ダメじゃん、「アベ政治」

年が明けても、めでたく感じないのはボクだけだろうか?
「餅を食っても」忘れてはならない問題が山積し、「桜」を見たら思い出さねばならないこともたくさんある。そのほとんどの問題の解決の答えは見えている。
ことはそれほど、複雑ではないのは、多くの問題が安倍晋三という人間を淵源としているからだけではない。国民の前に隠されていることよりも、多くの問題の根幹は明示されている。あとは、これを解釈し、自ら考え、そして行動するだけのことだ。トゥーンベリさんを真似て、一人でも行動を始めたい。


子どもの2019
 今年は子どもにとってどんな1年だったでしょうか。子どもにかかわりの深い、さまざまなニュースや出来事で振り返ります。
2019年12月30日:東京新聞・子どもの2019

理不尽な校則の問題は

 2019年は「下着は白」「頭髪は黒に染める」などの理不尽な校則の問題が注目されました。東京都世田谷区は区立中で「下着は白」や男女別の髪型などの規定の廃止を決め、「ブラック校則」と題した映画やドラマも公開されました。「ブラック校則」の共著書がある評論家の萩上チキさん(38)に、問題の本質やアドバイスを聞きました。

ルールを変える力を奪う

 ―理不尽な校則は、なぜ問題なのでしょうか。
 一番大きいのは、「隠れたカリキュラム」になっていることです。暗黙のうちに「年上や先生に逆らってはいけない」「和を乱してはいけない」という価値観を子どもたちに伝えている。「社会のおかしなルールは変えられる」という考えを失わせ「声を上げる人は生意気で痛いヤツ」という感覚を育ててしまう。自分たちで変える力を奪う、悪しき教育効果です。
 -校則によるストレスがいじめや不登校につながっているとも聞きます。
 そうですね。イライラした時、ストレスへの対処法にはいろいろあるのに、校則に縛られ、そのスキルを身に付ける機会を奪われ続けているのが今の子どもたちです。買い食い、漫画、スマホ持ち込み、廊下での立ち話…。禁則が多すぎてストレスを解消できない。対処法のレパートリーが少ないまま成長すると、過剰な飲酒や依存などで自分の心身を傷つけてしまう。
 教室で休み時間に友だちと騒ぐのは許されても、さまざまな文化に触れられないため、教室は一人でいることが許されず、より声が大きく社交的な人が支配する空間になる。ストレスへの対処下手な人が放置される一方で、うまく対処する仲間にいら立ち、蔑視する気持ちを育ててしまう。「空気読まないヤツ」などと言っていじめのスイッチが入ることもあり得ます。
 -明るい動きもあった。
 ホームページでの校則公開は岐阜県など各地に広がりました。髪の黒染め強要について実態調査も積み重なり、整形医学の検証を基に教科書を学校に置いて行く、「置き勉」禁止を見直す動きも出てきた。ただ、ひどい校則もまだ多く、もっと大きく変わってほしい。
 -苦しむ子どもへ助言を。
 おかしいことはおかしいと思っていい。「嫌だな」という感性は正しくて、抑圧に従わないのが第一歩。声を上げられないなら心の中で反発し続け、声を上げた人の足を引っ張らないことはできる。合理性と根拠を問い続けることで、おかしいことは変えられます。         (聞き手・岩岡千景)


タピオカドリンク流行
 モチモチした食感が特徴のタピオカ入りドリンクが中高生を中心に大流行し、これを飲むことを指す「タピる」も新語・流行語大賞のトップ・テンに選ばれるなど、話題になりました。
 数年前から黒い大粒のタピオカ入りミルクティの本場、台湾の専門店が日本に進出。SNSで「映える」と若者が写真や動画を拡散し、今年、爆発的なヒットにつながったようです。
 ただ、プラスチック製容器のポイ捨て問題も。乳幼児がのどに詰まらせる可能性も指摘され、飲料メーカーが注意を促しています。

SNSを使った誘拐多発
 会員制交流サイト(SNS)をきっかけに小中学生が誘拐される事件が相次ぎました。11月、大阪市の小学6年女児がツイッターで知り合った栃木県小山市内の男(35)とやりとりするうちに誘い出されました。女児は自力で男の自宅から逃げて交番に駆け込み保護され、男は逮捕、起訴されました。
 事件を踏まえ、総務省はネット事業者でつくる「青少年ネット利用環境整備協議会」に、子どもたちが安全にネットを利用できるための措置を要請しました。

子どもの権利条約30年
 子どもの権利条約が1989年11月20日の国連で採択され今年は30年の節目でした。条約は、子どもは大人の所有物ではなく「権利を持つ主体」とし、「生きる」「穏やかに育つ」「危険から守られる」「社会に参加する」という権利の4本柱を実現するよう各国に要請しています。
 日本は94年に批准しましたが、国連の委員会から今年の2月、差別禁止や子どもの意見の尊重、体罰の禁止などができていないとし緊急措置を取るよう勧告されました。
子ども自身が被害を訴え出られる救済機関の設置も求めています。

> 主な出来事 <
1月 千葉県野田市の小学4年栗原心愛(みあ)さんが両親から虐待されて死亡。/人気アイドルグループ「嵐」が2020年末での活動休止を発表
2月 東京都内の母親らが電車利用についてアンケート。「子どもにとって危険と感じることがある」は9割に。
3月 いわゆる「キラキラネーム」だった山梨県の男子高校生が火災に改名を許可される。「王子様」から「肇」さんに/東京都が教員向け「性教育の手引き」を改訂。避妊や中絶など学習指導要領を超える内容も別記。
4月 10歳の仲邨菫(なかむら・すみれ)さんが囲碁の最年少プロ棋士に、7月にプロ公式戦初勝利。
5月 大津市で散歩中の保育園児らの列に車が突っ込み、16人が死傷/テレビゲームなどのやり過ぎで日常生活が困難になる「ゲーム障害」を、世界保健機構(WHO)が治療が必要な依存症として疾病に分類/通学バスを待っていた川崎市の私立カリタス小学校の児童と保護者が計20人が、男に刺され死傷、男は自殺
6月 改正児童虐待防止法などが成立し、親による子どもへの体罰が禁止に
7月 「企業主導型保育事業」で国の助成金をだまし取ったとして福岡の経営者らを逮捕。助成金の審査・確認のずさんさ露呈
8月 理不尽な学校の「ブラック校則」根絶を目指すグループが60000人の署名を文部科学省に提出
9月 スェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさんが国連「気候行動サミット」でスピーチし、注目が集まる。世界各地で若者によるデモも/不就学の可能性がある外国籍の子どもが約20000人いることが、文科省の初の全国調査で判明
10月 幼児教育・保育の無償化がスタート、待機児童問題や保育の質の悪化への懸念も。11月には財源不足も指摘された
11月 2021年1月から始まる大学入学共通テストへの英語民間検定試験の導入が延期に。12月には国語・数学の記述式問題導入も見送りが決定/大阪市の小学6年女児がSNSを通じて男に誘拐され、とx日技研で保護/日本高野連が投手1人の1週間の総投球数を500球以内とする制限の実施を決定。来春の「センバツ」から3年間試行/貧困家庭の子どもの支援方針をまとめた「子どもの貧困対策大綱」を閣議決定。
12月 2019年に生まれた赤ちゃんの数が864000人の見通し、初の900000人割れで過去最少が確実に



保護者へ電話、報告書作成、家庭訪問…
教員、放課後も超多忙
     部活顧問は残業不可避
 県内小中・勤務実態アンケート
2019年12月30日:琉球新報

 当たり前となっている部活動、心配な生徒への対応、保護者への連絡―。本島中部のある中学校を訪ねると、長時間労働に陥っている教員の勤務実態が浮かび上がった。日中は過密なスケジュールに追われ、放課後は保護者の帰宅に合わせた電話や家庭訪問を繰り返す教員ら。教育委員会などから依頼される報告書の作成なども請け負いながら、日々の授業づくりに取り組んでいる。

 「これを見てください」と校長が取り出したのは、「教育相談」と書かれたぶ厚いファイル。中には、登校を渋ったり精神的に不安定になったりしている生徒の様子をまとめた資料がつづられているという。この学校では1学級当たり3、4人は不登校の傾向があり、教員らが注意深く観察している。

 教員の空き時間は1日6コマの授業のうち1コマだけ。その1コマは教育相談に関する教員同士の話し合いや会議などに充てられ、実質的に空き時間は皆無。必然的に、本来業務の教材研究やテストの採点作業は放課後に行うことになる。

 校長は「昔は非行への対応で忙しかったが、今はいじめや不登校が多い。保護者への連絡は保護者の仕事が終わった後になるので、どうしても遅い時間帯になる」と説明する。先日もある教員が午後6時すぎに「家庭訪問に行ってきます」と職員室を出て行ったという。

 日が暮れた午後6時、職員室にはまだ5、6人の教員が残っていた。終業時間は午後4時45分だが、パソコンでの資料作成や生徒に関する情報交換などでまだ仕事は終わりそうにない。誰かがまとめて注文したのか、複数のデスクに夜食用のチキンといなりずしが置かれていた。

 体育館ではまだ部活動が続いていた。部活動の時間は午後6時までと決められており、後片付けを終えた顧問が職員室に戻るのは午後6時半ごろ。その時点で1時間半ほどの残業が発生する。顧問になった教員は構造的に残業が避けられない。

 校長は「加配や支援員の配置はありがたいが、打ち合わせの時間が生まれてしまう。根本的には教員の数を増やさないと長時間労働はなくならないと思う。そして、学校だけでなく家庭や地域の協力も不可欠だ」と語った。
 (稲福政俊)


1カ月の残業100時間超 延べ810人
過労死ライン超は2329人 沖縄の小中教員
2019年12月30日:琉球新報

 沖縄県内の公立小中学校で月100時間を超える残業をした教員が2018年度に少なくとも延べ810人いたことが29日までに、琉球新報が実施した市町村教育委員会へのアンケート調査で分かった。「過労死ライン」とされる80時間超は少なくとも延べ2329人だった。アンケートは41市町村のうち38市町村が回答したが、残業時間を把握するシステムがないなどの理由で無回答とする市町村もあり、実態はさらに多いとみられる。
 教員数に不足感があるか聞いた質問では、全体の78%に当たる32市町村が小学校について「かなりある」「ややある」と回答した。中学校は68%に当たる28市町村が「かなりある」「ややある」と回答し、小中学校ともに教員数の不足が深刻になっている現状も明らかになった。

 小学校で100時間超の残業が最も多かったのは那覇市で122人。次いで浦添市34人、南風原町26人、豊見城市13人と多かった。中学校で最も多かったのは那覇市の217人で、糸満市162人(2018年6月~19年3月の集計)、浦添市119人、南風原町46人と続いた。

 小学校における80時間超の残業は那覇市473人、浦添市180人、南風原町116人の順で多かった。中学校は那覇市525人、浦添市313人、糸満市162人(18年6月~19年3月の集計)の順で多かった。
 長時間労働となる主な理由(複数回答)は、小学校が「授業準備」が最も多く31市町村。「事務作業や報告書作成」が24市町村、「学校行事」が17市町村と続いた。中学校は「部活動」と「授業準備」が同数で29市町村、「事務作業や報告書作成」22市町村、「学校行事」16市町村と続いた。その他の理由として、小学校では「地域行事への参加」、中学校では「生徒指導」などを挙げる市町村もあった。

 タイムカードまたはICカードなどで客観的に勤務時間を把握していたのは21市町村だった。その他は教員自身がエクセルデータに記入したり、出勤簿に押印したりする方法で勤怠を管理していた。

 学校関係者や識者は、長時間労働の背景に業務の多忙さなどを挙げつつ、教職員定数改善の必要性を訴えている。
 (稲福政俊)

<アンケートの方法>
 アンケートは11月下旬にファクスで41市町村の教育委員会に配布。今月29日までに38市町村から回答を得た。



大学入試は記述式が当たり前、
フランスの仕組みとは?
 専門家が語る日本との大きな違い 
2019年12月29日:京都新聞

 2020年度に始まる大学入学共通テストを巡り、政府が国語と数学への記述式問題の導入見送りを決定した。記述式の何がいけなかったのか。フランスでは大学入学資格を得ることができる試験は全て記述式という。同国の教育に詳しい立命館大文学部の細尾萌子准教授は、今回の見送りの背景には両国の採点体制の違いがあると指摘する。

 -フランスの大学入学の仕組みは。
 「高校3年末に受ける大学入学資格試験『バカロレア試験』に合格すれば、原則的に無選抜でどの大学でも入学させてきた。フランスでは、恵まれない人でも一定の能力さえあれば高等教育を受けられるべきだという権利意識が強いため、『選抜』という言い方はタブーとなっている。試験は論述が中心で、作問も採点も高校教員が行う。そのため採点には2週間ほどかかる。フランスでは大学入学前にバカロレア試験があるという前提で小中高校での授業が組まれるため、子どもたちは常に論述に対応する勉強をしている」
 -論述試験の採点を高校教員が行うことに不安はないのか。
 「フランスでは高校教員は教科の専門家と位置付けられており、教員以上に採点に適した人はいないと社会から信頼されている。そのため採点への苦情も少ない。採点者によって点数に大きな差がある時は、調整する仕組みもある。さらに各高校の担任は2人制。1人は進路指導の担当なので日本ほど労働時間が長くなく、採点にも対応できている」
 -日本では大学共通テストで記述式が見送られた。
 「記述式問題を導入すること自体は賛成だ。断片的な知識を暗記するだけでなく、互いに関連付けて考えるように高校生の学習目標も変わっていくからだ。しかし、そのためには土台の整備が必要だ。採点者がいないのに、試験だけ変えたところに根本的な問題がある。高校教員が採点を担うにしても、日本の教員は教科以外に進路指導など全人的な教育をするため、多忙で対応できないだろう」
 -どうすればよかったのか。
 「今回は政治主導で導入の見送りが決まった。しかし本来ならフランスのように高校教員と大学教員がもっと大学入試に主体的に関わるべきだ。その上で高校教員が採点に関われるように、教員の人数を増やすなどして対応すればよい。現実的には2次試験用の記述問題を高校と大学、大学入試センターで協働して作成し、使いたい大学が利用するようにしてはどうか。各大学のコストを削減でき、高校と大学の交流にもつながる」

■バカロレア試験

 1808年に創設された国家試験。合格者には中等教育の修了認定と高等教育の入学資格が付与される。日本で導入高校が増えている国際的な大学入学資格プログラム「国際バカロレア」とは無関係。
 問題は大半が論述。例えば歴史では、月面着陸の写真とベトナム戦争の反戦歌の歌詞を示し「二つの資料を分析し、1960年代末に米国が世界規模の大国になったことを示せ」といった問いに1時間半ほどで答える。
 論述試験が行われてきた背景には、フランスが共和国であることもある。国王がおらず、国民一人一人に主権がある。大統領も選挙で決まる。話し合いで違う価値観を認めつつ、一定の方向性を決める文化が根付いている。
 試験は全科目の平均点が20点満点中10点以上で合格となる。合格率は約9割。各大学で入学志望者が多数いる場合は、居住地や抽選で選定されてきた。フランスの大学は全て国立で、日本のような大学のランク付けもないため、2次試験もなく対応できる。
 近年は、大学入学後に留学や退学する人が約6割に上ることが課題となっている。そこで大学に見合った学力がある生徒を入学させるため、2018年度から高校の成績や居住地を基に上位から一定の入学者を決める制度が始まった。ただ事実上の「選抜」となるため、出身などにかかわらず大学教育を受けられるようにするバカロレア試験の理念から離れる、との指摘も出ている。
 また20年度からはバカロレア試験の40%を高校の内申点で評価する改革が始まる。狙いは試験に向けた詰め込み勉強の改善や、高校教員の作問や採点の負担を軽減することだが、教員組合などから「公平性が保てない」などとして反対の声も上がっている。

 ほそお・もえこ 京都大教育学研究科修了。近畿大教職教育部講師などを経て、2017年4月から現職。専門は教育方法論。



「学校はタダ」だと思う保護者、
その裏側で自腹を切る先生
現役中学教員に聞く
「労働時間だけではない
教育現場のブラックさ」
2019年12月20日:ねとらぼ

 ブラックな労働環境、厳し過ぎる部活動、なくならないいじめ………。子どもの成長を支える学校を巡って、ニュースではさまざまな問題が取り上げられています。実際に働いている教員は、どのような思いを抱いているのでしょうか。

 本記事は、公立校の中学教員に「一般教員として感じている“学校の問題点”」を語ってもらう連載企画。今回は「学校行事などのために、教員が自腹を切っている実態」について、Aさん、Bさん(仮名)にインタビューしました。
合唱コンクールはあるのに、練習に使えるキーボードがない
A:ブラック企業の話題でよく上がるのが、労働時間。でも、もう1つ「お金」という要素もあるよね。

―― 残業代が出ないとか、自爆営業をさせられるとか……

 教員の世界では「自腹を切って、仕事で必要なものを購入する」というのが非常に多い。例えば、合唱コンクールのためにキーボードを買ったり、CDデッキを買ったり。

―― 学校にあるんじゃないの?

A:あっても壊れてたりするから、私物を貸すという形で補うわけ。

 それから、音楽について専門的に勉強してない教員がほとんどだから、機材どころか指導のノウハウもなかったりね。だから、本を買ってきて個人的に勉強するんだけど、その購入代金も自腹。

 教員の給与は同年代と比べると少し高いと思うのだけど、残業時間は過労死ラインを突破するくらい長いし、自分のお金を仕事のために使う機会がすごく多い。

 教員の世界ではこうやって自腹を切ることを“持ち出し”というのだけど、合唱コンクールに限らず、体育祭、部活なんかも持ち出しでやるのが当たり前になってる。

―― そういうときに使えるお金は用意されてないの?

A:一応、「学級費」というのはあるんだけど、良くて年間5000円とか。1カ月あたりに置き換えたら数百円だから、ティッシュとかビニール袋とか……あとはメラミンスポンジ? そういうのを買ったら終わり。これだって使いきったら、後は持ち出し。

―― 経費で落とすこともできない?

B:「経費という考え方自体がない」と思ってもらっていいと思う。

A:出るのは、出張の交通費くらいかなあ……。
教員の自腹で「何とかなってしまうから学校のキーボードは壊れたまんま」
―― そもそもの話になっちゃうんだけど、「キーボードは使えないのに、合唱コンクールをやる」っておかしくない?

A:そこは「体育館にピアノがあるから大丈夫」という発想なんだよ。

―― でもあれ、回数少なかったよね。「体育館での練習は、貴重な機会。本番と同じ環境で歌えるんだぞ」と、メインの練習ではなかった覚えがある

A:うん。全学年10~20くらいのクラスで利用時間を割り振って、順番で使うことになるからね。当然、それだと十分に練習できない。だから、自腹でキーボードを購入して、教室に置く教員が現れるわけ。

 そうしないと「生徒たちに必要なモノなのに、用意してないとはどういうことだ」と言ってくる保護者もいるし、合唱が完成していかないと「あのクラスの担任は指導が悪いな」みたいに、周囲の風当たりも強くなる。

B:それから、やっぱり「生徒を持ったら、その子たちにいい思いをさせてあげたい」と思うのが、人の心なんじゃないかな。例えば「隣のクラスはキーボードがあって合唱の練習ができるけど、自分のクラスは……」というのは心苦しい。自腹を切るのが良い解決方法だとは思わないけど、手っ取り早い。

A:逆に言うと、それで何とかなってしまうから学校のキーボードは壊れたまんま、というね。
教員の給与が、教育コストを“見えない形で消化”している
A:行事や部活だけじゃなくて、授業で使う教材も教員の持ち出しだったり。

B:そうそう。最近はデジタル教材を使った授業が求められていて、「やってほしい」と言われるのだけど、機材がない。

 だから、自腹で数万円のプロジェクターを買って授業に使ったことがあるよ。自分で言うのもアレだけど、生徒からの反応は良かった。そういうことをする先生が他にいないし、黒板と違ってボタンで切り替わるからテンポもいいし。

 まあ、職員室内では全く評価されなかったんだけどね。「学校全体に関わる仕事の方が大事」という考え方が強くて、授業を頑張っても「自分のことをしただけ」みたいな。年功序列で、給与も上がらないし。

A:その反面、生徒から徴収するお金に関してはかなりシビアで、教材費の使い方も難しい。学校の教材って200~300円とかなんだけど、500~600円になると良い教材だとしても「高過ぎる」と言われてしまう。

 「学校はタダ」だと思ってる人はいまだにいるみたいで、お金を払うことにかなり抵抗を示すんだよ。その裏側では教員が自腹を切ってる。

―― 教員の給与が、教育にかかるコストを見えない形で消化してるわけか

B:今は教員個人の努力に頼っているというか。サービス精神あり過ぎ、ボランティア精神あり過ぎで、それなりに協調性もあるから、成り立ってるんだと思う。

 もしもドライになって「自腹切りたくないです」「報われない努力はしたくないです」と言うようになったら、教育現場は終わると思う。良くも悪くもそうならず、ブラック化することでギリギリ回ってる。

A:でも、それはパンクした自転車で走ってるみたいなものだから。すでに無理やり回してるだけだということに気付いてほしい。

※本企画は、現役教員の声をそのまま記事化したものです。実際の労働環境などは自治体、学校などによって異なる可能性があります。


小学校教員の倍率低下
 教育の質を確保できるか
2019年12月26日:毎日新聞

 今年度の教員採用試験で、公立小学校教員の倍率が全国平均で過去最低の2・8倍となった。
 新潟県の1・2倍をはじめ2倍を切る自治体も12道県・政令市に上る。ハードルが下がりすぎて教員としての資質に乏しい人材まで採用されたのでは、教育の質を保てない。
 倍率の低下はこれで8年連続となる。第2次ベビーブームに対応し、大量採用された教員が退職期を迎えて採用数が増えていることに加え、受験者が減っているのが原因だ。
 今回と同じ過去最低の倍率だった1991年度はバブルのさなかで、企業が新卒者を大量採用したことが響いた。文部科学省は、現在の低下傾向にも企業の採用が好調なことが影響しているとみている。
 だが、それだけではなかろう。学校職場を巡っては、長時間労働がかねて問題となっている。「モンスターペアレント」への対応に神経をすり減らす教員もいる。そうした「ブラック職場」のイメージが受験者を遠ざけているとみられる。
 また、各都道府県などの採用対応の違いも影響している。
 文科省によると、低下が目立ったのは退職者数などに応じて場当たり的な採用を続けてきた自治体だ。一方、中長期的な計画に基づいて採用してきた自治体は一定の倍率を維持しているという。その代表が兵庫県で、倍率は最高の6・1倍だった。
 各地で教員がいじめへの対応を誤り、深刻な事態を招く例が絶えない。指導力不足の教員が増えれば、子どもの学力だけでなく、学校生活全般に悪影響を及ぼす。
 国や自治体は教員希望者を増やすなどして、教育の質を守らなければならない。
 まず職場環境の改善が急務だ。学校の働き方改革を着実に進めたい。
 また、まだ数年は大量退職が続く見込みのため、今後の採用計画を中長期的視点で立てる必要がある。
 さらに、新卒を中心とした従来の採用試験にとどまらず、教職経験者らの特別選考を積極的に実施するなど、より幅広い人材の参入が可能となる仕組みをつくるべきだ。
 どういう先生に巡り合うかで、子どもの将来が変わることもある。優れた人材を呼び込むための手立てを尽くさなければならない。



いじめの原因は管理教育
 「規則」はいじめの道具に
2019年12月30日:女性セブン

 世界主要国63か国の「世界競争力ランキング2019」(IMD=国際経営開発研究所)では、日本は順位を5つ下げ30位に。東アジアの中でも、シンガポール、中国、台湾、タイ、韓国の後塵を拝した。今こそ「子どもたちが主役」の学校づくりを進めていくべきではないか──。危機感を共有する4人による、緊急講演会が行われた(11月30日、東京・世田谷)。

【講演会登壇者】
◆世田谷区立桜丘中学校長・西郷孝彦さん/養護学校(現:特別支援学校)を経て、都内で理科と数学の教員に。2010年より現職。常に生徒に寄り添い、「校則なくした中学校長」として知られる。著書に『校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール』がある。
◆教育評論家・尾木直樹さん/法政大学名誉教授。中学、高校、大学で計44年間教壇に立つ。尾木ママの愛称で親しまれ、NHK Eテレ『ウワサの保護者会』などに出演。
◆麻布学園理事長・吉原毅さん/2010年に城南信用金庫理事長に就任し、相談役、顧問(現職)に。2017年に「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」創設。同年より麻布学園で現職。
◆世田谷区長・保坂展人さん/1996年に衆議院議員初当選。児童虐待防止法の成立(2000年)に携わる。総務省顧問を経て2011年より現職。教育ジャーナリストでもある。

 学習指導要領が約10年ぶりに改訂され、2020年度より小学校、2021年度より中学校で実施される。そこで大きく打ち出されているのが、「生きる力」を育み、子どもたちが主体的に学ぶということ。
 だが実際は、ブラック校則がはびこり、学校側が「子どもを管理する」という姿勢が改善されたとはいえない。
 教育の第一線に立つ4人によるトークイベントを主催したのは、桜丘中学校の保護者有志。同校は校長・西郷孝彦さんが“すべての子どもたちが幸せな3年間を過ごすにはどうしたらいいか”を追求し、校則を含めたあらゆる管理を撤廃してきた学校だ。この日、桜丘中学校の日常がスライドで紹介されたが、そこで学ぶわが子の生き生きとした様子を肌身で感じてきた保護者が、同校の活動内容や実情を広く知ってもらい、これからの公立中学校全体のあり方を考える契機になればという思いから開催。キャンセル待ちも出て、約1000人が来場した。
 だが、桜丘中学校も、はじめから今のような学校だったわけではない。
「最初は校則の見直しから始めたのですが、きっかけは、生徒が校長室にやって来て“校則に疑問があって楽しくない”と言ったからでした。
 これに限らず、目の前の子どもたちを見ながら、この子が困っているならどうすればいいか。この子以外にも同じ悩みを抱えている子がいるんじゃないか。そう考えながら、一つひとつ変えていったら、校則もなければ定期テストもチャイムも鳴らない、服装も髪形も自由という学校に生まれ変わりました」(西郷さん)
 同校を訪れたことのある教育評論家の尾木直樹さんは、「学校で学んだことがいかされる社会になっていない」と言う。
「今までいろんな学校を見てきましたが、桜丘中は子どもたちが主役になっていて、みんなが自立しています。なかには“こんな自由すぎる学校では、社会に出て役に立たないんじゃないか”と批判する人がいますが、それは違います。学校とは本来、社会に出ていくためのトレーニングの場。社会や企業に適応する子どもをつくるのではなく、子どもが学校で学んだことをいかせる社会をつくるのが本来のあり方です」(尾木さん)
 登壇者の3人目は、東京・麻布学園理事長の吉原毅さん。同校は中高一貫校の名門校として知られる。一方で吉原さんは、経済界にも身を置く。
「なぜ中・高で管理教育がはびこるのか。それは、人を競わせて評価し、飴と鞭を使って脅し、ルール違反は処罰・管理する、というのが楽だからです。多くの日本企業も同じですが、これでは人間がどんどんダメになる」(吉原さん)

◆管理教育がいじめを生む

 世の親の学校への不安は尽きない。例えば中学校入学直前の子どもの保護者を対象にした調査では、保護者の63.2%が「人間関係(いじめ)」、47.2%が「成績(学力)」について不安だと答えている(学研教育総合研究所「小学生白書Web版2014年調査」)。
 実はこの「いじめ」の要因こそ、“規則や管理”だと登壇者は声をそろえる。
「自分たちのルールや規則から外れた人間がいると“あいつだけズルい”と言って集中攻撃する。それがいじめです。規則はいじめの道具になってしまっています」(吉原さん)
「学校現場のいじめ問題に35年かかわっていますが、最近は、自分がいじめたという加害者の意識が希薄になっている。先生がいつも言っていることを同じように自分も言っているだけで、正義感から注意しただけと本気で思っている。ルールや規則があればあるほど、いじめは発生しやすいのです」(尾木さん)
 桜丘中学校でも、1年生の間は、いじめが起こることもある。
「みんなと同じであることを強制されてきた小学校教育がそうさせるのでしょう。でも、桜丘中で過ごすうちに“自分で考える力”を身につけた子どもたちは、学年が上がるにつれ、人間関係のすれ違いはあっても、いじめはなくなります」(西郷さん)

『校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール 定期テストも制服も、いじめも不登校もない!笑顔あふれる学び舎はこうしてつくられた』(西郷孝彦著、小学館、1400円)

 西郷さんが40年間の教員生活でたどり着いた子ども主体の学校づくりについてまとめた一冊。尾木さんが推薦文を寄せ、本著に感銘を受けたという吉原さんは購入して麻布学園の教員らに配ったそう。
※女性セブン2020年1月2・9日号



(社説)
2019―2020 観覧席にいるあなたへ
2019年12月31日:朝日新聞

 東京都・日の出ふ頭の待合所で、傘をさしたネズミに会ってきた。「バンクシー作品らしき」落書きである。描かれた場から切り離され、都に「落書きは容認できないが、」と注記されつつ、「お正月」の演奏が流れる中でうやうやしく展示されたネズミは生気を失っている。
 私たちが鑑賞しているのは高名なアーティストであるバンクシーという名札? それとも、オークションでは億の値がつく作品の値札、だろうか。

 ■素っ裸で疾走する人

 バンクシーの作品集にも傘をさしたネズミは収録され、こんな小文が添えられている。
 「人類(ヒューマン・レース)ってやつは、もっとも愚かで不公平な類の種族(レース)だ。大半のランナーは、まともなスニーカーやきれいな飲み水さえ持っていない。/生まれつきすごくラッキーなランナーもいて、そいつらは道の途中でも手厚くケアされるうえに、審判まで味方みたいだ。/多くの人が完全に競争をあきらめて、観覧席に座りこんで、ジャンクフードを食べながらヤジを飛ばすのも不思議じゃない」(廣渡太郎訳「Wall and Piece」)
 「令和元年」の祭りばやしが鳴り響いた2019年の日本でも、そんな光景をあまた目にした。社会の分断? それにしては見物人が多すぎやしないか。
 こんなゲームはおかしい。
 みんなが抗議の声を上げれば、ルールは変えられる。なのに多くの人はずっと手前であきらめて、観覧席に退却する。
 なぜだろう?
 小文はこう結ばれる。
 「人類(ヒューマン・レース)に必要なのは、もっと大勢のストリーカーだ」
 ストリーカーとは「素っ裸で人前を疾走する人」(自然科学系英和大辞典)。努めて穏当に意訳すれば、空気を読まず、秩序を攪乱(かくらん)する人、という感じか。
 観覧席で飼いならされるな。
 許可なく生存し、嫌われ、迫害されてもなお文明を食い破る可能性を秘めているネズミは君の究極のお手本だ――バンクシーはそう言っている。たぶん。

 ■小さな島の小さな話

 それにつけてもランナーと見物人を分かつものは何だ? 問いを携え瀬戸内海の島に渡る。
 広島県・尾道港からフェリーで50分、人口500人弱の百島(ももしま)で、今月15日までアートイベント「百代の過客」が開かれた。企画・運営したのは、島に移住した20代の男女4人。「芸術とプロパガンダ」など三つのテーマをしつらえ、作家や識者、一般参加者が語らう対話企画を主軸に、昭和天皇の肖像をコラージュした作品などを展示した。
 「不便な島だからこそ、作品とじっくり向き合い、考えてもらえると思いました」。島に住んで約3年、映像作家の八島良子(やしまりょうこ)さん(26)は話す。
 ところが、先行したあいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」で、天皇コラージュの作者の映像作品が苛烈(かれつ)な批判にさらされ、「余波」は百島にも及んだ。広島県や尾道市に抗議が寄せられ、会場には急きょ警備員が配置された。
 「ひどい展示だった」。ネットには罵詈(ばり)雑言が連なった。だが、会場で罵詈が飛ぶことはほとんどなく、不快や不可解は、「なぜこんな展示を?」の質問として発せられることが多かったと八島さんは振り返る。
 対話企画の最終回、登壇した作家と、「公金を使って不快な作品を展示するのはおかしい」という参加者が対立した。公金は今回使われていないと説明するも、「許せない」「不快な芸術もある」と議論は続いた。そして最後、参加者が「同意はできないが、あなたのような人がいることは理解する」と言い、二人は握手を交わしたという。
 過疎が進む小さな島で生まれた、とてもとても小さな話。でも、そこからしか始まりようのないお話。観覧席を出なければ見ることのできない風景。

 ■橙と「百代の過客」

 「永久に止まらずに歩き続ける旅人」。そんな意味が「百代の過客」にはあり、企画した4人はこう思いを込めた。「芸術は時に挑発的でもありますが、それは複雑な社会を表現し、自由な精神を求めて戦い続けているからです。本企画が『私たちはどこに向かって歩き続けるべきか』という一つの問いかけとなることを期待します」
 会場を出て、帰りのフェリーの時間まで島内を歩く。路地に入れば、朽ちた何戸もの廃屋に行き当たる。年かさの男性が黄色い実を収穫していた。橙(だいだい)だ。「正月飾りをする人が減ってダメになりかけてたんだけど最近の健康ブームで国産の需要がものすごく増えた」と一息で説き、ひとつくれた。イベントの中傷ビラがまかれたと聞いていたので、それとなく水を向けると「もっと人が来るかと期待してたんだけど。でも最近ちょっと有名になったみたいね。よかったね」と言って笑った。
 月日は百代の過客にして、行(ゆき)かふ年も又(また)旅人也(なり)
  (松尾芭蕉「奥の細道」)
 来年は子(ね)年。さて、どこに向かって歩き出しましょうか。


「君が代」と「唱歌」と「明治頌」(1)
2019年11月12日:夕刊フジ

 ここで一旦、これまで書いてきた、明治政府が施行した「音楽」をめぐるトピックスを時系列的に年表にまとめておこうと思います。

1868 明治元年
1872(M5)年 学制領布。「唱歌・奏楽」のカリキュラムは予定されながらも「当分コレヲ欠ク」。
1874(M7)年 雅楽課の伶人たちが海軍軍楽隊に洋楽を習いに行く。
1875~1878(M8~10)年 伊沢修二、アメリカに留学し教育学その他を納める。
1879(M12)年 教育令公布。音楽取調掛設置。メーソン来日。
1881~1884(M14~17)年 「小学唱歌集」が順次出版される。
1882(M15)年 メーソン帰国。
1884(M17)年 伊沢修二、文部省に「音楽取調成績申報書」を提出。洋楽と邦楽の音律は「毫も異なる所なし」。

 という感じでした。
 ちなみに、1883(M16)年には鹿鳴館が開場し、1885(M18)年には伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任しています。
 内閣制度に移行するに当たって、明治政府内では、「改革」派と「復古」派、あるいは「洋学」派と「儒学」・「国学」派と言ってもいいと思いますが、それぞれ思想と立場が違う人たちによる対立が起こり、最終的に太政大臣であった三条実美を抑えるかたちで伊藤博文が総理大臣に就任します。維新から20年ほど経って、ようやっとこの辺りで明治政府の進行方向が「近代化」必須オンリーにまとめられてきた、という訳ですが、伊沢のこれからの「音楽」=ドレミで出来た「唱歌」の採用案も、この流れの中での選択だったのでした。
 のちの目から見ると必然に思える「近代化」。しかし、この時代は、社会のあらゆる部門において、まだそれは全く「必然」のものではありませんでした。伊沢が強硬に「ドレミ」教育を推し進めた背景には、実は、彼に先行して、彼とはまた別のラインから「次世代の音楽とはどのようなものであるべきなのか」、について思案をおこなっていたグループがあったのです。
 日本における近代的な洋楽需要のそのはじまりは、薩摩藩の軍楽隊です。まだ幕藩体制が続いている幕末に、薩摩藩は生麦事件から始まる「薩英戦争」を契機に、イギリス式の軍装を積極的に採用してゆくことになります。薩摩軍にブラスバンドが導入されたのは、1869(M2)年のこと。その後、廃藩置県(1871)による藩軍の解散・整備を経て、彼らはそのまま日本海軍の初代軍楽隊へと編成されることになります。
 興味深いエピソードとして、この薩摩ブラスバンドと、その指導に当たったイギリス人、ジョン・ウィリアム・フェントンによって、現行のヴァージョンではない、言ってみれば「初代」に当たる「君が代」が作曲され、演奏されていたという話があります。
 明治2年、英国王子が来訪するに当たって、英国のそれと並べて「日本の国歌」を演奏することをフェントンは提案しました。しかし、当時の日本には「国歌」どころかその概念すらありません。彼らは相談の結果、薩摩藩に伝わる薩摩琵琶曲「蓬莱山」の中の一節を歌詞とし、それをフェントンの前で何度も唄って採譜してもらい、それをもってして当座しのぎの「国歌」として、エディンバラ公の来朝に間に合わせた、ということです。
 辻田真佐憲『ふしぎな君が代』(幻冬社新書)、および、小田豊二『初代「君が代」』(白水社)にその経緯は詳しく書かれていますので、興味をもった方はぜひ当たってみて欲しいと思いますが、つまり、音楽取調掛が始動するその10年ほど前から、海軍では洋楽の習得と実演が成されていたということですね。日本の洋楽はまず海軍から、なのです。
 そして、年表にも折り込みましたが、明治政府に務める伶人たち=雅楽の演奏家たちは、明治7年から海軍軍楽隊に「洋楽」を習いに出向し始めます。宮廷行事その他の儀式において、彼らが担当する「音楽」においても、国外のそれを演奏しなくてはならない場面が増えてきたということでしょう。彼らは洋楽・邦楽のバイリンガルとして、明治期の音楽シーンをこの後、リードしてゆくことになります。
 このように、明治初期における日本政府御用達の「音楽」は、海軍省軍楽隊、宮内省雅楽課、そして文部省音楽取調掛という、その立場も機能も異なった三つの機関が競合するようにして、制定されてゆくことになります。実は、教育のための「唱歌」の試作は、伊沢らの文部省ではなく、まず雅楽課の伶人たちの手によって成されたのでした。1878~79年のことになります。そして、この「唱歌」は、いわゆる「雅楽」の旋律をもっぱら援用することで作られていました。
■大谷能生(おおたに よしお)
 音楽と批評。ミュージシャンとしてジャズを中心に、さまざまなバンドやセッションで活動。著作としては『平成日本の音楽の教科書』、『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』、『東京大学のアルバート・アイラー』(菊地成孔との共著)、『日本ジャズの誕生』(瀬川昌久との共著)、『身体と言葉』(山縣太一との共著)など多数。

「君が代」と「唱歌」と「明治頌」(2)
2019年11月26日:夕刊フジ

 この連載では明治時代の音楽の話ばかりを書いている訳ですが、最近手に入れた本の中で最高に嬉しかった一冊は、ECMレーベルの全アルバムの全データを完全網羅した「ECM catalog 増補改訂版・50th Anniversary」(東京キララ社)です。
 1969年にリリースされたマル・ウォルドンの「Free at Last」から、カタログ番号順におよそ1000枚!ものアルバムが並べられており、レコードのクレジットとライナーノーツを読むことで教養と想像力を形成した人間としては、朝な夕なに紐解いてずーっと読んでいられるまさしく垂涎の一冊です。資料的価値はもちろん、アルバム・ジャケットも綺麗なカラー印刷でフル掲載されており、アート・ブックとしても楽しめる。監修・出版に携わった方々、そしてECMレーベルに最大限の尊敬と感謝を。

 さて、話を進めます。
 ここでもう一回、明治時代の公的な音楽を巡るトピックスについて「海軍省軍楽隊」「宮内省雅楽課」「文部省音楽取調掛」という、この時期の「音楽」を先導したそれぞれの部署の動きに注目しながら、先の年表に追加する形でまとめてみましょう。
1868 明治元年
1869(M2) 薩摩軍楽隊、英国軍楽隊指導者フェントンから、横浜妙高寺にてブラスバンドの指導を受ける。英国エディンバラ公の来日に際して、薩摩琵琶曲「蓬莱山」を元にした「Japanese National Hymn」を作曲(1)、演奏。「君が代」詞が国歌として演奏された嚆矢。
1872(M5) 学制領布。「唱歌・奏楽」のカリキュラムは予定されながらも「当分コレヲ欠ク」。
1874(M7) 雅楽課の伶人たちが海軍軍楽隊に洋楽を習いに行く。
1875~1878(M8~10) 伊沢修二、アメリカに留学し教育学その他を納める。
1876(M9) 海軍軍楽隊、フェントン版「君が代」に対する改定意見提出(実現せず)。
1877(M10) 西南戦争。フェントン離日。
1878(M11) フランツ・エッケルト来日。海軍軍楽隊教師に。宮内省雅楽課によって、雅楽式音階にもとづいた「保育唱歌」の制作が始まる。
1879(M12) 教育令公布。音楽取調掛設置。メーソン来日。宮内省「君が代」の歌詞を使った保育唱歌「サザレイシ」(2)発表。
1880(M13) 海軍省と宮内省が共同で国歌を制作。現行の「君が代」(3)が初演される。
1881~1884(M14~17) 文部省制作「小学唱歌集」が順次出版される。文部省唱歌として唱歌版「君が代」発表(4)。
1882(M15) メーソン帰国。
1883(M16) 陸軍省、独自に国歌「扶桑」を制作(5)。文部省、あらためて独自に「国歌」制作作業を開始。四編の試作提出(6)。
1884(M17) 伊沢修二、文部省に「音楽取調成績申報書」を提出。洋楽と邦楽の音律は「毫も異なる所なし」。文部省、公式式典用の「明治頌」を試作(7)。シャルル・ルルー来日。陸軍軍楽隊の抜本的指導改革を行う。
1885(M18) 陸軍省、独自に「吹奏歌」として「君が代」を制作(8)。伊藤博文内閣総理大臣就任。
 だいぶん長くなりました。太字の部分は、「国歌」および「君が代」に関係するトピックです。明治初頭は政治的大変革期です。このように年代順にいろいろと並べて、ある程度見通しを良くしてみてわかることは、こうした時代にあっては「公式」とされるもの自体に随分と幅および対立があり、それは決して初めから一枚岩の上にあるものではない、ということです。
 極端に言えば、たとえば、明治10年の西南戦争の結果如何によっては、明治政府の正統性自体がひっくり返ってしまう可能性もあった。しかし、この危機を乗り切って、明治政府は(現在へとつながる)「大日本帝国」の政治的基盤を確立させることが出来たわけですが、その公式の音楽の、最大重要案件の一つである「国歌」の制作にあたっても、各省庁がいろいろな動きをしていることが年表からはわかると思います。太字の部分にパートにカッコで数字を振りましたが、(1)、(3)、(5)、(6)と、「国歌」だけでもこの時期、バラバラに4種類制作されているんですね。
 まずそれは、英国皇太子の訪日にともなって、イギリス人と薩摩藩士の手によって、ほとんどやっつけ仕事的な急ごしらえで作られました。海軍はしばらくこの曲を行事では採用していましたが、器楽ではともかく、歌詞と旋律がうまく調和していない、ということで、あらためて曲を作り直す旨の申告書を提出します。しかし、そのタイミングで西南戦争が起こって、この作業はベンディングされます。
 その中断期に、文部省は音楽取調掛を設置して、本格的に日本の「音楽」に参入します。また、文部省よりも先に「洋楽」の技術を習得した宮内省・雅楽課のメンツは、そのサウンドと従来の「雅楽」を折衷させて、子供に教えるべき「保育唱歌」の試作を独自におこないます。そして、この試作の中には、現行の「君が代」とほぼ同じ詞を使った「サザレイシ」という曲も含まれていました。
 そして負けじと文部省も「君が代」の歌詞を使った「唱歌」を作ります。そして、それとはまた別に、国歌も含めた、明治政府公式の式典用の音楽の試作をはじめました。これが「明治頌」です。
 太字部分中、カッコで番号を振っているトピックスは、このように、各省庁がそれぞれ作ろうとした「国歌公式の音楽」を示しています。それぞれが独自路線で動いている。そして、この時期は、そのどれもが正式採用される可能性があったのです。

「君が代」と「唱歌」と「明治頌」(3)
2019年12月10日:夕刊フジ

 前回の年表からも分かるとおり、明治のその始まりにおいて、明治政府内には「音楽」に関わる組織が、少なくとも三つありました。
 もっとも早く「洋楽」に取り組んだのは、海外からの来賓その他とのあいだに入らなければならない、つまり、国際的な舞台に立つ回数が多かった海軍省の、その軍楽隊です。次に関わったのは、政府の公式行事における式典で演奏する必要のあった宮内省の雅楽課の人たちでした(「雅楽課」という名称は明治期にちょいちょい変わりますが、煩雑になるのでこの連載ではこの名称で通しますね)。どちらも「行事」に付随するものとしての「音楽」の在り方を、兎にも角にも早めに確定してゆく必要があった組織の仕事だった訳です。
 「唱歌」によって、その後の音楽教育の方向性を決定づけた文部省の「音楽取調掛」は、これらの次にスタートした、音楽に関しては後発の組織なんですね。しかし、彼らは、「学校」という巨大な組織を束ねる機関として、世間的にはもっとも大きな影響力を持っていました。なんにせよ、「学校で教える」というパイを握っているのは強い。日本全国津々浦々まで同じ楽曲を広めるためには、学校で教えるのが一番です。文部省は「唱歌」という形で西洋音楽を広め、結果として、以後の日本の「公式」の音感はドレミを元にしたものに整備されてゆきました。
 この三つの組織は、その機能も立場も異なっていますが、それぞれ明治政府が必要とする「公式」の音楽を措定する仕事を行いました。そして、異なった立場にありながら、彼らがこれからの自分たちの「音楽」をまとめてゆくに当たって、共通して否定した対象があります。
 それは、江戸期に隆盛を極めた、長唄、浄瑠璃、小唄、端唄、新内、都々逸などの「三味線歌曲」たちです。これらの「音楽」は、十九世紀の日本の大衆文化のその隅々にまで浸透仕切っている一大メジャー・カルチャーな訳ですが、明治政府はこれらを「俗」なものとして、公式の場所から一切締め出しました。
 こうした「ポピュラー邦楽」を作り出し、楽しみ、繁栄させてきたのは、江戸期の町民たちです。明治政府にはこの町民文化が分からなかった。分からなかったというか、これらの文化を基盤にしてあたらしい「社会」を構築してゆくという発想がなかったのです。なんでなかったの? という話は一旦脇においておきますが、封建時代における武士階級の公式の芸能は「能」つまり「謡」です。しかし、この芸能は、幕府の瓦解と同時にそのパトロンを失い、一旦は絶滅の危機に瀕します。
 彼らに代わって、そのパトロンが政治的表舞台に立つことによって、公式の音楽の第一ランナーの立場に立ったのは、これまでは宮中で細々と公家たちの儀式を支えてきた雅楽および和歌の伝承者たちでした。彼らの音楽が「俗」ではなく「雅」であることには、誰も異論はありません。しかし、それは全く「近代的」なものではない。
 おそらく、明治初期の段階にあっては、「雅楽を近代化する」=「近代的に整えられた雅楽を日本の公式の音楽とする」=「学校で教えられる音楽は雅楽を基盤としたものにする」というラインもあり得たのだと思います。しかし、文部省はこれを採用しなかった。文部省の伊沢修二は、雅楽を退け、敢然と日本の公教育にドレミを導入します(なんか明治時代の話を書いていると、言葉遣いがちょっとづつ講談調になりますねー)。
 「俗」なものとしての三味線音楽を否定し、儀礼音楽としての「能」も「雅楽」も同時に退けて、文部省は「西洋音楽」を公式の場所で演奏されるべき「雅」であるものの基礎としました。この決定はかなりの綱渡りだったと思うのですが、結果として上手くいった。見事な手腕だと思います。そして、その手腕を確認できるもう一つのトピックとして、ドレミを導入するに当たって、実はすでに明治の民間に広く広まり始めていた「ドレミ」の音楽に対して、文部省が「唱歌」によってどのようにアプローチしたのか、ということがあります。
 キリスト教の伝道者たちによって、この時期急速に普及しはじめた「賛美歌」の存在です。

「君が代」と「唱歌」と「明治頌」(4)
2019年12月24日:夕刊フジ

 今年の終わりは、12月27日まで(21日が初日でした)両国のシアターXで、演劇集団円の「青い鳥」公演に音楽と演奏で参加しております。
http://www.en21.co.jp
 で、12月29日には今年いっぱい続けてきた「ジルバを踊るイベント」の第七回目を開催いたします!
https://twitter.com/WassonWwh/status/1201524425700413440
 もしよろしければ、忘年会的に踊りましょう! お待ちしております。

 御一新で政権が代わり、「明治」という新時代になった訳ですが、江戸期から続いて来た文化や政策が、この「維新」で一気にガラッと変わってしまうといったことはありませんでした。当たり前ですが、様々な改革が、明治初頭においては漸次的に進められていきます。例えば、チョンマゲを結わなくてもいいよ、という御触れが出たのは、明治四年になってから。また、サムライ出身者が帯刀して町を歩くことが禁じられたのは、明治も九年になってからのことです。
 そして、それまで禁制とされてきた「キリスト教の信仰と布教」が許可されたのは、明治六(1873)年の出来事です。数えてみると、海外との通商条約が結ばれて、他国からモノとヒトが続々やってくるようになったのが1858年ですから、開国してから実に15年に渡って、日本政府は「耶蘇教」を公式的に認めなかった訳ですね。認めなかったばかりではありません。明治に入ってからも政府はキリスト教弾圧を続け、明治二年には長崎のキリスト教信者が大弾圧されるという出来事も起きています。
 しかし、開国を機に、各国の商人に帯同するかたちで、カトリックおよびプロテスタントの宗教人たちは続々と日本を訪れ、自分たちの生活のために、および、キリスト教の布教のために教会を建設し、ミサを執りおこないはじめました。
 横浜に教会が建てられたそのはじめは、生麦事件などによって幕末の激動期がスタートする1862年のことだそうですが、ということはつまり、明治政府が「ドレミ」による公教育を始める以前に、日本においても教会を中心にして、およそ二十年間以上にわたって、ミサにおける「讃美歌」というかたちで「西洋音楽」のサウンドが奏でられてきていた、ということです。
 キリスト教の布教において、そのもっとも強力な道具となったのは「讃美歌」でした。『唱歌と十字架』(音楽之友社)の著者である安田寛氏は、『「唱歌」という奇跡 十二の物語』(文春新書)において、十九世紀におこなわれた「ミッション」=キリスト教の海外伝道と教育運動について触れ、彼らが普及させた「近代教育」について以下のように書いています。
 <ミッションは伝道地に教会を中心とする共同体を建設し、そこで讃美歌を現地語に翻訳し、教会だけではなく、学校で教え、現地人に歌わせた。これによってアジア太平洋海域の歌謡は近代化、西洋化された。賛美歌の普及と影響力を見てみると驚くほどのもので、それは反面ではそれぞれの地域で長い伝統を持った歌舞や詩歌の殺戮と破壊であった。>(『「唱歌」という奇跡 十二の物語』、p.3~4)
 安田氏はこの本のなかで、このような「讃美歌」の影響を受けながら、しかし、それに対抗するような別のかたちで、近代日本国家が「唱歌」という「洋楽」に基づいた「新しい在来種」を誕生させることが出来たのは、「一つの奇跡」であった、と述べています。
 実際に、日本語で唄われる歌としての讃美歌の歴史を調べてみると、その最初の賛美歌集の公刊は、明治七年にまで遡ることが出来る模様です。禁制が解けたその直後! に刊行されている。ということは、おそらく、それまでにすでに(アンダーグラウンドな形でなのでしょうが)多くの「日本語の賛美歌」が作られ、唄われていたのではないかと思われます。
 安田氏の本には、一番初めの讃美歌の日本語の歌詞として、<よい土地ござります たいそう遠方>という文句が掲載されています。これはキリスト教弾圧のための政府が放った密偵が、大隈重信に対して送った報告の中にあるものだそうです。明治五年のリポートとのこと。
 最近、たまたま読んでいた、鮎川信夫・吉本隆明・大岡信の三氏による『討議近代詩史』(思潮社)の第一章に、明治初頭における讃美歌の「詩」について触れていた部分がありました。音と言葉とを合わせるために、日本語による賛美歌の中では、これまでの日本の詩型と異なるさまざまな実験がおこなわれている、と彼らは述べています。
<(大岡)植村正久も讃美歌を訳してるんですけど、彼の文集を読んでいたら、讃美歌もはじめはひどいもんだったってことを書いててね。讃美歌は神戸でさかんだったわけですね、歌集の出版やなんかは。だけど横浜での出版が最初なんじゃないかということを植村は言っていて、その最初の訳を引いています。これは訳したのが西洋人(鈴木亨氏によれば、宣教師のミス・クロスビー)だそうですが、その訳詞はすごいんですよ。
 耶蘇我れを愛す 左様聖書申す
 帰すれば子たち 弱いもつよい  
     ハイ耶蘇愛す ハイ耶蘇愛す
     ハイ耶蘇愛す 左様聖書申す
というんです。これ、ちょっといいでしょう。
(吉本)いいですね。>(『討議近代詩史』p14~15)
  讃美歌のメロディーは勝手に変えることは出来ないので、とにかくその音にふさわしい言葉を探して、原語の意味に寄せた詩を創作しなくてはならない。こうして和歌や謡、長唄や浄瑠璃ら江戸期の「歌謡」とはまったく異なった調子をもったウタが創作されていきます。伊沢修二らが「唱歌」に取り組む以前から、また、海軍軍楽隊が洋楽を学ぶのとほぼ同じタイミングでもって、宣教師たちは日本語をドレミに添わせる試作を盛んにおこなっていた、ということです。
 そして、井沢の師匠であるメーソンが、日本で「洋楽」を教えるにあたって念頭においていたのも、日本人が適切な勉強によってこのような「讃美歌」を十分に唄えるようになること、つまり、キリスト教音楽の普及=キリスト教の普及によって、日本社会を正しく「近代化」させることであったのです。
 ボストン出身のアメリカ人メーソンにとって、というか、この時代の「西欧人」のそのほとんど全てにとって、「近代」化はそのまま「キリスト教」化とイコールです。それは「正しく」「当然」のことで非西欧圏における「全ての国で推し進めなくてはならない」ものだったのです。


お御札をまつる「モダン神棚」6選
 リビングでも違和感のないデザイン
2019年12月6日:サンケイリビング

お御札をまつる場所に困っている方におすすめ「モダン神棚」

 寺社で新しいお御札をいただき、一年間、神棚にまつったお御札はお納めする。日本らしさを感じる伝統行事の季節が近づいてきました。職人たちが時代に合わせて工夫をこらしたさまざまな神棚は、和室にお住いの方だけでなく、洋間には神棚を置けないとお困りの方にも好評です。<産経ネットショップ>

■箱宮から簡易神棚まで
 昭和36年創業の静岡木工は、住宅事情の変化に合わせて神棚をモダンにデザイン。職人が一つ一つ、丁寧に手で削って作っています。










 「静岡木工 箱宮 神楽セット」は、岐阜県の銘木、東濃(とうのう)ヒノキを使った箱宮(はこみや)と、榊立てなどの神具がセットになっています。一般的な箱宮と比較すると奥行きが約半分。圧迫感のないサイズで洋風の居間にも違和感なく溶け込みます。




















 「静岡木工 神具セット付 洋風モダン神棚板 Kaede」は、素材にメイプル(カエデ)を使用しました。神棚板の溝にお御札を立てるシンプルな神棚で、こちらも神具が付属します。工具を使わず簡単に取り付けられて、壁の傷を最小限に抑えられるのが特長。専用のフックと鋲を使えば石膏ボードにも取り付けられます(※)。

 東濃ヒノキ製の「静岡木工 鳥居付御神札飾り」は、紙のお御札だけでなく、木札、御朱印帳などを立てかけてまつる簡易的な神棚です。手前に鳥居を配置した落ち着いたデザインで、日々、生活を見守ってくれる大切なお御札を立てられます。
■お部屋の和洋も設置場所も困らない
 福島県いわき市の木工職人集団「もこのこ」が作った「かみだな」は、伝統的な神棚のあり方を継承しつつ、現代の住空間に合うように設計されています。








 神棚は通常、伊勢神宮を模した形ですが、「かみだな」は本体の表面にレーザー加工機で彫った伊勢神宮が描かれています。二次元(平面)で表現することにより、伊勢神宮にお御札をまつるという従来の神棚の考え方は変えずに、高い棚の上などのスペースにも設置できるコンパクトなサイズにしました。

 本体の内側にお御札を収納するようになっており、中央には小窓。デザイナーの水野憲司さんは「この小窓を通し、中の神様とつながることができるという発想を加えたことで、これは神棚であると言えるようになったと思います」と話しています。デザインは「正木屋材木店 moconoco(もこのこ) 神棚 かみだな むく」「正木屋材木店 moconoco 神棚 かみだな しろ」「正木屋材木店 moconoco 神棚 かみだな しろ×むく」の3種類です。
※コンクリートの壁、木の壁には取り付けられません。


メディア万華鏡
「良識と節度欠く報道」って何?
真相伝えないメディア
2019年12月30日:毎日新聞

 不親切だ。上皇后美智子さまが9月以降、吐しゃ物に血液が混じるなど体調不良が続いていることを宮内庁が明らかにしたという新聞記事。毎日新聞の12月14日朝刊によると、同庁幹部は精神的なストレスが原因として、美智子さまに関する週刊誌報道などを挙げ「名誉が傷つけられるものがあった」と指摘したという。
 13日の宮内庁の発表を受け、読売新聞も「同庁幹部はストレスの原因について、上皇后さまに関する最近の週刊誌報道を挙げ、『良識と節度に欠けている』と述べた」、日経新聞も「同庁は『週刊誌の批判的な報道が相次いでいることが(上皇后さまの)お体に全く障っていないとは言い切れない』との見解を示した」と伝えた。

読者は当然「なぜ?」と疑問

 朝日新聞や東京新聞は「精神的ストレス」のみで「週刊誌報道」には触れなかった。それはそれで不親切だと思ったけれど、「週刊誌報道」と書いた以上、読者は当然、「どんな報道?」「なぜ?」と疑問を抱くだろう。
 有力視されているのは週刊新潮の「『二重権威』が露わになった『即位の礼』パレード延期の残響」(10月31日号)という記事だ。だからか、同誌は12月26日号で「キーワードは『二重権威』 『美智子さま』 吐血を週刊誌に責任転嫁した『宮内庁』」と反撃に出た。
 同誌によると、美智子さまが最も気を使っていたのが、令和になっても上皇・上皇后が今の天皇・皇后と並んで見える「二重権威」。宮内庁は上皇ご夫妻が公的活動から身を引くことを原則としているが、上皇ご夫妻がコンサートや舞台などに鑑賞に行くと「宮内庁が取材の場を設けるため、メディアへの露出が続く状態となっている」という。
 国民の間で天皇と上皇の2人が権威をもつ「二重権威」は、かねて新聞も取り上げてきたテーマで“週刊誌沙汰”ではない。もしも、安倍晋三首相の妻昭恵氏が体調不良になったとして、「良識と節度を欠く報道による精神的ストレスが原因」と政府のスポークスマンが発表したら、メディアと権力の問題を考えざるを得ないだろう。
 上皇さまは12月23日、86歳の誕生日を迎えた。日経新聞が同23日朝刊で、一部週刊誌の二重権威を指摘する報道が上皇后さまの体調不良の一要因との見解を宮内庁が示したが、「各方面を取材しても、このような事例(注:二重権威となるような事例)は確認できない。二重権威とみるのは揚げ足取りだろう」とフォローした。

二宮和也さん結婚報道でも

 こんな「不親切」もあった。アイドルグループ「嵐」の二宮和也さんの結婚報道(11月12日発表)で、新聞・テレビは「相手は元アナウンサーの女性(38)」と報じた。これまで実名で報じたことがあるスポーツ新聞も匿名になった。
 「元アナウンサーの女性って誰?」「なぜ匿名?」と読者や視聴者は思うだろう。ジャニーズ事務所がメディア各社に実名報道自粛を要請したためのようで、実名を出したのはこれまで二宮さんとの交際を実名で報じてきた週刊文春と、夕刊紙の日刊ゲンダイぐらいだった。
 取材対象が権威のある宮内庁やジャニーズ事務所だからメディアは「忖度」したのか。取材対象によってメディアは「書く」「書かない」の基準を勝手に変えてしまうのか。「不親切」な報道が続くと、そんなメディアのダブルスタンダードと受け取られ、読者に耳を傾けてもらえなくなることが心配だ。



この1年を
「日本が世界の真ん中で輝いた」と表現する
安倍首相の世界観とは
2019年12月31日:毎日新聞

報道写真展を訪れ、写真にサインをする安倍晋三首相
=東京都中央区の日本橋三越本店で2019年12月21日、藤井達也撮影

 「そんな1年だっけ?」。思わずそうツッコんでしまったのは記者だけだろうか。安倍晋三首相が「報道写真展2019」を見て「日本が世界の真ん中で輝いた年になったのではないか」と語ったのである。確かに、改元や新天皇即位の祝賀行事、ラグビー・ワールドカップなど、明るいニュースはあったが、豪雨や台風などの災害は忘れられない。「真ん中で輝いた」と表現した安倍首相の真意はどこにあるのだろうか。【江畑佳明/統合デジタル取材センター】


報道写真展を訪れ、自身が写る「G20大阪サミット」の写真パネルにサインする安倍晋三首相
=東京都中央区の日本橋三越本店で2019年12月21日、藤井達也撮影

 安倍首相は東京都内で開かれた写真展で21日、会場の写真を見て回った後、記者団の囲み取材に応じてこう述べた。
 「写真展を拝見させていただいたのですが、もうずいぶん前のことだと思いますが、令和初の国賓として、トランプ大統領をお迎えしました。そしてまた、日本で初めてのG20を大阪で開催しました。世界中からリーダーたちが集まった年でもありましたけれども、また即位礼正殿の儀などで、本当にたくさんの人が日本を訪問していただいたと思います。またラグビー・ワールドカップ。世界中のスポーツスター、ラグビーファンが日本にやってきました。日本が世界の真ん中で輝いた年になったんではないのかなと思います。そして来年は東京オリンピック・パラリンピックが開催されます。躍動感があふれるなかで、未来を見据えて、日本の国づくりを進めたいと思います。ありがとうございました」
 安倍首相はこの「世界の真ん中」という言葉がお気に入りらしい。調べてみると、過去に何度も発している。
 自民党は今夏の参院選の公約のトップに「世界の真ん中で力強い日本外交」と掲げ、安倍首相は街頭演説などで何度も口にした。
 また、首相は国会でもたびたびこう表明している。
 「誰もが夢に向かって頑張ることができる、何度でもチャンスがあふれる社会。そして、額に汗して頑張った人が報われる真っ当な社会。今日よりも明日はきっと良くなると、そう信じることができる社会をつくっていきたい。その上で、世界に開かれて、世界の真ん中で輝く国をつくっていきたいと、こう考えております」(2018年3月1日、参院予算委員会)
 「今や日本は、私たちの努力で再び成長することができる、世界の真ん中で輝くことができる、その自信を取り戻しつつあります。さあ皆さん、今ここから、新たなスタートを切って、芽生えた自信を確信へと変えていこうではありませんか」(15年2月12日、衆院本会議での施政方針演説)
 また13年には、作家の百田尚樹氏との共著として、「日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ」(WAC)という本も出版している。
 よく使うフレーズがまた出たということだろうか。

報道写真展を訪れ、カメラを手にする安倍晋三首相
=東京都中央区の日本橋三越本店で2019年12月21日、藤井達也撮影

 「無意識なのかもしれませんが、図らずも安倍首相の頭の中にある『優先順位』を可視化しました」と、戦史・紛争史研究家の山崎雅弘さんは指摘する。山崎さんの分析はこうだ。
 「『世界の真ん中で日本が輝く』という概念は、米国のトランプ大統領のような『自国中心主義』と同じように捉えられるかもしれませんが、それは違うと思います。首相は今回、米大統領来日、G20、即位礼正殿の儀、ラグビー・ワールドカップに言及していますが、すべて外国からの来客のことばかりで、自国民について全く触れていないのです。自国民の現状に関心がないのだから、自国中心主義ですらありません」
 8月には九州北部で豪雨が発生。9月には台風15号、10月には台風19号、21号のために関東や東北地方などで計100人以上が死亡した。6月には山形県沖を震源とするマグニチュード(M)6・7もの地震が発生し、新潟県、山形県などでけが人や家屋が崩壊するなどの被害が相次いだ。今でも仮設住宅や修理が進まない家で不自由な暮らしを余儀なくされている人は多い。
 山崎さんは「一過性のイベントの成果ばかりを自慢し、苦しんでいる自国の被災者は眼中にない、と批判されても仕方ない」と指摘する。
 首相官邸は報道写真展を訪れた安倍首相の様子を動画で公開(https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/201912/21hodo_photo.html)しているが、囲み取材を受ける安倍首相の背後には水害で屋根まで浸水した住宅の写真が展示されている。

現実から逃げている?

 さらに山崎さんは、外交面でも「輝いた」とはいえないと批判する。「この1年で外交面の課題は後退したものばかりです。北朝鮮問題を巡る6カ国協議の参加国のうち、日本だけ北朝鮮との首脳会談から遠ざかっています。日露間の北方領土交渉も、悪化した日韓関係の改善についても進展なしでした。それなのに自画自賛するのは、現実と向き合うことから逃げている証拠では」
 厳しい現実を突きつけられたのはそれだけではない。
 スイスのシンクタンク「世界経済フォーラム」(WEF)が17日に発表した「ジェンダー・ギャップ指数」の年次報告書だ。男女平等の実現具合を示すものだが、19年の日本の順位は153カ国中121位。前年の149カ国中110位から大きく後退した。
 山崎さんは言う。「そもそも『世界の真ん中で輝く国』なんて現実の世界には存在しません。情緒的な宣伝用の言葉なのです。現実離れした幻想を国民に抱かせ、政府の失敗や不都合な現実から目をそらす。その姿勢は、太平洋戦争の後半、戦況悪化という事実を覆い隠した戦争指導者たちの言動を連想させます」

経済的には「不透明感増している」

 経済的には「世界の真ん中で輝いた」だろうか。
 経済ジャーナリストの荻原博子さんは「とんでもない。先行き不透明さが増した1年ですよ」と批判する。

報道写真展を訪れ、ドナルド・トランプ米大統領夫妻と大相撲を観戦した際の写真にサインする
安倍晋三首相=東京都中央区の日本橋三越本店で2019年12月21日、藤井達也撮影

 例えば、日本銀行による12月の企業短期経済観測調査(短観)では、企業の景況感を示す業況判断指数(DI)は大企業・製造業で「0」となり、4四半期連続で悪化した。「経営者が経営を長期的視野で考える余裕がなく、従業員の給与はほとんど上がっていません。消費税が引き上げられ、家計はさらなる節約を強いられています。『1億総シュリンク(縮小)』の年だったといえるのでは」と荻原さんは話している。

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