国民が問われる2020年

2020年元旦の新聞各紙の論説には、この国の民主主義の行く末を案じるものが目立った。
安倍晋三首相は「手段的自衛権行使の容認」という違憲閣議決定を皮切りに、憲法無視を公然と、そして、次々と進めてきた。政策も日本国憲法の理念に反する“アベノミクス”を掲げ、弱者を切り捨て、強いものを優遇する政策を推し進めている。
さらに、憲法99条で憲法遵守を義務付けられている立場の首相の身でありながら「憲法改正」を口にする破廉恥ぶりだ。
この、無知・無能と破廉恥を国民が許し続けるのが問われるのが2020年という年になりそうだ。

拓論’20
民主政治の再構築 あきらめない心が必要だ
2020年1月1日:毎日新聞

 2020年が始まった。
 先の大戦から75年、冷戦終結から30年が過ぎた今、民主政治のほころびが目立っている。
 我々に安心感を与えてきた人権保障、権力分立、法の支配などの基本原理が危うさを増している。
 深刻なのは、民主政治の起源でもある欧米の多くの国々で、ポピュリズムが大手を振っていることだ。
 共通しているのは、敵か、それとも味方かの二分法で分断を深める政治手法だ。選挙で多数を得た力は、本来、異論との間で接点を探るために使われるべきである。しかし、実際は多数派の論理で異論を排除する光景が日常化している。
 トランプ米大統領に対する弾劾訴追劇は世界を暗たんとさせた。
 トランプ氏の支持者と共和党は、米国史上3度目の弾劾訴追という事態を重く受け止めようとしない。先達が腐心した権力のチェック・アンド・バランス(抑制と均衡)は機能せず、民主国家としての信頼を大きく損ねた。 ポピュリズムのうねり
 冷戦が終わり、社会主義国が次々と消えた。市場経済が広がり、自由と平和、民主主義が息づく世界の将来像が共有された。
 民主政治の下で市場経済は発展し、増える中産階級が政治的な発言を求め、民主政治は揺るぎないものとなる。好循環の中で、二つはセットで発展する。
 定説とさえ思われたこうした「セット」論はもはや怪しくなった。
 きっかけは08年のリーマン・ショックだ。国際的に低成長になる中、グローバル化の進展で先進諸国の中産階級が没落すると、民主政治が脅かされる状況が目の前に表れた。
 没落する先進国の中産階級の不満をあおることで、ポピュリスト政治家は上昇気流をつかむ。社会の変化が大きいほど支持を集めやすい。
 一方で、問題は誰かのせいにされがちだ。真犯人を国外に求めたがる。トランプ現象も英国の欧州連合(EU)離脱もそうした表れだ。
 その中で、温暖化や海洋汚染などの地球の生態系に関する問題や、核軍拡競争の懸念が深刻の度合いを増している。
 国家単位で答えを出すことが困難な問題がうねりを増す中で、ポピュリスト政治家は国際秩序に大きな価値を認めない。地球の持続可能性レベルの危機さえ招来している。
 日本が果たすべき役割を、改めて考えるときだろう。
 12年に自民党総裁に返り咲いた安倍晋三首相は国政選挙で6連勝中だが、野党の異論に耳を傾けないどころか、敵視する姿勢さえ際立つ。それで強固な支持基盤を獲得する手法は、ポピュリズムの潮流に沿う。
 ただ、選挙の勝利は強固な支持層より「代わりがいない」という消極的選択に支えられている側面が強い。日本の民主政治は欧米に比較すれば、まだ安定しているようにも映るが、政策を実行に移す段になると、多方面に配慮せざるを得ないというのが実相だろう。このため、目立った成果はあげられていない。
「20世紀初頭に近い」
 昨年暮れに来日した、フランスの経済学者ジャック・アタリ氏は今の世界の状況を「20世紀初頭に近い」と形容した。民主政治の不安定化を受けた指摘だ。
 民主主義は、政策決定に時間がかかり、最終的に合意されたものもあいまいさが常に残る。それよりは、中国のように、基本的人権は抑圧されても、権威主義的な政治体制の方が市場経済との相性がよく効率性が高いとの考えも強まる。
 しかし、日本は民主政治のモデルを教科書のように目指すべき方向として追い求めてきた。その歴史は、曲折はあったものの、明治維新以降150年を超える。
 今ここで、大事にしてきた価値観を否定する必要はない。
 たとえ、市場経済との二人三脚が崩れたとしても、民主政治の旗を掲げることは重要だ。日本は大国ではないが、世界の中で重要なアクター(行為者)ではある。民主政治の旗を掲げ続けることによってこそ、米国に世界秩序への関与を働きかけることができる。
 東京大の宇野重規(しげき)教授(政治哲学)は「民主主義というものは忍耐心がいるものなのに、決定能力の低さに世界が疲れ、価値観が揺らぎ始めている。民主主義は非常に危機的になっている」と話す。
 あきらめる心にあらがいたい。


安倍首相「改革進める。
その先にあるのが改憲」年頭所感
2020年1月1日:朝日新聞

 安倍晋三首相は1日、2020年の年頭所感を発表した。「未来をしっかりと見据えながら、この国のかたちに関わる大きな改革を進めていく。その先にあるのが、憲法改正だ」と改憲に意欲を表明。「年頭に当たり、新しい時代の国づくりへの決意を新たにしている」とした。
 首相が第2次政権で年頭所感を発表するのは8回目で、憲法改正に言及するのは14年以来、2回目。自身の自民党総裁任期が21年9月と迫る中、憲法改正をめざす姿勢を改めて鮮明にした形だ。
 年頭所感では東京五輪・パラリンピックにも触れ、「子どもたちが未来に向かって、夢を見ることができる。わくわくするような、すばらしい大会にしたい」とした。
 また、幼児教育や高等教育の無償化、1億総活躍社会などの政策を列挙した上で、「全ての世代が安心できる社会保障制度へと改革を進め、最大の課題である少子高齢化に真正面から挑戦していく」と強調。「安全保障政策の不断の見直しを進める」「新しい日本外交の地平を切り拓(ひら)いていく」とも訴えた。



2019年、驕りと妄想が最高潮の安倍首相
バカ丸出し&暴言集!
台風被害も桜もなかったことにして
“私が国家だ”
2019年12月31日:LITERA











G20大阪サミットでも…(首相官邸HPより)

 統計不正に「年金2000万円」、日米貿易交渉、日韓関係、そして「桜を見る会」にIR汚職……。今年も安倍政権の問題が噴出しつづけた1年だったが、そのたびに安倍首相は詭弁を弄し、はたまた驕り高ぶった態度を見せつけ、国際的に問題視されるような暴言を吐き、さらに失笑を買うバカ発言を連発してきた。
 昨日は、安倍首相の真っ赤な嘘発言をお届けしたが、大晦日の今日は、あらためて安倍首相が発した今年1年の「暴言・バカ丸出し発言」から選り抜きの10選をお届けしよう。

「選挙に5回勝ってる」
2月18日、衆院予算委員会 統計不正問題を追及されてヤジ

 賃金伸び率を上振れさせた“アベノミクス偽装”疑惑が浮上した統計不正問題で野党から追及を受けていた最中に飛び出した、このヤジ。しかもこの前日には、安倍首相は何度も「ヤジをやめろ」と言っていたのに、である。
 選挙に勝ったら統計不正でもヤジでも何でもやり放題・叫びたい放題だとでも思っているかのような付け上がった姿勢だが、実際、今年もまた国会で安倍首相はヤジを連発した。その回数はなんと約30にも及ぶとみられるが、おもなヤジを挙げてみよう。
 ・統計作成などの政治的中立性への疑問を呈され「ないよ、そんなもん」(2月4日、衆院予算委)
 ・石田真敏総務相(当時)の答弁の不正確さを指摘する野党議員の追及中に「だからなんだってんだ」(2月28日、衆院予算委)
 ・加計問題で見つかった文科省内部文書を追及する野党議員に「あなたがつくったんじゃないの?」(11月6日、衆院予算委)
 ・高市早苗総務相に質疑中の立憲民主党・杉尾秀哉議員に「共産党か!」(11月8日、衆院予算委)
 いずれも品性の欠片もなく、これが総理大臣の言動かと思うと情けなくなるが、さらに安倍首相は、ヤジにとどまらず、統計不正問題で答弁にしどろもどろになった根本匠厚労相(当時)に対して「いったん下がれ」と指示まで出す始末。総理が発言を許されてもいないのに審議中に大臣に司令を出すなど前代未聞であり、いかに独裁化が進んでいるかが可視化された瞬間だったと言えるだろう。

「夢のような一ヶ月間でした」
10月20日、台風15号上陸の翌月、台風19号上陸から8日後のTwitter

 この1年、日本は自然災害に見舞われた年だった。なかでも千葉県に多大な被害を及ぼした9月の台風15号と広範囲にわたって河川の氾濫や土砂崩れが起こった10月の台風19号で被災した人びとはいまも大きな生活不安を抱えている。
 そんな大きな爪痕を残した災害の最中、安倍首相は9月20日から11月2日におこなわれたラグビーW杯に大はしゃぎ。開幕日には「トライ!ニッポン!」とカメラ目線で語る動画をSNSに投稿し、開幕戦で日本代表がロシアに勝利すると、すぐさま〈ずっとエキサイトしっぱなしでした〉とツイート。その上、スコットランド戦に勝ったときには〈東日本大震災でもスポーツの力を実感しましたが、世界の強豪を相手に最後まで自らの力を信じ、勝利を諦めないラグビー日本代表の皆さんの勇姿は台風で大きな被害を受けた被災者の皆さんにとっても元気と勇気を与えてくれるものだと思います〉と投稿した。
 そして、ダメ押しがこの日本代表が南アフリカ戦に破れたときの「夢のような一ヶ月間」というツイートだ。いくら日本代表に向けたメッセージだといっても、約1週間前に上陸した台風19号によってこのとき死者は81人にのぼり、4000人以上が避難生活を強いられていたのだ。とてもじゃないが総理大臣の振る舞いとは思えない醜悪さ、無神経さと言うほかないだろう。

「ウラジーミル、君と僕は同じ未来を見ている」
「ゴールまで、ウラジーミル、2人の力で、
駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか」
9月5日、東方経済フォーラム演説で

 進展どころかロシアに見くびられ、日本国内で「北方領土は日本固有の領土」と主張することすらできなくなっているほど後退している北方領土問題。そんな現実をごまかそうとしたのか、安倍首相がプーチン大統領に向かって呼びかけたのが、この悪寒が走るようなポエムだった。誰がどう見ても、あきらかに同じ未来を見ていないし、同じゴールにも向かっていないと思うのだが、無論、このポエムにはウラジーミルことプーチン大統領も失笑するしかなかった。
 とはいえ、このポエムを書いたのは安倍首相ではなく、スピーチライターの谷口智彦・内閣官房参与ではないかと見られている。谷口参与といえば、以前、本サイトでも取り上げたように( https://lite-ra.com/2018/08/post-4205.html )、『安倍晋三の真実』なる安倍礼賛本を数々のヘイト本で知られる悟空出版から出版するなどヘイトメディアにまったく抵抗のない人物なのだが、2018年に「月刊Hanada」(飛鳥新社)が安倍首相を大ヨイショする総力特集を組んだ際も安倍御用評論家の小川榮太郎氏と対談。じつはこのときの対談のタイトルが「安倍総理は残り3年、駆けて、駆けて、駆け抜ける」という、悪寒ポエムとそっくりのものだったのだ。
 記事タイトルを谷口参与が付けたとは考えにくいが、それを気に入って谷口参与はスピーチに使いまわしたのか。ヘイト雑誌の見出しを国際会議での演説に採用するとはさすがの“安倍政権クオリティ”だが、安倍首相は谷口参与のスピーチ原稿をべた褒めして「練習で読み上げているときに、自分でも思わず涙ぐんでしまうんだ」などと言っているらしい。
「ウラジーミル、君と僕は…」も涙ぐみながら練習したのかどうかはわからないが、その外交が完全に失敗しているということだけはたしかだ。

「韓国は国と国との約束を守らないことが明確になった」
7月7日放送、フジテレビ『日曜報道 THE PRIME』で

 プーチンへの気持ち悪いポエムとは対照的に、韓国には強気のハラスメント的態度をとりつづける安倍首相。日韓関係を一気に悪化させた、輸出規制や「ホワイト国」除外も、安倍首相の意向を受けて官邸が「徴用工判決への報復の方法を何か考えろ」と関係各省に命じて、経済産業省が無理やり絞り出した方法だったことがわかっている。
 もっとも、政治問題の圧力に貿易問題を利用することは国際社会ではご法度。このまま韓国にWTOに提訴されたら敗けるのが明らかだったため、政府は一貫してこの措置について「徴用工判決と無関係で」「安全保障上の問題」「貿易管理体制に不備があったにすぎない」などと言い張ってきた。
ところが、安倍首相本人はそんなことおかまいなし、このようにテレビ番組で実際には徴用工問題への報復であることを自ら暴露としてしまったのだ。
 その後、両国の経済悪化だけでなく、韓国のGSOMIA(軍事情報包括保護協定)破棄宣言まで進んだこの日韓対立だが、アメリカから圧力がかかり、11月に韓国側がGSOMIA失効直前に破棄を中止し、韓国がWTO提訴を取り下げるかわりに日本側が輸出規制解除に向けた協議を再開するという方向で合意を見た。ところが、このときも官邸はマスコミに「安倍総理は『一切妥協していない』と語っている」「パーフェクトゲーム」などと吹聴。韓国が勝手に降りただけというような発表をし、韓国から抗議を受ける始末だった。しかも、安倍首相はいまも「徴用工問題の解決が先」などと言い張っている。
 ようするに、安倍首相が大事なのは、国益よりも日本の戦争加害を否定するという歴史修正主義の実現、韓国を攻撃する“嫌韓キャンペーン”なのであり、そのためには日本の安全保障を危機に晒しても平気なのである。
「『四角い仁鶴がまーるく収め』る、そういう解決策を見いだしたい」
4月20日、なんばグランド花月の吉本新喜劇に登場して
 ちなみに、こうしたギャグに対し場内では笑いはほとんど起きず、デイリースポーツが「安倍首相 吉本新喜劇でスベる「ほんまに本物です!」、反応今イチ、飛び入り出演」と見出しを打つほどお寒い空気だったらしい。だがこれ、失笑して見過ごせるような話ではない。表向きは「G20交通規制の協力呼びかけ」などとしていたが、このサプライズ登場の翌日に投開票だった大阪12区衆院補選のテコ入れが目的だったことはミエミエだったからだ。
 選挙運動にまで利用する安倍首相と吉本の蜜月関係──。実際、安倍首相は闇営業問題で揺れていた6月にも西川きよしら吉本所属芸人らを首相公邸に招き、同月には大崎洋会長を沖縄県の普天間基地や那覇軍港など返還が見込まれる米軍施設・区域の跡地利用に関する政府の有識者懇談会メンバーに選んでいる。一方、吉本芸人・小籔千豊を起用した厚労省の「人生会議」ポスターが問題になったことは記憶に新しいが、これにかぎらず、吉本は想像以上に行政のありとあらゆるところに入り込み、行政仕事を受注しまくっている。
 だが、こうした安倍首相忖度の吉本芸人起用には大きな問題がある。それは、吉本芸人の起用によって、各省庁の発するメッセージが本来、官公庁としてあるべき姿勢からどんどん遠ざかり、歪められてしまうという問題だ。
 言うまでもなく、PRや広告というのは普通、依頼主が打ち出したいメッセージに沿ってタレントを選ぶものだが、吉本が一括して制作を請け負えば、当然のように自社タレントを起用する。つまり、本来伝えるべきメッセージよりタレントのキャラクター性が優先されてしまうのである。しかも、そこで持ち込まれるキャラクター性はバラエティに蔓延する反ポリコレ芸の延長線上にあるものであり、吉本タレントありきの結果、公共性への配慮がおざなりにされてしまうのだ。
 安倍首相と吉本の関係は税金を使った「癒着」としか言いようがなく、安倍首相による私物化の一例だ。政府と吉本興業の“関係”をもっと疑問視すべきである。

「印象操作するのはやめたほうがいいと思いますよ。
何か意図を感じるんだけど。何かそういう意図を感じるな」
7月3日、日本記者クラブ主催・党首討論会で

 参院選時におこなわれた党首討論会で、記者からの質問に挙手で回答する方式で質問が投げかけられたときのこと。その質問とは、「女系天皇を認めてもよいと思う方」「原発の新増設は認めないという方」「選択的夫婦別姓を認めるという方」「性的マイノリティの法的な権利を与えるというのを認めるという方」という4つだったのだが、すべての質問で安倍首相は一度も手を挙げることができず、たまらず「これですね、あまりにもね、ちょっとね、単純化してショーみたいにするの、やめたほうがいいですよ」「政策的なね、政策的な議論をちゃんとしないとですね、イエスかノーかということでは政治はないですから」といちゃもんをつけ、いつものように「印象操作だ!」とキレはじめたのだ。
 もちろん、これは「印象操作」でもなんでもない。選択的夫婦別姓や 性的マイノリティの権利保障という問題は「政策的な議論」ではなく、基本的人権にかかわる問題として「イエスかノーか」で姿勢を示せるものだからだ。それを、安倍自民党が多様性を認めない、基本的人権を疎かにする姿勢であることが明確になった結果、安倍首相は「印象操作だ!」「意図を感じる」などとわめき立てることしかできなかったのである。
 にもかかわらず、何事もなかったかのように10月の所信表明演説では「みんなちがって、みんないい」「新しい時代の日本に求められるのは多様性であります」などと述べたのだから、その厚顔無恥っぷりには呆れ返るしかない。

「(大阪城の復元で)ひとつだけ、大きなミスを犯してしまいました。エレベーターまでつけてしまいました」
6月29日、G20大阪サミット夕食会あいさつで

 よりにもよってG20サミットの夕食会という場で、上機嫌な様子でこんな話をはじめる神経……。実際、この発言を受けた各国の首脳のあいだからは白けたムードが漂っていた。当たり前だろう。バリアフリーに対する意識がまったく欠如していることを「ジョーク」として露呈させてしまったのだから。
 いかに安倍首相およびスピーチライターといった官邸の取り巻きたちが、社会福祉や、「すべての国民は個人として尊重される」という憲法の人権にかんする基本的原則に対する意識をもっていないかがよくわかるというものだろう。
 しかも、安倍首相はこの暴言について自分から謝罪するでもなく、後日、側近である萩生田光一幹事長代行(当時)を通して「障がい者やお年寄りに不自由があってもしょうがないと聞こえるかのような発言はちょっと遺憾だった」などと“釈明代行”させたのだ。
 本人が直接、謝罪や釈明せずに側近に語らせるというやり方自体どうかしているとしか言いようがないが、その台詞が「ちょっと遺憾だった」って。しかも、安倍首相はやはりまったく反省していなかった。それは、またも以下の暴言を吐いたからだ。

「担当である障がい者雇用の短時間勤務職員の
勤務時間等との調整をおこなった結果、
使用予定日が5月9日となったことから、
その予定どおり廃棄したもの」
12月2日、参院本会議

 野党議員からの「桜を見る会」にかんする資料要求があった約1時間後に招待者名簿をシュレッダーにかけるという露骨な“証拠隠滅”をやってのけながら、その言い訳に「障がい者雇用だったから」などと持ち出す──。ヨーロッパなら即刻辞任もおかしくない大暴言だ。
 実際、この暴言は国内のみならず、ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズといった海外メディアも報道。ロイター通信は安倍首相の発言に批判が集まっていることのみならず、相模原の障がい者施設連続殺傷事件や政府の障がい者雇用水増しの件と同様に障害者への態度を象徴しているという声や、安倍首相の発言は障がい者はミスをするという偏見の現れであり人を差別して見下しているという声なども紹介した。
 しかも、欧米メディアは「桜を見る会」問題を“身内びいき”と批判されていることをストレートに伝え、これまでも森友・加計問題など“身内びいき”の疑惑が浮上していたことに言及。データの隠蔽や改ざんなど公文書管理を問題視し、政府が招待者リストを公開しないもの「桜を見る会」問題をごまかすためと見ている。人権意識はもちろん、公文書管理や情報公開に対する国の責任が当然認識されている国でこうした問題が起こっていれば、いまごろ安倍首相はメディアの厳しい追及に蜂の巣になっているはずだ。
 だが、安倍首相はいまもそうならず、呑気に別荘でゴルフに興じている。それどころか、メディアに対して、こんな強気な態度までとっている。それが次の発言だ。

「あらためて会見するというのであれば、いま質問してください」
11月16日、ぶら下がり取材で

「桜を見る会」問題に対する世論の批判の高まりを受けて、安倍首相が「異例の20分超え」で応じたぶら下がり取材。たったの20分、取材に応じることが「異例」と言われること自体が異常だが、この取材自体、開始の約10分前に急遽セットされたもの。ようするに、記者たちに準備時間を与えない姑息なものだった。そして、そこで安倍首相は「長年の慣行」というフレーズを何回も繰り返し、「前夜祭」問題についても「参加者1人5000円という会費はホテル側が設定した価格」などと強調した。
 この一方的な主張に対し、記者もなんとか食い下がったが、安倍首相は「いまお話ししたとおりで……最初、聞いておられました?」「私、もう出なければなりませんので、同じような質問はちょっと避けていただきたい」とまくし立てる始末。さらには、後日に記者会見を開く予定はあるのかと尋ねられると「いま質問しろ」と迫ったのだ。
 ようするに、不意打ちを狙った上、「説明責任は果たした」というアリバイづくりのために記者たちを利用したわけだが、酷いのは安倍首相だけではない。
 というのも、今月27日におこなわれた安倍首相と総理番のオフレコ懇談会では、長谷川栄一首相補佐官が最初に「くれぐれも取材しないでください」と述べたことから「桜を見る会」はおろかIR汚職問題についても記者から質問は出ず、挙げ句、毎年恒例になっているという安倍首相や菅義偉官房長官との2ショット撮影会にまで記者が嬉々として参加していたというのだ(日刊ゲンダイ28日付)。ちなみに、このオフ懇を蹴ったのは、毎日と東京新聞だけだった。
 問題発言をこれだけ連発していても無傷でいられるのは、メディアがこうして抱え込まれているからにほかならない。だから、安倍首相は心置きなく付け上がりつづけるのだ。

「私は総理大臣ですから、森羅万象すべて担当しておりますので」
2月6日、参院予算委員会

 今年、もっとも安倍首相の思い上がりを象徴する発言こそが、これだ。統計不正問題で出た特別監察委員会の報告書を読んだのかと質された際、安倍首相は「そのものは読んではおりません。私は概要について秘書官から報告を受けている」と一切悪びれずに答弁。さらには「総理大臣でございますから、森羅万象すべて担当しておりますので、あの、報告書をですね、さまざまな、これ日々様々な報告書がございますが、それをすべて精読する時間はとてもない」などと言い出したのだ。
 “自分は森羅万象(宇宙のすべて)を「担当している」ので忙しいから第三者委員会の報告書は読めませんでした”って、傲慢もすぎるというものだろう。しかも、安倍首相はこの発言を口にした後も、「統計問題は国家の危機になりかねないという認識はあるか」と訊かれたとき、こう述べた。
「いま、国家の危機かどうか(と訊いた)。私が国家ですよ。総理大臣が国家の危機という、重大な発言を求めているわけでありますから、まず説明をするのが当然のことではないでしょうか」
「国家の代表として」とかほかにも言い方があるだろうに、よりにもよって「私が国家」って……。安倍首相はこれまでも「我々が提出する法律についての説明はまったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」だの「私が最高責任者」だの、自分が絶対的な権力者だと勘違いしているとしか思えない発言を連発してきたが、こうした態度こそが、力によって行政を歪め、「隠蔽、改ざん、偽装」を横行させてきた。そして、森友・加計問題や「桜を見る会」問題を生み出したのである。
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 いかがだっただろう。年の瀬に思い出すだけで気分が悪くなった人もいたかもしれないが、安倍首相が狙っているのは「年またぎで国民は忘れる」ということ。だからこそ、こうした「暴言・バカ丸出し発言」をしっかり持ち越して、来年も徹底追及する必要がある。そして、こんな総理大臣が居座りつづけているという異常事態を、来年こそは一掃できることを祈りたい。
(編集部)


(社説)2020年代の世界
 「人類普遍」を手放さずに
2020年1月1日:朝日新聞

 「普遍」とは、時空を超えてあまねく当てはまることをいう。抽象的な言葉ではあるが、これを手がかりに新たな時代の世界を考えてみたい。
 国連の「持続可能な開発目標」(SDGs〈エスディージーズ〉)は、17の「普遍的な」目標を掲げている。
 たとえば、貧困や飢餓をなくす、質の高い教育を提供する、女性差別を撤廃する、不平等を正す、気候変動とその影響を軽減する、などだ。
 2030年までに「我々の世界を変革する」試みである。「誰も置き去りにしない」という精神が、目標の普遍性を端的にあらわす。
 15年に採択され、4年が経つが、進み具合は思わしくない。昨年9月、ニューヨークで開かれた初の「SDGサミット」で、国連のグテーレス事務総長は訴えた。「我々は、いるべき場所にほど遠い」。サミットは、この先を「野心的な行動の10年」と位置づける宣言を出した。
 目標にどこまで迫ることができるか。それが20年代の世界を見る一つの視点になる。
 ■リベラルめぐり応酬
 人権、人間の尊厳、法の支配、民主主義――。
 めざすべき世界像としてSDGsも掲げるこれらの言葉は、西洋近代が打ち立てた普遍的な理念として、今日に生きる。
 基本的人権の由来を記した日本国憲法の97条にならえば、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」である。
 帝国主義や植民地支配といった近代の負の側面を差し引いても、これらが国境を越えた物差しとして果たしてきた役割は、とてつもなく大きい。
 たとえば人権保障は、1948年に世界人権宣言が採択され、その後、女性、子ども、性的少数者へと広がっていった。
 だが、21世紀も進み、流れがせき止められつつあるかに見える。「普遍離れ」とでもいうべき危うい傾向が、あちこちで観察される。
 ロシアのプーチン大統領は昨年6月、移民に厳しく対処するべきだとの立場から、こう述べた。「リベラルの理念は時代遅れになった。それは圧倒的な多数派の利益と対立している」
 リベラルという語は多義的だが、ここでは自由や人権、寛容、多様性を尊ぶ姿勢を指す。
 発言は波紋を呼んだ。当時のトゥスクEU首脳会議常任議長は「我々はリベラル・デモクラシーを守る。時代遅れなのは権威主義、個人崇拝、寡頭支配だ」と反論した。
 自由と民主主義が押し込まれている。
 プーチン氏は強権的なナショナリズムを推し進め、米国のトランプ大統領も移民を敵視し、自国第一にこだわる。
 欧州では、排外的な右派ポピュリズムが衰えを見せない。
 香港で続くデモは、自由という価値をめぐる中国共産党政権との攻防である。
 自由民主主義陣営の勝利と称揚された冷戦終結は、決して「歴史の終わり」への一本道ではなかった。
 ■固有の文化、伝統?
 日本はどうか。
 「民主主義を奉じ、法の支配を重んじて、人権と、自由を守る」。安倍政権は外交の場面で、言葉だけは普遍的な理念への敬意を示す。
 しかし、外向けと内向けでは大違いだ。
 国会での論戦を徹底して避け、権力分立の原理をないがしろにする。メディア批判を重ね、報道の自由や表現の自由を威圧する。批判者や少数者に対する差別的、攻撃的な扱いをためらわない。
 戦前回帰的な歴史観や、排外主義的な外交論も、政権の内外で広く語られる。
 旧聞に属するとはいえ、自民党が野党時代の12年に作った改憲草案は象徴的である。
 現行憲法がよって立つところの「人類普遍の原理」という文言を、草案は前文から削除してしまった。
 代わりに「和を尊び」「美しい国土を守り」などの文言を盛り込んだ。日本の「固有の文化」や「良き伝統」へのこだわりが、前文を彩る。
 この草案にせよ、現政権のふるまい方にせよ、「普遍離れ」という点で、世界の憂うべき潮流と軌を一にしていることはまぎれもない。
 ■予断許さぬ綱引きへ
 近代社会を、そして戦後の世界を駆動してきた数々の理念。それを擁護し、ままならない現実を変えていくテコとして使い続けるのか。その値打ちと効き目を忘れ、うかつにも手放してしまうのか。予断を許さない綱引きが20年代を通じ、繰り広げられるだろう。
 SDGsはうたう。
 「我々は、貧困を終わらせることに成功する最初の世代になりうる。同様に、地球を救う機会を持つ最後の世代にもなるかも知れない」
 高く掲げられる理念は、差し迫った眼前の危機を乗り越えるためにこそある。


<社説>
新年を迎えて 民主主義が機能する国に
2020年1月1日:琉球新報

 2020年を迎えた。県民が主体性を発揮し、大きく揺らいでいる民主主義の土台を再構築する年にしたい。
 衆院で政権党が絶対安定多数を占める国会は政府の追認機関と化した感がある。チェック機能が十分に働いていない。裁判官は良心に従い職権を行使する独立した存在だが、国におもねるような司法判断が目立つ。三権分立は半ば機能不全に陥っている。
 安倍晋三首相による政権が長期に及び、強権を振るえる体制が築かれたことが背景にあるとみられる。
 米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設では、国民の権利利益の救済を目的とする行政不服審査制度を沖縄防衛局が利用した。福岡高裁那覇支部は国も利用できると判断し、県の訴えを却下している。国に追随する姿勢があらわになった。
 権力の乱用を防ぎ国民の権利を保障する仕組みが十分に機能していない。そのしわ寄せが、日本の末端に位置する沖縄を直撃している。
 昨年2月の県民投票では投票者の7割超が辺野古の埋め立てに反対した。本来なら速やかに他の選択肢を検討すべきだが、沖縄の民意は完全に無視された。
 これは民主主義の正常な在り方ではない。国民の意思に従って政治を行うという基本がなおざりにされている。
 沖縄は戦後、米国の施政下に置かれた。抑圧された民衆が人権擁護と自治権拡大を粘り強く求め、主席公選をはじめ自らの手で権利を勝ち取ってきた歴史がある。
 1972年の日本復帰に先立ち、70年に実施された国政参加選挙もその一つだ。
 当初、政府や自民党の間では、表決権のない代表にとどめようとする動きがあり、日本政府沖縄事務所長だった岸昌(さかえ)氏は、表決権を含めた完全な権能を与えよ、という見解を読売新聞紙上で発表した。これが、実現に大きな影響を与えたといわれる。
 当時の木村俊夫官房長官は「施政権下にないところの代表に本土議員と同じ資格を与えるわけにはいかないのではないか」と否定的だった。その中で現地の責任者が沖縄の人々の権利を保障するよう表だって求めた事実は興味深い。
 現在の政府出先機関は県民の意を体して中央の考えとは異なる意見を本省に具申することがあるのだろうか。それどころか、沖縄防衛局などは、多くの民意に逆行する新基地の建設を推し進めている。
 戦後初の国政参加から50年たつが、沖縄の置かれた状況は、自らの権利を粘り強く主張し続けなければならないという点で、当時と変わってはいない。
 大切なのは主体性を失わないことだ。平和を希求しつつ、自分自身の手で未来を切り開いていかなければならない。
 そのためにも、今まさに、日本の民主主義が危機にひんしていることを沖縄から強く訴えていく必要がある。



年のはじめに考える 誰も置き去りにしない
2020年1月1日:東京新聞

 二〇二〇年。目線を少し上げれば二〇二〇年代の幕開けです。
 この十年を区切る年明けに見すえたいのは、一世代が巡る十年先の世の中です。より豊かな未来を次世代に渡すために、私たちはこの二〇年代をどう生きるか。
 その手がかりにと、思い起こす場面があります。
 秋のニューヨークで、国連に集う大人たちに時の少女が物申す。つい最近も見かけたようなシーンが四年前にもありました。
 暗がりの傍聴席に照らし出されたのはマララ・ユスフザイさん。当時十八歳。同席した各国の若者たちを代表して、階下の首脳たちに語りかけたのです。
◆次世代と約束のゴール
 「世界のリーダーの皆さん、世界中の全ての子どもたちに世界の平和と繁栄を約束してください」
 一五年九月。国連サミットの一幕でした。この会議で採択したのが「持続可能な開発のための2030アジェンダ(政策課題)」。貧困、教育、気候変動など十七分野にわたり、世界と地球を永続させるべく取り決めた開発目標(SDGs)です。その達成期限があと十年先の三〇年。マララさんたち次世代と世界が交わした約束のゴールでした。
 合言葉が二つあります。
 SDGs独自の取り組みで、一つ目は「誰一人も置き去りにしない」ということです。
 置き去りにされなければ、次世代の誰もが平等に、尊厳と希望を持って生きられる。そういう社会が次々に循環する。持続可能な希望の未来は、私たちが目指すべき約束のゴールでもあります。
 ただ一方で自覚すべきは、SDGsの起点ともなった過酷な現実です。いまだ数十億の人々が貧困にあえぎ、いや増す富や権力の不均衡。採択後四年たつ今もやまぬ紛争、テロ、人道危機…。
◆賑わう子ども食堂に光
 これほど険しい現実を期限内に克服するには、もはや先進国も途上国もない。二つ目の合言葉は「地球規模の協力態勢」です。
 全ての国の人々がそれぞれ可能な分野で協力し、複数の課題を統合的に解決していくしかない。アジェンダはそう促します。
 いわば総力戦の協力態勢なればこそ、社会の隅々から置き去りの人を見逃さず、救出もできるということでしょう。
 そんな世界の流れに棹(さお)さして、私たちの日本も進みます。
 この年末にふと甦(よみがえ)った光景はリーマン・ショック後の〇八年。東京都内の公園で困窮者の寝食を助けた「年越し派遣村」でした。
 「役所は閉まっている。周辺の(派遣切りなどで)路頭に迷う人が誰一人排除されぬよう、われわれで協力し合って年末年始を生き抜くぞ」
 開村式で村長の社会活動家、湯浅誠さんが張り上げた一声です。この定見。今にしてみれば湯浅さんは、SDGsの置き去りにしない協力態勢を、はるか以前に先取りしていたのかもしれません。
 あれから十年余の昨年暮れ。都内の会合に湯浅さんの姿がありました。今度は民間協力で運営する全国の子ども食堂の支援です。
 NPO法人「むすびえ」の設立一年祭で、湯浅理事長が力説したのも、子ども食堂の支援を通じて「誰一人置き去りにしない社会をつくる」ことでした。
 子ども食堂はいま全国に三千七百余。この三年で十二倍の急増です。確かに子どもの貧困は深刻だが、食堂が子どもに食事を出すだけの場なら、逆に気兼ねする子も多く、この急増はあり得ない。湯浅さんの見立てです。
 貧しさに関係なく、例えば子連れの親たちが子育ての手を休めにやって来る。一人暮らしのお年寄りが自作の料理を持ち寄る。
 誰も置き去りにされない。多世代が頼り合う地域交流の場として必要とされ始めた。だから急増しているのだ、と。国連にも呼応し食堂を応援する民間企業、団体の動きも勢いづいています。
 派遣村以後の貧困から格差も極まった日本で、子ども食堂の賑(にぎ)わいは、SDGs社会に差す希望の光といってもいいでしょう。
 あとはこの賑わいを他分野にもどう広げていくかです。でも民間だけではやはり限界がある。巨大な政策システムを回す政治の原動力が、総力戦には不可欠です。
◆政治が無関心であれば
 もしも政治が、格差社会の断層に、弱い人々を置き去りにしたままで、次世代の未来にも無関心でいるならば、変えればいい。まだ十年あります。主権者一人一人が望んで動けば、変えられます。
 マララさんたちとの約束のゴールに向け、私たちはこの二〇年代をどう生きるか。「歴史的意義」をうたうアジェンダの一節です。
 <われわれは貧困を終わらせる最初の世代になり得る。同様に、地球を救う機会を持つ最後の世代になるかもしれない>

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