけないんだろう、僕の何を知っているんだろう、みたいな気持ちになることはあります。こんなに憎まれているのかと感じることが時折ありますよね。僕は仕事柄そういうことを感じ続けはするんですが、でも、これだけSNSで社会の感情が透明になっていると、僕のような仕事をしている人じゃなくても、時にそういうことを感じることがあると思う。それは生きるのに息苦しい世界だし、その息苦しさはもっと減ってほしいなということは、普段思っています」
 「『君の名は。』への反応を見ていても、『自分が想定している正義から外れたものをこんなに許せないのか』ということは、少し感じたことではありました。それ以外にも、日々起きるネットの炎上や自国第一主義的な政治のニュースもそうですが、『自分と違う場所にいる異質な他者のことを、これほどみんな許せなくなってきているのか』ということは、すごく感じる数年間です。それを感じているのはきっと僕だけじゃないと思う。誰かを責めるような雰囲気があり、社会全体が攻撃的なトーンを帯びてきているようにも思えます」

他者を徹底的に想像する先に

 ――これからの時代が「もっとこうなればいい」ということは。
 「他者に寛容な社会であってほしいと思いますし、誰かの気持ちを少しでも多く想像してみんなが生きていくような世界であるといいなと思います。それは、フィクションを作るという僕たちの仕事そのものに関わることでもあるんですよね。僕は40代中年男性ですが、10代のヒロインを描くときには、自分が10代のヒロインになりきって、想像して言葉を書きます。『人間の想像は、きちんと他者に及ぶ』ということを信じていないと、物語は作れないと思うんです。だから僕は、想像しようと努力さえすれば、80代の女性にも、10代男性、10代女性にも、場合によっては外国人にもなれる」
 「『君の名は。』は入れ替わりの話ですが、入れ替わりは他者を知る究極の方法だと思うんです。どこかの知らない人と入れ替わってしまったからこそ、『この人はどういう人なんだろう』ということが気になって、瀧と三葉は恋に落ちる。他者のことを徹底的に想像するというのは、愛に結びつくと思うんですよね。他者のことを想像すればするほど、世の中には愛が増えるはずだ、とは、僕は自分の職業的にも思っています」
 ――若い世代に言ってあげたいことは。
 「僕の仕事はエンターテインメントなので、カウンターカルチャーだとは思うんですよね。先生や学校が教えてくれないこと、政治家や偉い人たちが教えてくれないことを、僕たちが伝えられたらと思います。そういう意味では、若い人たちがこのさき生きていくための答えの断片やヒントのようなものを、作品の中に込められたらと思う。社会の中で役割のようなものがあるんだとしたら、そういう部分を担いたいと思っています」(聞き手・松本紗知、増田愛子)

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